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第46話 再始動~究極の二択 肆

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 それを代弁するように叶が口を開いた。

「塩沢さま。御中臈たちの処遇はどういたしましょうか。いくら現状が厳しいとはいえ、上様に改善策をねだることは大奥法度にふれること。しかし、このままでは上様の渡りが途絶えてしまいます」

 塩沢は苦い顔をした。

「いいや。このような時だからこそ規律は守らねばならぬ。少なくとも沢渡主殿頭の真意がどうであるかわかるまでは、つけ込まれる隙を作ってはならぬ。謹慎は解かぬ」

 もうひとつの問題はこれだ。
 女に甘い上様に愛され贅沢を楽しむことを生きがいにしてきた御中臈たちは、過剰な制約に縛られることに堪えきれず、閨で現状を嘆きなんとかして欲しいと上様へ願い出たのだ。
 上様への個人的なおねだりは大奥法度にふれる違法行為だ。塩沢が厳重注意を行ったのだが、肝心の上様が、

『よい、よい。余も息苦しゅうて仕方ないのじゃ』

 と、言うものだから御中臈たちも態度を改めないでいた。
 それに対し塩沢は双方に厳しく対応した。おねだりをした御中臈たちには、

『お前たちの役目は上様をお慰めすること。不満をお耳に入れるなど言語道断』

 と、断じ、謹慎を言い渡して上様が渡りをしていい女たちを限定した。相手は御台所や過去にお渡りがあった女たちなのだが、これに上様は大いに不満を持ち、

『いまさら、昔の女などに興味はないわ』

 と、大奥から足が遠のいてしまっていた。
 いかに上様とて大奥で好き勝手はできない。大奥の主は御台所――上様の正室だからだ。上様はあくまで客人。
 しかし、上様の渡りのない大奥など無用の長物でしかない。結果的に大奥の縮小と権勢を削ぎたいと狙う沢渡主殿頭の思惑とおりにことが成っているのだ。

 叶が塩沢に問う。

「……塩沢さま。実際のところ、上様は今の大奥の現状を……いえ、表向きのあり方をどう受け止めていらっしゃるのでしょう」

 塩沢は深くため息を吐いて答える。

「見て見ぬ振りじゃな。もともとまつりごとは、上様の父君であらせられる、大御所さまが長きに渡り実権を握っておったのじゃ。
 派手好きで女好き。お手が付いた女は千人を超え、生まれた御子も五十人以上じゃ。姫君をしかるべき家に嫁がせるだけでも巨額の費用がかかった。
 そのあいだ上様に許されたことといえば、ここ大奥で心を慰めることだけ。いまさら、政に係わることなどできまいよ」

「――そうでしたな……。言葉にするのは憚られますが……表向きは、大御所さまが身罷みまかられることを待ち望んでおられた。五十年を超えて、ようやく幕閣ばっかくに政がもどったと沢渡主殿頭らが空になった御金蔵ごきんぞうをなんとかしようとしても致し方ないことかもしれませぬ。が……。上様の足が遠のき、大奥の権勢が削がれ、これでは大奥が大奥としての意味を成しませぬ」

「それだけ金を使った大奥が憎いのでしょうな」

 中野がポツリと言った。
 叶も苦しげに言う。

「上様のことだけではございませぬ。このままでは七夕どころか、八朔はっさくの日を執り行うこともできなくなりまする。東照大権現とうしょうだいごんげんさま、ご入場の大切な式日ですのに。このまま風紀を正すためだと締め付けを続け、催事も行えない、女中減らしと続ければ、大奥の権威は落ちたと諸大名に知れ渡ることになり、奥内での不満も強くなりましょう。なにか策があればよいのですが……」

 言葉は止まり、その先がないことを物語る。
 塩沢も中野も答えない。
 不本意だが、沢渡主殿頭を突破する打開策はなく、質素倹約を守らざるを得ない状況だ。

 ――今だ、今しかない。

 そう高遠は感じ取った。今までとおり秘密裏に動いた方がいいに決まっている。しかし、本が出版されれば必ずどこかでバレるだろう。
 新規商品停止令しんきしょうひんていしれいが出されているさなか男色本が出版されるのだ。それも、須磨の美麗な絵が表紙だ。大奥に出入りする商人たちから広まるのは火を見るより明らかだ。

 それでも決行したのは出版したいと抱いた希望もあるが、それを叶えるために熟慮した上で行動し、この賭けの勝率を上げてきた過程がある。
 最初は自分のために、須磨のために。

 けれど、最後は大奥のために。

 そう考えが至ったのだ。
 その大奥が選択できるのは困窮を甘んじて受け入れるか、一矢報いるかの二択のみ。
 大奥を救いたいと嘘偽りなく提示できるとしたら今しかないのだ。賭けに負ければ終わるが、負ける博打など打ってはいない。
 心に炎が燃える。使命が自分を突き動かす。唇は、

「――皆さまにお伝えしたいことがございまする」そう語り出した。
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