隣の席のお殿さま

豆狸

文字の大きさ
上 下
2 / 24

2・『俺の女』宣言!?

しおりを挟む
 淡々と授業が進み、やがて午前中最後の数学の授業が始まった。
 これが終われば昼休み、お弁当の時間だ。
 黒板の横で、数学の先生が腕時計を確認している。
 わたしは、黒板の内容を急いでノートに書き写した。
 途中ちょっとグチャグチャになったけど、実はちゃんと書き写していても読み返したとき意味がわからないから同じことだ。
 授業だけでついていけたのは、小学校の算数までだったなあ。
 今は予習復習していても厳しい。
 先生が腕時計から顔を上げた。

「授業終了まで残り五分だが、板書が終わっていないものはいるか? まだのものは挙手を」

 教室は静まり返っている。
 わたしもなんとか書き終えていた。
 隣の席のお殿さま、九原雷我くんは机に突っ伏したままだ。
 ノートどころか教科書も出していない。
 窓から吹き込む春の風の中、気持ちよさそうに眠っている。
 数学の先生は九原くんの姿を見て、メガネの奥の瞳を煌めかせた。
 黒板消しを手に取り、今日の授業の内容を消していく。
 グチャグチャながらも書き写しておいて良かった。
 断片だけでもわかれば、教科書や参考書を見て復習できるから。
 今の状態では、自分がなにをわかってないのかもわからない状態だもんね。先生に質問なんか、とてもできない。
 わたしたちのノートの中身を消し終わった数学の先生は、今度はチョークを手に取った。
 ものすごい勢いで数式を記入していく。

「うわ……」

 教室のどこかから呟きが聞こえた。

「あれ、うちの大学の今年の内部受験用の問題じゃないか? 院生レベルだって問題になったヤツ」

 私立泉下学園は幼稚舎から大学院まである。
 幼稚舎からずっと通っているのは泉門市の中でも限られたエリート層だけだ。
 高等部は外部入学も多く、わたしもそのひとり。
 返済に無理のない奨学金制度を利用できたら良かったんだけど、どうしても数学がネックで条件を満たせず、代わりに九原産業関係者に対する授業料割引制度を利用している。
 おばあちゃんが九原産業の下請けでパートをしていてくれたおかげだ。
 卒業まで割引してもらえるからありがたい。
 泉下学園の大学と院はレベルが高いので、幼稚舎からの生徒も高等部からの外部入学生も外へ出て行くことが多かった。
 わたしは大学に進学する予算がないので、卒業後は就職の予定。
 勉強したいこと……は、ちょっとだけある。
 両親がやっていた趣味の郷土史研究を引き継げたらいいな、と思ってるんだけど、大学に行かなくてもできることだよね。

「九原くん」

 苦手なわたしには魔法の呪文のような数式を黒板いっぱいに書き終えて、数学の先生が振り向いた。
 その瞳には、わたしの隣の席の九原くんが映っている。

「……ふぁい?」

 瞼を擦りながら、九原くんが頭を起こす。
 眠たそうな顔をして、彼は唇を開いた。

「黒板の問題ですか? 答えはx=……」

 九原くんがすべて言い終わる前に、数学の先生は慌てて首を横に振った。

「九原くん、口頭ではなく黒板に途中式も書いてくれたまえ」
「わかりました」

 立ち上がって、九原くんが黒板へと向かう。
 彼が学校で寝てしまうのは、夜遅くまで仕事をしているからだと聞く。
 九原産業の本社は泉門市にあるものの、社長である九原くんのお父さんは東京支社にいることが多い。東京のほうが経済活動が盛んなんだから仕方がない。
 泉門市に残った跡取りの九原くんは、東京支社のお父さんと泉門本社の重役たちの間を取り持っているのだ。
 そんなわけで大目に見られてはいるのだけれど、お殿さまが追試常連者では困る。
 かといって授業中寝てばっかりなのに成績優秀だと裏での忖度を疑われる。
 授業終わりのわずかな時間で九原くんが能力を示すのは、眠っていてもほかのみんなと同じ、もしくはほかのみんな以上の学力を維持していますよと、先生や生徒たちに示すためなのだ、と思う。
 外部入学生なので、こうして九原くんにだけ問題を出されるのを初めて見たときは驚いた。
 いきなり始まったんだもん。
 幼稚舎からの人たちはこれが当たり前で、意味なんて考えたことがないし説明を受けたこともないと言うし……うん、受け入れるしかないよね。

「……よろしい、正解だ」

 数学の先生の声には、少し悔しそうな響きがあった。
 わたしが、先生の書いた数式からなにを導き出せばいいのかと考えている間に、黒板の前に立った九原くんが答えを記入し終えたのだ。
 ちなみにわたしは、九原くんが書いた答えと最初の数式のつながりもよくわかってない。
 九原くんは天才型なんだろうな。

「あ、忘れてた」

 席に戻ろうと振り返った九原くんが、掠れた声を上げた。
 黒板に広がる式と答えを見つめて、なるほど、と頷いていた先生が、怪訝そうに彼を見る。

「どうした、九原くん」
「後々面倒なことになるといけないから言っておくね。晴田十花は俺の女だから、みんな手を出さないように」

 教室が沈黙に染まる。
 ……びっくり。
 九原くん、好きな女の子(俺の女、っていうのはそういうことよね?)がいたんだ。
 だからって授業中に宣言するなんて情熱的だなあ。
 でもいつも飄々としてマイペースな彼らしい告白だとも思う。
 表情は笑顔だったけど、掠れた声は力強くて迫力があったよね。
 晴田か。わたしと同じ名字……あれ? 十花っていうのもわたしの名前と同じ?
 静寂の中、悠々と自分の席に戻ってきた九原くんに顔を向けると、机の上に肘をついた彼が、わたしに向けてウインクしてきた。

 ……!?
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

見捨てられたのは私

梅雨の人
恋愛
急に振り出した雨の中、目の前のお二人は急ぎ足でこちらを振り返ることもなくどんどん私から離れていきます。 ただ三人で、いいえ、二人と一人で歩いていただけでございました。 ぽつぽつと振り出した雨は勢いを増してきましたのに、あなたの妻である私は一人取り残されてもそこからしばらく動くことができないのはどうしてなのでしょうか。いつものこと、いつものことなのに、いつまでたっても惨めで悲しくなるのです。 何度悲しい思いをしても、それでもあなたをお慕いしてまいりましたが、さすがにもうあきらめようかと思っております。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

悪意か、善意か、破滅か

野村にれ
恋愛
婚約者が別の令嬢に恋をして、婚約を破棄されたエルム・フォンターナ伯爵令嬢。 婚約者とその想い人が自殺を図ったことで、美談とされて、 悪意に晒されたエルムと、家族も一緒に爵位を返上してアジェル王国を去った。 その後、アジェル王国では、徐々に異変が起こり始める。

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

たっくんは疑問形 〜あなたと私の長い長い恋のお話〜

田沢みん
ライト文芸
第3回ライト文芸大賞 奨励賞、ありがとうございました。 『たっくん……私にたっくんの、空白の6年間を全部下さい』 『小夏……俺の話を聞いてくれる?』  小夏と拓巳は5歳の夏に運命の出会いをし、恋をした。 2人は拓巳の母親の恋人による暴力でジワジワと追い詰められ傷つけられ、 9歳の寒い冬の日に引き裂かれた。  そして6年ぶりに高校で再会した拓巳は、外見も中身も全く変わっていて……。  これは初恋の彼を想ったまま恋することをやめた少女、小夏と、 暗い過去を背負い、人を愛することを諦めた少年、拓巳の20年越しの恋のお話。 * R15です。第1章後半および第3章で児童に対する暴力、ケガなどの描写があります。第4章から性描写、微ザマァが入ります。 *本編完結済み。不定期で番外編を追加中です。 *イラストはミカスケ様です。

先生は、かわいくない

市來茉莉(茉莉恵)
ライト文芸
【出会った彼は『人殺し』? 離島に赴任した女医が惹かれた島の青年は…】 突然、離島の診療所に行けと言われ、女医の美湖は指導医だった先輩がいる瀬戸内の島へ。 人は『島流し』と噂する。でも美湖の離島生活は淡々と穏やかに馴染んでいく。 ただ『センセは、かわいくない』とかいう生意気な大家の青年(年下)が来ることを除いては……。 いちいち世話やきに来る年下の大家の男、彼のかわいいお母さん、そして瀬戸内の情景。 都会ではクールに徹していた美湖を包みこんでくれる。 だが彼にも噂があった。『人殺し』という噂が……。 瀬戸内海、忽那諸島。蜜柑の花が咲く島のおはなし。 ★第四回ライト文芸大賞 『奨励賞』をいただきました★ ※他投稿サイトにも掲載ありますが、アルファポリス版はライト文芸大賞用に改稿しています

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

処理中です...