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第六話 番じゃない。④
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結婚してから、ダミアンが悪夢を見て目を覚ますと、そこにはいつもシンシアがいてくれた。
寝台横で揺り椅子に座ってダミアンの手を握ってくれている安らかな寝顔を見つめると、未だ収まらない暴走が少しだけ静まっていくのを感じる。
揺り椅子で眠るのは苦しいだろうと同衾を申し出たこともあったのだが、口では断らないものの苦しげな表情になった彼女を見て無理強いをするのはやめた。彼女は自分の意見をなにも言おうとはしない。どんなに言ってもだれも聞かず、この国に連れて来られてしまったのだから当たり前だ。
彼女の故郷のクリストポロス王国で会ったとき、不敬にならないよう感情を殺した仮面のような表情で、シンシアはダミアンに告げた。
──私は貴方の番ではありません。
なんの衝動も感じていません。
私には愛する婚約者がいるのです。
それを聞こうとしなかったのはダミアン自身だ。
自分の中の衝動を根拠なく信じていた。
真実に気づいていたのは彼女のほうだったというのに。
クリストポロス王国との間に伝書幻獣を飛ばして、今回の件の黒幕は明らかになっていた。
黒幕というほどのものでもない愚かな男女だ。
男のほうはシンシアの元婚約者で、女のほうはかつてシンシアの義妹だった女だ。今はロウンドラス公爵家を追い出されていて、もうなんの関係もない。魔晶石による魔力の誤認とは、あまりに単純過ぎて想像することもなかった。魔晶石の魔力はいずれ消え失せて、すべてが明らかになる。その際にどうするつもりだったのか。
王宮の舞踏会に参加することのない平民は、竜人の真の姿を知らない。
戦勝パレードなどで見るトカゲ男──大暴走に立ち向かうことで興奮して鱗に覆われた姿が正体だと思っている。だからダミアンの真の番は竜王の花嫁になるのを嫌がったのだろう。
魔力が安定した竜人は人間と変わらない。それどころか人間よりも美しいとさえ言われているのに。
番への衝動混じりの暴走が収まらないダミアンは、まだ真の姿をシンシアに見せていなかった。
彼女は鱗だらけのトカゲ男の手を握って、落ち着かせようとしてくれたのだ。
自分を番だと思い込んで連れて来た男など憎くてたまらないだろうに、苦しそうだったから助けになればいいと思って、手を握ってくれたのだ。シンシアの小さな手は、毎夜ダミアンを悪夢から救い落ち着かせてくれる。
「……どうして君が私の番ではなかったのだろう」
シンシアの寝顔を見つめて、ダミアンは呟いた。
まだ会ったことのない真の番は、到底好意を抱ける人間ではなかった。
世話になっている家の令嬢の婚約者にすり寄る女など、好意を持てるはずがない。しかもその母親は横領の罪で捕まっている。芋づる式に彼女の実父も捕まって、正妻から離縁されたらしい。
最初からシンシアが番だったら良かったのに、とダミアンは思う。
彼女も同じ衝動を感じていたら、ロクでもない女に血道を上げている婚約者よりも自分を選んでくれただろうにと、都合の良い妄想を描いてしまう。
だがどんなに思おうと、現実は変わらない。シンシアはダミアンの番ではない。番でないと何度言っても聞き届けられぬまま、見知らぬ国へ連れて来られてしまった哀れな花嫁だ。婚礼では群衆の面前で恥を掻かされ、投獄までされた。
どうすれば彼女に償えるのか、ダミアンにはわからなかった。
なにが欲しいか、なにがしたいか、どう聞いても彼女は答えない。虚ろな瞳で乾いた笑みを浮かべるだけだ。
シンシアの微笑みが感情に彩られるのは、うなされて起きたダミアンが楽になったと告げるときと窓からの光に指輪を翳しているときだけだ。
その指輪こそが今の状況に貶めた諸悪の根源だというのに、彼女は指輪を愛し気に見つめる。
ダミアンは彼女に指輪の贈り主達のことは話していない。話してもなお、彼女が元婚約者を愛し続けるのではないかと思うと、いつも心臓が潰れそうな気持ちになる。
シンシアはダミアンの番ではない。だけどダミアンは、彼女のことを愛し始めていた。
寝台横で揺り椅子に座ってダミアンの手を握ってくれている安らかな寝顔を見つめると、未だ収まらない暴走が少しだけ静まっていくのを感じる。
揺り椅子で眠るのは苦しいだろうと同衾を申し出たこともあったのだが、口では断らないものの苦しげな表情になった彼女を見て無理強いをするのはやめた。彼女は自分の意見をなにも言おうとはしない。どんなに言ってもだれも聞かず、この国に連れて来られてしまったのだから当たり前だ。
彼女の故郷のクリストポロス王国で会ったとき、不敬にならないよう感情を殺した仮面のような表情で、シンシアはダミアンに告げた。
──私は貴方の番ではありません。
なんの衝動も感じていません。
私には愛する婚約者がいるのです。
それを聞こうとしなかったのはダミアン自身だ。
自分の中の衝動を根拠なく信じていた。
真実に気づいていたのは彼女のほうだったというのに。
クリストポロス王国との間に伝書幻獣を飛ばして、今回の件の黒幕は明らかになっていた。
黒幕というほどのものでもない愚かな男女だ。
男のほうはシンシアの元婚約者で、女のほうはかつてシンシアの義妹だった女だ。今はロウンドラス公爵家を追い出されていて、もうなんの関係もない。魔晶石による魔力の誤認とは、あまりに単純過ぎて想像することもなかった。魔晶石の魔力はいずれ消え失せて、すべてが明らかになる。その際にどうするつもりだったのか。
王宮の舞踏会に参加することのない平民は、竜人の真の姿を知らない。
戦勝パレードなどで見るトカゲ男──大暴走に立ち向かうことで興奮して鱗に覆われた姿が正体だと思っている。だからダミアンの真の番は竜王の花嫁になるのを嫌がったのだろう。
魔力が安定した竜人は人間と変わらない。それどころか人間よりも美しいとさえ言われているのに。
番への衝動混じりの暴走が収まらないダミアンは、まだ真の姿をシンシアに見せていなかった。
彼女は鱗だらけのトカゲ男の手を握って、落ち着かせようとしてくれたのだ。
自分を番だと思い込んで連れて来た男など憎くてたまらないだろうに、苦しそうだったから助けになればいいと思って、手を握ってくれたのだ。シンシアの小さな手は、毎夜ダミアンを悪夢から救い落ち着かせてくれる。
「……どうして君が私の番ではなかったのだろう」
シンシアの寝顔を見つめて、ダミアンは呟いた。
まだ会ったことのない真の番は、到底好意を抱ける人間ではなかった。
世話になっている家の令嬢の婚約者にすり寄る女など、好意を持てるはずがない。しかもその母親は横領の罪で捕まっている。芋づる式に彼女の実父も捕まって、正妻から離縁されたらしい。
最初からシンシアが番だったら良かったのに、とダミアンは思う。
彼女も同じ衝動を感じていたら、ロクでもない女に血道を上げている婚約者よりも自分を選んでくれただろうにと、都合の良い妄想を描いてしまう。
だがどんなに思おうと、現実は変わらない。シンシアはダミアンの番ではない。番でないと何度言っても聞き届けられぬまま、見知らぬ国へ連れて来られてしまった哀れな花嫁だ。婚礼では群衆の面前で恥を掻かされ、投獄までされた。
どうすれば彼女に償えるのか、ダミアンにはわからなかった。
なにが欲しいか、なにがしたいか、どう聞いても彼女は答えない。虚ろな瞳で乾いた笑みを浮かべるだけだ。
シンシアの微笑みが感情に彩られるのは、うなされて起きたダミアンが楽になったと告げるときと窓からの光に指輪を翳しているときだけだ。
その指輪こそが今の状況に貶めた諸悪の根源だというのに、彼女は指輪を愛し気に見つめる。
ダミアンは彼女に指輪の贈り主達のことは話していない。話してもなお、彼女が元婚約者を愛し続けるのではないかと思うと、いつも心臓が潰れそうな気持ちになる。
シンシアはダミアンの番ではない。だけどダミアンは、彼女のことを愛し始めていた。
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