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第四話 密約
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夜会が終わり、王太子ヤニスは妻とともに王宮の私的空間へと戻った。
「少し義母上に話がある。イロイダ、君は先に寝室へ戻っていてくれ」
「こんな夜中に? どうしたの、ヤニス。なにかあったの?」
「すまないが、君に話すことは出来ない。国防に関することなんだ」
イロイダに自分がいない間のペリクレスについて聞こうかとも考えたが、妙な誤解を生んでもいけないと、ヤニスはそれだけで説明を切り上げた。
気づかれたと察して別れてくれるのなら良いけれど、引き裂かれるのを恐れて駆け落ちでもされてはたまらない。
皇女が相手でも帝国公爵の夫人が相手でも、帝国に攻め込む理由を与えてしまう。
グナエウス皇帝が拡大政策をやめても、自分達の利益のためにそれを望んでいる帝国貴族は大勢いる。
そして帝国にはこれまで積み重ねてきた戦いの経験値がある。
進化した武器にも磨かれてきた戦略にも、帝国特有の呪香にもこの王国では太刀打ち出来ない。
納得出来ていない顔のイロイダにキスをして、ヤニスは王妃の部屋へ向かった。
ヤニスは王妃の実子ではない。
王妃との結婚後に、国王が見初めて愛妾にした王宮メイドが産んだ子どもだった。
「こんな夜更けに先触れもなしにどうしたのですか、ヤニス」
実子ではないものの、立太子するときにヤニスは王妃の養子となった。
王妃自身に子どもはいない。
彼女は公務を果たすだけのお飾り王妃と呼ばれている。
挨拶もそこそこに、ヤニスは尋ねた。
「カッサンドラと連絡は取れますか? 彼女はヌメリウス帝国にいるのでしょう?」
王妃の表情が歪んだ。
カッサンドラは彼女の兄の子どもだった。
王妃は姪を可愛がっていて、姪の婚約者として誠実だったころのヤニスも大切にしてくれていた。カッサンドラとの婚約を破棄した後のヤニスについてどう思っているのかは、その侮蔑に満ちた瞳が雄弁に語っていた。
心を落ち着かせるためか、小さく呼吸をして王妃は尋ね返してきた。
「あの子の冤罪を晴らす気になったのですか?」
カッサンドラは学園の卒業パーティでの婚約破棄の際、ヤニスの恋人であるイロイダを苛めていたという罪で国外追放を命じられた。
カンバネリス公爵家の尽力で冤罪だという証拠は見つかったし、みなも冤罪だと知っているのだが、公式には発表されていない。
カッサンドラは今も罪人のままだ。
ただひとりの息子であるヤニスを溺愛している国王が、彼の経歴に傷がつくことを恐れて隠ぺいしたのだ。
もちろんカンバネリス公爵家がそれを受け入れるはずがない。
徹底抗戦しようとした公爵家を止めたのは、王妃とカッサンドラだった。王家とカンバネリス公爵家が争えば、王国がふたつに割れてしまう。
カンバネリス公爵家と王家には密約が結ばれた。
ヤニスが愚行を繰り返したとき、彼は王位継承権を放棄して国王は退位し、公爵家の人間が王位に就くというものだ。
そのときは、おそらく王妃の弟の子どもが王になるだろう。ヤニスの側近候補のひとりだったカッサンドラの兄は、今はいない。公爵家の人間よりも王家に近い血筋の人間もいるのだが、婚約破棄事件の関係者である彼はヤニスと一蓮托生だ。
「……そうではありません。今は義母上にも詳細は明かせませんが、ヌメリウス帝国と問題が起こるかもしれないのです。ですので、彼女の力を借りられたら、と」
「あの侯爵子息が問題を起こしたのですか?」
「いえ、ロウバニスではありません」
反射的に答えたヤニスは、なぜ王妃はロウバニスを疑ったのだろうかと不思議に思った。
帝国の名前が出れば、関係していると思うのはペリクレスのほうだろう。
国防の要であるシミティス辺境伯家はヌメリウス帝国と国境を接している。
「では辺境伯子息のほう?」
「は、はあ……申し訳ありません、義母上。詳しいことは……」
「こちらも聞く気はありません。カッサンドラと連絡を取る気もないわ。カンバネリス公爵家の献身とあの子の長年の努力を踏み躙ってまで選んだ相手なのでしょう? あの男爵令嬢に問題解決をお願いしてみてはどうですか?」
「それは……」
男爵家では夫である王太子の後ろ盾にはなり得ない。
イロイダはサヴィナの実家とは異なる伯爵家の養女となっているのだが、その伯爵家には、婚姻のために名前を貸すだけでイロイダが王太子妃になった後までは面倒は見ないと宣言されていた。
二代に渡って足蹴にしたカンバネリス公爵家が力になってくれるはずもない。
「これ以上愚行を繰り返さないようにね、ヤニス。カッサンドラのことはもう忘れなさい。あの子も貴方を忘れて、帝国で幸せに暮らしているわ」
「……」
冤罪が晴らされないまま、カッサンドラはこの王国を出た。
表向きは国外追放、実際は王国ともカンバネリス公爵家とも関係のない平民としてグナエウス皇帝へ嫁いだのだ。
さまざまな政治的な思惑があってのことだが、ヤニスは留学生時代の皇子だったころのグナエウスが、いつも熱い瞳でカッサンドラを見つめていたことを覚えている。
「少し義母上に話がある。イロイダ、君は先に寝室へ戻っていてくれ」
「こんな夜中に? どうしたの、ヤニス。なにかあったの?」
「すまないが、君に話すことは出来ない。国防に関することなんだ」
イロイダに自分がいない間のペリクレスについて聞こうかとも考えたが、妙な誤解を生んでもいけないと、ヤニスはそれだけで説明を切り上げた。
気づかれたと察して別れてくれるのなら良いけれど、引き裂かれるのを恐れて駆け落ちでもされてはたまらない。
皇女が相手でも帝国公爵の夫人が相手でも、帝国に攻め込む理由を与えてしまう。
グナエウス皇帝が拡大政策をやめても、自分達の利益のためにそれを望んでいる帝国貴族は大勢いる。
そして帝国にはこれまで積み重ねてきた戦いの経験値がある。
進化した武器にも磨かれてきた戦略にも、帝国特有の呪香にもこの王国では太刀打ち出来ない。
納得出来ていない顔のイロイダにキスをして、ヤニスは王妃の部屋へ向かった。
ヤニスは王妃の実子ではない。
王妃との結婚後に、国王が見初めて愛妾にした王宮メイドが産んだ子どもだった。
「こんな夜更けに先触れもなしにどうしたのですか、ヤニス」
実子ではないものの、立太子するときにヤニスは王妃の養子となった。
王妃自身に子どもはいない。
彼女は公務を果たすだけのお飾り王妃と呼ばれている。
挨拶もそこそこに、ヤニスは尋ねた。
「カッサンドラと連絡は取れますか? 彼女はヌメリウス帝国にいるのでしょう?」
王妃の表情が歪んだ。
カッサンドラは彼女の兄の子どもだった。
王妃は姪を可愛がっていて、姪の婚約者として誠実だったころのヤニスも大切にしてくれていた。カッサンドラとの婚約を破棄した後のヤニスについてどう思っているのかは、その侮蔑に満ちた瞳が雄弁に語っていた。
心を落ち着かせるためか、小さく呼吸をして王妃は尋ね返してきた。
「あの子の冤罪を晴らす気になったのですか?」
カッサンドラは学園の卒業パーティでの婚約破棄の際、ヤニスの恋人であるイロイダを苛めていたという罪で国外追放を命じられた。
カンバネリス公爵家の尽力で冤罪だという証拠は見つかったし、みなも冤罪だと知っているのだが、公式には発表されていない。
カッサンドラは今も罪人のままだ。
ただひとりの息子であるヤニスを溺愛している国王が、彼の経歴に傷がつくことを恐れて隠ぺいしたのだ。
もちろんカンバネリス公爵家がそれを受け入れるはずがない。
徹底抗戦しようとした公爵家を止めたのは、王妃とカッサンドラだった。王家とカンバネリス公爵家が争えば、王国がふたつに割れてしまう。
カンバネリス公爵家と王家には密約が結ばれた。
ヤニスが愚行を繰り返したとき、彼は王位継承権を放棄して国王は退位し、公爵家の人間が王位に就くというものだ。
そのときは、おそらく王妃の弟の子どもが王になるだろう。ヤニスの側近候補のひとりだったカッサンドラの兄は、今はいない。公爵家の人間よりも王家に近い血筋の人間もいるのだが、婚約破棄事件の関係者である彼はヤニスと一蓮托生だ。
「……そうではありません。今は義母上にも詳細は明かせませんが、ヌメリウス帝国と問題が起こるかもしれないのです。ですので、彼女の力を借りられたら、と」
「あの侯爵子息が問題を起こしたのですか?」
「いえ、ロウバニスではありません」
反射的に答えたヤニスは、なぜ王妃はロウバニスを疑ったのだろうかと不思議に思った。
帝国の名前が出れば、関係していると思うのはペリクレスのほうだろう。
国防の要であるシミティス辺境伯家はヌメリウス帝国と国境を接している。
「では辺境伯子息のほう?」
「は、はあ……申し訳ありません、義母上。詳しいことは……」
「こちらも聞く気はありません。カッサンドラと連絡を取る気もないわ。カンバネリス公爵家の献身とあの子の長年の努力を踏み躙ってまで選んだ相手なのでしょう? あの男爵令嬢に問題解決をお願いしてみてはどうですか?」
「それは……」
男爵家では夫である王太子の後ろ盾にはなり得ない。
イロイダはサヴィナの実家とは異なる伯爵家の養女となっているのだが、その伯爵家には、婚姻のために名前を貸すだけでイロイダが王太子妃になった後までは面倒は見ないと宣言されていた。
二代に渡って足蹴にしたカンバネリス公爵家が力になってくれるはずもない。
「これ以上愚行を繰り返さないようにね、ヤニス。カッサンドラのことはもう忘れなさい。あの子も貴方を忘れて、帝国で幸せに暮らしているわ」
「……」
冤罪が晴らされないまま、カッサンドラはこの王国を出た。
表向きは国外追放、実際は王国ともカンバネリス公爵家とも関係のない平民としてグナエウス皇帝へ嫁いだのだ。
さまざまな政治的な思惑があってのことだが、ヤニスは留学生時代の皇子だったころのグナエウスが、いつも熱い瞳でカッサンドラを見つめていたことを覚えている。
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