愛は、これから

豆狸

文字の大きさ
上 下
3 / 6

第三話 正体

しおりを挟む
「結婚しましょう、カシア嬢!」

 以前お会いしてから何ヶ月が過ぎたのでしょうか。久しぶりにお会いした大公家のご令息クリサフィス様からの求婚に、私は戸惑わずにはいられませんでした。
 今、私は神聖アゲロス教国にいます。学園の卒業パーティでエウスタティオス王太子殿下に婚約を破棄され、国外追放を宣告されたからです。
 聖王猊下のお力のおかげか祖国にいたころよりも体調が良く、枯れ枝のようだと言われた体には膨らみが戻って来ています。

「クリサフィス様……」
「はい、なんでしょう?」

 なんでしょう、なんですか、と聞きたいのは私のほうです。
 クリサフィス様はどうしていきなり私に求婚なさったのでしょうか。

「私はエウスタティオス王太子殿下に婚約を破棄された、いわば傷物令嬢です。フォトプロス侯爵家は爵位を返上して、家族も神聖アゲロス教国に移住してくる予定なので、すぐに令嬢ですらなくなります。そんな私に求婚なさっても貴方の得になるようなことはございませんよ?」
「僕の得は君と結婚出来ることです。……気づいていなかったのですか? 僕はずっと君に恋をしていたのですよ?」
「ぞ、存じませんでしたわ。そんな素振りは少しも……」
「王太子である従弟の婚約者に懸想しているなんて知られたら、僕も君もとんでもないことになるじゃないですか。だからずっと心を隠して来たんです。でも陰ながら君のために動いてきたつもりですよ?」
「それは……感謝しています。クリサフィス様がいらっしゃらなかったら、私は周囲からの悪意に押し潰されていたことでしょう」

 学園に通っていたころ、私を気遣ってくださっていたのは彼だけでした。
 といっても激しい恋慕の情を感じたことはありません。
 ほかの方々のように殿下とフィズィ様を応援したり私の悪評をばら撒いたりはせず、王太子殿下の婚約者として扱ってくださっていただけでした。

 ……もっとも、それだけでも当時の私にはとても嬉しいことでした。

「僕は、真摯にエウスタティオスを想う君の横顔に恋をしたのです。彼を見つめる君の瞳は、どんな宝石よりも太陽よりも星よりも輝いていた。あの光を守ろうと思っていたのです。だから、こんなことになるまでは君を手に入れようとは考えてもいませんでした。いいえ、奪った君にやっぱりエウスタティオスしか愛せないと拒まれるのが怖くて動けなかったのです」
「……」
「今もエウスタティオスを愛していらっしゃいますか? 僕のことは愛せませんか?」
「……そうだ、とお答えしたら、どうなさいますか?」
「結婚してから考えます。君はとても優しい人です。エウスタティオスの心を奪ったペルサキス伯爵令嬢に嫉妬していても、力技で排除しようとはなさらなかった。君の愛を求める哀れな僕に同情はしても、無下に扱うような真似はなさらないでしょう」
「結婚するのは決定なんですか? 先ほども申し上げました通り、フォトプロス侯爵家は爵位を返上いたします。私は平民になる……国外追放された今は、もうすでに平民なのですよ?」
「僕もです!」
「はい?」
「王位継承権を放棄すると言ったら父に勘当されたので僕も平民ですよ、カシア嬢。お揃いですね!」
「そうですか……」

 大公殿下もお気の毒に、と私は思いました。
 クリサフィス様はもっとおとなしくて物静かな方に見えていました。
 従兄として苦言を呈することはあっても、エウスタティオス王太子殿下に逆らうことはない忠実な家臣でもあるのだと思っていたのです。もう言葉を飾るのも面倒になって、率直にそのことを尋ねると、

「ああ、それはエウスタティオスの不敬を買って遠ざけられたら、彼の妃になる予定だった君に会えなくなるからですよ。ずっと猫を被っていたのです」
「そうですか……あの、この際ですから申し上げますけれど、求婚というのは一方的に結婚しましょうと決めつけるのではなく、結婚しませんかとか、結婚してくださいとか言って申し込むものではないでしょうか? 私のような傷物が言うのもどうかと思いますが」
「断られても諦める気はありませんでしたので」
「そうですか……」

 軽い疲労感を覚えつつ、私は苦笑せずにはいられませんでした。
 エウスタティオス殿下にいつも影のように控え、お美しいのに物静か過ぎて印象が薄いと噂されていたクリサフィス様の正体がこのような方だったなんて。
 婚約を破棄された卒業パーティの会場で、無意識に瞳が彼の姿を探していたことを思い出します。エウスタティオス殿下とは色合いの違うクリサフィス様の青い瞳に映る私は黒い髪に赤い瞳、陰気で冷たい印象自体は変わらないけれど、少しだけ可愛い少女のように見えました。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

婚約者に捨てられたので殺される前に言葉も交わしたことのない人と逃げることにしました。

四折 柊
恋愛
 家のために王太子の婚約者として生きてきた日々。ところがその婚約者に捨てられて家族には死を受け入れろと毒を渡される。そんな私にここから逃げようと手を差し伸べてくれたのは言葉も交わしたことのない人でした。 ※「婚約者に捨てられて死を待つ令嬢を連れて逃げた男の話」の対になる女性目線のお話です。こちらを読んで頂ければより分かりやすいと思います。

【完結】王女の婚約者をヒロインが狙ったので、ざまぁが始まりました

miniko
恋愛
ヒロイン気取りの令嬢が、王女の婚約者である他国の王太子を籠絡した。 婚約破棄の宣言に、王女は嬉々として応戦する。 お花畑馬鹿ップルに正論ぶちかます系王女のお話。 ※タイトルに「ヒロイン」とありますが、ヒロインポジの令嬢が登場するだけで、転生物ではありません。 ※恋愛カテゴリーですが、ざまぁ中心なので、恋愛要素は最後に少しだけです。

悪役令嬢は懺悔する

ぽよよん
恋愛
冤罪で婚約破棄をされたアイリーン侯爵令嬢。 ところが虐めを行なっていた令嬢たちが次々に懺悔を始めて…

悪役令嬢が残した破滅の種

八代奏多
恋愛
 妹を虐げていると噂されていた公爵令嬢のクラウディア。  そんな彼女が婚約破棄され国外追放になった。  その事実に彼女を疎ましく思っていた周囲の人々は喜んだ。  しかし、その日を境に色々なことが上手く回らなくなる。  断罪した者は次々にこう口にした。 「どうか戻ってきてください」  しかし、クラウディアは既に隣国に心地よい居場所を得ていて、戻る気は全く無かった。  何も知らずに私欲のまま断罪した者達が、破滅へと向かうお話し。 ※小説家になろう様でも連載中です。  9/27 HOTランキング1位、日間小説ランキング3位に掲載されました。ありがとうございます。

信じてくれてありがとうと感謝されたが、ただ信じていたわけではない

しがついつか
恋愛
「これからしばらくの間、私はあなたに不誠実な行いをせねばなりません」 茶会で婚約者にそう言われた翌月、とある女性が見目麗しい男性を数名を侍らしているという噂話を耳にした 。 男性達の中には、婚約者もいるのだとか…。

私知らないから!

mery
恋愛
いきなり子爵令嬢に殿下と婚約を解消するように詰め寄られる。 いやいや、私の権限では決められませんし、直接殿下に言って下さい。 あ、殿下のドス黒いオーラが見える…。 私、しーらないっ!!!

婚約者に選んでしまってごめんなさい。おかげさまで百年の恋も冷めましたので、お別れしましょう。

ふまさ
恋愛
「いや、それはいいのです。貴族の結婚に、愛など必要ないですから。問題は、僕が、エリカに対してなんの魅力も感じられないことなんです」  はじめて語られる婚約者の本音に、エリカの中にあるなにかが、音をたてて崩れていく。 「……僕は、エリカとの将来のために、正直に、自分の気持ちを晒しただけです……僕だって、エリカのことを愛したい。その気持ちはあるんです。でも、エリカは僕に甘えてばかりで……女性としての魅力が、なにもなくて」  ──ああ。そんな風に思われていたのか。  エリカは胸中で、そっと呟いた。

処理中です...