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31・誘拐犯には負けません!⑥

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「起きるのよ、化け物」

 冷たい声に言われて、わたしは瞼を上げた。
 そこは真っ暗で狭い空間だった。
 窓も扉も家具もない。
 壁も天井も床も岩で洞窟の中のように見えた。

 ……こんなに暗いのに、見えている?

 さっきわたしに声をかけた人間が灯かりを手にしていた。
 ゆらゆらと揺れるロウソクの炎で、体の線もわからないような長いローブを纏い、深くかぶったフードと仮面で顔を隠した人物が、わたしの瞳に映し出される。
 その後ろには──

「リモーネ!」

 ぐったりして意識のないリモーネを抱き、その首に剣先を突きつけた男がいた。

「騒がないのよ? その使い魔になにかさせてもダメ。あたしの言いつけに逆らったら、すぐにあの娘の喉を切り裂くからね」

 仮面に見覚えはなかったけれど、冷たい声には聞き覚えがあった。
 わたしの頭上を飛んでいたきゅーちゃんが、心配そうに見つめてくる。
 きゅーちゃんはわたしとお揃いの寝間着姿だ。
 手を伸ばして、降りてきたきゅーちゃんを抱きしめる。
 どうしたらいいのか戸惑っているのだろう。
 わたしもどうしたらいいか、わからない。

「もしかして、あなたは……」
「あら、お前のような恩知らずでも、ちゃんとあたしのことを覚えていたの? エルフの血が入ったできそこないの化け物をマトモにしてやろうとしてたのに、一から十まで逆らってたバカのくせに」

 仮面を外したその顔は、前の侍女兼教育係だった。
 以前より化粧が濃くなったのか、仮面を取っても仮面のような顔だ。
 辺りが暗いせいで、そう見えるのかもしれない。
 気づいた瞬間止まった息を整えながら、冷静な素振りで問いかける。

「……夫の子爵を殺して逃亡中なの?」
「子どものくせによく知っているわね」

 軽く眠ったことで、これまで手に入れてきた情報が整理されていく。
 刺激したくはなかったが、なにが糸口になるかわからない。
 わたしは思いつくままに言葉を紡いだ。

「あなたは大公邸を出て行った後」
「お前が化け物の力であたしを追い出したのよ」
「伯爵夫人の紹介で子爵家に嫁いだのよね?」
「違うわ。あのバカにそんな力があるものですか。あのバカが魔術学院首席だなんて、真っ赤な嘘よ。あたしが譲ってあげたの。子爵と結婚したのはあたし自身の力よ。昔からの馴染みだったから、是非にと望まれたの」
「それから伯爵夫人の名前を借りて結界石碑修繕の仕事を引き受けて」
「違うと言ってるでしょう。あのバカにそんな力はないわ。あたしが、あたしの魅力で伯爵を虜にして、結界石碑修繕の仕事を回させたのよ。まったく、あのバカ子爵も役に立たないったら。せっかくの好機だったっていうのに」

 リートには聞かせられない話だわ。
 下品とは違う気がするけれど、あまりにバカバカ言っているからウルラートがいたら殴りつけるかもしれないわね。女性は殴らないかしら。

「好機というのは、ドライアドの灰を着服するための?」

 相変わらず生意気な子ね、と吐き捨てた後、彼女はニタリと笑った。

「そうよ。ドライアドの灰があれば、だれでも言うことを聞くようになるの。本当によく知っているわね。そんなに可愛げのない子ども、だれも好きになってくれないわよ?」
「あなたに好きになってもらわなくてもいいわ」

 舌打ちを漏らして、彼女はわたしを睨みつける。
 本当は怖かった。
 怖くて怖くてたまらない。
 侮蔑と嘲りに満ちた視線や、こちらを傷つけるためにだけ生み出される言葉を浴びるのはイヤだった。
 でもわたしは昔とは違う。もう六歳だ。
 きゅーちゃんもいるし、離れていても父さまや母さま、ウルラートもいる。
 大好きなリモーネだって目の前にいる。
 前世の乙女ゲームの知識だって持っている。

 ……みんなを守るのだ。

「せいぜい今のうちに憎まれ口を叩いておきなさい。お前がこの娘を大事にしていることは知っているわ。人質にされたら手も足も出ないでしょう? そうよね、あなたみたいに可愛げのない子どもの相手をしてくれる人間なんか、ほかにいないものね。後で魔力を封印したら覚えてらっしゃい。たっぷりお仕置きをしてあげる」

 なるほど。
 金切り声で罵ってこないのは、怯えたわたしの暴走を怖れているためか。
 しかし封印……どうやってわたしの魔力を封印するつもりなんだろう。
 本当に封印できるのなら、魔神復活の阻止も楽になりそうだわ。

「暴走して逃げようなんて考えても無駄よ。ここはね、大公邸の地下にある隠し通路なの。あたしはとっても有能だから、お前みたいな化け物の世話をしながらでも、こんな秘密の場所を見つけ出したのよ。ここで暴走したりしたら、地上にある大公邸も無事では済まないでしょうねえ。館で眠っている人間も道連れになるわ」
「眠っている……」

 わたしは辺りを見回した。
 よく見ないとわからなかったが、岩肌にはびっしりと魔術呪文が描かれていた。
 ドライアドの灰で描かれているのに違いない。
 仮面の装飾や長いローブのあちこちに縫い付けられた宝石も、彼女の魔力を高めているのだろう。
 急に眠くなったのは、この魔術が発動されたからなのか。
 魔力がどんなに強くても、六歳のわたしの体は弱いし疲れていたもの。
 ウルラートも館で眠っているのね。
 エルフの母さまにも効いているのかしら。

「あなたの魔術?」
「そうよ。暴走させるしか能のない化け物と違って、あたしはこんなにすごい魔術が使えるの。バカなお前たち一家が館を離れていた隙に、ゆっくりと描かせてもらったわ。魔力が強まる満月の夜に戻って来るなんて、運命はあたしに味方しているのね」
「あなたはなにをする気なの?」
「あらわからないの? 賢い振りをしても、やっぱりバカな子どもね。あたしはお前を入れ物にして魔神を復活させるのよ」
「……」

 乙女ゲームの悪役令嬢ラヴァンダの背後に、彼女がいたとは思えなかった。

「怖くて声も出ないの?……ふふふ、大公領でラーモ王子を見つけて喜んでいたみたいだけど、あたしは最初からお前を狙っていたのよ」

 仮面とローブにこの言葉。
 子爵夫人になった後は、変装して隣国マローネに潜入していたのだろう。
 だけど……乙女ゲームでは、隣国の王宮魔術師は目覚めたラーモ殿下に処罰されていた。
 今との違いはなにかしら。
 やっぱりラーモ殿下が目覚めるのが早過ぎたの? 六歳にできることは少ないものね。
 わたしたち家族のこともずっと見張っていたようだ。
 考えているだけじゃ彼女から情報は引き出せない。
 わたしは質問を放った。

「ラーモ殿下の人形が銀の賢者に壊されるのも予想していたの?」
「え、ええ、そうよ」

 どうやら予想外だったみたいね。
 わたしかラーモ殿下か、どちらかを魔神の入れ物にしようと考えていたのかな。
 あら、でも……

「わたしの魔力を封印したりしたら、魔神の入れ物にできないんじゃないの?」
「完全に消すわけじゃないわ。あたしの命令がなければ、お前は自分の魔力を自由に使えないようになるのよ。ドライアドの灰が効けば話は早いのに、エルフの血なんか引いているから。……ほら」

 彼女は宝石のようなものを見せてきた。
 どす黒い赤色で、なんとなく生臭い。

「もしかして……」
「あたしの血から作ったの。エルフじゃなくったって血液には魔力が溶け込んでいるわ。あたしほど強い魔力があれば、こんなものも作れるの。これを心臓に埋め込めば、お前はもうあたしに逆らえない。こんな地下にいても満月の力は伝わってくる。この宝石に光が宿ったら、お前は最後よ」

 瞳の魔光のようなものが灯るのだろうか。
 そんな形の封印では、わたしの望む魔神復活阻止には役立ちそうにない。

「……マローネの王宮魔術師になったのは、子爵の紹介?」
「あんなバカ子爵が役に立つわけないでしょう? あたしの魅力よ。隣国の国王はあたしの魅力の虜になったの」

 彼女の後ろで、リモーネを人質にした男が眉を吊り上げた。
 どうやらふたりは一枚岩ではないようだ。
 今の状況から考えると、彼は隣国マローネの将軍なのかしら。
 どうしてラーモ殿下を裏切ったんだろう。
 乙女ゲームでは信頼関係を築いて、ずっと支え合っていたみたいなのに。
 さっきの疑問が蘇る。
 乙女ゲームでは処罰されて消えていた王宮魔術師、彼女が今、ここにいるのはなぜ?
 ふたつの状況の違いは──
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