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26・誘拐犯には負けません!①

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「……できたかしら?」

 わたしは、瓶の中の液体を覗き込んだ。
 もうそろそろ一時間(乙女ゲームの世界だからか、時間の計り方は前世と同じだった)が経つ。
 完成していてもいいころだ。
 リモーネが、中が空洞になった草の茎を渡してくれる。
 心配性の彼女なので、きちんと洗ったものだ。
 わたしはそれを瓶の中の液体につけて、つけていないほうの端に口を当てた。
 息を吹き込む。

 ふーっ!

「きゅー♪」

 液体は虹色に輝く無数の球となって、中庭に舞った。
 シャボン玉完成だ。
 シャボン玉というのは前世の言葉だけれど、頭の中で勝手にこの世界の同じ意味の言葉に翻訳されている、のだと思う。今さらだけど。

「綺麗ですね、お嬢さま」
「ええ、大成功よ。……あ、大変。母さまが来る前に、潰して潰して。後でびっくりさせてあげるのだから」
「かしこまりました」

 リモーネとウルラート、きゅーちゃんが、慌ててシャボン玉を潰してくれる。
 今日はこれから、母さまと近くの森へピクニック(前世の言葉だけれど……以下略)に行くのだ。
 近くの森といっても、エルフの森ではない。
 ここは王都にある大公邸ではなく、ヴェルデ王国と隣国マローネの国境近くにある大公領の館なのだ。別荘……になるのかな?
 娘可愛さのあまり大公としての業務を疎かにしていた父さまが、子どものころから仕えてくれている従僕に溜まった仕事を手伝ってもらうためにやって来た、ということになっている。
 実際はドライアドの灰事件の続きだ。
 今から半月ほど前、エルフの森から戻ってきたわたしたちが鹿肉料理を食べていたら、王宮から連絡が入った。
 捕らえていた売人らしき男が、獄中で毒を飲んで自害したというのだ。
 男は爪に、飲んだとき威力を発する毒を塗っていたらしい。
 ほかの手がかりもあるとはいえ出鼻をくじかれてしまったことは間違いない。
 父さまはもうひとつの手がかり、エルフの森が出したドライアドの灰を着服したと思われる結界石碑修繕を受け持った業者を調べるため、ここへ来た。
 六歳のわたしにそこまで教えてくれたのは父さまが娘に甘いから──ではなく、秘密にしていて勝手に動かれたら怖いから、だと言っていたっけ。
 わたしとしても自分の使命は魔神復活の阻止なので、この事件に関しては父さまや近衛騎士団に任せておこうと思っている。

「お待たせ、ラヴァンダ」

 母さまが篭を手に建物から出てきた。
 篭に入った昼食とオヤツは、すべて母さまが作ってくれた。
 どんな献立かしら、今から楽しみだわ。

「いいえ、全然待ってなくてよ」

 言いながらわたしは、シャボン玉液を入れた瓶を後ろ手に隠しリモーネに託した。
 大丈夫、もうシャボン玉は残っていない。
 飛んでいたきゅーちゃんが、わたしの頭に降りてくる。
 わたしたちは大公領の町へ出た。
 ピクニック場所の森は、町を出てすぐのところだ。
 すぐだから、馬車は出さずに徒歩で向かう。
 以前森に生息していたモンスターは、結界石碑が壊れて狂暴化したときに父さまが退治している。この辺りに熊や猪はいないから、母さまとウルラートがいれば野生動物に怯える必要はない。

 ……熊や猪がいても大丈夫な気もする。

 結界石碑が壊れ、伯爵家が修繕を引き受け下請けに命じて実行させた街道は大公家と、隣にある子爵家の領地の境にあった。
 どちらの領地でもない。
 あえてだれの管轄かをいうならば、ヴェルデ王国の管轄だろうか。

「こんにちは、奥方さま」
「お元気ですか、お嬢さま」

 町へ出ると、領民たちが口々に声をかけてくる。
 結界石碑が壊れたとき、狂暴化して暴れていたモンスターを退治した父さまの武勇を知る人々は、大公家の人間に対しての好意を露わにしていた。
 母さまは人間じゃなくてエルフだけど。
 この地域では珍しいエルフの美しさに見惚れている姿もちらほら見える。
 領民たちに挨拶を返しながら、母さまが苦笑した。
 手をつないでいるわたしにしか聞こえないような小声で呟いている。

「……アルベロの言う通りね。確かにこんなに目立ったのでは、私に隠密捜査はできないわ」

 普段はこの領の管理を任せている従僕と溜まった仕事をしているという建前で、父さまは隣の子爵領へ隠密捜査に行っている。
 お爺さまの家に保管されていた書類に記されていた、伯爵家から依頼されて結界石碑の修繕を実行した下請け、実際にドライアドの灰を受け取った業者は実在していなかった。
 かつては本当に存在していたのが倒産してしまったのか、ほかの業者の内部組織で名称の齟齬による不明なのか、あるいは初めからそのつもりで架空業者を作っていたのか、父さまは流れものの振りをして調べている。
 母さまも一緒に捜査する気だったのだけれど、エルフは目立ちすぎると父さまに断られてしまったのだ。
 わたしは母さまの腕に抱きついた。

「ラヴァンダ?」
「母さまとピクニックに行けて、わたしは嬉しいです」
「……ごめんなさいね、ラヴァンダ。あれだけあなたに寂しい思いをさせていたのに、また気を遣わせてしまって。そうね、せっかく滅多に来ない土地に来たのだから、一緒に楽しみましょう?」
「父さまのために、なにかお土産が見つかるといいですね」
「素敵だわ。蜜がたっぷり詰まった蜂の巣を探す? アルベロは甘党ではないから、茸のほうがいいかしら。……ダメだわ。ごめんなさい、ラヴァンダ。私、茸を採るのはアルベロに禁止されていたのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。ほら、エルフには毒が効かないでしょう? だから私、茸に毒があるかどうかなんて意識したことがなくて……あの人に茸汁を振る舞って、殺しかけたことがあるの」
「えっと……お花とかどうでしょう」
「花の毒も意識したことないのだけれど、大丈夫かしら」
「お花は押し花にして、いつも持っていていただいたらいいと思います」
「あら、良い考えね」

 母さまが微笑んだ。
 遠巻きに見ている領民たちが、うっとりと溜息を漏らすのが聞こえた。
 彼らにはわたしたちの会話は聞こえていないのだ。
 エルフはその強い魔力で、無意識のうちに毒を浄化してしまう。
 魔神の魔力に含まれた邪気だって浄化してしまうのだ。
 ドライアドの灰に対しても、免疫があるというより効かないだけなのかもしれない。
 それと母さま、父さまはたぶんお爺さまの作ったエルフのオヤツが苦手なだけで、甘いものは普通に食べると思います。わたしと同じです。
 ともあれ、母さまが楽しそうになってくれたのは嬉しいな。
 お昼を食べた後でシャボン玉を見せたら、もっと喜んでくれるかしら。

 ──シャボン玉液は、前世の記憶を参考にして作った。
 前世のわたしは友達と一緒に、学校の文化祭でシャボン玉のショーを披露するはずだったのだ。……残念ながら、その前に事故に遭ってしまったけれど。
 今のわたしと前世のわたしは別人だ。
 でも前世のわたしが悪役令嬢ラヴァンダを助けたいと思っていたように、今のわたしは前世のわたしを大切に思っている。
 お互いに、物語の登場人物に感情移入している感じだ。
 わたしは今の生活に不満はないし(未来への不安はあるけど、それは頑張って変えていくしかない)、父さまと母さまの子どもとして生まれてきて良かったと思っている。
 だけどもう少し、せめて文化祭が終わるまででも、前世のわたしが長生きできていたら良かったのに、とも思っていた。
 本当は、彼女が寿命を全うできていたなら、一番良かった。
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