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第八話 再会
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私の婚約者だという彼が二ヶ月間会いに来てくださらなかったのは、先代当主の葬儀と正式に当主となるための儀式があったからでした。
それが終わったからと、今は毎日のように訪ねてきてくださいます。
彼が訪れるようになって、一ヶ月ほどが過ぎたでしょうか。
「婚約者の私は、その式に出席しなくても良かったのですか?」
「うちの家族はみんなヴィオレッタのことを認めてるし、大変な状態だっていうのはわかっていたからね。無理をさせたくなかったんだ」
「問題がなかったのなら良かったのですが」
「記憶がなくても真面目な性格は変わらないんだね。昔はよく、我が領の未来について語り合ったよ」
「そうなんですか?」
「うん。だって本当は……」
ご当主様の緑の瞳は、いつも優しく私を映しています。
愛されているのではないかと、感じるときもあるのです。
彼はいつも優しくて、気が付くと服装のどこかに必ず菫色のものを身に着けていて、それを指摘すると片時も私と離れたくないからだと言ってくださって……そう言われると嬉しくて、私も彼を愛しているような気持ちになるのです。でもそれと同時に、彼を愛してはいけないのだと心に不安が満ちてくるのです。
……僕が君を愛することはない。
不意にだれかの声が耳に蘇って、私は思わず両手で耳を塞ぎました。
ご当主様は目を丸くして、それからじっと私を見つめました。
とても優しく温かい、心の不安を打ち消してくれるような視線です。
「ご当主様……」
耳から両手を離し、私は彼を見つめ返しました。
「なんだい?」
「いつまでもあなたのことを思い出せなくて申し訳ありません」
「気にしなくてもいいよ。いろいろ……僕達には本当にいろいろなことがあったんだから」
「でも……私はあなたのことを思い出したいです。あなたの名前をお呼びしたいのです」
「ヴィオレッタ、それは……?」
「私を王都へ連れて行ってください。記憶を失ったときのように王都を流れる川で小舟に乗ったら、なにか思い出せるような気がするのです」
「……はしゃぎ過ぎて小舟から落ちない?」
火が吹き出そうなほど顔が熱くなるのを感じながら私は、落ちない、と誓って頷きました。
わかった、と微笑んで、ご当主様は心配するお母様とジータを説得してくださいました。
私は彼と王都へ行くことになったのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
数日してご当主様の馬車で王都へ来たものの、街並みを見回しても記憶は戻りません。
やっぱり川遊びをしなくてはいけないのでしょうか。
私は、主人に危害をくわえるなら爪先ほどの小石であっても見逃さないという雰囲気のジータと、さりげなく導いてくださる彼と一緒に貴族街の船着き場へと向かいました。
「……またアンタかい」
だれかの声に顔を向けると、杖を持った青年が船着き場の男性と話をしていました。
この船着き場では漕ぎ手付きの小舟と漕ぎ手なしの小舟を借りることが出来ます。
漕ぎ手付きの小舟は降りた後は漕ぎ手に任せ、漕ぎ手なしの小舟は自分で漕いで降りた船着き場の担当者に戻します。私とジータが乗った小舟自体は壊れることもなく無事だったので、追加料金もなく船着き場へ戻したそうです。
「ここへ来たことまではわかっているんだ。四ヶ月前、真っ赤な髪と菫色の瞳をした貴族令嬢だ。侍女も一緒にいたと思う。どこへ向かったか、わからないか?」
「四ヶ月前といったら春だろう? 今もだけど、川沿いの花木が綺麗な時期だ。侍女と一緒にお忍びで川遊びに興じる貴族令嬢なんて星の数ほどいるからねえ」
「お願いだ、思い出してくれ。彼女の名前はヴィオレッタ。僕の婚約者なんだ」
杖を持った青年の言葉を聞いた瞬間、私の体を電のようなものが走りました。
先日耳に蘇った声を思い出します。
この青年です。私を愛さないと言ったのは、私の……私は隣に立つご当主様を見上げました。知っています。私はこの方を知っています。目映い太陽のような金の髪と夏の森のような緑の瞳──彼は、
「……ガウリエーレ……」
それが終わったからと、今は毎日のように訪ねてきてくださいます。
彼が訪れるようになって、一ヶ月ほどが過ぎたでしょうか。
「婚約者の私は、その式に出席しなくても良かったのですか?」
「うちの家族はみんなヴィオレッタのことを認めてるし、大変な状態だっていうのはわかっていたからね。無理をさせたくなかったんだ」
「問題がなかったのなら良かったのですが」
「記憶がなくても真面目な性格は変わらないんだね。昔はよく、我が領の未来について語り合ったよ」
「そうなんですか?」
「うん。だって本当は……」
ご当主様の緑の瞳は、いつも優しく私を映しています。
愛されているのではないかと、感じるときもあるのです。
彼はいつも優しくて、気が付くと服装のどこかに必ず菫色のものを身に着けていて、それを指摘すると片時も私と離れたくないからだと言ってくださって……そう言われると嬉しくて、私も彼を愛しているような気持ちになるのです。でもそれと同時に、彼を愛してはいけないのだと心に不安が満ちてくるのです。
……僕が君を愛することはない。
不意にだれかの声が耳に蘇って、私は思わず両手で耳を塞ぎました。
ご当主様は目を丸くして、それからじっと私を見つめました。
とても優しく温かい、心の不安を打ち消してくれるような視線です。
「ご当主様……」
耳から両手を離し、私は彼を見つめ返しました。
「なんだい?」
「いつまでもあなたのことを思い出せなくて申し訳ありません」
「気にしなくてもいいよ。いろいろ……僕達には本当にいろいろなことがあったんだから」
「でも……私はあなたのことを思い出したいです。あなたの名前をお呼びしたいのです」
「ヴィオレッタ、それは……?」
「私を王都へ連れて行ってください。記憶を失ったときのように王都を流れる川で小舟に乗ったら、なにか思い出せるような気がするのです」
「……はしゃぎ過ぎて小舟から落ちない?」
火が吹き出そうなほど顔が熱くなるのを感じながら私は、落ちない、と誓って頷きました。
わかった、と微笑んで、ご当主様は心配するお母様とジータを説得してくださいました。
私は彼と王都へ行くことになったのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
数日してご当主様の馬車で王都へ来たものの、街並みを見回しても記憶は戻りません。
やっぱり川遊びをしなくてはいけないのでしょうか。
私は、主人に危害をくわえるなら爪先ほどの小石であっても見逃さないという雰囲気のジータと、さりげなく導いてくださる彼と一緒に貴族街の船着き場へと向かいました。
「……またアンタかい」
だれかの声に顔を向けると、杖を持った青年が船着き場の男性と話をしていました。
この船着き場では漕ぎ手付きの小舟と漕ぎ手なしの小舟を借りることが出来ます。
漕ぎ手付きの小舟は降りた後は漕ぎ手に任せ、漕ぎ手なしの小舟は自分で漕いで降りた船着き場の担当者に戻します。私とジータが乗った小舟自体は壊れることもなく無事だったので、追加料金もなく船着き場へ戻したそうです。
「ここへ来たことまではわかっているんだ。四ヶ月前、真っ赤な髪と菫色の瞳をした貴族令嬢だ。侍女も一緒にいたと思う。どこへ向かったか、わからないか?」
「四ヶ月前といったら春だろう? 今もだけど、川沿いの花木が綺麗な時期だ。侍女と一緒にお忍びで川遊びに興じる貴族令嬢なんて星の数ほどいるからねえ」
「お願いだ、思い出してくれ。彼女の名前はヴィオレッタ。僕の婚約者なんだ」
杖を持った青年の言葉を聞いた瞬間、私の体を電のようなものが走りました。
先日耳に蘇った声を思い出します。
この青年です。私を愛さないと言ったのは、私の……私は隣に立つご当主様を見上げました。知っています。私はこの方を知っています。目映い太陽のような金の髪と夏の森のような緑の瞳──彼は、
「……ガウリエーレ……」
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