上 下
8 / 10

第八話 再会

しおりを挟む
 私の婚約者だという彼が二ヶ月間会いに来てくださらなかったのは、先代当主の葬儀と正式に当主となるための儀式があったからでした。
 それが終わったからと、今は毎日のように訪ねてきてくださいます。
 彼が訪れるようになって、一ヶ月ほどが過ぎたでしょうか。

「婚約者の私は、その式に出席しなくても良かったのですか?」
「うちの家族はみんなヴィオレッタのことを認めてるし、大変な状態だっていうのはわかっていたからね。無理をさせたくなかったんだ」
「問題がなかったのなら良かったのですが」
「記憶がなくても真面目な性格は変わらないんだね。昔はよく、我が領の未来について語り合ったよ」
「そうなんですか?」
「うん。だって本当は……」

 ご当主様の緑の瞳は、いつも優しく私を映しています。
 愛されているのではないかと、感じるときもあるのです。
 彼はいつも優しくて、気が付くと服装のどこかに必ず菫色のものを身に着けていて、それを指摘すると片時も私と離れたくないからだと言ってくださって……そう言われると嬉しくて、私も彼を愛しているような気持ちになるのです。でもそれと同時に、彼を愛してはいけないのだと心に不安が満ちてくるのです。

 ……僕が君を愛することはない。

 不意にだれかの声が耳に蘇って、私は思わず両手で耳を塞ぎました。
 ご当主様は目を丸くして、それからじっと私を見つめました。
 とても優しく温かい、心の不安を打ち消してくれるような視線です。

「ご当主様……」

 耳から両手を離し、私は彼を見つめ返しました。

「なんだい?」
「いつまでもあなたのことを思い出せなくて申し訳ありません」
「気にしなくてもいいよ。いろいろ……僕達には本当にいろいろなことがあったんだから」
「でも……私はあなたのことを思い出したいです。あなたの名前をお呼びしたいのです」
「ヴィオレッタ、それは……?」
「私を王都へ連れて行ってください。記憶を失ったときのように王都を流れる川で小舟に乗ったら、なにか思い出せるような気がするのです」
「……はしゃぎ過ぎて小舟から落ちない?」

 火が吹き出そうなほど顔が熱くなるのを感じながら私は、落ちない、と誓って頷きました。
 わかった、と微笑んで、ご当主様は心配するお母様とジータを説得してくださいました。
 私は彼と王都へ行くことになったのです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 数日してご当主様の馬車で王都へ来たものの、街並みを見回しても記憶は戻りません。
 やっぱり川遊びをしなくてはいけないのでしょうか。
 私は、主人に危害をくわえるなら爪先ほどの小石であっても見逃さないという雰囲気のジータと、さりげなく導いてくださる彼と一緒に貴族街の船着き場へと向かいました。

「……またアンタかい」

 だれかの声に顔を向けると、杖を持った青年が船着き場の男性と話をしていました。
 この船着き場では漕ぎ手付きの小舟と漕ぎ手なしの小舟を借りることが出来ます。
 漕ぎ手付きの小舟は降りた後は漕ぎ手に任せ、漕ぎ手なしの小舟は自分で漕いで降りた船着き場の担当者に戻します。私とジータが乗った小舟自体は壊れることもなく無事だったので、追加料金もなく船着き場へ戻したそうです。

「ここへ来たことまではわかっているんだ。四ヶ月前、真っ赤な髪と菫色の瞳をした貴族令嬢だ。侍女も一緒にいたと思う。どこへ向かったか、わからないか?」
「四ヶ月前といったら春だろう? 今もだけど、川沿いの花木が綺麗な時期だ。侍女と一緒にお忍びで川遊びに興じる貴族令嬢なんて星の数ほどいるからねえ」
「お願いだ、思い出してくれ。彼女の名前はヴィオレッタ。僕の婚約者なんだ」

 杖を持った青年の言葉を聞いた瞬間、私の体を電のようなものが走りました。
 先日耳に蘇った声を思い出します。
 この青年です。私を愛さないと言ったのは、私の……私は隣に立つご当主様を見上げました。知っています。私はこの方を知っています。目映い太陽のような金の髪と夏の森のような緑の瞳──彼は、

「……ガウリエーレ……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?

秋月一花
恋愛
 本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。  ……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。  彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?  もう我慢の限界というものです。 「離婚してください」 「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」  白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?  あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。 ※カクヨム様にも投稿しています。

殿下の婚約者は、記憶喪失です。

有沢真尋
恋愛
 王太子の婚約者である公爵令嬢アメリアは、いつも微笑みの影に疲労を蓄えているように見えた。  王太子リチャードは、アメリアがその献身を止めたら烈火の如く怒り狂うのは想像に難くない。自分の行動にアメリアが口を出すのも絶対に許さない。たとえば結婚前に派手な女遊びはやめて欲しい、という願いでさえも。  たとえ王太子妃になれるとしても、幸せとは無縁そうに見えたアメリア。  彼女は高熱にうなされた後、すべてを忘れてしまっていた。 ※ざまあ要素はありません。 ※表紙はかんたん表紙メーカーさま

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

【本編完結】記憶をなくしたあなたへ

ブラウン
恋愛
記憶をなくしたあなたへ。 私は誓約書通り、あなたとは会うことはありません。 あなたも誓約書通り私たちを探さないでください。 私には愛し合った記憶があるが、あなたにはないという事実。 もう一度信じることができるのか、愛せるのか。 2人の愛を紡いでいく。 本編は6話完結です。 それ以降は番外編で、カイルやその他の子供たちの状況などを投稿していきます

記憶がないなら私は……

しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。  *全4話

【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~

黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。

この雪のように溶けていけ

豆狸
恋愛
第三王子との婚約を破棄され、冤罪で国外追放されたソーンツェは、隣国の獣人国で静かに暮らしていた。 しかし、そこにかつての許婚が── なろう様でも公開中です。

初恋の相手と結ばれて幸せですか?

豆狸
恋愛
その日、学園に現れた転校生は私の婚約者の幼馴染で──初恋の相手でした。

処理中です...