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第八話 白い髪の女
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「酷い話だよ」
その日、荷運びの仕事でイーゴリの相棒になった男は、一緒に荷物を運びながら話し始めた。
男は王都近くの町にあった裕福な商家に雇われていたという。
本人発言だからどこまで本当かわからないが、結構有能で信頼されていたらしい。妻子がいて持ち家もあるようなので、かなり給金をもらっていたことは間違いないだろう。
「確かに綺麗な娘だったけどね」
男が雇われていた商家は、今はもうなくなっていた。
原因はひとりの、白金の髪に青い瞳の美しい娘だったと男は語る。
その商家の遠縁の娘で、母親が亡くなって天涯孤独になったので引き取られたのだと話は続く。年ごろになった彼女は、商家の跡取り息子と恋に落ちた。
「だけどね、坊っちゃんには幼いころからの婚約者がいたんだよ。そりゃ大騒ぎさ。でも坊っちゃんは絶対に引かないで、結局元の婚約者に多額の慰謝料を払うことで話がついた。ここで終われば、昔は大変だったなあって笑い話に出来たんだがね」
男は溜息をついて話を続ける。
跡取り息子との結婚の日が近づいた娘は、死んだ母親を愛人として囲っていた貴族に手紙を書いた。
人が良くて女性に押されると弱い貴族だったので、上手く話を進めれば結婚の祝い金を毟り取れると思ったのだろうと男は鼻で笑う。
「どうやら思っていた以上に転がしやすそうなお貴族様だったらしい。あの娘は坊っちゃんからそのお貴族様に乗り換えたんだ。坊っちゃんとの関係はお世話になっていたから断れなかった、意に添わぬ結婚だ、なんて泣きついたみたいだぜ」
娘に去られて跡取り息子は壊れた。なにごとにも興味を示さなくなり、一日中呆けている。
そうでなくても元婚約者への慰謝料で商家の力は弱まっていた。
頼りの息子が壊れて狼狽える主人一家にかつての力はなく、商家は周囲の商売敵に食われて姿を消した。
「婚約破棄のときか、せめて娘が結婚式間近で姿を消したときに俺も店を去っておけば良かったんだけどね、鈍臭いもんだから最後までお勤め果たしてこのざまだ。……まあ、家と家族が残ってるだけマシなんだろうがな」
男は王都へ出稼ぎに来ていた。
近くの町に住む妻子には仕送りをしているという。
鈍臭いからではなく、主人だった商家の人間が心配だったから最後まで残っていたんだろうな、とイーゴリは思った。
真面目に働いてはいるものの、つい最近まで貴族子息だったイーゴリは荷運びの仕事に向いていない。
ミハイルのように鍛錬をして武闘大会優勝を目指さなくても当主の座が待っている予定だったから、さほど体を鍛えていなかったのだ。
そんなイーゴリの相棒を買って出てくれたのだから、この男はかなりのお人好しである。
「白金の髪に青い瞳の綺麗な娘だったけど、俺ぁもう二度と会いたくはないな。ありゃ男を喰らう女郎蜘蛛だ。あのお貴族様がちゃんと捕まえといてくれればいいんだが」
「……そうですね」
彼女がその貴族で満足しなかったことをイーゴリは知っている。
彼女──フェーヤは母親よりも賢かった。入り婿に過ぎないイーゴリの父にはなんの力もないことを早々に悟ったのだ。
フェーヤはチトフ子爵家の正当な跡取りであるイーゴリに狙いをつけた。
イーゴリがそれを知っているのは聞いたからだ。
母は父と、新婚夫婦になるだろうイーゴリとフェーヤの家を別々に用意してくれた。
しかし社交的な父──いや、孤独に耐えられない、いつもだれかといたがる寂しがり屋の父は、母にもらった生活費も家の権利も酒場で会った男女に奪われてしまった。奢り酒に呼び寄せられた顔も名前も知らない相手だ。
イーゴリ達の家に転がり込んできた父は、イーゴリが日雇いの仕事から帰るまでの間フェーヤと睦み合っている。
仕事が早く終わって家に戻ったとき、イーゴリはふたりの会話を聞いてしまったのだ。
耳を塞いで慌てて外に飛び出したけれど、こんなことをしていたらイーゴリにも捨てられてしまうと怯える父の口を封じるため、フェーヤが関係を強要して罪を重ねさせていることは察せられた。
(……虐められたというのは、僕をニーナから引き離すための嘘だったんだろうな)
初恋の相手との再会に酔っていたイーゴリは、フェーヤの期待通りに動いてしまった。
母にもその事実はないと言われたのに、あのときの自分はニーナが嫉妬からフェーヤを虐めたのだと信じ込んでいた。ニーナと過ごした日々を思い起こせば、彼女がそんなことをする人間ではないと気づいたはずなのに。
どうしてニーナを打つなんてことが出来たのだろう。さほど鍛えていなくても、令嬢よりは大きく力の強い自分の手を見つめて、イーゴリは涙を落とした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……ニーナ……」
何度も呟いた後で、イーゴリは下町の路地裏から出ることにした。
今日はフェーヤの過去を教えてくれた男のおかげで、少し早く仕事が終わったのだ。
男は荷運び仕事のコツも教えてくれた。商家にいたときは部下に慕われる良い上司だったのだろう。
とはいえ、早く帰っても父とフェーヤが睦み合っているのに遭遇するだけだ。
イーゴリは、まだその現実に対峙することは出来なかった。
路地裏で時間を潰したイーゴリは重い足取りで家路を辿る。家の扉を開けると、女の姿があった。
「……フェーヤ?」
暗闇で待つ白い髪の女の姿に、イーゴリは息が止まりそうになった。
その日、荷運びの仕事でイーゴリの相棒になった男は、一緒に荷物を運びながら話し始めた。
男は王都近くの町にあった裕福な商家に雇われていたという。
本人発言だからどこまで本当かわからないが、結構有能で信頼されていたらしい。妻子がいて持ち家もあるようなので、かなり給金をもらっていたことは間違いないだろう。
「確かに綺麗な娘だったけどね」
男が雇われていた商家は、今はもうなくなっていた。
原因はひとりの、白金の髪に青い瞳の美しい娘だったと男は語る。
その商家の遠縁の娘で、母親が亡くなって天涯孤独になったので引き取られたのだと話は続く。年ごろになった彼女は、商家の跡取り息子と恋に落ちた。
「だけどね、坊っちゃんには幼いころからの婚約者がいたんだよ。そりゃ大騒ぎさ。でも坊っちゃんは絶対に引かないで、結局元の婚約者に多額の慰謝料を払うことで話がついた。ここで終われば、昔は大変だったなあって笑い話に出来たんだがね」
男は溜息をついて話を続ける。
跡取り息子との結婚の日が近づいた娘は、死んだ母親を愛人として囲っていた貴族に手紙を書いた。
人が良くて女性に押されると弱い貴族だったので、上手く話を進めれば結婚の祝い金を毟り取れると思ったのだろうと男は鼻で笑う。
「どうやら思っていた以上に転がしやすそうなお貴族様だったらしい。あの娘は坊っちゃんからそのお貴族様に乗り換えたんだ。坊っちゃんとの関係はお世話になっていたから断れなかった、意に添わぬ結婚だ、なんて泣きついたみたいだぜ」
娘に去られて跡取り息子は壊れた。なにごとにも興味を示さなくなり、一日中呆けている。
そうでなくても元婚約者への慰謝料で商家の力は弱まっていた。
頼りの息子が壊れて狼狽える主人一家にかつての力はなく、商家は周囲の商売敵に食われて姿を消した。
「婚約破棄のときか、せめて娘が結婚式間近で姿を消したときに俺も店を去っておけば良かったんだけどね、鈍臭いもんだから最後までお勤め果たしてこのざまだ。……まあ、家と家族が残ってるだけマシなんだろうがな」
男は王都へ出稼ぎに来ていた。
近くの町に住む妻子には仕送りをしているという。
鈍臭いからではなく、主人だった商家の人間が心配だったから最後まで残っていたんだろうな、とイーゴリは思った。
真面目に働いてはいるものの、つい最近まで貴族子息だったイーゴリは荷運びの仕事に向いていない。
ミハイルのように鍛錬をして武闘大会優勝を目指さなくても当主の座が待っている予定だったから、さほど体を鍛えていなかったのだ。
そんなイーゴリの相棒を買って出てくれたのだから、この男はかなりのお人好しである。
「白金の髪に青い瞳の綺麗な娘だったけど、俺ぁもう二度と会いたくはないな。ありゃ男を喰らう女郎蜘蛛だ。あのお貴族様がちゃんと捕まえといてくれればいいんだが」
「……そうですね」
彼女がその貴族で満足しなかったことをイーゴリは知っている。
彼女──フェーヤは母親よりも賢かった。入り婿に過ぎないイーゴリの父にはなんの力もないことを早々に悟ったのだ。
フェーヤはチトフ子爵家の正当な跡取りであるイーゴリに狙いをつけた。
イーゴリがそれを知っているのは聞いたからだ。
母は父と、新婚夫婦になるだろうイーゴリとフェーヤの家を別々に用意してくれた。
しかし社交的な父──いや、孤独に耐えられない、いつもだれかといたがる寂しがり屋の父は、母にもらった生活費も家の権利も酒場で会った男女に奪われてしまった。奢り酒に呼び寄せられた顔も名前も知らない相手だ。
イーゴリ達の家に転がり込んできた父は、イーゴリが日雇いの仕事から帰るまでの間フェーヤと睦み合っている。
仕事が早く終わって家に戻ったとき、イーゴリはふたりの会話を聞いてしまったのだ。
耳を塞いで慌てて外に飛び出したけれど、こんなことをしていたらイーゴリにも捨てられてしまうと怯える父の口を封じるため、フェーヤが関係を強要して罪を重ねさせていることは察せられた。
(……虐められたというのは、僕をニーナから引き離すための嘘だったんだろうな)
初恋の相手との再会に酔っていたイーゴリは、フェーヤの期待通りに動いてしまった。
母にもその事実はないと言われたのに、あのときの自分はニーナが嫉妬からフェーヤを虐めたのだと信じ込んでいた。ニーナと過ごした日々を思い起こせば、彼女がそんなことをする人間ではないと気づいたはずなのに。
どうしてニーナを打つなんてことが出来たのだろう。さほど鍛えていなくても、令嬢よりは大きく力の強い自分の手を見つめて、イーゴリは涙を落とした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……ニーナ……」
何度も呟いた後で、イーゴリは下町の路地裏から出ることにした。
今日はフェーヤの過去を教えてくれた男のおかげで、少し早く仕事が終わったのだ。
男は荷運び仕事のコツも教えてくれた。商家にいたときは部下に慕われる良い上司だったのだろう。
とはいえ、早く帰っても父とフェーヤが睦み合っているのに遭遇するだけだ。
イーゴリは、まだその現実に対峙することは出来なかった。
路地裏で時間を潰したイーゴリは重い足取りで家路を辿る。家の扉を開けると、女の姿があった。
「……フェーヤ?」
暗闇で待つ白い髪の女の姿に、イーゴリは息が止まりそうになった。
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