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第三話 噂
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「根拠のない噂を垂れ流すのは好きではないのだけれど」
放課後の教室でタチアナ様がおっしゃいました。
イーゴリ様は昼食のときと同じように転校生と一緒で、この場にはいらっしゃいません。
ミハイル様は学園が希望者におこなっている騎士鍛錬に参加しています。
この学園では卒業の前に武闘大会が開催されます。
上位入賞者は王家の近衛騎士に任命され騎士爵を叙されるので、継ぐ家のない貴族家の次男以降にとっては大きな好機となっています。
騎士鍛錬は放課後だけでなく授業前の早朝にもおこなわれていて、ミハイル様の登校が早いのはそのためです。
すでに婿入り先が決まっているヴラジーミル様は、私達から離れたところで『そよ風の戦記』の三巻をご覧になっています。
最近タチアナ様が手に入れたものです。
再会した主役ふたりがまたしても引き裂かれてしまう場面をお読みなのでしょう。どうしてなんだ! と呟きながら嗚咽しています。
タチアナ様が言葉を続けました。
「イーゴリ様とあの女は、裏庭でキスをしているそうよ」
「そう、ですか……」
「私はね、ニーナ。あなたにも腹を立てているの。あなたはイーゴリ様の婚約者なのよ? どうしてなにも言わないの? そもそもなんで最初のときにふたりで昼食を摂ってもいいなんて許したの」
「イーゴリ様のお顔が浮かんで……」
「どういうこと?」
「私にあの子との関係を聞かれて、初恋の相手だと嬉し気にお答えになったときのイーゴリ様の光り輝くような笑顔が浮かんで……」
私は地味で平凡な顔立ちです。
髪と瞳の色もよくある茶色で、こんな私が光り輝く黄金の髪に緑色の瞳の端正なイーゴリ様の隣に立って良いのかといつも悩んでいました。
あのとき、イーゴリ様の腕に抱き着いた転校生は美しかったのです。白金の髪に青い瞳の彼女こそがイーゴリ様に相応しいのではないかと思ってしまったのです。
タチアナ様は溜息をつきました。
「……婚約を解消するつもりはないの? 根拠のない噂に過ぎないとは思うけれど、あのふたりはキス以上のこともしていると聞くわ」
「学園内でそんなこと!」
「私もさすがに悪意のある噂だと思うけれど、あのふたりは同じ馬車で登下校しているでしょう? 彼女は平民だからメイドもいない。車内ではふたりっきりよ。妙な目で見られても仕方がないわ」
転校生が住んでいるのは私と違い、学園から見てイーゴリ様のお宅と同じ方向なのです。
さすがにそれはどうかと窘めたこともあるのですが、平民で徒歩の彼女が可哀相だと思わないのかと、とても蔑んだ瞳で見られてしまったのです。
最初の昼食のとき、私はふたりが同じカフェテラスで食事をするのだと思っていました。テーブルが違っても同じ場所にいるのなら問題はない、そう考えてしまったのです。
それが間違いでした。あれ以上嫌がったら嫌われてしまうのではないかと考えてしまったのも間違いだったのでしょう。
「イーゴリ様の初恋、ね。あなたの初恋は彼なんでしょう?」
そうです。タチアナ様にはお話したことがありましたっけ。
私には兄がいます。デニソフ伯爵家の跡取りにもかかわらず、数年前に学園の武闘大会に出場して優勝した、空気を読まない武術莫迦の兄です。
私に優しく、ときに甘いほどの兄なのですが、武術莫迦な上に体力莫迦なので一緒に遊ぶことは出来ませんでした。子どものころに婚約したイーゴリ様は、私と同じように読書が好きで会話も弾み一緒にいて楽しくて……
「さっきあなたは光り輝くような笑顔と言ったけれど、あなたといるときのイーゴリ様も笑顔でいたと思うわよ?」
「はい。でも今にして思えば……友達の笑顔でした」
「……」
タチアナ様が黙り込みます。
心配してくださっているのはわかっています。
私もこのままでは駄目だとわかっているのです。でもどうしたら良いのかわからないのです。婚約を解消するしかないのでしょうか。
もう二度と、イーゴリ様と楽しく語り合う日は来ないのでしょうか。
あの日お借りした『そよ風の戦記』の三巻は随分前に読み終わっているのですが、まだイーゴリ様にはお返ししていません。
彼に近寄ろうとすると、いつも側にいる転校生に睨まれてしまうのです。
挨拶だけは欠かしていません。
でもそう思っているのは私だけで、イーゴリ様の耳には届いていないのかもしれません。
私の声はいつも途中で転校生の言葉に遮られるのです。
「ニーナ!」
そんな風に私とタチアナ様が会話していたとき、突然教室にイーゴリ様の叫び声が響き渡りました。
放課後の教室でタチアナ様がおっしゃいました。
イーゴリ様は昼食のときと同じように転校生と一緒で、この場にはいらっしゃいません。
ミハイル様は学園が希望者におこなっている騎士鍛錬に参加しています。
この学園では卒業の前に武闘大会が開催されます。
上位入賞者は王家の近衛騎士に任命され騎士爵を叙されるので、継ぐ家のない貴族家の次男以降にとっては大きな好機となっています。
騎士鍛錬は放課後だけでなく授業前の早朝にもおこなわれていて、ミハイル様の登校が早いのはそのためです。
すでに婿入り先が決まっているヴラジーミル様は、私達から離れたところで『そよ風の戦記』の三巻をご覧になっています。
最近タチアナ様が手に入れたものです。
再会した主役ふたりがまたしても引き裂かれてしまう場面をお読みなのでしょう。どうしてなんだ! と呟きながら嗚咽しています。
タチアナ様が言葉を続けました。
「イーゴリ様とあの女は、裏庭でキスをしているそうよ」
「そう、ですか……」
「私はね、ニーナ。あなたにも腹を立てているの。あなたはイーゴリ様の婚約者なのよ? どうしてなにも言わないの? そもそもなんで最初のときにふたりで昼食を摂ってもいいなんて許したの」
「イーゴリ様のお顔が浮かんで……」
「どういうこと?」
「私にあの子との関係を聞かれて、初恋の相手だと嬉し気にお答えになったときのイーゴリ様の光り輝くような笑顔が浮かんで……」
私は地味で平凡な顔立ちです。
髪と瞳の色もよくある茶色で、こんな私が光り輝く黄金の髪に緑色の瞳の端正なイーゴリ様の隣に立って良いのかといつも悩んでいました。
あのとき、イーゴリ様の腕に抱き着いた転校生は美しかったのです。白金の髪に青い瞳の彼女こそがイーゴリ様に相応しいのではないかと思ってしまったのです。
タチアナ様は溜息をつきました。
「……婚約を解消するつもりはないの? 根拠のない噂に過ぎないとは思うけれど、あのふたりはキス以上のこともしていると聞くわ」
「学園内でそんなこと!」
「私もさすがに悪意のある噂だと思うけれど、あのふたりは同じ馬車で登下校しているでしょう? 彼女は平民だからメイドもいない。車内ではふたりっきりよ。妙な目で見られても仕方がないわ」
転校生が住んでいるのは私と違い、学園から見てイーゴリ様のお宅と同じ方向なのです。
さすがにそれはどうかと窘めたこともあるのですが、平民で徒歩の彼女が可哀相だと思わないのかと、とても蔑んだ瞳で見られてしまったのです。
最初の昼食のとき、私はふたりが同じカフェテラスで食事をするのだと思っていました。テーブルが違っても同じ場所にいるのなら問題はない、そう考えてしまったのです。
それが間違いでした。あれ以上嫌がったら嫌われてしまうのではないかと考えてしまったのも間違いだったのでしょう。
「イーゴリ様の初恋、ね。あなたの初恋は彼なんでしょう?」
そうです。タチアナ様にはお話したことがありましたっけ。
私には兄がいます。デニソフ伯爵家の跡取りにもかかわらず、数年前に学園の武闘大会に出場して優勝した、空気を読まない武術莫迦の兄です。
私に優しく、ときに甘いほどの兄なのですが、武術莫迦な上に体力莫迦なので一緒に遊ぶことは出来ませんでした。子どものころに婚約したイーゴリ様は、私と同じように読書が好きで会話も弾み一緒にいて楽しくて……
「さっきあなたは光り輝くような笑顔と言ったけれど、あなたといるときのイーゴリ様も笑顔でいたと思うわよ?」
「はい。でも今にして思えば……友達の笑顔でした」
「……」
タチアナ様が黙り込みます。
心配してくださっているのはわかっています。
私もこのままでは駄目だとわかっているのです。でもどうしたら良いのかわからないのです。婚約を解消するしかないのでしょうか。
もう二度と、イーゴリ様と楽しく語り合う日は来ないのでしょうか。
あの日お借りした『そよ風の戦記』の三巻は随分前に読み終わっているのですが、まだイーゴリ様にはお返ししていません。
彼に近寄ろうとすると、いつも側にいる転校生に睨まれてしまうのです。
挨拶だけは欠かしていません。
でもそう思っているのは私だけで、イーゴリ様の耳には届いていないのかもしれません。
私の声はいつも途中で転校生の言葉に遮られるのです。
「ニーナ!」
そんな風に私とタチアナ様が会話していたとき、突然教室にイーゴリ様の叫び声が響き渡りました。
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