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第五話 愛されるということ
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正直に言えば、ベネノのことはどうでも良かったのです。
ペサーニャ侯爵家との縁さえ切れれば、彼女が私に関わってくることはないでしょうから。
ですが、私有責の離縁にされて持参金や支援金が返済されなかったり、今後の資金目当てで離縁を拒否されたりしてはたまりません。私には時間がないのです。私はペサーニャ侯爵家に離縁を受け入れさせるためにエンリケ様の愛人であるベネノのことを調査し、証拠を手に入れたのです。
実を言うと、件の薬については以前から気づいていました。
自分が飲まなければ良いと思い、飲んだ振りをして捨てていたのです。
気づいたことを知られれば気づきにくい別の薬に変えられてしまうかもしれないと思ったし、すべてを暴けばベネノもメイド達もただでは済まないと知っていたからです。
とはいえ、彼女達のような人間は、見逃されたからといって感謝などしません。
暴かれれば家族にも累が及ぶなんて考えもせず、エンリケ様の愛人で王都のペサーニャ侯爵邸の女主人を気取っていたベネノの機嫌を取るために犯罪に加担していたのです。
離縁を決意した私に、彼女達を憐れむ気持ちは残っていません。
「ミランダ、体調は大丈夫?」
「ええ……え?」
帰りの馬車の中で、マリアに話しかけられた私は顔を上げて目を丸くしました。
「マリアじゃなくてガウボンだったのですか?」
そこには、マリアと同じ髪型の鬘を外した従兄のガウボンの姿があったのです。
ふたりとも私よりも年上で、マリアが姉でガウボンが弟の双子です。
双子とはいえ今はかなり体格も違うのですが、ドレスの膨らみで誤魔化していたようです。
「向こうが暴力に訴えてきたら、マリアじゃ危ないだろ? だからマリアのドレスを借りて女装してきた。男の姿のままで無理矢理乱入したら、ミランダが俺と浮気しているって言いがかりをつけられかねないと思って」
「そうでしたの。……離縁が成立したから、もうどちらでも良いのですけれど、今の貴方はドレスを着ているのだから、サラザール商会のお爺様と伯父様のところへ着くまでは鬘を被っていたほうが良いと思いますよ?」
「蒸れるんだよなあ、鬘って。馬車を降りるまでは外させてよ」
「私はかまいませんが」
答えながら、私は自分の下腹部を撫でました。
「出産して母子ともに元気になったら、ペサーニャ侯爵家の目の届かないところに行かなくちゃね」
「ええ。それまでは妊娠に気づかれないようにしなくてはいけません」
私が子を生せぬ体になったというのは嘘でした。
口頭では言いましたが、資料には書いていません。
ベネノとメイド達の罪状は死に至る可能性のある不妊の薬を私に飲ませたことです。それだけでも酷いことですし、ベネノの罪はほかにも山盛りですけれど。ともあれ、件の薬の事実があったことで、離縁前の妊娠検査は受けないで済みました。
あの日、街中の医院で妊娠を告げられた私はしばらく混乱していました。
ですがマリアと別れてペサーニャ侯爵家へ戻り、だれも来ない部屋で思ったのです。
この子をこの家で産んじゃいけない、と。
ガウボンと私の仲を疑ったエンリケ様、そうでなくてもベネノを愛し彼女の言うことを信じ切っている彼は、私の産んだ子を愛してはくれないでしょう。
愚かな私は、エンリケ様に愛人がいても結婚すれば愛してくれる、体を重ねれば愛してくれる、子どもが出来れば愛してくれる、と信じていました。
でもそんなことはありませんでした。結婚しても、体を重ねても、エンリケ様は私を愛してくれませんでした。子どもが出来ても同じでしょう。
実家の父だってそうでした。
冷遇に文句を言わずに黙っていても、父にとって良い子──都合の良い子として努力を重ねていても、父が選んだのは義母が産んだ異母弟でした。
むしろ私が愛されたいと望んでいることをわかった上で、サラザール商会との契約を破ってペサーニャ侯爵家へ嫁がせたのです。貴族令嬢として、家の跡取りとして育てられた私が、伯爵家の家臣や領民を見捨てられないと見越して。
ペサーニャ侯爵家との縁さえ切れれば、彼女が私に関わってくることはないでしょうから。
ですが、私有責の離縁にされて持参金や支援金が返済されなかったり、今後の資金目当てで離縁を拒否されたりしてはたまりません。私には時間がないのです。私はペサーニャ侯爵家に離縁を受け入れさせるためにエンリケ様の愛人であるベネノのことを調査し、証拠を手に入れたのです。
実を言うと、件の薬については以前から気づいていました。
自分が飲まなければ良いと思い、飲んだ振りをして捨てていたのです。
気づいたことを知られれば気づきにくい別の薬に変えられてしまうかもしれないと思ったし、すべてを暴けばベネノもメイド達もただでは済まないと知っていたからです。
とはいえ、彼女達のような人間は、見逃されたからといって感謝などしません。
暴かれれば家族にも累が及ぶなんて考えもせず、エンリケ様の愛人で王都のペサーニャ侯爵邸の女主人を気取っていたベネノの機嫌を取るために犯罪に加担していたのです。
離縁を決意した私に、彼女達を憐れむ気持ちは残っていません。
「ミランダ、体調は大丈夫?」
「ええ……え?」
帰りの馬車の中で、マリアに話しかけられた私は顔を上げて目を丸くしました。
「マリアじゃなくてガウボンだったのですか?」
そこには、マリアと同じ髪型の鬘を外した従兄のガウボンの姿があったのです。
ふたりとも私よりも年上で、マリアが姉でガウボンが弟の双子です。
双子とはいえ今はかなり体格も違うのですが、ドレスの膨らみで誤魔化していたようです。
「向こうが暴力に訴えてきたら、マリアじゃ危ないだろ? だからマリアのドレスを借りて女装してきた。男の姿のままで無理矢理乱入したら、ミランダが俺と浮気しているって言いがかりをつけられかねないと思って」
「そうでしたの。……離縁が成立したから、もうどちらでも良いのですけれど、今の貴方はドレスを着ているのだから、サラザール商会のお爺様と伯父様のところへ着くまでは鬘を被っていたほうが良いと思いますよ?」
「蒸れるんだよなあ、鬘って。馬車を降りるまでは外させてよ」
「私はかまいませんが」
答えながら、私は自分の下腹部を撫でました。
「出産して母子ともに元気になったら、ペサーニャ侯爵家の目の届かないところに行かなくちゃね」
「ええ。それまでは妊娠に気づかれないようにしなくてはいけません」
私が子を生せぬ体になったというのは嘘でした。
口頭では言いましたが、資料には書いていません。
ベネノとメイド達の罪状は死に至る可能性のある不妊の薬を私に飲ませたことです。それだけでも酷いことですし、ベネノの罪はほかにも山盛りですけれど。ともあれ、件の薬の事実があったことで、離縁前の妊娠検査は受けないで済みました。
あの日、街中の医院で妊娠を告げられた私はしばらく混乱していました。
ですがマリアと別れてペサーニャ侯爵家へ戻り、だれも来ない部屋で思ったのです。
この子をこの家で産んじゃいけない、と。
ガウボンと私の仲を疑ったエンリケ様、そうでなくてもベネノを愛し彼女の言うことを信じ切っている彼は、私の産んだ子を愛してはくれないでしょう。
愚かな私は、エンリケ様に愛人がいても結婚すれば愛してくれる、体を重ねれば愛してくれる、子どもが出来れば愛してくれる、と信じていました。
でもそんなことはありませんでした。結婚しても、体を重ねても、エンリケ様は私を愛してくれませんでした。子どもが出来ても同じでしょう。
実家の父だってそうでした。
冷遇に文句を言わずに黙っていても、父にとって良い子──都合の良い子として努力を重ねていても、父が選んだのは義母が産んだ異母弟でした。
むしろ私が愛されたいと望んでいることをわかった上で、サラザール商会との契約を破ってペサーニャ侯爵家へ嫁がせたのです。貴族令嬢として、家の跡取りとして育てられた私が、伯爵家の家臣や領民を見捨てられないと見越して。
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