素顔の俺に推し変しろよ!

豆狸

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第三話 かっぱっぱ

15・推し変の予定はありません!

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「わあ、このピザすごく美味しーい」

 わたしの隣で、片桐さんが歓声を上げる。
 うん、確かに美味しい。
 忍野くんの手作りピザの具は、肉みそと焼き野菜だった。
 肉みそも忍野くん製で、いつも冷蔵庫に入っている作り置き料理だ。
 たぶん彼は、本当はわたしより料理が上手い。
 亡くなったお母さんがご存命のころから、自炊してたと聞いている。

「忍野さんって、なんでも上手なんですね!」

 ……片桐さん可愛いなあ。
 そうだよねえ。
 もし忍野くんが高校の同級生じゃなくて憧れの俳優で、なにかで一緒にDVDを鑑賞できるってことになったら、わたしだって浮かれちゃう。
 誘って良かったな、と思う。
 忍野くんには騙し討ちみたいになっちゃって悪かったけど、彼とふたりっきりになるのは無理だと判断したのだ。
 高校時代の夢は、いろいろと重かった。


「……そうか、ありがとな」

 忍野くんの返事には力がない。
 いくら好きな映画でもこれだけ陰鬱な雰囲気だと飲まれちゃうんだろうな。
 ううん、好きな映画だからこそ影響されちゃうのかもしれない。
 忍野くんは昔から空気を読んで合わせるのが上手だった。
 しかしこのハムレットは、どうしてこんなに悲壮感が漂っているのかな。
 なんとなく思ったことを口にしてみる。

「このハムレットは女性が演じてるけど、それだけじゃなくて劇中のハムレットも女性っていう設定なのかな?」
「さっすがササエルさん。なるほどー、そう考えるとこの映画全体に流れる悲壮感が理解できますよね。男装女子なのか、精神だけが女性なのかはわからないけれど、中世の男尊女卑社会でそうなら、とても生き難いと思いますよ」
「うんうん。オフィーリアへの態度も、自分と違って性別を偽らなくても生きられる相手への複雑な気持ちの吐露と思えば納得できる感じよね」
「これ、忍野さんが演じたらすごいだろうなあ。この役者さんも上手ですけど、たまに素の自分が出てるんですよね」

 そうそう! と叫びたくなる気持ちを抑える。
 だれかを下げてから上げたんじゃ、俳優忍野薫の格が下がっちゃう。

「それは上手く演出で利用してるからいいんじゃないかな。もちろんこの解釈を忍野くんの演技で観たいっていうのはあるけど」

 そこまで言って思いつく。
 ハムレット役の女優さんは美人だけど、正直それほど演技は上手くない。
 この映画を支えているのは──

「あ、忍野くんがクローディアスで、片桐さんがハムレットでもいいかも」
「えー、僕にできますかねえ。でもササエルさんにそう言ってもらえると嬉しいなあ。忍野さん目当てで『文具戦士ペンケースV』を観たとき、ついででいいから僕の演技の感想も書いてくださいね」

 わたしは頷いた。
 昔撮られた映画の俳優で想像しなくても、このふたりの共演はもうすぐ見られる。

「うん、書くよ。昨日の素顔アクションも良かったね。『ムーンドール』のときとはまるで印象が違って。昨日のことはブログに書けないから、残念に思ってたの」
「だったらメールくださいよ。そうだ、電話番号も交換しませんか? メールもいいけど、こうしてわーって話したいじゃないですか」
「そうだねえ」

 ちょっと問題かなと思いつつ、俳優忍野薫トークができるという誘惑には耐えきれずスマホを取り出す。
 わたしが招木さんの事務所の人間でないということは、まだ片桐さんには打ち明けていなかった。
 そういえば、いつの間にかタメ口でしゃべってた。
 気をつけないと。
 片桐さんは若くて元気で可愛くて、なんか子犬みたいだから、ついつい気を許しちゃうのよねえ。趣味(俳優忍野薫沼の河童)も同じだし。
 忍野くんは猫かな?
 エサをもらうときだけ寄ってきて、食べるといなくなっちゃう生意気な猫。

 でも──

 なにかが髪に触れて、わたしは隣を見た。
 片桐さんの向こうに座る忍野くんが、手を伸ばして触れてきたのだ。
 生意気だけど寂しがり屋の猫が背中を向けて、そっと尻尾でつついてくるみたいに。

「忍野くん、この映画が終わったら高校の演劇部のDVD観てもいい? 忍野くんのハムレットと見比べたいの」
「わー、いいなー。僕リアルで一回観ただけなんで、是非観たいです!」
「……うん、わかった」

 拗ねたように俯く横顔は、お土産のプリンを出したら笑顔になってくれるだろうか。
 わたしはやっぱり忍野くんが好きで、だれより可愛いと思っているらしい。
 もっともだからって恋愛関係になるとは限らないし──

 俳優忍野薫沼の裏川沙英河童であることは絶対に変わらないから、素顔の忍野くんに推し変することだけは、絶対にないんだけどね!
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