素顔の俺に推し変しろよ!

豆狸

文字の大きさ
上 下
40 / 45
第三話 かっぱっぱ

10・あのころとは違うから

しおりを挟む
 田舎町へ着いたころにはすっかり暗くなっていたので、わたしと忍野くんは駅前の喫茶店で夕食を摂った。
 暗いのは夜だからだけではなく、空は分厚い雲に覆われているようだった。
 天気予報によると、日曜日は雨になるらしい。
 片桐さんは明日も撮影だと言っていたっけ。……大丈夫かな?
 押野君にアパートまで送ってもらって、畳でゴロゴロしながらスマホを眺める。
 しばらくすると、まるでどこかから見ていたかのように着信音が鳴り響いた。
 案の定招木さんからの電話だった。

「招木さん!」
「ご自宅ですよね? 忍野くんが車を返しに来たのでお電話してみました」
「……今日みたいなのはダメですよー」
「普通に頼んだら承知してくれましたか?」
「しませんけど! でも俳優忍野薫の経歴に傷がつくようなことはダメです! 高校時代の忍野くんは毎日のように女性のところから登校してて、遅刻しない日はなかったですけど、役者のお仕事で遅刻したらお終いじゃないですか」

 そうなのよね。
 この前茜ちゃんと電話したときに、あのころの忍野くんに対する誤解があったと気づいたものの、よく考えたらやっぱり女性関係滅茶苦茶だったのよ。
 まあ、それで俳優忍野薫の価値が落ちるわけではないけど。
 ないけど……週刊誌にすっぱ抜かれたら、昔のことでもヤバそうだな。
 ぐぬぬ、忍野くんめ。
 熱くなるわたしと対照的に、招木さんは相変わらず落ち着いた感じだ。

「だからちゃんと入り時間を早めに伝えておきましたよ」
「そういう問題じゃありません。この前から、どうして忍野くんを後押ししようとしてるんです。もしかして忍野くんの面倒見るのに疲れたんですか?」
「忍野くんはうちの事務所でも古株なので、普段はほとんどひとりで行動してます。スケジュールも本人が完ぺきに把握してますし、仕事相手としては手のかからない優等生ですよ。最近はスキャンダルの心配もいりませんしね」
「……今の忍野くんは勘違いしてるだけなので、もし本当にわたしとつき合い出したら元に戻るだけですよ」
「そうですかねえ?」

 かすかな笑い声の後、招木さんが尋ねてきた。

「裏川さん、今日は楽しかったですか?」
「そりゃ楽しかったですよ。俳優忍野薫のいろんな演技が見れましたからね。招木さんも絶対来たほうが良かったです!」

 今日見学したときのことをブログに書けないのが残念だった。
 あ、片桐さんにメールしたらいいのか。
 河童同士の会話はお互いに熱く語るだけで言葉のキャッチボールにならない自信があるけれど、メールはちゃんと読むつもりだ。
 きっと読んでいくうちに、見学したときのことが頭に蘇ると思う。
 招木さんに片桐さんのことは……言わないほうがいいかな。
 ヨソの俳優さんのことだものねえ。
 雑誌の取材はひとりずつだったから片桐さんがインタビューになんて答えたのかわからないけど、忍野くんへの質問から考えて、尊敬する役者がいるかどうかは間違いなく聞かれているだろう。
 河童二号の情熱からすると、正直に俳優忍野薫だと答えているはずだ。
 そのインタビューが雑誌に掲載されたら、招木さんにも彼のことを教えよう。
 なんて考えていたら──

「高校のときのことを思い出しましたか?」

 招木さんから投げかけられた奇妙な質問に、わたしは首を傾げながら答えた。

「……はあ。そうですね、帰りの車の中で高校のときの忍野くんが男性のファンはいらないって言ってたこと思い出しましたよ」
「そんなこと言ってたんですか?」
「そうなんですよ。本当は女性のファンも……顔目当てのファンはいらないとかほざいてました。顔目当てでもいいじゃないですか。俳優忍野薫の演技を見たら、だれだって本当のファンになってくれるのに! まあ好みがあるから全員は無理かもしれませんけど、でも俳優忍野薫の演技は絶対心に残るのに」

 車の中で忍野くんに言ったのと、ほとんど同じ言葉を繰り返す。
 スマホの向こうの招木さんが、優しい声で言う。

「裏川さんは本当に忍野くんが好きなんですね」
「好きですよ。あ、でも忍野くんじゃなくて俳優忍野薫を、ですけど」
「同じですよ」
「……同じじゃありません」

 いつも言ってることなのに、なんだか声が強張ってしまった。
 それは招木さんの声があくまでも優しく、押しつけるような雰囲気ではなかったからかもしれない。
 彼の、同じですよ、という言葉に頷いてしまいそうになったのだ。
 そんなこと、ないのに。
 俳優忍野薫と高校の同級生だった忍野くんは別人なのに。
 少なくともわたしにとっては、同じ人間ではないのに。

「今日はすみませんでした。忍野くんって要領がいいように見えて、不器用なところがあるでしょう? 長年見守っているうちに情が沸いて、いらないお節介をしてしまいました」
「招木さんが忍野くんを大切に思っているのはわかってますし、俳優忍野薫のためにも嬉しいですけど……」
「はい。本当にすみませんでした」

 もう今日のような真似はしないと約束してくれて、招木さんは電話を切った。

 ……ああ、そっか。

 招木さんとの電話が終わった後も畳の上を転がりながら、わたしは思った。
 高校のころ、わたしは演劇部ではなかったけれど、裏庭で稽古する忍野くんを見ることができた。
 舞台の上の完成された演技ではなく、発展途上の演技を。
 本当は舞台も初日と千秋楽では変わっているんだけど、舞台での変化は同じ方向で完成度を高めていくものだから、稽古のときの変化とは違う。
 ほんのり懐かしさを感じたとき、なぜか胸が少し痛んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

フローライト

藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。 ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。 結婚するのか、それとも独身で過ごすのか? 「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」 そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。 写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。 「趣味はこうぶつ?」 釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった… ※他サイトにも掲載

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

悪妃になんて、ならなきゃよかった

よつば猫
恋愛
表紙のめちゃくちゃ素敵なイラストは、二ノ前ト月先生からいただきました✨🙏✨ 恋人と引き裂かれたため、悪妃になって離婚を狙っていたヴィオラだったが、王太子の溺愛で徐々に……

【完結】冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。

たまこ
恋愛
 公爵の専属執事ハロルドは、美しい容姿に関わらず氷のように冷徹であり、多くの女性に思いを寄せられる。しかし、公爵の娘の侍女ソフィアだけは、ハロルドに見向きもしない。  ある日、ハロルドはソフィアの真っ直ぐすぎる内面に気付き、恋に落ちる。それからハロルドは、毎日ソフィアを口説き続けるが、ソフィアは靡いてくれないまま、五年の月日が経っていた。 ※『王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく。』のスピンオフ作品ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

白い初夜

NIWA
恋愛
ある日、子爵令嬢のアリシアは婚約者であるファレン・セレ・キルシュタイン伯爵令息から『白い結婚』を告げられてしまう。 しかし話を聞いてみればどうやら話が込み入っているようで──

伯爵令嬢の苦悩

夕鈴
恋愛
伯爵令嬢ライラの婚約者の趣味は婚約破棄だった。 婚約破棄してほしいと願う婚約者を宥めることが面倒になった。10回目の申し出のときに了承することにした。ただ二人の中で婚約破棄の認識の違いがあった・・・。

処理中です...