素顔の俺に推し変しろよ!

豆狸

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第三話 かっぱっぱ

8・推し談義してましたけど、なにか?

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「……ところでお前」

 運転席の忍野くんが、不安そうな顔で助手席のわたしを見る。
 わたしは慌てて彼を止めた。
 真っ赤だった空が薄暗く変わっていく。
 交通事故が多いのはこんな時間帯だという。

「忍野くん、運転中なんだから前向いて!」
「悪い。……あのよ、お前帰り際に片桐仁王とメアド交換してなかったか? 俺には共演者に手を出すなって言って、なにやってんだよ」

 見てたのか。
 まあ目の前でやってたしね。
 誤解されても仕方がない所業だし、きちんと説明しておかなくちゃ。
 でも、どこから話そう。

「うーん……仮にとはいえわたしは招木さんの事務所の人間だから、ヨソの俳優さんと親しくするのは良くないかと思ったんだけど、どうしてもって言われて」
「どうしてもって言われたら、だれとでもメアド交換するのかよ」
「そういうわけじゃないんだけど、ブログのコメント欄埋め尽くされるよりはメールに添付してもらうほうがいいかと思って」
「? なんの話だ?」
「わたしが俳優忍野薫の応援ブログをやってること、忍野くんも知ってるでしょ?」
「ああ」
「わたしが使ってるブログサービスのコメント欄には文字数制限があるから、片桐さんが思いのたけを綴るにはコメント欄ひとつじゃ足りなさそうなのよ。河童二号のコメントだけがいくつも続くよりは、文章作成ソフトで書いたデータをメールに添付してもらったほうがいいじゃない」

 忍野くんの眉間にすごい勢いで皺が寄っていく。

「思いのたけ? 河童二号?」

 そこからもう伝わっていなかったらしい。
 いや、河童うんぬんはわたしと片桐さんで勝手に決めた俳優忍野薫ファンの名称なんだけどさ。

「共演者の言葉くらい覚えてなさいよ。挨拶のとき片桐さん、俳優忍野薫のファンですってちゃんと言ってたよ?」
「え? あれ社交辞令だろ?」
「わたしも最初はそう思ったけど、本当みたいよ。小学校のときに俳優忍野薫のハムレットの舞台を観てから、ずっとファンなんだって」
「……ちょっと待て」

 そう言って、忍野くんは路肩に車を停めた。
 もうかなり走ってきたので、東京ほど交通量が多くない田舎道に入っていた。
 しばらくハンドルに顔を伏せた後で、忍野くんがわたしを見る。

「……裏川お前、俺の演技を見学している間、片桐仁王となんの話してたんだ?」

 今さらなにを言っているんだろう。

「俳優忍野薫の話に決まってるじゃない! 片桐さんは闇の住人マセマティが好きなんだって。わたしは陰キャマセマティが良かったかな、意外性があって。もちろん最終的に決定した感情の薄い人形マセマティにも期待してるよ」
「……お前ら、年ごろの男女、しかもひとりは芸能人だっていうのに、顔つき合わせて延々と俺の話してたのかよ!」
「わたしたち、俳優忍野薫沼の河童仲間なの」
「ワケわかんねぇ!」

 忍野くんは叫んで、ハンドルを殴りつけた。
 なんだか青春ドラマのワンシーンみたい。
 それからハンドルに頭を載せ、わたしに向かって後頭部を見せてくる。

「……忍野くんもさ、あの監督さんに憧れてるんでしょ?」
「憧れっていうか……あの人の撮る映像に出演してみたいとずっと思ってたよ」
「あの監督さんが撮ったハムレットの話、だれかと話したいと思わない?」
「……うん」
「今度一緒に観たら、わたしに熱く語ってくれていいからね」
「ありがとう」
「その代わりわたしは、この役を俳優忍野薫が演じたらっていう妄想を語るだろうからつき合ってね」

 忍野くんは、溜息をつきながら顔を上げた。

「……ま、まあいいけどよ。んっと……ってことは要するに、お前と片桐仁王は俺についての情報を交換するだけの同担仲間で、お互いは恋愛対象じゃないってことか」
「そういうこと。わたしたちが高校生だったときに小学生だった相手に対して、恋愛とかないよ。向こうだってそうだよ」

 とはいえ、情報交換をするとも思えなかった。
 たぶんお互いに俳優忍野薫の素敵だと思う部分を語り倒すに違いない。
 それが河童というものだから。

「そっか。うん、そっか。……あ、でも、メールを交換するくらいにしとけよ。実際に会って目撃されたりしたら、変な誤解を受けるかもしれないからな」
「わかってるよ」

 忍野くんは上機嫌でエンジンをかけて、車を路肩から道路へと戻した。
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