この誓いを違えぬと

豆狸

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<<間違え続けた男>>

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 一年中雪に覆われた白い山脈に見下ろされた国、オルベール王国。
 オルベール王国の第二王子ルイ、後のブランシャール大公は恋をした。
 王となる定めの第一王子、兄のアレクサンドルの婚約者と出会った日に。リシャール公爵令嬢カロリーヌは微笑んで、ルイの瞳は夏の夜空の色だと言った。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 白い山脈には邪気を放って魔獣を生み出し大暴走スタンピードを発生させる竜と、その竜に生贄を捧げる邪教団がいた。
 大暴走スタンピードで父を喪い、夫の死に耐え切れず気鬱の病となった母をも亡くしたルイとアレクサンドルの兄弟は、竜と邪教団を殲滅することを互いに誓った。
 しかし、それはとても難しいことだった。

 竜の血は神薬エリクサーの原料だ。
 神薬エリクサーは不老不死の薬だとも若返りを与えるものだとも言われていた。
 それと同時に、竜の血は猛毒でもあった。邪教団が崇める竜は、長年人間を生贄に捧げられてきたことで血の毒性を失っているとまことしやかに囁かれていた。

 白い山脈の竜の血は、神薬エリクサーに加工しなくても若返りと快楽をもたらすのだと噂され、多くのものがそれを求めた。

「情けないっ! このオルベール王国の誇り高き貴族が、そんな噂を信じて自領を訪れる商人や貧しい領民を邪教団に売り渡しているとはっ!」

 国王として即位したアレクサンドルと兄の補佐として大公位を与えられたルイが、生贄を求める邪教団の人身売買組織を検挙しようとするといつも邪魔が入った。
 王国内に裏切り者がいたのだ。
 一番怪しいのはマントゥール伯爵家だった。リュゼという娘がいて、彼女は王の許婚カロリーヌの弟、リシャール公爵令息エルネストと婚約していた。今のところリシャール公爵家は王家とともに邪教団を殲滅しようとしていたが、エルネストの代になったときどうなるかはわからなかった。

「とにかく『竜の血』と呼ばれて流通しているものを手に入れなくてはいけませんね」

 ルイは、竜の血に若返りと快楽をもたらす力があるのは事実だろうと踏んでいた。
 ただしどちらも一時的なものだ。竜の血が体内から消えると一気に体が老い衰え、苦痛が襲ってくる。だから一度口にしたら、竜の血を手放すことは出来なくなる。
 生贄によって竜の血の毒性が消えているのではなく、流通している竜の血には麻薬を混ぜて毒を薄めているのではないかとルイは考えていた。

 国王兄弟が喉から手が出そうなほど邪教団の情報を求めていたとき、そのすみれ色の髪の娘が山から降りて来た。
 一族の非道に胸を痛めているのだと、その瑞々しい唇は告げた。
 なんでも話す、協力するという声は鈴を転がす音のように透き通っていた。

(……嘘だな……)

 ルイは確信した。
 確かに彼女は美しかったし、そのすみれ色の髪が風に揺れると甘い香りを放った。
 でもその香りの奥には腐臭が潜んでいた。自分のために他人を傷つけ殺すことになんのためらいも持たない人間特有の匂いだ。マントゥール伯爵家のリュゼからも同じ匂いがする。

 必要な情報を引き出したら、一刻も早く始末するべきだとルイは思った。
 だが──ルイは間違えた。
 自分より賢く偉大なはずの兄がすみれ色の髪の娘の色香に惑わされているのを見て、ほんの少しだけ期待してしまったのだ。兄がこの娘を選んでカロリーヌとの婚約を破棄したら彼女は自分のものになるのかもしれない、と。娘を始末するのはそれからでもいいのではないか、と。

 それは間違いだった。
 ルイが犯した最大の永遠に許されざる罪だった。
 すみれ色の髪の娘は王妃の座を得るために、邪魔な公爵令嬢カロリーヌを仲間の邪教団の男達に襲わせたのだ。カロリーヌの瞳からは光が消え、兄王はすみれ色の髪の娘を妃に迎えた。もうすみれ色の髪の娘を殺すことは出来なかった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 オルベール王国のアレクサンドル王が結婚する少し前、リシャール公爵令息エルネストはマントゥール伯爵令嬢リュゼとの婚約を破棄して、とある子爵家の令嬢と結婚した。
 婚約破棄の理由は、リュゼがブランシャール大公ルイと浮気をしたからだ。正確には、浮気をしようと誘惑した。
 竜の血と呼ばれる麻薬と淫行に満ちた仮面舞踏会がおこなわれていた館の一室にルイを呼び寄せた彼女は、彼に同行していた自分の婚約者に糾弾されて婚約を破棄されたのだった。

 ──と、世間では言われている。
 実際に起こったのもその通りのことだ。
 邪教団の男達の待つ場所にエルネストの姉カロリーヌを誘き寄せたのが、すみれ色の髪の娘にそそのかされたリュゼだったという証拠はない。リュゼから来た手紙は見つからなかった。伯爵家から公爵家に送り込まれていた使用人のだれかが始末したのかもしれない。

 カロリーヌがリュゼの手紙に誘き出されたのは、すみれ色の髪の娘に溺れていく婚約者を取り戻せるとでも言われて騙されたからだろう。

 おそらくリュゼは、邪教団出身のすみれ色の髪の娘は王妃になれないから、カロリーヌさえいなくなれば自分が形だけでも王妃に選ばれると思っていたのに違いない。
 すみれ色の髪の娘は王妃になり、リュゼは年老いた大貴族の後妻となった。
 嫁ぎ先は、実家と同じように邪教団との関係が深いと思われていた。

 国王がすみれ色の髪の娘に骨抜きにされている以上、ルイ達は強権を行使出来なかった。
 迂闊なことをすれば国王を操るすみれ色の髪の娘にひっくり返されてしまう。
 あくまでも法に則り、多少の囮捜査はおこなうにしても基本的には正々堂々と相手の罪を暴いていくしかなかったのだ。

(……それでも兄は頑張っている)

 ルイはそう思っていた。
 すみれ色の髪の娘に惹かれながらも、幼なじみの婚約者に起きた悲劇に絶望していた隙に竜の血麻薬を飲まされ中毒にされながらも、兄は彼らに逆らい続けた。
 兄が中毒症状で理性を失っているときには、ルイとエルネストが妙な法案が通らないよう食い止めた。

 それでも、少しずつ確実に邪教団と彼らの協力者はオルベール王国を蝕んでいった。
 あの国へ行くと攫われて生贄にされる、と噂されて商人や旅人が減り経済活動が落ち込んでいく。事実なのだからどうしようもない。竜の血を求めて自分達を差し出す貴族に反発した領民が暴動を起こす。
 まともな貴族は邪教団と関りになるのを恐れて自領から出てこない。

 すみれ色の髪の娘、今はもう王妃と呼ばれていた女が王子ジェイクを産んだとき、国王アレクサンドルは過激な行動に出た。
 子どもは母を慕うものだ。息子を母親から引き離すのは不可能だと考えて、彼女を殺したのだ。息子の足手纏いになるだけだと、彼は自分自身をも始末した。
 ルイの肩に重荷が圧し掛かってきた。

 不満を言う気はない。
 あのとき、自分が彼女を始末しておけば兄の手を汚すことはなかった。
 邪教団の情報が手に入れられなかったとしても、さらなる不幸を生み出すことはなかったはずだ。

(……カロリーヌ!……)

 どんなに悔やんでも、ルイは生きていかなくてはいけない。
 大公であるルイと公爵のエルネストが立ち上がらねば、まともな貴族達が後を追うことも出来ないのだ。
 ルイは国王となった甥を大公として叔父として支えた。そのすみれ色の髪を見ると、なんとも言えない気持ちになるのを抑えきれなかったが、彼の顔立ちは兄にそっくりで、それが救いだった。

 やがて、奇跡が起こった。
 旅人が竜を倒したのだ。邪教団はルイ達が捕らえて処刑した。竜の血がなければ、彼らを庇う貴族はいなかった。
 ルイはジェイクに進言して竜殺しを侯爵として迎え入れた。ボネという家名も与え、その娘カサンドラとジェイクを婚約させた。竜殺しの英雄を舅に持てば、ジェイクの権威が強まると考えたからだ。

 カサンドラという少女には腐臭を感じなかった。
 自分を良く見せるための泣き真似ではなく、本当の涙を流して相手を案じることが出来る少女だった。
 リュゼの嫁ぎ先を別件で立証することも出来た。竜の血の闇は深い。悪いのはあくまで邪教団でオルベール王国の貴族は関係ないという建前だったので、別件を探すしかなかったのだ。

 捕らえる前に当主は死んでしまった──おそらくリュゼに殺されたのだ──が、すでに罪は暴かれていたので財産は国が没収した。これで生き残りの邪教団にもお仲間のオルベール王国の貴族達にも完全に資金が流れなくなる。
 金と後ろ盾が無くなればリュゼの力も奪えると思って油断していたのが悪かった。
 リュゼは年ごろになったジェイクを誘惑したのだ。ルイを誘惑しようとして罠に嵌ったときから変わらない。彼女はすぐに体を使う。

 問題なのは、ジェイクがまだ見ぬ母を恋しがる子どもだったことだ。
 体だけ大きくなっても精神が追いついているとは限らない。
 母への思慕と若い欲望でリュゼを慕うジェイクに、ルイは嘘をついた。

「彼女はお前の寝所の教師だ。私が金を払って恋愛ごっこをしてもらった。嫁ぎ先が潰れて金に困っている、可哀相な女性なんだよ」

 信じたのか信じなかったのか、ジェイクはほかの女性とも恋愛ごっこを楽しむようになった。
 もちろん、婚約者のカサンドラの気持ちが良くなるわけがない。
 怒って泣いて、それでもジェイクを見ると笑顔になる彼女がリュゼやその仲間達に襲われないよう、ルイは守り続けた。ジェイクに本当のことを告げなかったのは、母親の真実を教えたくなかったからだ。竜の血の真実は未来に残さず、ルイとエルネストが地獄の底まで持っていく。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「……あなた」
「カロリーヌ」

 今日、ルイは自領の魔獣討伐に出発する。
 ボネ侯爵がいてくれれば安心なのだが、彼はいない。
 ジェイクを見捨てたカサンドラとともにオルベール王国を出て行ってしまった。ルイはまた間違えたのだ。

「お気をつけて。ご武運をお祈りしていますわ、アレクサンドル様」
「ああ、ありがとう」

 ルイはカロリーヌを妻に迎えていた。ふたりの間には五人の男の子がいる。
 カロリーヌは、自分に降りかかった悲劇のことを覚えていない。
 彼女は間違えてばかりの愚かなルイを見ることもない。自分の夫は婚約者だったアレクサンドルだと信じ込んでいるのだ。ルイと兄はよく似ている。違うのは瞳の色くらいだ。兄は夏の空の色、ルイは夏の夜空の色。どちらも青なのでじっくり見つめないと違いに気づかない。

「……ふふ……」
「どうしたんだい、カロリーヌ」
「私達ふたりとも年を取ったと気づいただけですわ」
「君は年を重ねても美しいよ」
「ありがとうございます。……眩しい夏の空のような青だった貴方の瞳、今は夏の夜空の色に変わっていますのね。鮮やかではないけれど、深く優しい色ですわ」
「そうか。君に嫌われたのでなければ良かったよ」
「早く帰って来てくださいましね、貴方」
「ああ、もちろん。すぐに君のところへ戻ってくるよ」

 ルイは魔獣討伐から戻れなかった。
 彼は最後まで間違え続けたのだ。
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