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第三話 好きにしろ、と言った第一王子
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第一王子の母親は妾妃だ。
元は男爵令嬢で、学園在学中に国王と出会って関係を持った。
国王には隣国の王女である婚約者がいたのだが、第一王子を身籠った彼女は妾妃として王宮に上がり、実家は陞爵されて伯爵となった。伯爵となってなお、妾妃の実家は裕福とは言えない。
妾妃の存在は、隣国の王女が正妃として嫁いで来るまで秘密にされていた。
もちろん隣国が笑って受け入れてくれるはずがない。
一時は正妃との結婚の無効を求められていたし、今も隣国との取り引きは縮小されている。侯爵家と関係の深い大きな商会が海路を開き、それまで交流のなかった海の向こうの帝国との取り引きを始めていなければ、鉱物資源はあっても農業に向かない大地を持つこの王国は食べるものにも困る状況に陥っていただろう。
正妃の産んだ第二王子を王太子に選ばなければ、隣国は完全にこの国との付き合いを打ち切るに違いない。
しかし、第一王子は玉座を諦めるつもりはなかった。
父である国王は母の妾妃と第一王子を溺愛している。海を制した商会と侯爵家の後ろ盾があるのだ。隣国など恐れることはない。はずだった──
「……あの女め」
王宮の執務室で呟く第一王子の脳裏には、婚約者である侯爵令嬢の姿が浮かんでいた。
好きにしろ、と彼女に告げてから何か月が過ぎただろうか。
学園の卒業パーティは数日後に迫っている。
彼は婚約者が嫌いだった。
婚約が決まったとき母親に言われたのだ。彼女は王妃の地位だけが目的なのだと。高位貴族の令嬢はみんなそうだから、学園に入ったら下位貴族の令嬢と真実の愛を育みなさいと。
自分が侯爵家の後ろ盾を必要としていることは棚に上げて、第一王子は地位目当ての侯爵令嬢を嫌悪していた。
それに侯爵令嬢は口うるさかった。
王族として恥ずかしくない行動をしろ、といつも第一王子を責めた。
政略による婚約に過ぎないのに、嫉妬でもしているのか下位貴族の令嬢達を侍らせていることに文句を言うし、公務のやり方についても注意してくる。
(側近や文官が確認した後の書類なのだから、俺は署名するだけで良いではないか。あんなに大量の書類、一々中身まで見ていられるか!)
心の中で叫んで、第一王子は唇を噛んだ。
今、目の前の机に積まれた書類は以前ほどの量はない。
少し前、侍らせていた令嬢のひとりに頼まれて、彼女の兄を側近に取り立てたことがあった。そのとき、令嬢の兄が紛れ込ませた書類に署名してしまったことから、重要な書類は彼に回されなくなったのだ。その兄妹もふたりの実家も今はない。
(婚約者でありながら、俺の補佐を放棄したあの女が悪いのだ!)
第一王子が好きにしろ、と言うまでは、侯爵令嬢は彼の公務を補佐していた。
彼女が補佐をしていたころは、どんなに量があっても問題なく書類を捌けていた。
側近が勝手に書類を紛れ込ませることもなかったのだ。
(なのに……)
第一王子は執務室の窓から庭を見た。
そこには正妃や第二王子とお茶を楽しむ国王の姿がある。
あの失敗から父は変わった。正妃と第二王子を優遇し、妾妃と第一王子を冷遇するようになったのだ。第一王子の前から消えた重要書類の束は、第二王子のもとへ運ばれているらしい。
侯爵令嬢が婚約者である自分の補佐をしなくなったせいだと告げても、父王も侯爵も動いてはくれなかった。
それどころか侯爵令嬢は、好きにしろ、と言った言葉を真に受けて、本当に好きにしている。
彼女は男を侍らせ始めたのだ。婚約者のいる令嬢としてあるまじきことだ、と第一王子は思う。自分が下位貴族の令嬢達を侍らせるのとは違うのだと。
侯爵令嬢の『男』は、侯爵家と関係の深い大きな商会の若き会頭だ。
金色の髪を長く伸ばした緑色の瞳の青年である。
令嬢の兄と同じ年ごろで、第一王子達とはみっつ以上離れているので同時期に三年制の学園に在学していたことはない。だが噂は聞いていた。
曰く、ほっそりした長身は見た目を裏切る強靭さで、剣術の授業で講師として招かれた騎士団長にも負けたことはない。
曰く、試験の成績こそ高位の貴族子女に負けていたけれど、その貴族子女達が試験前に頼るのは彼であった。
曰く、食料品から装身具まで、世界を股にかけてあらゆるものを取り扱っている大商会の会頭である彼の個人資産は王家の財産をも上回っている。
曰く、帝国の皇帝に気に入られていて爵位を与えようと言われたが、ひとつの国に囚われたくないと平民のままでいることを選んだ。
曰く、誘惑してきた裏社会の女王と呼ばれる美女を逆に虜にしてしまった。
「……くそっ!」
思わず口から洩れた怒号を聞いても、第一王子の言いなりだった側近達が離された代わりにつけられた生真面目な文官は、黙々と業務を続けるだけだ。
好きにしろ、と告げる前の侯爵令嬢なら、お茶でも淹れて婚約者の気持ちを落ち着かせようとしてくれていたのに。
今の侯爵令嬢は学園にも登校せず、新婚気分なのか『男』と遊び回っている。
(そちらがその気なら、卒業パーティで婚約を破棄してやるだけだ!)
心の中で第一王子は叫んだ。
侯爵令嬢の有責で婚約を破棄して、侯爵家から多額の慰謝料を取ってやる。
金さえあれば味方は増やせる。侍らせている下位貴族の令嬢達は妾妃か愛妾にして、侯爵令嬢に負けないくらいの高位貴族の令嬢を正妃に迎えれば、未来の国王の座は自分のもののままだと、彼は考えていた。
(なんなら会頭の責任を追及して、あの商会を俺のものにしてしまおう)
第一王子はほくそ笑んだ。
元は男爵令嬢で、学園在学中に国王と出会って関係を持った。
国王には隣国の王女である婚約者がいたのだが、第一王子を身籠った彼女は妾妃として王宮に上がり、実家は陞爵されて伯爵となった。伯爵となってなお、妾妃の実家は裕福とは言えない。
妾妃の存在は、隣国の王女が正妃として嫁いで来るまで秘密にされていた。
もちろん隣国が笑って受け入れてくれるはずがない。
一時は正妃との結婚の無効を求められていたし、今も隣国との取り引きは縮小されている。侯爵家と関係の深い大きな商会が海路を開き、それまで交流のなかった海の向こうの帝国との取り引きを始めていなければ、鉱物資源はあっても農業に向かない大地を持つこの王国は食べるものにも困る状況に陥っていただろう。
正妃の産んだ第二王子を王太子に選ばなければ、隣国は完全にこの国との付き合いを打ち切るに違いない。
しかし、第一王子は玉座を諦めるつもりはなかった。
父である国王は母の妾妃と第一王子を溺愛している。海を制した商会と侯爵家の後ろ盾があるのだ。隣国など恐れることはない。はずだった──
「……あの女め」
王宮の執務室で呟く第一王子の脳裏には、婚約者である侯爵令嬢の姿が浮かんでいた。
好きにしろ、と彼女に告げてから何か月が過ぎただろうか。
学園の卒業パーティは数日後に迫っている。
彼は婚約者が嫌いだった。
婚約が決まったとき母親に言われたのだ。彼女は王妃の地位だけが目的なのだと。高位貴族の令嬢はみんなそうだから、学園に入ったら下位貴族の令嬢と真実の愛を育みなさいと。
自分が侯爵家の後ろ盾を必要としていることは棚に上げて、第一王子は地位目当ての侯爵令嬢を嫌悪していた。
それに侯爵令嬢は口うるさかった。
王族として恥ずかしくない行動をしろ、といつも第一王子を責めた。
政略による婚約に過ぎないのに、嫉妬でもしているのか下位貴族の令嬢達を侍らせていることに文句を言うし、公務のやり方についても注意してくる。
(側近や文官が確認した後の書類なのだから、俺は署名するだけで良いではないか。あんなに大量の書類、一々中身まで見ていられるか!)
心の中で叫んで、第一王子は唇を噛んだ。
今、目の前の机に積まれた書類は以前ほどの量はない。
少し前、侍らせていた令嬢のひとりに頼まれて、彼女の兄を側近に取り立てたことがあった。そのとき、令嬢の兄が紛れ込ませた書類に署名してしまったことから、重要な書類は彼に回されなくなったのだ。その兄妹もふたりの実家も今はない。
(婚約者でありながら、俺の補佐を放棄したあの女が悪いのだ!)
第一王子が好きにしろ、と言うまでは、侯爵令嬢は彼の公務を補佐していた。
彼女が補佐をしていたころは、どんなに量があっても問題なく書類を捌けていた。
側近が勝手に書類を紛れ込ませることもなかったのだ。
(なのに……)
第一王子は執務室の窓から庭を見た。
そこには正妃や第二王子とお茶を楽しむ国王の姿がある。
あの失敗から父は変わった。正妃と第二王子を優遇し、妾妃と第一王子を冷遇するようになったのだ。第一王子の前から消えた重要書類の束は、第二王子のもとへ運ばれているらしい。
侯爵令嬢が婚約者である自分の補佐をしなくなったせいだと告げても、父王も侯爵も動いてはくれなかった。
それどころか侯爵令嬢は、好きにしろ、と言った言葉を真に受けて、本当に好きにしている。
彼女は男を侍らせ始めたのだ。婚約者のいる令嬢としてあるまじきことだ、と第一王子は思う。自分が下位貴族の令嬢達を侍らせるのとは違うのだと。
侯爵令嬢の『男』は、侯爵家と関係の深い大きな商会の若き会頭だ。
金色の髪を長く伸ばした緑色の瞳の青年である。
令嬢の兄と同じ年ごろで、第一王子達とはみっつ以上離れているので同時期に三年制の学園に在学していたことはない。だが噂は聞いていた。
曰く、ほっそりした長身は見た目を裏切る強靭さで、剣術の授業で講師として招かれた騎士団長にも負けたことはない。
曰く、試験の成績こそ高位の貴族子女に負けていたけれど、その貴族子女達が試験前に頼るのは彼であった。
曰く、食料品から装身具まで、世界を股にかけてあらゆるものを取り扱っている大商会の会頭である彼の個人資産は王家の財産をも上回っている。
曰く、帝国の皇帝に気に入られていて爵位を与えようと言われたが、ひとつの国に囚われたくないと平民のままでいることを選んだ。
曰く、誘惑してきた裏社会の女王と呼ばれる美女を逆に虜にしてしまった。
「……くそっ!」
思わず口から洩れた怒号を聞いても、第一王子の言いなりだった側近達が離された代わりにつけられた生真面目な文官は、黙々と業務を続けるだけだ。
好きにしろ、と告げる前の侯爵令嬢なら、お茶でも淹れて婚約者の気持ちを落ち着かせようとしてくれていたのに。
今の侯爵令嬢は学園にも登校せず、新婚気分なのか『男』と遊び回っている。
(そちらがその気なら、卒業パーティで婚約を破棄してやるだけだ!)
心の中で第一王子は叫んだ。
侯爵令嬢の有責で婚約を破棄して、侯爵家から多額の慰謝料を取ってやる。
金さえあれば味方は増やせる。侍らせている下位貴族の令嬢達は妾妃か愛妾にして、侯爵令嬢に負けないくらいの高位貴族の令嬢を正妃に迎えれば、未来の国王の座は自分のもののままだと、彼は考えていた。
(なんなら会頭の責任を追及して、あの商会を俺のものにしてしまおう)
第一王子はほくそ笑んだ。
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