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第一章 狐とウサギのラブゲーム?
1・プロローグ①
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カコーン──
秋晴れの澄んだ青空に、ししおどしの音が響く。
開けられた襖の向こうには、整えられた日本庭園が広がっている。
わたしは極平凡な(つもりの)女子大生なので、商業区の一等地とはいえこんな田舎都市に、テレビや映画に出てきそうなほど豪華な料亭が実在しているとは知らなかった。
成人式で振袖を買っておいて良かったわ。
慣れない正座は辛いけど。
「……璃々さんは、あの凛星女学院で中等部のころから優秀な成績で男の子にも人気があって……」
向かいに座ったスーツ姿のお見合い相手を覗き見ようとしたわたしは、仲人さんの過剰な持ち上げに首を縮めた。
……盛り過ぎもいいところ。
わたし、兎々村璃々は全然優秀な成績なんかじゃない。
勉強も運動も趣味も、なにひとつ秀でたものはなかった。
おまけに今は人に説明できない理由で休学中だ。
そもそも自力で受験して入学したのなら、中での成績がイマイチでも頑張っているといえるけれど、わたしの場合それも違う。……本当に、あれはなんなんだろ。
いきなり凛星女学院から誘いが来たのは、小学校六年生のときだったっけ。
──百年以上続く名門女子高で、名家の令嬢が集まる凛星女学院は、古式ゆかしいお嬢さま教育をおこなうことで有名だ。
しかし今はグローバル化の時代。
過去のやり方を継続していくだけでは時代に取り残されてしまう。
新しい視点べつの角度から、現状を見直すことが必要とされている。
とのことで、一般庶民であるわたしに白羽の矢が立った、とされているのだが、どうも疑わしい。
授業料や学校でかかる経費は無料、月に一度届くアンケートに答える以外の義務はなかった
とてつもなく恵まれていることに感謝はしているけれど、あまりにも座りが悪い。
だってねえ、目の前のことしか見えない一般庶民のわたしなんかより、ものごころついたときから世界を見ているお嬢さま方のほうがよっぽどグローバルだって。
理事長の娘の美妃ちゃんに聞いても、パパの気まぐれじゃないかしら、うふふ、といつもの笑顔で笑うだけだ。
……ああ、美妃ちゃん。
美妃ちゃんが九月に留学して、早三か月。
まさか別れて一カ月もしない内に、自分が休学することになるとは思わなかったよ。
「……信吾さんのお父さまは、あの有名な陶芸家の……」
仲人さんの褒め殺しの標的が変わったことに安堵しながら、わたしは恐る恐る顔を上げた。
見事な彫刻を施された大きな黒光りする机の向こうに座っている、お見合い相手に視線を向ける。
──狐塚信吾、さん。
髪の毛は淡い栗色。
外からの光を浴びて、キラキラと輝いている。
染めてるんじゃなくて地毛らしい。
今日は来ていないけれど、お母さまが外国の方なのだ。
肌は白い。たぶんわたしより白い。
顔立ちは純和風で彫りは深くないものの、とても整っている。
なのに不思議と色の薄い髪とも似合っているのよね。
出会ってからずっと優しげで──感情の読めない笑顔をしている。
細い目で浮かべるその笑みに、わたしはどこか懐かしいものを感じていた。
どこかのお寺で見た仏像と重ねているのかな。
アルカイックスマイルとかいうものね。
仲人さんの言葉を聞き流していても、お母さんが教えてくれた情報や釣り書きに書かれていたことを見て彼のことは知っている。
年齢はわたしと同じ二十歳の大学生。
さっき仲人さんが言ってた通り、お父さんは世界的に有名な陶芸家。
お母さんは外国の方で専業主婦と言っていたけれど、たぶんお父さんのマネージャーのようなことをしているのではないかしら。
むっつ年下、中学生の妹さんがひとり。
ご本人は小学校のころから株式投資を始め、今はそのとき稼いだ資金を元にいくつかの会社を経営している。大学生企業家なのだ。
どうしてそんな人が休学といえば聞こえはいいものの、実際はただの引き籠りニートの女子大生にお見合いを申し込んできたんだろう。
先祖がした約束、とか?
それともあの頭の上の──
「……では後はお若い方たちだけで……」
えっ?
狐塚さんの頭上に向かいかけていたわたしの目は、爆弾発言を放った仲人さんへと移動した。
そりゃドラマや小説で定番のセリフだけど!
隣に座ったお母さんを窺う。
狐塚さんと違って、うちは一緒に来てくれていたのだ。
ええ、わたしが親離れできていないだけです。
最初の挨拶以外、自分ではひと言もしゃべれてないしね。
留袖姿のお母さんは仲人さんや狐塚さんに見えないよう、机の下で親指を立てる。
……そうだよね。この縁談まとまったほうがいいよね。
今のわたしは役立たずの金食い虫だ。
凛星女学院に誘われたおかげで学費が浮いたから、しばらく脛を齧ってもいいわよと言ってくれたけど、一般庶民の我が家だ。すぐ限界が来るだろう。
わたしは狐塚さんの顔へ視線を戻した。
正直なところ、好みではない。
顔立ちが、というよりも、自分がさほどアクティブでない反動で、もっと元気そうな人のほうに惹かれるのだ。まあ、芸能人限定だけどね。
実際に元気な人に迫られたら怯えて逃げると思う。
周りに元気を与える人は、周りから元気を奪ってもいるというしね。
そう、だけど、好みでなくても狐塚さんには引きつけられるものがあった。
彼の笑顔が見たいのだ。
今浮かべている感情の見えない仮面のような笑みではなくて、彼はきっと、もっと──
「璃々さん、少し庭を歩きましょう」
「ひあっ?」
せっかく手を差し伸べてくれたのに、妙な声を上げてしまった。
ででででもでもでも。
わたしは、彼の手を取って体を起こした。
「あああありがとうございます、狐塚さん」
「信吾でいいですよ、璃々さん」
「はははあ、し、信吾さん」
凛星女学院中等部から八年に及ぶ女子校生活で、同じ年ごろの男性と接した経験はまるでない。
わたしは生まれたての小鹿のようなへっぴり腰で、彼と一緒に庭園へと降りた。
水と緑の香りが鼻をくすぐる。
「秋の風が気持ちいいですね、璃々さん」
「気持ちいいです」
信吾さ……ぶほあっ! 心の中でまで名前で呼ぶのは無理、インポッシブル!
狐塚さんに手を取られ、わたしは庭園を歩き出した。
それにしても──
「僕の頭の上になにかあるんですか、璃々さん」
「あ、いえ、綺麗な髪だと思って」
「ありがとうございます、璃々さん」
一々名前を呼ばないでほしいな、心臓に悪い。
好みではないと言ったものの、彼の声は好きだった。
柔らかくて澄んでいて、ほんのりと甘い。
思いながらも、視線はまた狐塚さんの頭上に引きつけられている。
そこにある、いるのは休学の理由。
小学校のころから見えていたけれど、凛星女学院に通い出して美妃ちゃんと一緒にいたときには見えていなかったもの。
……黒い影。
たぶん人の悪意とか呪いとか、悪霊とか怨霊とか呼ばれるものなのだと思う。
黒い影に覆われたり近くに浮かばれたりしている人はいつも苦しんでいて、わたしは手を伸ばさずにはいられなかった。
なぜだか、わたしが触ると影は減るのだ。たぶん吸い込んでいるんだと思う。
元の持ち主を苦しめるようなものを吸い込んで、無事でいられるはずはなかった。
原因不明の発熱や吐血、全身を襲う激痛──それが休学の原因。
引き籠りの理由は、これ以上黒い影と接するのが怖いから。
それにしても狐塚さんの頭上の黒い影は大きい。
こんなに大きいの見たことない。
わたしが触れるより早く電車に飛び込んで亡くなってしまった人の影だって、ここまで大きくはなかった。……ああ、思い出しちゃった。
ああいうのがイヤだから、自分が痛い目を見るってわかってても触りに行っちゃうのよね。向こうには見えてないから、怪訝そうな顔されるだけなのに。
大きい上に、狐塚さんの影には立体感があった。
もわもわしてるだけじゃなくて形がくっきりしてるのだ。
なんか……影じゃないけど似たようななにかを、どこかで……あ、尻尾みたいなのが動いた。
あれれ、顔みたいなのがこっち向いた。
三角耳で狐みたい、可愛い。
そういえば陶芸家のお父さんのことをネットで調べていたら、なんだか妙な話があったっけ。
誹謗中傷のたぐいだと思って気にしなかったけど、狐塚家は──
「……璃々さん」
「は、はい!」
ふと振り向いて、狐塚さんが言う。
「僕があなたにお見合いを申し込んだこと、不思議に思っていらっしゃるでしょう?」
「え、ええ。わたしは……美人じゃないですし、成績だって全然優秀じゃない。男の子にモテたどころか満足にしゃべったこともないんです」
小学校のころはしょっちゅう体調を崩して学校を休んでいたし、凛星女学院に通い始めてからも友好関係にある男子校との共同文化祭や他校の生徒と出会いそうな修学旅行のときは、間違いなく黒い影が見えて寝込んでいた。
丈に合わないお嬢さま学校暮らしで心の支えだった親友の美妃ちゃんが、理事長の娘として忙しくなって一緒にいられなくなるせいだったんだろうな。
心配させたくないから言ってないけど、今も美妃ちゃんが留学した途端黒い影が見え始めて発熱吐血休学だよ、とほほ。
……どんなに周りから迷惑がられても人込みをかき分けて、あの人が電車に飛び込むより早く、首に巻きついた黒い影に触れば良かった。それで寝込んだのなら、まだマシだったのに。
「それは重畳。僕はほかの男の手垢のついたような女性はゴメンなんですよ、璃々さん」
ちょ、頂上? ううん、たぶん違うわよね。
狐塚さんがさらっと放った極悪な発言は聞き流した。
凛星女学院はお嬢さま学校だから、そういう目線で見てくる男がいることは知っている。口に出さなくても男性はみんな女性に夢を見ているものよ、って美妃ちゃんも言ってたし。
だけど次の言葉は聞き流せなかった。
「僕がお見合いを申し込んだのは、あなたが妹と同じ名前だったからなんですよ」
「はあ……?」
「璃々って僕の妹と同じ名前なんです。妹は梨に里だから漢字が違いますけど」
「……はあ」
「僕、シスコンなんです」
「はあ?」
彼の頭上の黒い影、もう狐にしか見えないそれが憐れむような視線を寄こす。
狐塚家は、狐憑きの家系と言われているのだ。
だからだろうか。
頭上に黒い影を浮かべている狐塚さんは元気そうで、むしろ影の狐のほうが疲れた顔をして見えるのは。
秋晴れの澄んだ青空に、ししおどしの音が響く。
開けられた襖の向こうには、整えられた日本庭園が広がっている。
わたしは極平凡な(つもりの)女子大生なので、商業区の一等地とはいえこんな田舎都市に、テレビや映画に出てきそうなほど豪華な料亭が実在しているとは知らなかった。
成人式で振袖を買っておいて良かったわ。
慣れない正座は辛いけど。
「……璃々さんは、あの凛星女学院で中等部のころから優秀な成績で男の子にも人気があって……」
向かいに座ったスーツ姿のお見合い相手を覗き見ようとしたわたしは、仲人さんの過剰な持ち上げに首を縮めた。
……盛り過ぎもいいところ。
わたし、兎々村璃々は全然優秀な成績なんかじゃない。
勉強も運動も趣味も、なにひとつ秀でたものはなかった。
おまけに今は人に説明できない理由で休学中だ。
そもそも自力で受験して入学したのなら、中での成績がイマイチでも頑張っているといえるけれど、わたしの場合それも違う。……本当に、あれはなんなんだろ。
いきなり凛星女学院から誘いが来たのは、小学校六年生のときだったっけ。
──百年以上続く名門女子高で、名家の令嬢が集まる凛星女学院は、古式ゆかしいお嬢さま教育をおこなうことで有名だ。
しかし今はグローバル化の時代。
過去のやり方を継続していくだけでは時代に取り残されてしまう。
新しい視点べつの角度から、現状を見直すことが必要とされている。
とのことで、一般庶民であるわたしに白羽の矢が立った、とされているのだが、どうも疑わしい。
授業料や学校でかかる経費は無料、月に一度届くアンケートに答える以外の義務はなかった
とてつもなく恵まれていることに感謝はしているけれど、あまりにも座りが悪い。
だってねえ、目の前のことしか見えない一般庶民のわたしなんかより、ものごころついたときから世界を見ているお嬢さま方のほうがよっぽどグローバルだって。
理事長の娘の美妃ちゃんに聞いても、パパの気まぐれじゃないかしら、うふふ、といつもの笑顔で笑うだけだ。
……ああ、美妃ちゃん。
美妃ちゃんが九月に留学して、早三か月。
まさか別れて一カ月もしない内に、自分が休学することになるとは思わなかったよ。
「……信吾さんのお父さまは、あの有名な陶芸家の……」
仲人さんの褒め殺しの標的が変わったことに安堵しながら、わたしは恐る恐る顔を上げた。
見事な彫刻を施された大きな黒光りする机の向こうに座っている、お見合い相手に視線を向ける。
──狐塚信吾、さん。
髪の毛は淡い栗色。
外からの光を浴びて、キラキラと輝いている。
染めてるんじゃなくて地毛らしい。
今日は来ていないけれど、お母さまが外国の方なのだ。
肌は白い。たぶんわたしより白い。
顔立ちは純和風で彫りは深くないものの、とても整っている。
なのに不思議と色の薄い髪とも似合っているのよね。
出会ってからずっと優しげで──感情の読めない笑顔をしている。
細い目で浮かべるその笑みに、わたしはどこか懐かしいものを感じていた。
どこかのお寺で見た仏像と重ねているのかな。
アルカイックスマイルとかいうものね。
仲人さんの言葉を聞き流していても、お母さんが教えてくれた情報や釣り書きに書かれていたことを見て彼のことは知っている。
年齢はわたしと同じ二十歳の大学生。
さっき仲人さんが言ってた通り、お父さんは世界的に有名な陶芸家。
お母さんは外国の方で専業主婦と言っていたけれど、たぶんお父さんのマネージャーのようなことをしているのではないかしら。
むっつ年下、中学生の妹さんがひとり。
ご本人は小学校のころから株式投資を始め、今はそのとき稼いだ資金を元にいくつかの会社を経営している。大学生企業家なのだ。
どうしてそんな人が休学といえば聞こえはいいものの、実際はただの引き籠りニートの女子大生にお見合いを申し込んできたんだろう。
先祖がした約束、とか?
それともあの頭の上の──
「……では後はお若い方たちだけで……」
えっ?
狐塚さんの頭上に向かいかけていたわたしの目は、爆弾発言を放った仲人さんへと移動した。
そりゃドラマや小説で定番のセリフだけど!
隣に座ったお母さんを窺う。
狐塚さんと違って、うちは一緒に来てくれていたのだ。
ええ、わたしが親離れできていないだけです。
最初の挨拶以外、自分ではひと言もしゃべれてないしね。
留袖姿のお母さんは仲人さんや狐塚さんに見えないよう、机の下で親指を立てる。
……そうだよね。この縁談まとまったほうがいいよね。
今のわたしは役立たずの金食い虫だ。
凛星女学院に誘われたおかげで学費が浮いたから、しばらく脛を齧ってもいいわよと言ってくれたけど、一般庶民の我が家だ。すぐ限界が来るだろう。
わたしは狐塚さんの顔へ視線を戻した。
正直なところ、好みではない。
顔立ちが、というよりも、自分がさほどアクティブでない反動で、もっと元気そうな人のほうに惹かれるのだ。まあ、芸能人限定だけどね。
実際に元気な人に迫られたら怯えて逃げると思う。
周りに元気を与える人は、周りから元気を奪ってもいるというしね。
そう、だけど、好みでなくても狐塚さんには引きつけられるものがあった。
彼の笑顔が見たいのだ。
今浮かべている感情の見えない仮面のような笑みではなくて、彼はきっと、もっと──
「璃々さん、少し庭を歩きましょう」
「ひあっ?」
せっかく手を差し伸べてくれたのに、妙な声を上げてしまった。
ででででもでもでも。
わたしは、彼の手を取って体を起こした。
「あああありがとうございます、狐塚さん」
「信吾でいいですよ、璃々さん」
「はははあ、し、信吾さん」
凛星女学院中等部から八年に及ぶ女子校生活で、同じ年ごろの男性と接した経験はまるでない。
わたしは生まれたての小鹿のようなへっぴり腰で、彼と一緒に庭園へと降りた。
水と緑の香りが鼻をくすぐる。
「秋の風が気持ちいいですね、璃々さん」
「気持ちいいです」
信吾さ……ぶほあっ! 心の中でまで名前で呼ぶのは無理、インポッシブル!
狐塚さんに手を取られ、わたしは庭園を歩き出した。
それにしても──
「僕の頭の上になにかあるんですか、璃々さん」
「あ、いえ、綺麗な髪だと思って」
「ありがとうございます、璃々さん」
一々名前を呼ばないでほしいな、心臓に悪い。
好みではないと言ったものの、彼の声は好きだった。
柔らかくて澄んでいて、ほんのりと甘い。
思いながらも、視線はまた狐塚さんの頭上に引きつけられている。
そこにある、いるのは休学の理由。
小学校のころから見えていたけれど、凛星女学院に通い出して美妃ちゃんと一緒にいたときには見えていなかったもの。
……黒い影。
たぶん人の悪意とか呪いとか、悪霊とか怨霊とか呼ばれるものなのだと思う。
黒い影に覆われたり近くに浮かばれたりしている人はいつも苦しんでいて、わたしは手を伸ばさずにはいられなかった。
なぜだか、わたしが触ると影は減るのだ。たぶん吸い込んでいるんだと思う。
元の持ち主を苦しめるようなものを吸い込んで、無事でいられるはずはなかった。
原因不明の発熱や吐血、全身を襲う激痛──それが休学の原因。
引き籠りの理由は、これ以上黒い影と接するのが怖いから。
それにしても狐塚さんの頭上の黒い影は大きい。
こんなに大きいの見たことない。
わたしが触れるより早く電車に飛び込んで亡くなってしまった人の影だって、ここまで大きくはなかった。……ああ、思い出しちゃった。
ああいうのがイヤだから、自分が痛い目を見るってわかってても触りに行っちゃうのよね。向こうには見えてないから、怪訝そうな顔されるだけなのに。
大きい上に、狐塚さんの影には立体感があった。
もわもわしてるだけじゃなくて形がくっきりしてるのだ。
なんか……影じゃないけど似たようななにかを、どこかで……あ、尻尾みたいなのが動いた。
あれれ、顔みたいなのがこっち向いた。
三角耳で狐みたい、可愛い。
そういえば陶芸家のお父さんのことをネットで調べていたら、なんだか妙な話があったっけ。
誹謗中傷のたぐいだと思って気にしなかったけど、狐塚家は──
「……璃々さん」
「は、はい!」
ふと振り向いて、狐塚さんが言う。
「僕があなたにお見合いを申し込んだこと、不思議に思っていらっしゃるでしょう?」
「え、ええ。わたしは……美人じゃないですし、成績だって全然優秀じゃない。男の子にモテたどころか満足にしゃべったこともないんです」
小学校のころはしょっちゅう体調を崩して学校を休んでいたし、凛星女学院に通い始めてからも友好関係にある男子校との共同文化祭や他校の生徒と出会いそうな修学旅行のときは、間違いなく黒い影が見えて寝込んでいた。
丈に合わないお嬢さま学校暮らしで心の支えだった親友の美妃ちゃんが、理事長の娘として忙しくなって一緒にいられなくなるせいだったんだろうな。
心配させたくないから言ってないけど、今も美妃ちゃんが留学した途端黒い影が見え始めて発熱吐血休学だよ、とほほ。
……どんなに周りから迷惑がられても人込みをかき分けて、あの人が電車に飛び込むより早く、首に巻きついた黒い影に触れば良かった。それで寝込んだのなら、まだマシだったのに。
「それは重畳。僕はほかの男の手垢のついたような女性はゴメンなんですよ、璃々さん」
ちょ、頂上? ううん、たぶん違うわよね。
狐塚さんがさらっと放った極悪な発言は聞き流した。
凛星女学院はお嬢さま学校だから、そういう目線で見てくる男がいることは知っている。口に出さなくても男性はみんな女性に夢を見ているものよ、って美妃ちゃんも言ってたし。
だけど次の言葉は聞き流せなかった。
「僕がお見合いを申し込んだのは、あなたが妹と同じ名前だったからなんですよ」
「はあ……?」
「璃々って僕の妹と同じ名前なんです。妹は梨に里だから漢字が違いますけど」
「……はあ」
「僕、シスコンなんです」
「はあ?」
彼の頭上の黒い影、もう狐にしか見えないそれが憐れむような視線を寄こす。
狐塚家は、狐憑きの家系と言われているのだ。
だからだろうか。
頭上に黒い影を浮かべている狐塚さんは元気そうで、むしろ影の狐のほうが疲れた顔をして見えるのは。
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