お見合い相手が改心しない!

豆狸

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第二章 狸の住処は戌屋敷!

24・クリスマスイブイブ②

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 今回は空き店舗を利用した臨時のイベント会場ではなく、ビルの地下にあるライブハウスでおこなわれた。
 この前は握手会とグッズ販売だけだったので、わたしにとって初めてのOEK(大干支小町娘)ライブになる。

「……璃々サン、璃々サン?」
「璃々?」

 マリーさんと、会場で合流した美妃ちゃんに話しかけられて、わたしは我に返った。
 今も心臓がドキドキしている。
 柄にもなく、ぴょんぴょん飛び跳ねてしまう。
 人があふれた通路では、わたしと同じように興奮冷めやらずといったファンたちが会話に興じていた。
 これからの握手会と撮影会を待っているのだ。
 すでにスタッフの一部がそのためのコーナーを作り始めていた。
 みんな手に手に推しのためのクリスマスプレゼントを持っている。
 わたしもバッグの中に戌井ちゃんへのプレゼントを入れて来ていた。

「い、戌井ちゃんて戌井ちゃんて、ううん、大干支小町娘ってすごいですねー!」
「デショー?」
「生で見ると感動もひとしおよね? その感動を胸に、璃々もファンミに参加しない? みんなで熱く語りましょうよ」

 美妃ちゃんの肩に手を置き、マリーさんが首を横に振る。

「美妃サン、我が家のお兄チャンに罪を犯させないでクダサイ」
「……この後デートでしたね」

 なにか言いたげな素振りを見せる美妃ちゃんだったが、思った言葉は飲み込んだようだ。
 母親であるマリーさんの前で信吾さんを悪くは言えない。
 美妃ちゃんは『わん担マリーさん』を尊敬しているみたいだし。
 まあ『ヤンデレストーカー』であるという事実に関しては、狐塚家のみなさんも頷いてくれそうな気がするが。
 しばらく会える予定がないので、美妃ちゃんにはもうクリスマスプレゼントを手渡している。電子レンジで温めて使えるアイピローだ。
 熟睡したほうが、白蛇さまからのお告げを授かりやすいかと思ったので。
 残念ながら、例の秘伝書の解読は終わっていない。何年もかかるレベルな気もする。

「また今度誘ってね。でも本当に感動しました」

 今日はデパートのときとは違い、だれかに視界を覆ってもらわなくても平気だった。
 握手会のときのようにグッズを並べた売店に立つスタッフの中には黒い影と霧の中間のようなものに覆われている人もいたものの、OEKやファンにはいない。
 ライブ前は多少ファンの間に浮かんでいたのも消えているし、スタッフの人たちの分も前より薄れている気がした。
 好きだという気持ちの力だ。

「後は戌井チャンのストーカーの件が解決してくれればいいのデスガー」

 マリーさんが溜息をつく。
 わたしは美妃ちゃんに視線を送ったが、首を横に振られてしまった。
 白蛇さまのお告げはもらえなかったらしい。
 たぶん神さまにも得意分野があるのだ。
 蛇沼家の白蛇さまはきっと、凛星女学院専門の女神さまなのだろう。
 グッズ販売にも関わるものだから黒い狐さんにならわかりそうな気もするけれど、信吾さんは最近狐さんの声が聞こえなくなったと言っていたし、わたしは見えても聞こえない。
 不思議な力があっても、なかなか難しいものだ。
 とか言ってたら信吾さんに、なんでも首を突っ込みたがるのは女神化している証拠だとか言われてしまいそう。

「マリーさぁん!」

 そのとき人込みを縫って、ひとりの青年が近寄ってきた。
 見覚えのある顔、聞き覚えのある声。
 兎々村家の配達を担当している宅配屋さんの青年、狸穴さんだ。

「あら、マミーサン」
「いいライブでしたねえ。戌井ちゃんの新しいソロもあったし。俺しばらく寝込んでたんスけど、滅茶苦茶元気もらったッス。美妃さんと……狐塚社長の婚約者さんもいらっしゃったんスね」
「こんにちは、お体はお元気ですか?」
「元気元気ッス!」

 わたしと信吾さんの関係については、病院へ向かう車の中で説明していた。
 病床の自分の元に社長が婚約者を連れてくるなんて、どうにも理解できない事柄に違いない。だが信吾さんに雇われているだけあって素直に状況を受け入れてくれたようだ。
 うん、それが一番だと思うよ。
 ……世の中には知らなくてもいいことがある。
 それはそうと、狸穴さんだから『マミー』なのかしら。
 配達に来てくれていたときは単に元気そうな青年とだけ思っていたのだけれど、プライベートの姿はなんだかチャラいというかファンキーというか……うん、まあ個人の自由だよね。
 動物病院へ運んだ傷ついていた猫の飼い主も自力で見つけたみたいだし、口調は軽くても責任感のある人なんだろう。

「マミーさんもファンミに……」
「美妃さん?」
「ああいえ、ファンミに来るのよね?」
「もちろんッス。マリーさん、戌井ちゃんの新しいソロの振り付け覚えられました?」
「ワタシお年ごろだから、途中までしか追えマセンデシター」

 マリーさんと狸穴さんが会話を始めると、美妃ちゃんはさりげなくわたしの隣に寄ってきた。
 小声で尋ねてくる。

「……璃々。この前デパートで会ったのは、死人のクレジットカードを盗んだ、あなたのご近所さんだったのよね?」
「うん。わたしに正体を気づかれて、サングラスやマスクで変装していたことを怪しまれたと思ったらしくて、信吾さんと彼女の家に行ったときは……」

 殺意を向けられて心臓が止まった、ことまでは美妃ちゃんには打ち明けていない。
 無事助かったのだから、わざわざ心配させる必要はないだろう。

「その人は捕まったのよね?」

 美妃ちゃんの質問に首肯する。
 どんな伝手があるのか、報道される前に信吾さんが教えてくれたし、ニュースなどでも見た。ニュースで映された写真の黒い影に覆われていない夫成さんの顔は、上品そうな老婦人にしか見えなかった。
 その顔でわたしや信吾さんに怒号を飛ばしていたのかと思うと、余計に怖かった。
 昨日は板止さんがお母さんに教えに来てくれたっけ。
 前からよく家に遊びに来ていたようだけど、引き籠りニート女子大生のわたしはお客が来ているときは自室から出なかったので知らなかったのだ。

 ……板止さん。
 最近近所にガタイのいい人間や目つきの悪い外国人がうろつき回っていることを心配してたな。
 すみません。それ、わたしの婚約者が雇ってるセキュリティ会社の社員です。
 そして信吾さん、ついに外国の傭兵会社買収したのね。
 夫成さんが捕まったから、そういう人たちは少なくなると思う。なるといいなあ。
 ご近所さんがお亡くなりになったり捕まったりしたことへの悲しみや怪しい人間の徘徊への不安からか、板止さんはこの前会ったときよりも濃い霧を漂わせていた。
 肩を揉むという口実で近寄ったら、前と同じように触る前に消えてくれた。
 そのことは信吾さんには内緒だ。
 体調不良にならなかったので問題はないと思う。

「だったらいいのだけれど……なんだかね、あなたのことをすごい目で睨んでる人がいるの。そのクレカ泥棒が野放しになってるんだとしたら逆恨みしてるのかと思うところなのだけど。ヤンデ……婚約者の狐塚さんも迎えに来るし、大丈夫かしら?」
「たくさん人もいるし……どの人?」
「あの……」

 美妃ちゃんの視線を辿って、わたしは固まった。
 黒い影や霧に覆われた人がほとんどいなかったはずの空間に、その人はいた。
 男か女かもわたしにはわからない。
 デパートで会ったときの夫成さんと同じように、全身が黒い影の鎖で覆われていたからだ。顔も覆われて仮面のようになっている。
 背中にはベトベトと滴り落ちる泥でできたような翼。
 鎖から無数の棘が飛び出している。
 だけどそんなことがあるはずなかった。

 ──夫成さんは捕まった。

 テレビなどのニュースだけなら誤報も有り得るが、信吾さんがわたしにウソを言うとは思えない。いや、ウソを言うとしてもこういうことでは言わない。
 黒い影の鎖でできた仮面で覆われた顔から、憎悪を含んだ視線が向けられているのがわかる。

「……璃々?」
「璃々サン?」
「狐塚社長の婚約者さん、体調でも悪いんですか? ライブの熱気や人込みに当てられたんじゃないッス? 俺、救護室まで運びましょうか?」

 怯えるわたしに気づいた狸穴さんが近寄ってきた瞬間、いるはずのない人物を覆う黒い影の鎖から棘が放たれた。

 ……イヤだ!

 ここには信吾さんも黒い狐さんもいない。
 心臓が止まったら死んでしまう。
 わたしには幽霊や女神になってまでこの世に留まる根性はない。
 ないけれど、せめて本当の恋人同士になれるまで、信吾さんから離れたくはなかった。
 彼が好きなのだ。……あのヤンデレストーカーのどこが好きなのかは、自分でもよくわからないけれど。優しい? うん、たぶんわたしには優しい。

「きゃああぁぁぁ!」

 叫び声が耳朶を打つ。
 わたしのものではない。
 美妃ちゃん、マリーさん、狸穴さん、わたしの近くにいる人のものでもない。
 その叫び声は黒い影の鎖に覆われていた人物のほうから聞こえてきた。

「だれか倒れたぞ!」
「この女、刃物を持ってるぞ」

 叫び声のした辺りから、ほかの人間の声もする。
 視界から黒い影の鎖に覆われた人物の姿が消えていた。
 倒れたのは黒い影に覆われていた人物だったようだ。
 叫び声を上げたのも本人ではないらしい。
 それがいいことなのか悪いことなのか、今のところわたしにはわからなかった。
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