お見合い相手が改心しない!

豆狸

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第二章 狸の住処は戌屋敷!

2・女子会は狐禁制②

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 トイレには、鏡と椅子が設置されたお化粧コーナーがあった。
 わたしと美妃ちゃんがどんなに過保護でも、個室の中まで戌井ちゃんを追うことはできない。
 というわけで、わたしたちはお化粧コーナーの椅子に座って待つことにした。
 もちろんだれかが来たら席を譲るつもり。
 でもここは隣に男子トイレがなく、その分のスペースも使用しているらしくて広いので、少々人数が増えても大丈夫だと思う。

「行ってきます」
「「いってらっしゃい」」

 照れくさそうに個室へ向かう戌井ちゃんを、ふたりで見送った。
 わたしたちの過保護には理由がある。
 実は戌井ちゃん、今ストーカーに狙われているのだ。
 知っていれば会う場所を考えたのだが、彼女は遠慮して教えてくれていなかった。
 フードコートで落ち着く前、わたしたちはファッションや小物のコーナー(最近は無人の売り場が増えたので、妙なものが見えるわたしとしてはとても有り難い。もっとも泥棒が来ないか心配でもある)を回った。
 久しぶりに歩いて、疲れたけど楽しかったな。
 信吾さんと出かけるときは大体車だし。
 それはともかくそのときに、周囲を気にする戌井ちゃんに気づいて問い詰めたのである。
 いくらこの市の地元アイドルユニットOEKのメンバーだといっても過剰過ぎた。

「……はあ」

 美妃ちゃんが溜息を漏らす。
 わざと軽く言って同行したけれど、実際は心の底から戌井ちゃんを心配しているのだ。
 アイドルがストーカーに追われるのは珍しいことではないのかもしれないが、被害者が友達となれば聞き流すことはできなかった。
 友達……戌井ちゃんのこと、友達って思っていいのかなあ?
 良くないものに寄って来られて体調不良になるせいで、幼いころの戌井ちゃんは病弱だと思われていた。
 わたしも同じだったので、彼女には勝手にシンパシーを感じている。
 もちろん、引き籠りニート女子大生のわたしが、アイドルとしてファンに元気を与えている戌井ちゃんと同等などというつもりはない。
 それでも同じ苦しみを味わったものとして、友達になれたら嬉しいと思っている。
 友達になれなくても、わたしの力が役に立つのなら協力したい。

「ねえ璃々」
「なぁに?」
「この後、あのヤンデレストーカーが迎えに来るって言ってたわよね?」
「……うん」

 『ヤンデレストーカー』とは、わたしのお見合い相手で今は婚約者の信吾さんのことだ。
 事実なので否定はしなかった。
 いくつもの会社を経営する大学生企業家の彼は、仕事や学校でどんなに忙しくてもわたしに会う機会を逃がしはしない。
 今日も美妃ちゃんたちと出かけることを教えたら、終わり次第迎えに行くと言われている。
 一応メールで知らせるつもりだけれど、たぶん連絡しなくても迎えに来るだろうな。
 信吾さんも美妃ちゃんと同じで、自分……というか頭上に浮かんだ黒い狐さんの力を完璧に制御している気がする。

「だったら、その……黒い影を吸収しても大丈夫なのよね?」
「う、うん」

 黒い影の大きさや強さによっては、ある程度のダメージは残る。
 でも美妃ちゃんの役に立てるのなら、そんなことを気にしてはいられない。
 信吾さんに知られたら『お人好しの善人』とバカにされてしまうかもしれないけれど、わたしは『鈍くさいバカ』だから、だれかのためにできることがあるのならしたいのだ。
 引き籠りニート女子大生としては、ほかに活躍の場所がない。
 なんだかんだいって美妃ちゃんはお世話になってきたしね。
 美妃ちゃんは、わたしの耳に顔を寄せた。
 個室のほうを気にしながら小声で話してくれる。

「……実はね、私たちの前にトイレに入っていった人間を見たの。黒いサングラスをかけてマスクをして、マスタード色のカーディガンを着た女性よ」
「……そういえば、戌井ちゃん以外にも使用中の個室があったわね」

 わたしも声を潜めながら、その問題の個室の扉を見た。
 ドアノブの下の窓は使用中を告げる赤い色だ。
 わたしはその女性を見ていない。
 さほど悪意が強くない黒い霧くらいなら無視できるようになったものの、命にまで別状がありそうな黒い影に覆われた人を見ると触って助けたくなるので、なるべく周囲の人を見ないようにしているのだ。
 こっちも命に関わることだし、それにもし万が一わたしが死ぬようなことになったら、信吾さんが黒い影に覆われていたほうがマシだったと思うような(本人には見えてないけど)状況に相手を追い込みかねないし。
 今回はすぐ彼に会えるから、どんな黒い影だとしてもさすがに死ぬことはないだろう。

「……もう花粉症の季節ではないし、風邪やインフルエンザには早いでしょう? なんだか怪しいと思うのよ」

 女性アイドルに付き纏うストーカーといえば男性のような気がしてしまうが、戌井ちゃんを困らせているストーカーは女性だと聞いている。
 年齢もかなり上、わたしたちの母親か、下手したら祖母の年ごろらしい。
 彼女は最初、戌井ちゃんのファンだった。
 いや、今でもファンはファンなのかもしれない。
 戌井ちゃんのイメージカラーの青いものを身につけた自分の写真をファンレターに同封していた彼女は、いつからか戌井ちゃんのコスプレを始めた。
 厚塗りの化粧で年齢を隠して体型を整え、どんどんと戌井ちゃんに近づいて行った。
 その時点ですでに気持ち悪かっただろうに、戌井ちゃんは情熱的なファンなのだと感謝したのだという。
 しかし彼女の情熱は、そこでは止まらなかった。
 OEKとしてのアイドル衣装でない、普段着の戌井ちゃんを模倣したコスプレ写真が送られてきたことで、マネージャーがストーカーと認識して警察に相談した。
 だがファンレターには初めから名前も住所も記載されておらず、封筒の消印を見ても市内のあちこちで投函していることがわかるだけ。
 探す糸口が見つからないし、今のところは事件も起こっていない。
 ただただ薄気味悪さだけが増していく。
 ライブや握手会に現れることもなく──そもそも戌井ちゃんを模倣した格好をしていなければ、とりたてて特徴のない普通の女性なのだ。いても気づかない。
 ファンレターと称したストーカー報告書が送られ続け、ついに数日前、今度こそあなたになります、と書かれた手紙が届いたという。
 それもOEK宛にではなく、戌井ちゃんの家に。
 戌井ちゃんのお父さんは美妃ちゃんの許婚である犬養さんと同じ、この市で有数の大企業である犬養製鉄の現社長だ。
 異母兄妹であるふたりの母親は違う女性で、母親を亡くした戌井ちゃんはひとり暮らしをしている。もちろん、ファンに明かしたりSNSで住所を特定されるような映像をアップしたりはしていない。

「戌井ちゃんのお家からつけてきたのかな」

 タクシーで迎えに来た美妃ちゃんは、わたしを乗せてから戌井ちゃんの家へ向かった。
 自分の車か同じようにタクシーで、ここまで追ってきたのかもしれない。

「そうかもしれないわ。もっと早く相談してくれれば良かったのに」
「うん……」

 頷きながら、ふと思う。
 美妃ちゃんの白蛇さまなら、手掛かりのないストーカーを見つけることもできるのかな。
 お告げは夢の中で受けるらしいから、今すぐには無理だろうけど。
 それに見つけても、今はなんの罪にも問えないかもね。
 もう一度溜息をついて、美妃ちゃんが話し始める。

「……風邪って特効薬がないでしょう?」
「どうしたの、いきなり」

 その話は聞いたことがあった。
 風邪の特効薬を作ることができたら、ノーベル賞間違いなしだとか。

「なのに、風邪をひいて病院へ行ったら薬を出してくれるわよね?」
「……そう言われてみたら、そうかも。薬を飲むとちゃんと治るよね」
「対処療法よ。風邪という病気そのものを治すのではなくて、風邪によって引き起こされる発熱、咳、鼻水などを止めて体の負担を減らし、本人の治癒力で回復させるの」
「なるほど」

 対処療法か。
 市販の風邪薬も症状別になってるものね。
 でも……本当に、いきなりどうしたんだろう?

「それと同じで璃々が心の病気を治療することはできなくても、心の病気から発する悪意を消すことで気持ちを変えさせることができるのではないかと思って」
「……」

 どうなのかな。
 以前の事件のときは、わたしが黒い影を吸い込んでも本人が新しく生み出していたんだけど、あれはすぐに問題の元凶と顔を合わせたからで。
 ストーカーがストーカーになった原因が戌井ちゃん本人にあるんじゃなくて、ほかの問題から逃げるために戌井ちゃんになろうとしているのなら上手く行くかも。
 どうせ信吾さんとすぐ会えるんだし──
 考え込んでいたら、美妃ちゃんが不安そうな顔になった。

「……璃々? ごめんなさい、勝手なことばっかり言って。あなたが嫌なら無理しないでちょうだい。ダメね、私。凛星女学院のことでも散々迷惑をかけているのに」
「ううん、迷惑なんかじゃないよ。とりあえず、その人が出てくるのを待ちましょう。全然関係ない人かもしれないし」
「それもそうね」

 ──だけど。
 戌井ちゃんが出てきて手洗いを終えても、美妃ちゃんが見たという先客は個室から出ては来なかった。
 こっそりと尾行しているストーカーなら当然かもしれない。
 きっとわたしたちの気配を探って、いなくなるのを待っているのだ。
 ……単に買い物に来ると便秘が治るタイプの人かもしれないが。
 別人かもしれないし待ち構えていて逆上されても怖いので、わたしと美妃ちゃんは戌井ちゃんに小声で状況を話してトイレから出ることにした。
 トイレから出る前に戌井ちゃんは念のため、お化粧コーナーでマネージャーにメールを送った。
 わたしも信吾さんに、そろそろ女子会が終わることを連絡した。
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