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第一話 急変
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「おはよう、ジャンナ」
王都のフィオーレ侯爵邸の玄関で、私の婚約者であるステファノ王太子殿下はにこやかに微笑みました。
八歳の年で婚約をしてから十年間、ずっと夢見てきた瞬間です。
ステファノ殿下が私に笑いかけてくださるなんて……嬉しいはずなのに、心を走ったのは喜びではなく不安でした。
どうして、いきなり?
初めてお会いしてからずっと、殿下は私を拒絶してらしたのに。殿下が愛していらっしゃるのは幼馴染で、母方の従妹でロンゴ公爵家のご令嬢であるブルローネ様なのに。
これまでの十年間、どんなに私が追いかけても振り返って下さらなかったのに、どうしていきなり笑顔で私を迎えにいらっしゃったの?
頭の中に疑問が渦巻いていても、長年の妃教育が体を動かします。
私はぎこちない笑みを浮かべてカーテシーをしました。
そういえば姪を溺愛する、というより実家の兄君とともにロンゴ公爵家の繁栄だけを望んでいる王妃様は、国王陛下直々に叱責されるまで私の妃教育を真面にしてくださいませんでした。
国王陛下は王家の血が濃くなり過ぎることは望んでいらっしゃいません。
妹が王妃になったことで影の王のように振る舞っているロンゴ公爵の娘を次の王妃にして、彼にこれ以上の権力を与えることもです。
だから、王国一の忠臣と称えられるフィオーレ侯爵の娘──私を殿下の婚約者にお選びになったのです。父は文武に優れ、国王陛下の親友としても知られています。
この婚約は王命です。
殿下も王妃様も逆らえません。
もちろん私も……
「見事なカーテシーだね」
褒められるのは嬉しいことです。
これまでどんなに殿下に、王妃様に、妃教育の結果を認められたいと思ってきたことでしょう。
なのに、殿下の称賛を聞きながら、私の背中には冷たい汗が流れていたのです。嬉しいはずの今の状況が悪夢のようにしか思えなかったのです。
「それじゃあ一緒に馬車で学園へ行こうか」
「えっ」
「なにを驚いているんだい? 早く行かないと遅刻してしまうよ」
「で、ですが、一緒にというのは……」
「婚約者同士が一緒の馬車で登校することのどこに問題があるのかい? ああ、もちろん私の護衛のニッコロと君の侍女は車内でも一緒だよ」
「は、はい。ありがとうございます……」
仕事が忙しく王宮へ籠もりきりの父フィオーレ侯爵が付けてくれた無口な侍女が、王家の馬車へ乗り込む私の後へ続きます。
公務で王都を離れるときに乗る馬車よりも小型で装飾の少ない馬車に乗り、座席に腰かけた私は殿下に尋ねました。
「あ、あの……これからブルローネ様を迎えに行かれるのですか?」
彼女はいつも、昨日までは毎朝殿下と学園へ通っていらっしゃいました。
それを知っているせいか、私の座った殿下の向かいの席には彼女の気配が残っているように感じました。
ここはお前の席ではない、そう言われているような気分になったのです。
「まさか。……私達はもうすぐ学園を卒業する。卒業パーティまで一年もないんだ。いつまでも子どものままではいられない。ブルローネも婚約者を決めなくてはいけない。そうだね、ヴィオーラ公爵家の子息が良いのではないかな」
「はあ……」
ヴィオーラ公爵家は、ロンゴ公爵家と並ぶ王国の権威です。
どちらも王家から分かれた公爵家ですし、ヴィオーラ公爵家に令嬢がいれば、私ではなくその方が殿下の婚約者に選ばれていたことでしょう。
私は、ヴィオーラ公爵令息エリベルト様の端正なお顔を思い出しました。殿下は王妃様に似て花のように華やかで、エリベルト様は妖精のように心騒がせるお顔をなさっているのです。
私はそれ以上ブルローネ様のことを聞くことは出来ませんでした。
愛というのは目に見えないものです。
もし愛が目に見えたなら、これまでの殿下のブルローネ様への想いは恋情ではなく友情で、形だけの婚約者である私に対する想いが突然愛へと変化したのだと確認できたのかもしれません。
でも……
楽し気に話を振ってくださいながらも、どこか遠くを見ているようなステファノ王太子殿下の瞳に、私は自分への愛を感じることは出来ませんでした。
とはいえ、これは喜ぶべきことでしょう。私が王太子の婚約者として認められたなら、きっとフィオーレ侯爵である父も喜んでくださいます。滅多に我が家へは戻って来ず、王宮に籠もりきりの父ですが。
王都のフィオーレ侯爵邸の玄関で、私の婚約者であるステファノ王太子殿下はにこやかに微笑みました。
八歳の年で婚約をしてから十年間、ずっと夢見てきた瞬間です。
ステファノ殿下が私に笑いかけてくださるなんて……嬉しいはずなのに、心を走ったのは喜びではなく不安でした。
どうして、いきなり?
初めてお会いしてからずっと、殿下は私を拒絶してらしたのに。殿下が愛していらっしゃるのは幼馴染で、母方の従妹でロンゴ公爵家のご令嬢であるブルローネ様なのに。
これまでの十年間、どんなに私が追いかけても振り返って下さらなかったのに、どうしていきなり笑顔で私を迎えにいらっしゃったの?
頭の中に疑問が渦巻いていても、長年の妃教育が体を動かします。
私はぎこちない笑みを浮かべてカーテシーをしました。
そういえば姪を溺愛する、というより実家の兄君とともにロンゴ公爵家の繁栄だけを望んでいる王妃様は、国王陛下直々に叱責されるまで私の妃教育を真面にしてくださいませんでした。
国王陛下は王家の血が濃くなり過ぎることは望んでいらっしゃいません。
妹が王妃になったことで影の王のように振る舞っているロンゴ公爵の娘を次の王妃にして、彼にこれ以上の権力を与えることもです。
だから、王国一の忠臣と称えられるフィオーレ侯爵の娘──私を殿下の婚約者にお選びになったのです。父は文武に優れ、国王陛下の親友としても知られています。
この婚約は王命です。
殿下も王妃様も逆らえません。
もちろん私も……
「見事なカーテシーだね」
褒められるのは嬉しいことです。
これまでどんなに殿下に、王妃様に、妃教育の結果を認められたいと思ってきたことでしょう。
なのに、殿下の称賛を聞きながら、私の背中には冷たい汗が流れていたのです。嬉しいはずの今の状況が悪夢のようにしか思えなかったのです。
「それじゃあ一緒に馬車で学園へ行こうか」
「えっ」
「なにを驚いているんだい? 早く行かないと遅刻してしまうよ」
「で、ですが、一緒にというのは……」
「婚約者同士が一緒の馬車で登校することのどこに問題があるのかい? ああ、もちろん私の護衛のニッコロと君の侍女は車内でも一緒だよ」
「は、はい。ありがとうございます……」
仕事が忙しく王宮へ籠もりきりの父フィオーレ侯爵が付けてくれた無口な侍女が、王家の馬車へ乗り込む私の後へ続きます。
公務で王都を離れるときに乗る馬車よりも小型で装飾の少ない馬車に乗り、座席に腰かけた私は殿下に尋ねました。
「あ、あの……これからブルローネ様を迎えに行かれるのですか?」
彼女はいつも、昨日までは毎朝殿下と学園へ通っていらっしゃいました。
それを知っているせいか、私の座った殿下の向かいの席には彼女の気配が残っているように感じました。
ここはお前の席ではない、そう言われているような気分になったのです。
「まさか。……私達はもうすぐ学園を卒業する。卒業パーティまで一年もないんだ。いつまでも子どものままではいられない。ブルローネも婚約者を決めなくてはいけない。そうだね、ヴィオーラ公爵家の子息が良いのではないかな」
「はあ……」
ヴィオーラ公爵家は、ロンゴ公爵家と並ぶ王国の権威です。
どちらも王家から分かれた公爵家ですし、ヴィオーラ公爵家に令嬢がいれば、私ではなくその方が殿下の婚約者に選ばれていたことでしょう。
私は、ヴィオーラ公爵令息エリベルト様の端正なお顔を思い出しました。殿下は王妃様に似て花のように華やかで、エリベルト様は妖精のように心騒がせるお顔をなさっているのです。
私はそれ以上ブルローネ様のことを聞くことは出来ませんでした。
愛というのは目に見えないものです。
もし愛が目に見えたなら、これまでの殿下のブルローネ様への想いは恋情ではなく友情で、形だけの婚約者である私に対する想いが突然愛へと変化したのだと確認できたのかもしれません。
でも……
楽し気に話を振ってくださいながらも、どこか遠くを見ているようなステファノ王太子殿下の瞳に、私は自分への愛を感じることは出来ませんでした。
とはいえ、これは喜ぶべきことでしょう。私が王太子の婚約者として認められたなら、きっとフィオーレ侯爵である父も喜んでくださいます。滅多に我が家へは戻って来ず、王宮に籠もりきりの父ですが。
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