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第六話 実はお嬢様は生きています。……今のところは。
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「ザハール!」
魔術学園の生徒会室がある校舎から出てきた少女は、輝くような笑みを浮かべていた。
思わずザハールも笑顔になる。
「パーヴェル殿下にお手紙と贈り物をお渡しになられたのですね」
「ええ! とっても喜んでくださったわ。……残りわずかの学園生活だけれど、殿下とイリュージア様が楽しい日々を過ごしてくださいますように。女王陛下のこともお父様が説得してくださるはずよ」
ザハールの主人レオンチェフ公爵の娘であるヴェロニカは、婚約者である王太子パーヴェルを心から愛していた。
自身の身分も立場も弁えず旅人になりたいなどとほざいた彼のために、自分が公務を頑張ってパーヴェルが自由に過ごせる時間を作ってあげたいと思うほどだ。
未来の王太子妃としての教育、社交界での人脈作り、もちろん魔術学園で好成績を収めることも忘れず励んだヴェロニカは、皮肉にも頑張り過ぎたせいでパーヴェルと過ごす時間が減ってしまった。
彼女の婚約者は公爵令嬢の努力を称賛するのではなく、いつも側にいてくれる都合の良い女を選んだ。
ザハールはあの女にどこかおぞましいものを感じていたが、王太子やその側近達が騙されただけだとは思わなかった。
王太子やその側近という立場も自分達の婚約者の存在も忘れて、あの女に近づいていった彼らの自業自得だ。
「どうしたの、ザハール。眉間に皺が寄っているわよ?」
「失礼いたしました、お嬢様。卒業パーティでお嬢様をエスコートするという大役に緊張していたのでございます。なにしろ私は庭師の孫に過ぎませんから」
「庭師は大切なお仕事をしているし、ザハールはこれまでもずっと夜会で私をエスコートしてくれていたじゃない。今さらだわ」
魔術学園に入学してから、ヴェロニカの婚約者である王太子はずっとピンクの髪の男爵令嬢を優先してきた。
多忙な公爵の代わりとして彼女に付き添っていたのはザハールだった。
ヴェロニカと弟のニコライの仲は良いのだが、生憎ニコライはまだ六歳だ。社交界にデビューもしていない。
そっと後ろに下がり、ヴェロニカを害するものがないよう目を凝らしながら、ザハールは公爵家の馬車へ向かって彼女と歩いていく。
さっき眉間に皺が寄ったのは卒業パーティのことを考えていたからではない。
男爵令嬢イリュージアの顔を思い出したからだ。ピンクの髪に同じ色の瞳、ザハールとよく似た端正な顔立ち──
「ねえ。緊張し過ぎて辛いのなら、私、お父様にお願いしても良くってよ? 私の婚約解消のせいでお忙しいとは思うけれど、有能なあなたのおかげで仕事に余裕が出来てるって言っていたもの。一生に一度の卒業パーティなら、時間を作ってエスコートしてくださるかもしれないわ」
鏡の中の自分と重なった忌まわしい面影は、黄金色の髪を揺らして振り返った少女の微笑みで消え去った。
緑色の瞳は、ほんの少しだけ潤んでいる。
本人が選択したこととはいえ、幼いころからの婚約者で愛していた相手との別離が辛くないはずがないのに、彼女は従者に過ぎないザハールを案じてくれている。
「お心遣いありがとうございます。ですが、お嬢様とダンスをして足を踏まれるという苦行を公爵様に押し付けるわけにはいけませんので」
「……ごめんなさい」
「ふふふ、冗談ですよ」
ヴェロニカがザハールの足を踏むのはダンスが下手だからではない。
彼女はどうしても気にしてしまうのだ、ピンクの髪の男爵令嬢と踊る婚約者を。
卒業パーティまでの十日間で吹っ切れるとも思えない。それでも足を踏まれるくらいで最後の大役をだれかに譲るつもりはなかった。
(王太子との婚約が解消されても、公爵令嬢であるお嬢様はすぐにほかの貴族との縁談が決まるだろう。お嬢様を愛し、お嬢様に愛される男なら、俺は……)
「卒業パーティでは絶対にザハールの足を踏まないわ。会場で一番見事に踊って、視線を独占してしまうのよ」
「それは楽しみです」
(ああ、だけど、お嬢様は卒業パーティへは出席出来ないんだ。だって……)
そこで、ザハールは思い出した。
自分を置いて校舎に入ったヴェロニカは、いくら待っても出て来なかった。
従者やメイドの付き添いは校舎の外だけと決まっていたが、最悪の状況を考えてザハールは建物に入った。
ザハールが恐れていたのは、王太子を始めとする男爵令嬢のお気に入り達がヴェロニカに暴言を吐いて彼女を傷つけることだった。
しかし、校内で待っていたのはそれ以上に最悪な出来事だった。
(お嬢様は階段の下に倒れ伏していて……)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ザハールは自室のベッドの上で目が覚めた。
庭師の孫だったザハールは血のつながらない祖父の死後、能力を見込まれて公爵家の従者に取り立てられた。
ヴェロニカとひとつしか違わない若さながら、活躍を認められてひとり部屋を与えられている。公爵の未来の片腕と、本人には過分に思える仇名もつけられていた。
その優秀さから魔術学園への入学も許され、ヴェロニカよりも一年早く卒業してからは従者として彼女の護衛を受け持っていた。
帰宅後はメイドにヴェロニカを託し、公爵の秘書のような仕事をする毎日だった。
卒業パーティから半月、今日は休みの日だったけれどザハールは仕事の服に着替えた。
(お嬢様はまだ死んでいない。……今のところは、だが)
朝の支度を済ませ、ザハールはヴェロニカの部屋へ向かった。
魔術学園の生徒会室がある校舎から出てきた少女は、輝くような笑みを浮かべていた。
思わずザハールも笑顔になる。
「パーヴェル殿下にお手紙と贈り物をお渡しになられたのですね」
「ええ! とっても喜んでくださったわ。……残りわずかの学園生活だけれど、殿下とイリュージア様が楽しい日々を過ごしてくださいますように。女王陛下のこともお父様が説得してくださるはずよ」
ザハールの主人レオンチェフ公爵の娘であるヴェロニカは、婚約者である王太子パーヴェルを心から愛していた。
自身の身分も立場も弁えず旅人になりたいなどとほざいた彼のために、自分が公務を頑張ってパーヴェルが自由に過ごせる時間を作ってあげたいと思うほどだ。
未来の王太子妃としての教育、社交界での人脈作り、もちろん魔術学園で好成績を収めることも忘れず励んだヴェロニカは、皮肉にも頑張り過ぎたせいでパーヴェルと過ごす時間が減ってしまった。
彼女の婚約者は公爵令嬢の努力を称賛するのではなく、いつも側にいてくれる都合の良い女を選んだ。
ザハールはあの女にどこかおぞましいものを感じていたが、王太子やその側近達が騙されただけだとは思わなかった。
王太子やその側近という立場も自分達の婚約者の存在も忘れて、あの女に近づいていった彼らの自業自得だ。
「どうしたの、ザハール。眉間に皺が寄っているわよ?」
「失礼いたしました、お嬢様。卒業パーティでお嬢様をエスコートするという大役に緊張していたのでございます。なにしろ私は庭師の孫に過ぎませんから」
「庭師は大切なお仕事をしているし、ザハールはこれまでもずっと夜会で私をエスコートしてくれていたじゃない。今さらだわ」
魔術学園に入学してから、ヴェロニカの婚約者である王太子はずっとピンクの髪の男爵令嬢を優先してきた。
多忙な公爵の代わりとして彼女に付き添っていたのはザハールだった。
ヴェロニカと弟のニコライの仲は良いのだが、生憎ニコライはまだ六歳だ。社交界にデビューもしていない。
そっと後ろに下がり、ヴェロニカを害するものがないよう目を凝らしながら、ザハールは公爵家の馬車へ向かって彼女と歩いていく。
さっき眉間に皺が寄ったのは卒業パーティのことを考えていたからではない。
男爵令嬢イリュージアの顔を思い出したからだ。ピンクの髪に同じ色の瞳、ザハールとよく似た端正な顔立ち──
「ねえ。緊張し過ぎて辛いのなら、私、お父様にお願いしても良くってよ? 私の婚約解消のせいでお忙しいとは思うけれど、有能なあなたのおかげで仕事に余裕が出来てるって言っていたもの。一生に一度の卒業パーティなら、時間を作ってエスコートしてくださるかもしれないわ」
鏡の中の自分と重なった忌まわしい面影は、黄金色の髪を揺らして振り返った少女の微笑みで消え去った。
緑色の瞳は、ほんの少しだけ潤んでいる。
本人が選択したこととはいえ、幼いころからの婚約者で愛していた相手との別離が辛くないはずがないのに、彼女は従者に過ぎないザハールを案じてくれている。
「お心遣いありがとうございます。ですが、お嬢様とダンスをして足を踏まれるという苦行を公爵様に押し付けるわけにはいけませんので」
「……ごめんなさい」
「ふふふ、冗談ですよ」
ヴェロニカがザハールの足を踏むのはダンスが下手だからではない。
彼女はどうしても気にしてしまうのだ、ピンクの髪の男爵令嬢と踊る婚約者を。
卒業パーティまでの十日間で吹っ切れるとも思えない。それでも足を踏まれるくらいで最後の大役をだれかに譲るつもりはなかった。
(王太子との婚約が解消されても、公爵令嬢であるお嬢様はすぐにほかの貴族との縁談が決まるだろう。お嬢様を愛し、お嬢様に愛される男なら、俺は……)
「卒業パーティでは絶対にザハールの足を踏まないわ。会場で一番見事に踊って、視線を独占してしまうのよ」
「それは楽しみです」
(ああ、だけど、お嬢様は卒業パーティへは出席出来ないんだ。だって……)
そこで、ザハールは思い出した。
自分を置いて校舎に入ったヴェロニカは、いくら待っても出て来なかった。
従者やメイドの付き添いは校舎の外だけと決まっていたが、最悪の状況を考えてザハールは建物に入った。
ザハールが恐れていたのは、王太子を始めとする男爵令嬢のお気に入り達がヴェロニカに暴言を吐いて彼女を傷つけることだった。
しかし、校内で待っていたのはそれ以上に最悪な出来事だった。
(お嬢様は階段の下に倒れ伏していて……)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ザハールは自室のベッドの上で目が覚めた。
庭師の孫だったザハールは血のつながらない祖父の死後、能力を見込まれて公爵家の従者に取り立てられた。
ヴェロニカとひとつしか違わない若さながら、活躍を認められてひとり部屋を与えられている。公爵の未来の片腕と、本人には過分に思える仇名もつけられていた。
その優秀さから魔術学園への入学も許され、ヴェロニカよりも一年早く卒業してからは従者として彼女の護衛を受け持っていた。
帰宅後はメイドにヴェロニカを託し、公爵の秘書のような仕事をする毎日だった。
卒業パーティから半月、今日は休みの日だったけれどザハールは仕事の服に着替えた。
(お嬢様はまだ死んでいない。……今のところは、だが)
朝の支度を済ませ、ザハールはヴェロニカの部屋へ向かった。
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