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第三話 夜会の惨劇
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追い出された青年は、あれ以降男爵邸へは来なかった。
異母姉の悪霊の仕業だったとしても、意味のない復讐だと気づいたからだろうとミュゲは思っている。
モイーズに離縁を切り出された後はさすがに良い気分ではなかったが、そのことはだれも知らない。世間が見ているミュゲは、異母姉から『妖精のお気に入り』を略奪婚した魅力的な女のままだ。
今夜のミュゲは夜会へ来ていた。
新しい婿を探すためだ。
ミュゲはこのまま独身女男爵となり、適当な男の子どもを産んで亡きモイーズの忘れ形見だということにすれば良いと思っていたのだけれど、父が許してくれなかった。愛人を囲うような男だからこそ、見せかけの結婚にこだわるのかもしれない。
(アタシの昔の取り巻きの男達に声をかけたら、すぐ決まるでしょ。まだ独身のヤツじゃなくて既婚のヤツにも声をかけてやろうかな)
モイーズに打ち砕かれた自尊心は回復しきっていないらしい。
いや、ミュゲは即物的な利益主義者だ。
独身の男を手に入れるよりも妻や婚約者のいる男を略奪したほうが、奪われた女よりも自分が上だと思えて気持ちが良い。だから、そうするのだ。
「あら、久しぶりね」
ミュゲが声をかけると、かつての子爵令嬢はびくりと体を震わせた。
学園時代のミュゲと親しくしていて、あの青年がマルトとよく似た女と逢引きしているところを目撃させた女だ。
彼女の言葉では噂は蔓延しなかったので、最終的にミュゲは取り巻きの男達を使った。男達にマルトから誘惑されたと言い触らさせたのだ。
子爵令嬢は同じ家格の子爵家に嫁ぎ、今は跡取りの夫人となっている。
彼女とミュゲが親しかったのは、ミュゲが他人の懐へ入るのが上手かったのがひとつ。
ミュゲは媚びを売り、散々持ち上げることで相手を油断させて弱みを掴み、それから自分が支配権を握ることが得意なのだ。相手に弱みがなければ、上手く誘導して悪事を働かせて弱みを作る。
親しくなった理由のもうひとつは、子爵令嬢がモイーズに憧れていたことだ。
モイーズは婚約者のマルト以外の多くの女性と恋愛遊戯を楽しんでいたが、本気になってしつこく付き纏いそうな女は避けていた。
美しいモイーズを自分の運命の相手と思い込んで突撃していた子爵令嬢は、一番相手にされない種類の女だったのだ。
子爵令嬢──子爵家跡取りの夫人は怯えている。
ミュゲの支配下に置かれていたことを忘れていないのだろう。
モイーズに会わせてやると言われて、悪事に加担させられたことを覚えているのだろう。そしてなにより、自分がミュゲに逆らえないことをわかっているのだろう。
死にかけて震える小動物のような夫人の表情が、ミュゲにはたまらなく心地良かった。
「おひとりではないわよね? ご主人はどこ?」
「あ、それは……」
彼女の視線の先に、ミュゲは自分の取り巻きだった子爵令息の姿を確認した。
まだ当主にはなっていない。跡取りのままだ。
男はミュゲに気づいて笑みを浮かべた。
「久しぶりに彼と旧交を温めようと思うの」
「じゃあ、あの、アタクシが夫のところへご案内するわね」
「アンタはもういいわ。女友達のところへ行くつもりだったんでしょ。ああ、あの子達にも言っておいて。そのうち会いましょう、って」
「で、でも……ッ!」
「あら? アタシのお願いを聞いてくれないの?」
「ッ!」
ミュゲが彼女に加担させた悪事は、異母姉マルトの不貞を噂させたことだけではない。
子爵家跡取りの夫人は唇を噛んで去っていった。
彼女を迎えた女性達の視線がミュゲに突き刺さる。類は友を呼ぶ。同じようにモイーズに憧れていて、ミュゲの支配下に降った哀れな女性達だ。
(ああ、楽しいッ。これでなくっちゃね!)
ミュゲが夜会へ来るのは本当に久しぶりだった。
妖精の思し召しに仕立て上げていても、異母姉の婚約者を略奪した、しかも寝取って子どもまでいる、となれば醜聞でしかない。
噂が落ち着くまでは社交をするな、と父に命じられていたのだ。
「やあミュゲ」
子爵令息のところへ近づくと、近くにいたほかの取り巻き達ともども笑顔で迎えられた。
まだ独身の人間もいるし、実家よりも高位の家へ婿入りした人間もいる。
だれを略奪するのが一番楽しくて心地良いだろうかと、ミュゲは舌なめずりしながら旧友の顔を見回した。
「相変わらず綺麗だね。……子どもは?」
「聞いてない? モイーズが事故で亡くなって、それで、ね」
「へえ。君にも殊勝なところがあるんだな」
「なによそれ!」
「ははは、君が『妖精のお気に入り』程度で満足するような女じゃないと僕達は知っているって話だよ。……えいッ!」
(え?)
ミュゲは一瞬、なにが起こったのかわからなかった。
顔に液体をかけられたらしい。
それを自覚した後で熱さが襲ってきた。熱さは痛みへと変わっていく。
「夢を見るんだ。美しい金髪の女性が両手で顔を覆い、肩を震わせている。顔は見えないけど、あれはきっとマルト嬢だ。僕達は罪を償わなくてはいけない。ミュゲは罰を受けなくてはいけない」
下町の青年と同じようなことを貴族令息達が呟くのを聞きながら、ミュゲは絶叫した。
異母姉の悪霊の仕業だったとしても、意味のない復讐だと気づいたからだろうとミュゲは思っている。
モイーズに離縁を切り出された後はさすがに良い気分ではなかったが、そのことはだれも知らない。世間が見ているミュゲは、異母姉から『妖精のお気に入り』を略奪婚した魅力的な女のままだ。
今夜のミュゲは夜会へ来ていた。
新しい婿を探すためだ。
ミュゲはこのまま独身女男爵となり、適当な男の子どもを産んで亡きモイーズの忘れ形見だということにすれば良いと思っていたのだけれど、父が許してくれなかった。愛人を囲うような男だからこそ、見せかけの結婚にこだわるのかもしれない。
(アタシの昔の取り巻きの男達に声をかけたら、すぐ決まるでしょ。まだ独身のヤツじゃなくて既婚のヤツにも声をかけてやろうかな)
モイーズに打ち砕かれた自尊心は回復しきっていないらしい。
いや、ミュゲは即物的な利益主義者だ。
独身の男を手に入れるよりも妻や婚約者のいる男を略奪したほうが、奪われた女よりも自分が上だと思えて気持ちが良い。だから、そうするのだ。
「あら、久しぶりね」
ミュゲが声をかけると、かつての子爵令嬢はびくりと体を震わせた。
学園時代のミュゲと親しくしていて、あの青年がマルトとよく似た女と逢引きしているところを目撃させた女だ。
彼女の言葉では噂は蔓延しなかったので、最終的にミュゲは取り巻きの男達を使った。男達にマルトから誘惑されたと言い触らさせたのだ。
子爵令嬢は同じ家格の子爵家に嫁ぎ、今は跡取りの夫人となっている。
彼女とミュゲが親しかったのは、ミュゲが他人の懐へ入るのが上手かったのがひとつ。
ミュゲは媚びを売り、散々持ち上げることで相手を油断させて弱みを掴み、それから自分が支配権を握ることが得意なのだ。相手に弱みがなければ、上手く誘導して悪事を働かせて弱みを作る。
親しくなった理由のもうひとつは、子爵令嬢がモイーズに憧れていたことだ。
モイーズは婚約者のマルト以外の多くの女性と恋愛遊戯を楽しんでいたが、本気になってしつこく付き纏いそうな女は避けていた。
美しいモイーズを自分の運命の相手と思い込んで突撃していた子爵令嬢は、一番相手にされない種類の女だったのだ。
子爵令嬢──子爵家跡取りの夫人は怯えている。
ミュゲの支配下に置かれていたことを忘れていないのだろう。
モイーズに会わせてやると言われて、悪事に加担させられたことを覚えているのだろう。そしてなにより、自分がミュゲに逆らえないことをわかっているのだろう。
死にかけて震える小動物のような夫人の表情が、ミュゲにはたまらなく心地良かった。
「おひとりではないわよね? ご主人はどこ?」
「あ、それは……」
彼女の視線の先に、ミュゲは自分の取り巻きだった子爵令息の姿を確認した。
まだ当主にはなっていない。跡取りのままだ。
男はミュゲに気づいて笑みを浮かべた。
「久しぶりに彼と旧交を温めようと思うの」
「じゃあ、あの、アタクシが夫のところへご案内するわね」
「アンタはもういいわ。女友達のところへ行くつもりだったんでしょ。ああ、あの子達にも言っておいて。そのうち会いましょう、って」
「で、でも……ッ!」
「あら? アタシのお願いを聞いてくれないの?」
「ッ!」
ミュゲが彼女に加担させた悪事は、異母姉マルトの不貞を噂させたことだけではない。
子爵家跡取りの夫人は唇を噛んで去っていった。
彼女を迎えた女性達の視線がミュゲに突き刺さる。類は友を呼ぶ。同じようにモイーズに憧れていて、ミュゲの支配下に降った哀れな女性達だ。
(ああ、楽しいッ。これでなくっちゃね!)
ミュゲが夜会へ来るのは本当に久しぶりだった。
妖精の思し召しに仕立て上げていても、異母姉の婚約者を略奪した、しかも寝取って子どもまでいる、となれば醜聞でしかない。
噂が落ち着くまでは社交をするな、と父に命じられていたのだ。
「やあミュゲ」
子爵令息のところへ近づくと、近くにいたほかの取り巻き達ともども笑顔で迎えられた。
まだ独身の人間もいるし、実家よりも高位の家へ婿入りした人間もいる。
だれを略奪するのが一番楽しくて心地良いだろうかと、ミュゲは舌なめずりしながら旧友の顔を見回した。
「相変わらず綺麗だね。……子どもは?」
「聞いてない? モイーズが事故で亡くなって、それで、ね」
「へえ。君にも殊勝なところがあるんだな」
「なによそれ!」
「ははは、君が『妖精のお気に入り』程度で満足するような女じゃないと僕達は知っているって話だよ。……えいッ!」
(え?)
ミュゲは一瞬、なにが起こったのかわからなかった。
顔に液体をかけられたらしい。
それを自覚した後で熱さが襲ってきた。熱さは痛みへと変わっていく。
「夢を見るんだ。美しい金髪の女性が両手で顔を覆い、肩を震わせている。顔は見えないけど、あれはきっとマルト嬢だ。僕達は罪を償わなくてはいけない。ミュゲは罰を受けなくてはいけない」
下町の青年と同じようなことを貴族令息達が呟くのを聞きながら、ミュゲは絶叫した。
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