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第一章 ハイディン編
閑話 月と黄金
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月の光が、わずかに開いたカーテンの隙間から室内へと差し込んでいる。
窓際に置かれたベッドにもその光は降り注ぎ、その上に横たわる艶めかしい肢体を、闇の中にほの白く浮き上がらせていた。
「……もぅ、無理、も、限界……二人共、頑張りすぎ……」
汗に濡れ、ぐったりと脱力してシーツに体を預けていた女性の口から、そんな言葉が漏れる。
本来は、金の鈴を振るような高く澄んだ声なのだが、今は諸事情にて枯れ気味だ。更には、紡ぎだされる言葉の中身も、名工が丹精を込めて掘りあげた彫像のような美貌と、非の打ち所がないほどに優美で女らしい曲線を描く躰の持ち主には、少々そぐわない。どちらかと言えば、そこらにいくらでもいる町娘のような口調なのだが――その台詞を向けられた者たちにとっては、これが通常らしい。違和感を感じている様子もなく、軽い口調でそれに応じる。
「なんだ。もうか?」
「そりゃねぇぜ、レイちゃん。これから……ってところだろ?」
「ロウも、ガルドさんも、無茶謂わないでよ。基本的なスタミナが違いすぎるんだってば……」
疲労困憊の彼女――レイガとは違い、男二人はまだ余裕綽々だ。共に一度は吐精を済ませているはずなのだが、まだまだ元気。今だにその欲望は衰える気配すら見せていない。そもそもが、一度ずつで済んだことなどないのだから、それも当たり前だろう。
しかし、それを相手にする彼女にしてみれば、とんでもない話である。
好き合ってこうしているのだから、行為そのものを拒む気は毛頭ないし、『愛されている』と実感できてうれしい。無論、彼女も『愛している』と言葉と態度でそれを表しているのだが、それにしても毎晩これでは体がもたない、というのが本音だ。
気力体力共に充実しまくった若い男、しかも二人掛かりの『愛情』を受け入れるには、彼女のそれは脆弱に過ぎるのである―― 一回ずつならまだしも。
「ねぇ……今夜はもうこれくらいにしない?」
このままでは、明日の朝、まともに起きられるとは思えない。現に今朝も、重たい瞼をこじ開け、ベッドから起き上がるにかなり難儀をしたレイガである。「寝ていて構わんぞ」とは言われたが、何しろ同じ部屋で寝起きをしているのだ。男二人が元気はつらつと動き回っているのに、自分一人が何時までも(裸で)ベッドにいる、という事態はできれば避けたい。だが、明日こそはとうとうそうなりかねないと危惧しての発言だった。
「……それはもう、俺達の相手をしたくないという意味か?」
「い、いや、そう言う訳じゃないけどっ。でも、ここのところ毎晩、こんな感じでしょ? だから……その、何というか、こういう事ばっかじゃなくて、他の事もしたいというか……」
「この夜中に、か?」
男の片割れ――ロウアルト――の問いかけも尤もだ。娯楽の少ないこちらの世界では、夜になれば基本的に寝るしかない。睦みあうという意味での『寝る』を否定してしまえば、残るは本来の『睡眠をとる』という選択肢しか残らない。
「今夜のところは、これで大人しく寝ちゃうってのもアリかと……」
「無茶を言うな」
「即決で却下っ!?」
「まぁ、ロウがそう言うのも仕方ねぇぜ、レイちゃん。この状態で寝ろって言われてもなぁ……」
驚愕の声を上げるレイガに、もう一人――ガルドゥークが苦笑しながら言う。
ロウアルトよりは『女心の機微』というものに通じている彼は、レイガが会話を求めていると察して、大人しく手出しを控えている。が、上半身のそんな事情など、下半身はお構いなしだ。今現在も、張り切りまくって『起きて』いる状態である。それはロウアルトも同じことで、このまま眠れと言われても無理がありすぎる。
「だったら……そ、そうだ。お話ししよう、お話っ!」
「話なら、日が昇っている時でもできるだろう? それとも、今、話をした分、明日の昼に……?」
「ロウ、最低っ! することしか頭にないのっ?」
「ロウ……もちっと頭を使って喋れや。でもって、レイちゃんもそう興奮すんなって」
心情的にはロウアルトに近い、というか、彼が言いださなかったら同じことを口走っていたかもしれないガルドゥークであるが、間一髪、レイガから『最低』呼ばわりされることは避けられた。そして、折角、評価を下げずにすんだのだから、ここはついでに点数を稼いでおくことにする。
「昼には昼の話、夜にゃ夜にしか出来ねぇ話ってのもあるんじゃねぇか?」
どうやら今夜のところはもうお預けが決定と見て、レイガの話に乗ってみる。ロウアルトはまだ少々不満顔だが、先ほどの『最低』が効いているようで、不承不承ながらも頷いた。
その様子にほっとした様子のレイガであったが、ふと、またもその表情を曇らせる。
「けど、夜の話って……自分から言い出した事だけど、あんまり凄い下ネタは……」
「当たり前だ。お前に聞かせる気はない」
「そーゆーのもアリかもしれねぇが、ま、他にもいろいろあらぁな――つっても、すぐには俺も思いつかねぇが……」
「あっ、だったら……」
『お話』をしている間に、下半身も少しは落ち着いてくれるだろうと言う目論見なのだから、そんな話題は逆効果だ。かといって、適当なものも思い浮かばないでいたところ、レイガが何かを思いついたようで、目を輝かせながら食いついて来た。
「ロウの故郷には伝説があるんでしょう? 月の女神、だっけ? 前にちょっとだけ聞いたけど、詳しくきかせてほしいな。それに、ガルドさんの方も……」
「俺の、つーと……ああ、巫女姫か」
「それそれっ。ねぇ、いいでしょ?」
「……構わんが、狄族なら誰でも知っている話だぞ?」
「私は狄族じゃないし、そもそもこっちの人じゃないんだから、聞きたいよ?」
「んじゃ、先にロウの話からだな。俺は、その後ってことで」
「まったく……どうしてこうなる……」
それでもまだ未練がましく、ロウアルトは輝くようなレイガの肢体に目をやるが、すぐにそれもベッドの上掛けで隠されてしまう。あきらめのため息を吐いた後、ゆっくりと話し始めた。
「俺の故郷――狄族の伝説に謳われる月の女神。
それは狄族の祖とされる男の妻だった女の話だ――」
それは、はるか昔の事――狄族は歴史を紙に記して残すのではなく、口伝によって伝える為、正確な年代はすでに不明となっている――世界の北に広がる荒野で、一人の男の赤子が産声を上げた。その子は、日に輝く北嶺の雪のような銀の髪と、蒼穹の色を映したかのごとき青い瞳を持っていた。
その当時の北は、大小さまざまな血縁からなる集団に分かれており、それが少ない大地に恵みを奪い合っていた。子供が生まれたのは、そんな中でも小さく弱い一族だった。その小ささ故に争いを好まず、北でもさらに辺境とされる貧しい場所で、細々と命をつないでいたのだが、子供がやがて少年となる頃、強大な力を誇る別の一族に襲われ、隷属を強いられることとなった。
少年は、その戦いで功のあった戦士に、奴婢として下げ渡された。幸いなことに、その戦士は戦いの場でこそ恐ろしい力をふるうものの、弱きものを虐げる性癖は持ち合わせていなかった。さらには妻も子も持たぬ身の上であった戦士は、褒美として与えられた少年を手ひどく扱わなかったばかりか、戯れに己の持つ武技を教え込むことまでしたという。
元々の素質もあったのだろう。少年から青年へと育つ頃には、同じ年頃のものたちの中でも頭角を現し、成年の儀を済ませて後は、戦士に従い、戦いの場へ赴くようになっていた。
やがて――二つの大きな出来事が彼に訪れた。
一つは、仕えていた戦士が死んだこと。
一族でも名高い戦士であったが、寄る年波には勝てず、小競り合いと称していいほどの小さな戦で傷を負った。浅手であり、すぐにも本懐するものと思われたが、傷口から悪い風が入ったのか、容体は悪化の一途をたどり、程なく天に召された。戦士は死ぬ間際に、己の持つすべてを男に与えると言い残した。
その遺言と、これまでの武勲を鑑みた族長から許しを得、男は戦士の財を受け継ぐとともに、新たに一族の一員としての『名』を与えらえた。
もう一つは、そのしばらくの後。
山一つ隔てた一族との争いの中でのことだ。
男の一族と同じくらい強大な力をもった者たちであり、戦いは畢竟、激しいものとならざるを得なかった。男は剣をふるい、幾多の相手を討ちはしたが、己も深い傷を負った。
深手を負い、いつしか戦場からさまよい出た男は、小さな水場にたどり着くと、そこで力尽き倒れ伏した。そのまま、男の命はそこで潰えるものと思われたが、彼を救ったものがいた。
射干玉の夜の闇を切り取ったような黒い髪と、黒曜石のように輝く瞳をもった女だった。
女は、男の一族が戦いを仕掛けた相手の、長の娘であった。父により戦に先駆け、落ち延びさせられていた女は、死にかけていた男を見つけ、敵でありながらも癒しの技を用い、その命を救い上げた。
何故、と問う男に、女は言った。
奪うばかりでは何も変わらない、と。
物心ついてより、ひたすら生きるために戦いつづけていた男には、女の言葉の意味が分からなかった。しかし、その瞳に宿る悲しみと、慈しみの光が男に何かをもたらした。
男は、それきり一族を捨て、女と共に旅に出た。
旅の途中、女は様々なことを男に語った。数々の一族のもとを訪れ、そこでも女は語った。
争うことの無益さ。酷さ。悲しさ。そして、それを変えるための術を。
相手にされず、石もて追われることすらあったが、それでも二人は旅をつづけた。
男は女を守り、時に剣をふるい、傷を負った。女はそんな男を癒し、尽くし、子をもうけて育んだ。
何時しか、男のもとには数多くの人々が集まり、大きな力となっていた。されど、男はそれを争いに用いることはなく、女がそれを援けた。子らも父母の助力となり、とうとう北は一つのまとまりとなることができた。
男は人々よりの推挙を受け、北の統率者となった。女は常にその傍らに控え、二人は争いを防ぐための様々な掟を作り出した。今に伝わる年に二度の族長会議――タイと呼ばれる仕組みも、この時に定められたといわれている。
北は平和となり、小さな諍いはあるにしても、昔のように一族がすべて滅ぼされる戦は絶えてなくなった。
男はこれを慶び、自らの率いる人々を、馬や羊に寄り添い戦火を制する者、として『狄』と名付けた。これが狄族の始まりとされる。
されど、ここで二人に悲劇が襲い掛かった。
北を制し、大きな力を持つことになった男だが、未だ壮年と言ってもよかった。銀の髪に青い瞳の偉丈夫は、数多くの女達の憧憬の的であった。しかし、男は妻となった女以外に目を向けることはなく、たとえどのような美女を献上されたとしても、すべて拒み、ひたすら妻一人を慈しんでいた。
それを妬むものがいた。名も生まれも伝わってはいないが、姿かたちは美しくとも心は卑しき女だったとされている。
男に懸想し、けれど手ひどく拒まれたその女は、あろうことか男の妻に毒を盛った。さらに不幸なことに、その毒は妻ではなく男自身が受けてしまったのだ。
毒に侵された男は、死の床についた。妻は己の持つ癒しの技で男を救おうとしたのだが、あまりに強い毒であったためにそれは果たせなかった。
やがて、男の命が天に還ると、妻は人々に大きな薪を組ませた。
その上に男の亡骸を横たえると、その前に立ち、妻である女は語った。
毒を盛った女を殺してはならぬ。
ただ拒むだけであった男にも非はある。それを窘めなかった己にも罪はある。
人の上に立つ者は、ただ罪を断ずるだけではならぬ。罪を犯さぬように導く器量を持たねばならぬ。
だが、自分達はそれを持たなんだ。自分達は死によってそれを償うが、女にそれを求めてはならぬ。
死に死をもって報いるのは、すでにこの『狄』の地では過去の事であるのだから。
そう告げると、妻は夫の亡骸に火を放った。そして、自らもその炎に飛び込み、夫ともに煙となり天へと駆け上った。
人々は嘆き悲しみ、怒った。が、妻の言葉に従い、罪を犯した女を殺すことはせず、荒野へと追放した。
残された子らは力を合わせ、父母の望みを守るべく、各々が均等に人々を率い、掟を守り生きていくことを誓った。
その後、長い年月が経つに連れ、男と妻は天より遣わされた者らであったとされるようになった。伝えられるその偉業と、麗しき容姿から男は日の神。妻はその名にちなんで、月の女神として崇拝の対象となる。特に妻は、その美しさ、賢さ、慈愛の性質により、女たちの生き方の手本であり、男たちの理想の伴侶としての一面を持つようになっていったのだった。
「……その『月の女神』が私?」
「俺にはそう見えた」
「なんていうか……そんな伝説にまでなっちゃう人に喩えられるなんて、擽ったいを通り越して、恐れ多い感じなんですけど……」
「ロウにはそう見えた、ってことだろ。ま、それを言うなら、俺も同じなんだがよ」
ロウアルトの話が終わったとみて、今度はガルドゥークが語り始める。
「俺のとこの話も有名っちゃ有名だな。吟遊詩人共のだし、王都の劇場なんかじゃ、結構な頻度で芝居が掛かってる。とは言え、あんまりにも古すぎて、それがホントの事なのかどうかってなぁ、眉唾だがよ」
そしてまた、ガリスハールにも一つの伝説がある。
その伝説の主は、現在のガリスハール王国の建国の祖とされる王の娘だった。
王国の歴史は古く、歴史書を紐解けば、それは千年近くにも及ぶという。
しかし、何事にも『始まり』というものは存在する。
当時の西の地は、今の東と似たような状況で、いくつもの小さな国がひしめいていた。いや、それよりももっと混沌としていただろう。城壁に囲まれた都市を一つでも持てば、それが一つの勢力(=国)として認められるような状況であり、その誰しもがもっと広く領土と強い力を求める――そんな時代だった。
彼女は、そんな勢力の一つの主の子として誕生した。
姫の父は、当時にしては珍しく、己の勢力を広げるよりも、今、自分の手のうちにあるものを大事に守り、育てることに重きを置く男だった。故に、自ら戦を仕掛けることもなく――仕掛けられれば相応の対応はしたが――領土と領民を富ませることに心を砕いた結果、そこそこの力を持つようになっていったと伝えられている。
姫は母は評判の美女であったと言うが、姫自身はそれ以上であった。月の光を編みあげたような金の髪と、黄昏時の湖のような紫の瞳を持ち、幼いころから美貌を謳われていたという。
不安定な時代であった故に、姫もまた、王の子としての重い責任を負っていた。ただし、男子ではなく女であったために、その手に武器を持ち、戦場に出ることは敵わない。だが、その代わりとでもいうように、姫は大いなる魔法の力を備えていた。
最初、それは類まれな癒しの力として発現した。
戦火の絶えない時代の事とて、巷には傷病者があふれかえっていた。姫の住まう王城でも、程度は違えど似たようなものだ。今だ直り切らぬ傷をおして、王の側に侍っていた近習が、傷の痛みに耐え切れず、つい小さく呻いた時、たまたま王に呼ばれていたまだ幼かった姫がそれを聞きつけたのだった。
どこかいたいの? と、心配そうな表情を浮かべ、たどたどしい口調で尋ねてくる姫に、近習はすぐさま答えた。
いえ、姫様。大したことはございません、もうよくなりました、と。
実際、傷の痛みは、姫の愛らしい顔(かんばせ)を目にし、金の鈴を転がすような声を聞いた途端、一瞬とは言え遠ざかっていた。
しかし、幼いながらも聡明であった姫は、すぐに彼の嘘を見破った。そして、その小さな手を差し伸べてきた。
いたくなくなりますように。
それは、たんなる思いやりの言葉であったはずだった。たとえ心からのものであったとしても、幼い姫の優しい心根が現れただけのものであったはずだった。
だが――その言葉と同時に、姫の小さな手が彼の体に触れた時、奇跡が起こったのだった。
姫の小さな手が微かに光り、その光は直ぐに近習の体全体へと広がっていった。
そして、それが消えた時、近習の体にあったすべての傷が癒えており――代わりに、姫の小さな体が床へと崩れ落ちた。
その後、一時混乱に陥った王城であったが、すぐさま呼ばれた薬師により、姫の身に起こったことが告げられた。
初めて使った療術により、急激に魔力が減少し、小さな体がそれに耐えきれずに倒れたのであり、安静にしていればすぐに元通りになるだろう、と。
その言葉の通り、程なく姫は意識を取り戻し、近習が健康な体を取り戻したことを喜んだ。
平和な世であったのなら、姫の力は素直に歓迎され、大きく喧伝されていただろう。魔法を使える者の数は少なく、中でも癒しの技を身に着けた者はさらに希少な時代だったからだ。だが、戦とそれによる負傷者が絶えぬとあれば、姫の力は『戦力』としてみなされる。ましてや、ただ一度の癒しで傷のすべてを消し去るほどの力とあれば、猶更だ。姫は今はまだ幼く、ただ一人を癒しただけで倒れてしまうが、将来、どれほどの力を振るうかは明白だった。その為、王は、この事を口外することを固く禁じた。少なくとも姫が成長し、己の魔力を制御できるまで――可能であれば、この先ずっと。
だが――時代はそれを許さなかった。
姫が十五の年を数える頃、これまでで最大の戦いが国を襲った。
それまで比較的平和であったこの国は、王の方針もあり他国よりもはるかに豊かな実りを得ていた。それを狙っての戦であった。
おとなしく降伏するならば、命だけはとらずにおいてやる――そんな相手国の言葉に、王は決して頷かなかった。なぜならば、それはまさにその言葉通りで、たとえその場で『命だけ』は助かったとしても、人々の努力の末の実りも、それを生み出す豊かな大地も、すべて相手の国のものとなり、元の民たちは更なる戦いの場へと追いやられることが分かり切っていたからだ。
その戦いが厳しいものと知って、尚、守るべき者たちを守るために、王は自ら、先頭に立って戦に望んだ。そして、その傍らには、姫の姿もあった。
予想通り、その戦いは辛く激しいものだった。攻め込んできたのは、戦上手と噂の、急激に力を付けてきていた国であった。兵士たちも手練れが多く、戦いは防戦一方となり、多くの死者やけが人が出た。だが、姫の国はギリギリのところで、それを食い止めることが出来ていた。
それは、常に最前線に立つ自らの王と、それにぴったりと付き従う姫の姿があったおかげだった。
上がる悲鳴、飛び散る血しぶき、軍馬のいななき――大の男であっても、目をそむけたくなる惨い戦の様子に、けれど姫はそれから逃げようとはしなかった。自ら剣を振るって戦うことこそなかったが、激しい戦闘が一段落すれば、倒れる寸前までその癒しの力を振るい、兵士たちの命を救っていった。力及ばず、死の国へと旅立った者には、その傍らに膝をつき、涙と共に魂の平安を祈った。
戦場の事とて、簡素で動きやすい衣装を身にまとっていても、その姿は美しかった。その衣装のあちこちが血と泥に汚れていても、それでも尚、美しく気高かった。
姫に命を救われた者も、そうでない者も、等しくその姿に心打たれ――何時しか、姫は、天上の神々が遣わされた巫女であると――その見事な金の髪も相まって『黄金の巫女姫』と称えられるようになっていった。
そしてやがて――戦局が変わり始めた。思いがけぬほど姫の国が持ちこたえていたことにより、戦を仕掛けてきた国のあちこちから反乱ののろしが上がったのだ。また、未だに侵攻はされてはいなくとも、次は己が……と怯えていた近隣の諸国も、これを機とみて立ち上がった。
短い間にいくつもの国を併呑し、更に版図を広げようとした野心が、そのツケを払わされてることになったのである。
最初はバラバラであったその動きだが、次第に一つのまとまりとなっていった。その中心にいたのは姫の父である王と、他ならぬ姫自身であった。
自らが旗印となり、戦火が激しさを増すことを、王も姫も決して歓迎してはいなかった。けれど、何時か誰かが、この争いの日々に終止符を打たねばならぬことも、悟っていた。
周辺の国々の意思をまとめ上げ、戦力を整えた後、彼らは最後の戦いへと赴いた。
その戦いは、これまでの戦のどれよりも激しく、無残なものとなった。
これが最後とばかりに、戦力のすべてを傾けてきた敵国は、戦上手の噂にたがわぬ強さで、数に勝る連合軍も何度となく危地に陥れられた。決死の覚悟で踏みとどまりはしたが、敵国王自らが率いる精鋭が、王のいる主力の部隊に肉薄し、あわや……と思われた、その時。
姫は、これまで一度もしたことのない行動へ出た。
即ち、今まで人を癒すことにしか用いなかった己の魔力を、武器として敵へと向けたのである。
雷の光が目を灼き、大地は揺れて敵の突進を阻んだ。
風が唸りを上げて舞い狂い、炎の矢が降り注ぎ、水は刃となって敵を屠った。
それは、たった一人の魔力で成されたとは到底思えないほどのものであった。これほどの力を持つ者が連合軍にいるとは、敵国も思ってはいなかっただろう。敵軍は浮足立ち、連合軍はその隙を見逃すことなく、反撃に撃って転じ――とうとう、姫の父の刃が、敵の首魁を討ち取ることができたのであった。
その後、姫の父は周囲の国の推挙を受け、新たなる広大な『国』の王座に就くことになった。
それが、今に続くガリスハールである。
戴冠式の日、その傍らには妻である王妃と、今だ幼く戦に出る事のなかった息子が寄り添っていた――しかし、何故かそこに姫の姿はなかった。
その時も、それからずっと先も。姫の姿を見た者は、誰一人としていなかった。
人々はそのことを訝しみ、姫を求めて方々を探したが、決して見出すことはできなかった。
そのため、何時しか、姫は本当に戦の続く乱世を憂いた天上の神々が遣わした人であり、自らの務めを果たした後、再び神々の御許へともどったのだ噂され――それが、今の世に伝わる『黄金の巫女姫』の伝説となっていったのだった。
「……って事で、多少、端折りはしたが、まぁ、こういう話だ」
「そのお姫様って、本当に見つからなかったの?」
「正式な王国の歴史書にゃ、没年不詳って書かれてるらしい。ってこたぁ、少なくとも表舞台に出てくることはなかったんだろうな。まぁ、吟遊詩人や舞台の脚本家共は、その後の話を適当にでっち上げてやがるが――例えば、その後、戦の死者を弔うために神殿に入って、そこで生涯を祈りにささげたとか、実は戦の最中に敵国の騎士と恋に落ちて、手に手を取って駆け落ちしちまったとか……」
「神殿に入るのは兎も角、後のはなんか、そのお姫様のイメージじゃない気がするんだけど?」
「大昔の話だぜ。伝わってる話自体が、何所までホントかわかったもんじゃねぇ――言ったろ? お伽噺の類だってな」
むぅ、と顔をしかめるレイガにガルドゥークは苦笑する。
「で、レイちゃん。結構な時間になってるぜ」
「あ……」
「話を聞いて気が済んだなら、寝るぞ、レイ」
「はーい」
己の故郷に伝わる伝説という話題の為か、はたまた、思ったよりも長くなった時間に寄るものかは定かでないが、流石に男二人の昂りも鳴りをひそめてしまっていた。
これならば、何とか眠れそうだ――とは、口には出さないが、二人の共通した思いである。
そして、レイガはと言えば、すっかりとそれらの話に引き込まれて、最前まで自分たちが何をしていたのかもほとんど忘れてしまっている様子である――三名共いまだ全裸では、あったのだが。
「明け方は冷え込むぞ――もっとこっちにこい」
「って言うか、服を着ればいいんだと思うけど」
「そりゃそうだが……勿体ねぇなぁ」
「言葉の使い方が、なんかおかしいと思うのは私だけ?」
そんな軽口をたたきつつも、上掛けに包まりつつ逞しい腕と胸に前後を挟まれれば、その温もりと安心感にレイガの瞼もとろとろと落ちかかって来る。
「ゆっくり眠れ」
「お休みな、レイちゃん」
「ん……おやすみなさい、ロウ、ガルドさん……」
そうして、夜も更け――やがてまた、新しい一日の始まりがやって来るのだった。
窓際に置かれたベッドにもその光は降り注ぎ、その上に横たわる艶めかしい肢体を、闇の中にほの白く浮き上がらせていた。
「……もぅ、無理、も、限界……二人共、頑張りすぎ……」
汗に濡れ、ぐったりと脱力してシーツに体を預けていた女性の口から、そんな言葉が漏れる。
本来は、金の鈴を振るような高く澄んだ声なのだが、今は諸事情にて枯れ気味だ。更には、紡ぎだされる言葉の中身も、名工が丹精を込めて掘りあげた彫像のような美貌と、非の打ち所がないほどに優美で女らしい曲線を描く躰の持ち主には、少々そぐわない。どちらかと言えば、そこらにいくらでもいる町娘のような口調なのだが――その台詞を向けられた者たちにとっては、これが通常らしい。違和感を感じている様子もなく、軽い口調でそれに応じる。
「なんだ。もうか?」
「そりゃねぇぜ、レイちゃん。これから……ってところだろ?」
「ロウも、ガルドさんも、無茶謂わないでよ。基本的なスタミナが違いすぎるんだってば……」
疲労困憊の彼女――レイガとは違い、男二人はまだ余裕綽々だ。共に一度は吐精を済ませているはずなのだが、まだまだ元気。今だにその欲望は衰える気配すら見せていない。そもそもが、一度ずつで済んだことなどないのだから、それも当たり前だろう。
しかし、それを相手にする彼女にしてみれば、とんでもない話である。
好き合ってこうしているのだから、行為そのものを拒む気は毛頭ないし、『愛されている』と実感できてうれしい。無論、彼女も『愛している』と言葉と態度でそれを表しているのだが、それにしても毎晩これでは体がもたない、というのが本音だ。
気力体力共に充実しまくった若い男、しかも二人掛かりの『愛情』を受け入れるには、彼女のそれは脆弱に過ぎるのである―― 一回ずつならまだしも。
「ねぇ……今夜はもうこれくらいにしない?」
このままでは、明日の朝、まともに起きられるとは思えない。現に今朝も、重たい瞼をこじ開け、ベッドから起き上がるにかなり難儀をしたレイガである。「寝ていて構わんぞ」とは言われたが、何しろ同じ部屋で寝起きをしているのだ。男二人が元気はつらつと動き回っているのに、自分一人が何時までも(裸で)ベッドにいる、という事態はできれば避けたい。だが、明日こそはとうとうそうなりかねないと危惧しての発言だった。
「……それはもう、俺達の相手をしたくないという意味か?」
「い、いや、そう言う訳じゃないけどっ。でも、ここのところ毎晩、こんな感じでしょ? だから……その、何というか、こういう事ばっかじゃなくて、他の事もしたいというか……」
「この夜中に、か?」
男の片割れ――ロウアルト――の問いかけも尤もだ。娯楽の少ないこちらの世界では、夜になれば基本的に寝るしかない。睦みあうという意味での『寝る』を否定してしまえば、残るは本来の『睡眠をとる』という選択肢しか残らない。
「今夜のところは、これで大人しく寝ちゃうってのもアリかと……」
「無茶を言うな」
「即決で却下っ!?」
「まぁ、ロウがそう言うのも仕方ねぇぜ、レイちゃん。この状態で寝ろって言われてもなぁ……」
驚愕の声を上げるレイガに、もう一人――ガルドゥークが苦笑しながら言う。
ロウアルトよりは『女心の機微』というものに通じている彼は、レイガが会話を求めていると察して、大人しく手出しを控えている。が、上半身のそんな事情など、下半身はお構いなしだ。今現在も、張り切りまくって『起きて』いる状態である。それはロウアルトも同じことで、このまま眠れと言われても無理がありすぎる。
「だったら……そ、そうだ。お話ししよう、お話っ!」
「話なら、日が昇っている時でもできるだろう? それとも、今、話をした分、明日の昼に……?」
「ロウ、最低っ! することしか頭にないのっ?」
「ロウ……もちっと頭を使って喋れや。でもって、レイちゃんもそう興奮すんなって」
心情的にはロウアルトに近い、というか、彼が言いださなかったら同じことを口走っていたかもしれないガルドゥークであるが、間一髪、レイガから『最低』呼ばわりされることは避けられた。そして、折角、評価を下げずにすんだのだから、ここはついでに点数を稼いでおくことにする。
「昼には昼の話、夜にゃ夜にしか出来ねぇ話ってのもあるんじゃねぇか?」
どうやら今夜のところはもうお預けが決定と見て、レイガの話に乗ってみる。ロウアルトはまだ少々不満顔だが、先ほどの『最低』が効いているようで、不承不承ながらも頷いた。
その様子にほっとした様子のレイガであったが、ふと、またもその表情を曇らせる。
「けど、夜の話って……自分から言い出した事だけど、あんまり凄い下ネタは……」
「当たり前だ。お前に聞かせる気はない」
「そーゆーのもアリかもしれねぇが、ま、他にもいろいろあらぁな――つっても、すぐには俺も思いつかねぇが……」
「あっ、だったら……」
『お話』をしている間に、下半身も少しは落ち着いてくれるだろうと言う目論見なのだから、そんな話題は逆効果だ。かといって、適当なものも思い浮かばないでいたところ、レイガが何かを思いついたようで、目を輝かせながら食いついて来た。
「ロウの故郷には伝説があるんでしょう? 月の女神、だっけ? 前にちょっとだけ聞いたけど、詳しくきかせてほしいな。それに、ガルドさんの方も……」
「俺の、つーと……ああ、巫女姫か」
「それそれっ。ねぇ、いいでしょ?」
「……構わんが、狄族なら誰でも知っている話だぞ?」
「私は狄族じゃないし、そもそもこっちの人じゃないんだから、聞きたいよ?」
「んじゃ、先にロウの話からだな。俺は、その後ってことで」
「まったく……どうしてこうなる……」
それでもまだ未練がましく、ロウアルトは輝くようなレイガの肢体に目をやるが、すぐにそれもベッドの上掛けで隠されてしまう。あきらめのため息を吐いた後、ゆっくりと話し始めた。
「俺の故郷――狄族の伝説に謳われる月の女神。
それは狄族の祖とされる男の妻だった女の話だ――」
それは、はるか昔の事――狄族は歴史を紙に記して残すのではなく、口伝によって伝える為、正確な年代はすでに不明となっている――世界の北に広がる荒野で、一人の男の赤子が産声を上げた。その子は、日に輝く北嶺の雪のような銀の髪と、蒼穹の色を映したかのごとき青い瞳を持っていた。
その当時の北は、大小さまざまな血縁からなる集団に分かれており、それが少ない大地に恵みを奪い合っていた。子供が生まれたのは、そんな中でも小さく弱い一族だった。その小ささ故に争いを好まず、北でもさらに辺境とされる貧しい場所で、細々と命をつないでいたのだが、子供がやがて少年となる頃、強大な力を誇る別の一族に襲われ、隷属を強いられることとなった。
少年は、その戦いで功のあった戦士に、奴婢として下げ渡された。幸いなことに、その戦士は戦いの場でこそ恐ろしい力をふるうものの、弱きものを虐げる性癖は持ち合わせていなかった。さらには妻も子も持たぬ身の上であった戦士は、褒美として与えられた少年を手ひどく扱わなかったばかりか、戯れに己の持つ武技を教え込むことまでしたという。
元々の素質もあったのだろう。少年から青年へと育つ頃には、同じ年頃のものたちの中でも頭角を現し、成年の儀を済ませて後は、戦士に従い、戦いの場へ赴くようになっていた。
やがて――二つの大きな出来事が彼に訪れた。
一つは、仕えていた戦士が死んだこと。
一族でも名高い戦士であったが、寄る年波には勝てず、小競り合いと称していいほどの小さな戦で傷を負った。浅手であり、すぐにも本懐するものと思われたが、傷口から悪い風が入ったのか、容体は悪化の一途をたどり、程なく天に召された。戦士は死ぬ間際に、己の持つすべてを男に与えると言い残した。
その遺言と、これまでの武勲を鑑みた族長から許しを得、男は戦士の財を受け継ぐとともに、新たに一族の一員としての『名』を与えらえた。
もう一つは、そのしばらくの後。
山一つ隔てた一族との争いの中でのことだ。
男の一族と同じくらい強大な力をもった者たちであり、戦いは畢竟、激しいものとならざるを得なかった。男は剣をふるい、幾多の相手を討ちはしたが、己も深い傷を負った。
深手を負い、いつしか戦場からさまよい出た男は、小さな水場にたどり着くと、そこで力尽き倒れ伏した。そのまま、男の命はそこで潰えるものと思われたが、彼を救ったものがいた。
射干玉の夜の闇を切り取ったような黒い髪と、黒曜石のように輝く瞳をもった女だった。
女は、男の一族が戦いを仕掛けた相手の、長の娘であった。父により戦に先駆け、落ち延びさせられていた女は、死にかけていた男を見つけ、敵でありながらも癒しの技を用い、その命を救い上げた。
何故、と問う男に、女は言った。
奪うばかりでは何も変わらない、と。
物心ついてより、ひたすら生きるために戦いつづけていた男には、女の言葉の意味が分からなかった。しかし、その瞳に宿る悲しみと、慈しみの光が男に何かをもたらした。
男は、それきり一族を捨て、女と共に旅に出た。
旅の途中、女は様々なことを男に語った。数々の一族のもとを訪れ、そこでも女は語った。
争うことの無益さ。酷さ。悲しさ。そして、それを変えるための術を。
相手にされず、石もて追われることすらあったが、それでも二人は旅をつづけた。
男は女を守り、時に剣をふるい、傷を負った。女はそんな男を癒し、尽くし、子をもうけて育んだ。
何時しか、男のもとには数多くの人々が集まり、大きな力となっていた。されど、男はそれを争いに用いることはなく、女がそれを援けた。子らも父母の助力となり、とうとう北は一つのまとまりとなることができた。
男は人々よりの推挙を受け、北の統率者となった。女は常にその傍らに控え、二人は争いを防ぐための様々な掟を作り出した。今に伝わる年に二度の族長会議――タイと呼ばれる仕組みも、この時に定められたといわれている。
北は平和となり、小さな諍いはあるにしても、昔のように一族がすべて滅ぼされる戦は絶えてなくなった。
男はこれを慶び、自らの率いる人々を、馬や羊に寄り添い戦火を制する者、として『狄』と名付けた。これが狄族の始まりとされる。
されど、ここで二人に悲劇が襲い掛かった。
北を制し、大きな力を持つことになった男だが、未だ壮年と言ってもよかった。銀の髪に青い瞳の偉丈夫は、数多くの女達の憧憬の的であった。しかし、男は妻となった女以外に目を向けることはなく、たとえどのような美女を献上されたとしても、すべて拒み、ひたすら妻一人を慈しんでいた。
それを妬むものがいた。名も生まれも伝わってはいないが、姿かたちは美しくとも心は卑しき女だったとされている。
男に懸想し、けれど手ひどく拒まれたその女は、あろうことか男の妻に毒を盛った。さらに不幸なことに、その毒は妻ではなく男自身が受けてしまったのだ。
毒に侵された男は、死の床についた。妻は己の持つ癒しの技で男を救おうとしたのだが、あまりに強い毒であったためにそれは果たせなかった。
やがて、男の命が天に還ると、妻は人々に大きな薪を組ませた。
その上に男の亡骸を横たえると、その前に立ち、妻である女は語った。
毒を盛った女を殺してはならぬ。
ただ拒むだけであった男にも非はある。それを窘めなかった己にも罪はある。
人の上に立つ者は、ただ罪を断ずるだけではならぬ。罪を犯さぬように導く器量を持たねばならぬ。
だが、自分達はそれを持たなんだ。自分達は死によってそれを償うが、女にそれを求めてはならぬ。
死に死をもって報いるのは、すでにこの『狄』の地では過去の事であるのだから。
そう告げると、妻は夫の亡骸に火を放った。そして、自らもその炎に飛び込み、夫ともに煙となり天へと駆け上った。
人々は嘆き悲しみ、怒った。が、妻の言葉に従い、罪を犯した女を殺すことはせず、荒野へと追放した。
残された子らは力を合わせ、父母の望みを守るべく、各々が均等に人々を率い、掟を守り生きていくことを誓った。
その後、長い年月が経つに連れ、男と妻は天より遣わされた者らであったとされるようになった。伝えられるその偉業と、麗しき容姿から男は日の神。妻はその名にちなんで、月の女神として崇拝の対象となる。特に妻は、その美しさ、賢さ、慈愛の性質により、女たちの生き方の手本であり、男たちの理想の伴侶としての一面を持つようになっていったのだった。
「……その『月の女神』が私?」
「俺にはそう見えた」
「なんていうか……そんな伝説にまでなっちゃう人に喩えられるなんて、擽ったいを通り越して、恐れ多い感じなんですけど……」
「ロウにはそう見えた、ってことだろ。ま、それを言うなら、俺も同じなんだがよ」
ロウアルトの話が終わったとみて、今度はガルドゥークが語り始める。
「俺のとこの話も有名っちゃ有名だな。吟遊詩人共のだし、王都の劇場なんかじゃ、結構な頻度で芝居が掛かってる。とは言え、あんまりにも古すぎて、それがホントの事なのかどうかってなぁ、眉唾だがよ」
そしてまた、ガリスハールにも一つの伝説がある。
その伝説の主は、現在のガリスハール王国の建国の祖とされる王の娘だった。
王国の歴史は古く、歴史書を紐解けば、それは千年近くにも及ぶという。
しかし、何事にも『始まり』というものは存在する。
当時の西の地は、今の東と似たような状況で、いくつもの小さな国がひしめいていた。いや、それよりももっと混沌としていただろう。城壁に囲まれた都市を一つでも持てば、それが一つの勢力(=国)として認められるような状況であり、その誰しもがもっと広く領土と強い力を求める――そんな時代だった。
彼女は、そんな勢力の一つの主の子として誕生した。
姫の父は、当時にしては珍しく、己の勢力を広げるよりも、今、自分の手のうちにあるものを大事に守り、育てることに重きを置く男だった。故に、自ら戦を仕掛けることもなく――仕掛けられれば相応の対応はしたが――領土と領民を富ませることに心を砕いた結果、そこそこの力を持つようになっていったと伝えられている。
姫は母は評判の美女であったと言うが、姫自身はそれ以上であった。月の光を編みあげたような金の髪と、黄昏時の湖のような紫の瞳を持ち、幼いころから美貌を謳われていたという。
不安定な時代であった故に、姫もまた、王の子としての重い責任を負っていた。ただし、男子ではなく女であったために、その手に武器を持ち、戦場に出ることは敵わない。だが、その代わりとでもいうように、姫は大いなる魔法の力を備えていた。
最初、それは類まれな癒しの力として発現した。
戦火の絶えない時代の事とて、巷には傷病者があふれかえっていた。姫の住まう王城でも、程度は違えど似たようなものだ。今だ直り切らぬ傷をおして、王の側に侍っていた近習が、傷の痛みに耐え切れず、つい小さく呻いた時、たまたま王に呼ばれていたまだ幼かった姫がそれを聞きつけたのだった。
どこかいたいの? と、心配そうな表情を浮かべ、たどたどしい口調で尋ねてくる姫に、近習はすぐさま答えた。
いえ、姫様。大したことはございません、もうよくなりました、と。
実際、傷の痛みは、姫の愛らしい顔(かんばせ)を目にし、金の鈴を転がすような声を聞いた途端、一瞬とは言え遠ざかっていた。
しかし、幼いながらも聡明であった姫は、すぐに彼の嘘を見破った。そして、その小さな手を差し伸べてきた。
いたくなくなりますように。
それは、たんなる思いやりの言葉であったはずだった。たとえ心からのものであったとしても、幼い姫の優しい心根が現れただけのものであったはずだった。
だが――その言葉と同時に、姫の小さな手が彼の体に触れた時、奇跡が起こったのだった。
姫の小さな手が微かに光り、その光は直ぐに近習の体全体へと広がっていった。
そして、それが消えた時、近習の体にあったすべての傷が癒えており――代わりに、姫の小さな体が床へと崩れ落ちた。
その後、一時混乱に陥った王城であったが、すぐさま呼ばれた薬師により、姫の身に起こったことが告げられた。
初めて使った療術により、急激に魔力が減少し、小さな体がそれに耐えきれずに倒れたのであり、安静にしていればすぐに元通りになるだろう、と。
その言葉の通り、程なく姫は意識を取り戻し、近習が健康な体を取り戻したことを喜んだ。
平和な世であったのなら、姫の力は素直に歓迎され、大きく喧伝されていただろう。魔法を使える者の数は少なく、中でも癒しの技を身に着けた者はさらに希少な時代だったからだ。だが、戦とそれによる負傷者が絶えぬとあれば、姫の力は『戦力』としてみなされる。ましてや、ただ一度の癒しで傷のすべてを消し去るほどの力とあれば、猶更だ。姫は今はまだ幼く、ただ一人を癒しただけで倒れてしまうが、将来、どれほどの力を振るうかは明白だった。その為、王は、この事を口外することを固く禁じた。少なくとも姫が成長し、己の魔力を制御できるまで――可能であれば、この先ずっと。
だが――時代はそれを許さなかった。
姫が十五の年を数える頃、これまでで最大の戦いが国を襲った。
それまで比較的平和であったこの国は、王の方針もあり他国よりもはるかに豊かな実りを得ていた。それを狙っての戦であった。
おとなしく降伏するならば、命だけはとらずにおいてやる――そんな相手国の言葉に、王は決して頷かなかった。なぜならば、それはまさにその言葉通りで、たとえその場で『命だけ』は助かったとしても、人々の努力の末の実りも、それを生み出す豊かな大地も、すべて相手の国のものとなり、元の民たちは更なる戦いの場へと追いやられることが分かり切っていたからだ。
その戦いが厳しいものと知って、尚、守るべき者たちを守るために、王は自ら、先頭に立って戦に望んだ。そして、その傍らには、姫の姿もあった。
予想通り、その戦いは辛く激しいものだった。攻め込んできたのは、戦上手と噂の、急激に力を付けてきていた国であった。兵士たちも手練れが多く、戦いは防戦一方となり、多くの死者やけが人が出た。だが、姫の国はギリギリのところで、それを食い止めることが出来ていた。
それは、常に最前線に立つ自らの王と、それにぴったりと付き従う姫の姿があったおかげだった。
上がる悲鳴、飛び散る血しぶき、軍馬のいななき――大の男であっても、目をそむけたくなる惨い戦の様子に、けれど姫はそれから逃げようとはしなかった。自ら剣を振るって戦うことこそなかったが、激しい戦闘が一段落すれば、倒れる寸前までその癒しの力を振るい、兵士たちの命を救っていった。力及ばず、死の国へと旅立った者には、その傍らに膝をつき、涙と共に魂の平安を祈った。
戦場の事とて、簡素で動きやすい衣装を身にまとっていても、その姿は美しかった。その衣装のあちこちが血と泥に汚れていても、それでも尚、美しく気高かった。
姫に命を救われた者も、そうでない者も、等しくその姿に心打たれ――何時しか、姫は、天上の神々が遣わされた巫女であると――その見事な金の髪も相まって『黄金の巫女姫』と称えられるようになっていった。
そしてやがて――戦局が変わり始めた。思いがけぬほど姫の国が持ちこたえていたことにより、戦を仕掛けてきた国のあちこちから反乱ののろしが上がったのだ。また、未だに侵攻はされてはいなくとも、次は己が……と怯えていた近隣の諸国も、これを機とみて立ち上がった。
短い間にいくつもの国を併呑し、更に版図を広げようとした野心が、そのツケを払わされてることになったのである。
最初はバラバラであったその動きだが、次第に一つのまとまりとなっていった。その中心にいたのは姫の父である王と、他ならぬ姫自身であった。
自らが旗印となり、戦火が激しさを増すことを、王も姫も決して歓迎してはいなかった。けれど、何時か誰かが、この争いの日々に終止符を打たねばならぬことも、悟っていた。
周辺の国々の意思をまとめ上げ、戦力を整えた後、彼らは最後の戦いへと赴いた。
その戦いは、これまでの戦のどれよりも激しく、無残なものとなった。
これが最後とばかりに、戦力のすべてを傾けてきた敵国は、戦上手の噂にたがわぬ強さで、数に勝る連合軍も何度となく危地に陥れられた。決死の覚悟で踏みとどまりはしたが、敵国王自らが率いる精鋭が、王のいる主力の部隊に肉薄し、あわや……と思われた、その時。
姫は、これまで一度もしたことのない行動へ出た。
即ち、今まで人を癒すことにしか用いなかった己の魔力を、武器として敵へと向けたのである。
雷の光が目を灼き、大地は揺れて敵の突進を阻んだ。
風が唸りを上げて舞い狂い、炎の矢が降り注ぎ、水は刃となって敵を屠った。
それは、たった一人の魔力で成されたとは到底思えないほどのものであった。これほどの力を持つ者が連合軍にいるとは、敵国も思ってはいなかっただろう。敵軍は浮足立ち、連合軍はその隙を見逃すことなく、反撃に撃って転じ――とうとう、姫の父の刃が、敵の首魁を討ち取ることができたのであった。
その後、姫の父は周囲の国の推挙を受け、新たなる広大な『国』の王座に就くことになった。
それが、今に続くガリスハールである。
戴冠式の日、その傍らには妻である王妃と、今だ幼く戦に出る事のなかった息子が寄り添っていた――しかし、何故かそこに姫の姿はなかった。
その時も、それからずっと先も。姫の姿を見た者は、誰一人としていなかった。
人々はそのことを訝しみ、姫を求めて方々を探したが、決して見出すことはできなかった。
そのため、何時しか、姫は本当に戦の続く乱世を憂いた天上の神々が遣わした人であり、自らの務めを果たした後、再び神々の御許へともどったのだ噂され――それが、今の世に伝わる『黄金の巫女姫』の伝説となっていったのだった。
「……って事で、多少、端折りはしたが、まぁ、こういう話だ」
「そのお姫様って、本当に見つからなかったの?」
「正式な王国の歴史書にゃ、没年不詳って書かれてるらしい。ってこたぁ、少なくとも表舞台に出てくることはなかったんだろうな。まぁ、吟遊詩人や舞台の脚本家共は、その後の話を適当にでっち上げてやがるが――例えば、その後、戦の死者を弔うために神殿に入って、そこで生涯を祈りにささげたとか、実は戦の最中に敵国の騎士と恋に落ちて、手に手を取って駆け落ちしちまったとか……」
「神殿に入るのは兎も角、後のはなんか、そのお姫様のイメージじゃない気がするんだけど?」
「大昔の話だぜ。伝わってる話自体が、何所までホントかわかったもんじゃねぇ――言ったろ? お伽噺の類だってな」
むぅ、と顔をしかめるレイガにガルドゥークは苦笑する。
「で、レイちゃん。結構な時間になってるぜ」
「あ……」
「話を聞いて気が済んだなら、寝るぞ、レイ」
「はーい」
己の故郷に伝わる伝説という話題の為か、はたまた、思ったよりも長くなった時間に寄るものかは定かでないが、流石に男二人の昂りも鳴りをひそめてしまっていた。
これならば、何とか眠れそうだ――とは、口には出さないが、二人の共通した思いである。
そして、レイガはと言えば、すっかりとそれらの話に引き込まれて、最前まで自分たちが何をしていたのかもほとんど忘れてしまっている様子である――三名共いまだ全裸では、あったのだが。
「明け方は冷え込むぞ――もっとこっちにこい」
「って言うか、服を着ればいいんだと思うけど」
「そりゃそうだが……勿体ねぇなぁ」
「言葉の使い方が、なんかおかしいと思うのは私だけ?」
そんな軽口をたたきつつも、上掛けに包まりつつ逞しい腕と胸に前後を挟まれれば、その温もりと安心感にレイガの瞼もとろとろと落ちかかって来る。
「ゆっくり眠れ」
「お休みな、レイちゃん」
「ん……おやすみなさい、ロウ、ガルドさん……」
そうして、夜も更け――やがてまた、新しい一日の始まりがやって来るのだった。
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