上 下
35 / 60

第二十五計(後) 偸梁換柱《ちゅうりょうかんちゅう》…難しいことを相手に押し付けて、相対的に自分を優位にします

しおりを挟む
 その日の夕方のことだった。
 僕の部屋の扉をノックする者があったので、夕食が運ばれてきたのかと思って顔を出してみた。
 フードをかぶった女中が、トレイに載せて差し出したものがある。
「これは……」
 粗末な食事に、思わず呻いた。
 何かあったのかと思って、食事を運んできた女中さんの顔をフード越しに覗き込む。
 こっそり香水でもつけているのか、不思議な香りがする。
「……カスト?」
 脳裏に閃いた名前を口にすると、フードの奥の眼が怪しく光った。
 今朝の囁き声が、再び僕に告げる。
「追放だ……異世界召喚者殿」
 こういうとき、じたばたするのは性に合わない。
 城の廊下を並んで歩きながら、僕はカストに尋ねる。
「ディリア様は、このことを……」
「さあな」
 目も合わせないで答えるのは、リカルドの独断だということだ。
「何の罪で?」
 どんな証拠で、どんな出来事をでっち上げたのか。
「罪などない。住みかを変えてもらうだけだ……ずっと広い所ヘな」
 ちょっと、拍子抜けだった。
 カストが僕を連れて行ったのは、城の裏口っぽいところを出たところに停められた幌馬車だった。
 乗せられる前に、一応、聞いてみた。
「どこへ?」
 返事はなかった。
 御者となったカストに連れて行かれたのは、暗い田舎道の果てにある、埃っぽい小屋だった。
 着いたのは夜中だったが、その中へ灯もよこさず僕を押し込んだカストは、幌馬車に乗って帰っていく。
 ただ、去り際には、こう言い残した。
「余計なことはするな。リカルド様に任せておけば、ディリア様が傷つくことも、無駄な血が流れることもない」
 とりあえず、僕も逆らうつもりはなかった。
 こういうときは、寝るしかないのだ。

 目が覚めると、微かに波の音がした。
 閉じられた窓の隙間から、朝日が差し込んでくる。
 窓を開けてみると、目の前には、輝く湖面が広がっていた。
 それに見とれる間もなく、後ろから声が聞こえる。
「おはよう……カリヤ」
 振り向いたところには、肌着の襟元に白い胸の谷間を晒した、エルフのターニアが横たわっていた。
 ちょうど、僕が寝ていた辺りに。
 僕は、おずおずと尋ねた。
「い……いつから?」
 ターニアは、いたずらっぽく笑いながら答えた。
「カリヤがすっかり寝入った後」
 
 ……しまったあああ! 何で起きなかったんだああああ! 添い寝してもらってたのにいいいいい!

 聞けば、僕がカストに連れて行かれるのを、フェアリーのポーシャとレプラホーンのハクウが見ていたらしい。
 隠し部屋の中にいたディリアは、リカルドへの怒りで身体を震わせたが、僕を奪い返そうとはしなかった。
 ただ、フェレットのマイオを抱きしめて、こう言うしかなかったのだった。
「ごめんなさい……カリヤ。私に黙って行ったのは、あなたを助けさせないためね」
 そうなのだ。僕は罪に問われてさえいない。
 たかが住居移転にディリアが口を挟めば、リカルドはまた王位継承者としての資質を問うてくるだろう。
 だから、僕も抵抗はしなかったのだ。
 マイオはターニアの分身だから、その辺の事情は全て伝わる。
 心配したターニアはわざわざ、あの白馬を駆って追いかけてきてくれたのだった。
 
 僕が連れてこられたのは、リントス王国の南東にある「霧の湖」だった。
 不思議な生物が棲みついているらしいので、その見物も兼ねて、僕はしばらく、ここでのんびりと過ごすことにした。
「あ、ターニア、あれは?」
 翼の生えたウサギのような獣が、水面を軽々と跳ねる。
「あれはね……」
 何やら長い名前をターニアが楽しそうにまくしたてたが、あまりの速さに聞き取れなかった。
 静かな湖面に遊ぶ幻獣たちを眺めながら、いつまでもターニアとここで暮らしたいと思いはじめた頃だった。
「いい気なもんだな」
 愛想のない声が聞こえた。
 その代わりにターニアの姿は消えたので、仕方なしに振り向く。
 そこにはフードを目深にかぶってマントを羽織った男がひとり、湖畔の光の中で影のように立っていた。
 暗殺者のアンガだった。
 別に逃げたわけでもサボっているわけでもないのでムッと来たが、そこは爽やかに答えてみせる。
「追放者っていうのは、こんなものさ」
 須磨に流された光源氏は、案外、こんなふうに現場のストレスから解放されて、のんびりやっていたのかもしれない。
 だが、そんな日々は長く続かないものだ。
 こっちが望まなくても、活躍の場は向こうからやってくる。
「リカルドが外国から強力なパーティを雇って、ダンジョンへ潜らせた」
「たぶん、そうするだろうと思っていたよ」
 満座の中でリカルドの面子を潰しにかかった僕を城から追い出すには、ダンジョン破りのお株を奪うのがいちばん効く。
 前回は近衛兵団を使って失敗したから、今度は本職中の本職を使おうというのだろう。
 平然としている僕への苛立ちを抑えているらしく、アンガはくぐもった声で告げた。
「すぐに戻れ。連中は生きて帰った。先を越されるな」
 僕は遠い水平線を眺めながら答える。
「下の階への入り口は?」
「扉があったが、魔法でも鍵でも開かなかったようだ」
 それだけ聞けば充分だった。
 僕は余裕たっぷりに答える。
「行かない。ゆっくりしていけよ、アンガも」
「どういうつもりだ」
 愛想のない声から、抑揚が消えた。
 暗殺者の怒りが、背中にビリビリ伝わってくる。
 さすがに怖くなったので、僕は本音を告げることにした。
「実はな……」
 もちろん、アンガがバカンスを決め込むわけがない。
 すぐに城へと取って返したところで、僕の傍らには再びターニアが戻ってきた。
「フェレットのマイオが聞いたんだけど……例のパーティ、壊滅したんだって」
 期待通りの展開だったが、ちょっと早すぎる。
「残念でした」
 いつの間にか戻ってきていたターニアが、耳元で囁いた。
 今夜こそ、眠り込んでしまうことなく、ふたりきりで過ごしたかったのに。
 頭の中で再び、三十六枚のカードのうちの1枚が、くるりと回る。

 三十六計、その二十五。
 偸梁換柱ちゅうりょうかんちゅう…難しいことを相手に押し付けて、相対的に自分を優位にする。

 今度は僕の勝ちだけど、やっぱり、面白くないイメージだった。 
 僕は仕方なく、ダンジョンへ向かうことにする。
 
 次の階へと向かう扉を見つけたということは、リカルドの雇ったパーティのレベルは相当のものだったのだろう。
 アンガが焦ったのは、もっともなことだった。
 そのせいか、ただでさえ速い仕事には、さらに磨きがかかっていた。
 白馬を駆るターニアの胸に触らないように気をつけながら、その細い腰にしがみついていると、城から馬を飛ばしてきたらしいオズワルが横に並んだ。
「やはり、異世界召喚者でなければ……あのダンジョンには!」
 その入り口に到着すると、段取り通り、もう他の仲間たちが集まっていた。
 魔法使いのレシアス。
 僧侶のロレン。
 フェアリーのポーシャとレプラホーンのハクウ。
 悪党のロズ。
 盗賊のギル。
 このために奔走してくれた、暗殺者のアンガもいる。
「急ごう。リカルドはとっくに気付いている」
 雇われたパーティは、僕たちに先を越されまいとして、こっちへ向かっていることだろう。
 第24層にたどりつくと、ドワーフのドウニが待っていた。
「たった6人だったが、大した連中だったぜ」
 戦士3人に、僧侶と盗賊、魔法使いが1人ずつ。
 呪文と祈り、トラップ破りのバックアップを受けた、力押しのオーソドックスな編成だった。
 この人数でダンジョンの奥から生きて帰ってきたのだから、やはり大したものだ。
 だが、今は手柄を争う厄介な敵でしかない。
 僕は、追手と同じ編成のパーティを残すことにした。
「足止めを頼みます」
 そう言うと、僕はエルフを含む妖精たちだけを連れて、第25層へと向かう洞窟に足を踏み入れる。
 思ったとおりだった。
 カンテラに照らされたモンスターの屍が、あちこちに転がっている。
 ドウニが皮肉に笑った。
「先に入った、あの若い連中が残らず始末してくれたというわけさ」
 無人のダンジョンを進んでいくと、やがて、洞窟の行き止まりに突き当たった。
 そこにあるのは、カギでも魔法でも開かないという、小さな鉄の扉だ。
 ぱっと見ただけで、ドウニが唸った。
「こいつは、ちょっとやそっとでは開かんな」
 ターニアは、耳元で尋ねてきた。
「どうする? 魔法を使う?」
 だが、僕は「解錠」の呪文を唱えはしない。
 ただ、声をかけてやるだけだ。
「待ってたんだろう? エドマ……僕がこうするのを!」
 手をかけるだけで、扉は大きく開いた。
 僕が口にした闇エルフの名前を、ターニアは低い声で繰り返した。
「エドマ……どういうつもり?」
 それがどうしてなのかは、何となくわかっていた。
 エドマにとっては、この先で対峙する相手は僕しかいないのだ。
 これで、この階の探索は終わった。
 僕はターニアとドウニを促す。
「戻ろう……オズワルたちを助けるんだ」

 狭いダンジョンでほぼ互角の戦いをしていた2つのパーティの均衡は、僕たちが戻ってきたことで、脆くも崩れた。
 精霊を操るターニアと、頑強な肉体を持つドウニ、そして相手の弱点を読める僕の前に、リカルド側のパーティはあっさりと膝をついたのだ。
 武器を奪って両腕を縛りはしたが、ダンジョンの外で返して解放してやると、そのまま姿を夜の暗闇の中へくらました。
 それを見ていた、アンガがつぶやいた。
「これでもう、リカルドのもとに他国のパーティが集まることはあるまい……あの宰相殿、また面目を失ったな」
 実際、その通りだった。
 その後、宰相リカルドに雇われた者はおろか、ダンジョンでの一攫千金目当てのパーティさえも、リントス王国に姿を現すことはなかったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【書籍化】パーティー追放から始まる収納無双!~姪っ子パーティといく最強ハーレム成り上がり~

くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
【24年11月5日発売】 その攻撃、収納する――――ッ!  【収納】のギフトを賜り、冒険者として活躍していたアベルは、ある日、一方的にパーティから追放されてしまう。  理由は、マジックバッグを手に入れたから。  マジックバッグの性能は、全てにおいてアベルの【収納】のギフトを上回っていたのだ。  これは、3度にも及ぶパーティ追放で、すっかり自信を見失った男の再生譚である。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

神々の間では異世界転移がブームらしいです。

はぐれメタボ
ファンタジー
第1部《漆黒の少女》 楠木 優香は神様によって異世界に送られる事になった。 理由は『最近流行ってるから』 数々のチートを手にした優香は、ユウと名を変えて、薬師兼冒険者として異世界で生きる事を決める。 優しくて単純な少女の異世界冒険譚。 第2部 《精霊の紋章》 ユウの冒険の裏で、田舎の少年エリオは多くの仲間と共に、世界の命運を掛けた戦いに身を投じて行く事になる。 それは、英雄に憧れた少年の英雄譚。 第3部 《交錯する戦場》 各国が手を結び結成された人類連合と邪神を奉じる魔王に率いられた魔族軍による戦争が始まった。 人間と魔族、様々な意思と策謀が交錯する群像劇。 第4部 《新たなる神話》 戦争が終結し、邪神の討伐を残すのみとなった。 連合からの依頼を受けたユウは、援軍を率いて勇者の後を追い邪神の神殿を目指す。 それは、この世界で最も新しい神話。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

最弱スキルも9999個集まれば最強だよね(完結)

排他的経済水域
ファンタジー
12歳の誕生日 冒険者になる事が憧れのケインは、教会にて スキル適性値とオリジナルスキルが告げられる 強いスキルを望むケインであったが、 スキル適性値はG オリジナルスキルも『スキル重複』というよくわからない物 友人からも家族からも馬鹿にされ、 尚最強の冒険者になる事をあきらめないケイン そんなある日、 『スキル重複』の本来の効果を知る事となる。 その効果とは、 同じスキルを2つ以上持つ事ができ、 同系統の効果のスキルは効果が重複するという 恐ろしい物であった。 このスキルをもって、ケインの下剋上は今始まる。      HOTランキング 1位!(2023年2月21日) ファンタジー24hポイントランキング 3位!(2023年2月21日)

転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】

ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった 【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。 累計400万ポイント突破しました。 応援ありがとうございます。】 ツイッター始めました→ゼクト  @VEUu26CiB0OpjtL

アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~

明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
※大・大・大どんでん返し回まで投稿済です!! 『第1回 次世代ファンタジーカップ ~最強「進化系ざまぁ」決定戦!』投稿作品。  無限収納機能を持つ『マジックバッグ』が巷にあふれる街で、収納魔法【アイテムボックス】しか使えない主人公・クリスは冒険者たちから無能扱いされ続け、ついに100パーティー目から追放されてしまう。  破れかぶれになって単騎で魔物討伐に向かい、あわや死にかけたところに謎の美しき旅の魔女が現れ、クリスに告げる。 「【アイテムボックス】は最強の魔法なんだよ。儂が使い方を教えてやろう」 【アイテムボックス】で魔物の首を、家屋を、オークの集落を丸ごと収納!? 【アイテムボックス】で道を作り、川を作り、街を作る!? ただの収納魔法と侮るなかれ。知覚できるものなら疫病だろうが敵の軍勢だろうが何だって除去する超能力! 主人公・クリスの成り上がりと「進化系ざまぁ」展開、そして最後に待ち受ける極上のどんでん返しを、とくとご覧あれ! 随所に散りばめられた大小さまざまな伏線を、あなたは見抜けるか!?

処理中です...