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第二十計(前) 混水摸魚《こんすいもぎょ》……敵を内部から混乱させて、思い通りに操ります
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戦争の危機は去ったが、それはかえってディリアとリカルドの確執を深めることになった。
東西南北に艮(北東)・坤(南西)・巽(南東)・乾(北西)の八方位の国々に送った使者は、丁寧な挨拶の手紙を持って戻ってきた。
それは、「異世界召喚者」である僕への畏敬と警戒の表れだったといえる。
もっとも、君主の署名に国璽の押された正式な国書で武力による威嚇と国境紛争について詫びてきたわけではない。
西北の国に至っては、リカルドさえも顔をしかめそうな慇懃無礼な文面が、リントス王国の城内でしばらく話題になっていた。
《その名も高き異世界召喚者殿、我らには及びもつくまじき偉業を果たされんことをお祈り申し上げます。その威風堂々たるお姿、いつかこの目で拝見したく存じます》
ここまでバカ丁寧なのは、普通、ホメ殺しという。
裏の意味は、こんなところだろう。
……はいはい、ダンジョンがどうとかどうでもいいんで頑張ってください。どうせ筋肉が脳みそまで詰まったウドの大木だろうから興味ないよ。
因みに、署名は「リンド」とだけ書いてあったという。何でも、国王の信頼厚い側近らしい。
それはともかくとして。
武力による干渉の危機が去ったわけではないが、リカルドが大勢の私兵を抱える理由はなくなった。
その解散をディリアが命じるなら、このタイミングだ。
もちろん、廷臣や貴族たちが立ち並ぶ朝礼の大広間に呼び出されても、リカルドがそう簡単に応じるわけがない。
「では、いかほど?」
平然と聞き返されて、ディリアは言葉に詰まった。
これが日本国憲法の建前のように、「全て」と言い切れるものなら話は簡単だ。
だが、それがあっても軍事力を手放せないのが現実である。
ましてや、ここはそんなルールのない、いや、ないのが当たり前の世界だ。
君主がそれを命じるなら、それなりの根拠を持って、削減する私兵の数を具体的に指示しなければならない。
リカルドが悠々と大広間を出ていくのを、ディリアは悔しげに、オズワルは忌々しげに見つめていた。
だから、僕は言ってやった。
「大丈夫です。リカルドも、無駄メシ食らいをそう大勢、いつまでも抱えているわけにはいかないでしょう」
そのひと言で大広間の雰囲気は和み、廷臣や貴族たちが僕を見る目も、なんとなく温かくなってきた気がした、
そんなわけで僕は再び、気持ちよく眠れる夜をしばらくの間むさぼることができた。
ある夜、瞼の裏に浮かんだステータスは、これだ。
〔カリヤ マコト レベル20 16歳 筋力37 知力40 器用度40 耐久度35 精神力48 魅力38〕
パラメータはしばらく小刻みに上がっていたのに、精神力だけいきなり10も跳ね上がっていた。
戦闘やトラブル解決にあまり関係のない、消費されるだけのパラメータだ。
すると、この先、いよいよ本格的に大きな魔法が使えるようになったりするのだろうか?
そんな期待をしていたせいか眠りは浅く、部屋の扉を叩く微かな音に、すぐ目が覚めてしまった。
オズワルかと思って扉を開けたが、あの力加減を知らない男にそんな真似ができるわけがない。
その辺に気付かなかった辺り、僕は寝ぼけていたとしか言いようがない。
いや、油断のせいだ。
安楽な毎日が続いたせいで、三下の居候が城内でそうそう、命の危険になどさらされるはずがないと思い込んでしまっていたのだった。
廊下から飛び込んできたのは、黒いマントをまとった若い娘だった。
「お情けを……」
そう囁くなり、僕をベッドの上に押し倒す。
僕はもがいた。
「ちょっと、やめて……」
だが、娘の身体から漂うかぐわしい香りに、頭の中が真っ白になる。
……ダメだ!
心の中で叫ぶ声が、僕を叱りつける。
だが、横たわる娘のしなやかな指が僕の内股を撫でると、背筋にぞくっとするような快感が走った。
心の中のどこかで、別の声が聞こえる。
……そっちがその気なら、いいよな。
その囁きに身を任せそうになるのを、なんとか思いとどまる。
僕の肌に触れるか触れないか、ぎりぎりで這う娘の指が、思考を停止させた。
そこで、耳たぶを噛んできた者があった。
組み敷かれている娘ではない。
キイイイイイッ!
いつの間にか部屋に忍び込んでいた、フェレットのマイオだった。
「痛えっ!」
今までの快楽が夢ではないかと思うくらいだったが、そこで目が覚めた。
実際、娘の姿もどこかへ消えている。
代わりに、仁王立ちで僕を見下ろしているのはオズワルだった。
「見損なったぞ……異世界召喚者どの」
コトに及んだわけでもないのに、オズワルは僕を許さなかった。
「ご報告する……ディリア様には」
僕はなりふり構わず、その逞しい身体に泣いてすがった。
「お願いします! ディリア様にだけは、ディリア様にだけはご内密に!」
自分でも卑屈だとは思ったが、さっきの心の声と同じくらい深いところで、危険を告げるサイレンが鳴り響いていた。
まずい。絶対的にまずい。
僕に他の女が絡んだときのディリアの嫉妬は、理屈では止められないのだ。
エルフのターニアが城にやってきたときだってそうだ。
一国の君主となるべき王女にひざまずき、礼儀正しく挨拶の口上を述べたのに、僕とくっついていたせいでディリアに追放されかかったのだ。
あのときは訥弁のオズワルまでもが、必死になって止めてくれたものだ。
今となっては、そこに望みをかけるしかない。
やがてオズワルは、僕の腕をふりほどいた。
恐る恐る、フェレットの尻尾に手を伸ばす。
マイオはくるりと振り向いて、自分からオズワルの腕の中に飛び込んだ。
どうやら、ディリアの命令でフェレットのマイオを探しにきたらしい。
用が済んだところで、オズワルはひと言だけを残して部屋を出ていった。
「控えろ……ディリア様の御前は……しばらく」
今まで当たり前に異世界召喚者をやってきたが、ディリアという後ろ盾がなかったら、僕は生きていく自信がまるでない。
元の世界で学校との契約打ち切りをいきなり宣告されたときよりも、不安は重かった。
そのせいで眠れなくなった僕は、中庭に出てみた。
いい星空だった。満天の、とはいかないが、名前も分からない異世界の星座が暗い空いっぱいに浮かんでいる。
そこで胸いっぱいに冷たい空気を吸い込むと、すがすがしい夜風がどっと吹きつけてきた。
いつもだったら、こんなときに聞こえる声があるはずだ。
「大変だったね」
期待通りだった。
後ろから聞こる声に振り向くと、エルフのターニアが微笑んでいる。
その豊かな胸に顔を埋めれば、異世界にひとりで放り出されかねない不安も鎮められるんじゃないかという気がした。
今までみたいに抱きしめてくれるんじゃないかと思って、ふらふらとターニアに歩み寄る。
だが、返ってきたのは冷たいひと言だった。
「カリヤも悪いんだからね……よくこらえたと思うけど、あれ以上は助けてあげられない」
やっぱり、フェレットのマイオはターニアが操っていたのだ。
それはつまり、一部始終を見られていたということになる。
僕はしどろもどろになって言い訳した。
「いや、一応、正気ではあったんだよ、でも……」
その先は、言えなかった。
あの娘の誘惑のせいだ、というのは、男として。
ターニアは頷いた。
「信じてた。あの娘《こ》が来たのに気付いたときから。でも、カリヤひとりじゃ追い払えないとも思ってた……人間の男だし」
最期のひと言には、返す言葉がない。
ただ、これだけは告げることができた。
「充分だよ、あれで」
ディリアのもとを抜け出したのも、オズワルの乱入を図るためだったのだろう。
それがなかったら、本当に言い訳の利かないことになっていたかもしれない。
ターニアは、本当に済まないという様子で言った。
「エルフは害を及ぼされない限り、人間の争いごとに関わってはいけないの。恋も、戦争も」
東の国境の戦闘はエルフたちの住む「幻の森」の近くで起こっていたのだが、ターニアの助けがなかったのも、そういうわけなのだろう。
むしろ、エルフたちを巻き込まなかった騎士団は、よくやったのだ。
それを考えると、オズワルに無理ばかり言うわけにもいかない。
「じゃあ、ポーシャとハクウにとりなしてもらおうかな」
ターニアは、残念そうに答える。
「そう思って探したんだけど……いなかった。たぶん、フェアリーもレプラホーンも、私たちと同じなんだと思う……妖精だし」
完全に、孤立した。
それが分かったところで、ふと、思い当たったことがある。
もし、リカルドが女を放ったのだとしたら、これは……。
頭の中にイメージされた三十六枚のカードのうち、1枚がくるりと回る。
三十六計、「その二十」だ。
混水摸魚……敵を内部から混乱させて、思い通りに操る。
東西南北に艮(北東)・坤(南西)・巽(南東)・乾(北西)の八方位の国々に送った使者は、丁寧な挨拶の手紙を持って戻ってきた。
それは、「異世界召喚者」である僕への畏敬と警戒の表れだったといえる。
もっとも、君主の署名に国璽の押された正式な国書で武力による威嚇と国境紛争について詫びてきたわけではない。
西北の国に至っては、リカルドさえも顔をしかめそうな慇懃無礼な文面が、リントス王国の城内でしばらく話題になっていた。
《その名も高き異世界召喚者殿、我らには及びもつくまじき偉業を果たされんことをお祈り申し上げます。その威風堂々たるお姿、いつかこの目で拝見したく存じます》
ここまでバカ丁寧なのは、普通、ホメ殺しという。
裏の意味は、こんなところだろう。
……はいはい、ダンジョンがどうとかどうでもいいんで頑張ってください。どうせ筋肉が脳みそまで詰まったウドの大木だろうから興味ないよ。
因みに、署名は「リンド」とだけ書いてあったという。何でも、国王の信頼厚い側近らしい。
それはともかくとして。
武力による干渉の危機が去ったわけではないが、リカルドが大勢の私兵を抱える理由はなくなった。
その解散をディリアが命じるなら、このタイミングだ。
もちろん、廷臣や貴族たちが立ち並ぶ朝礼の大広間に呼び出されても、リカルドがそう簡単に応じるわけがない。
「では、いかほど?」
平然と聞き返されて、ディリアは言葉に詰まった。
これが日本国憲法の建前のように、「全て」と言い切れるものなら話は簡単だ。
だが、それがあっても軍事力を手放せないのが現実である。
ましてや、ここはそんなルールのない、いや、ないのが当たり前の世界だ。
君主がそれを命じるなら、それなりの根拠を持って、削減する私兵の数を具体的に指示しなければならない。
リカルドが悠々と大広間を出ていくのを、ディリアは悔しげに、オズワルは忌々しげに見つめていた。
だから、僕は言ってやった。
「大丈夫です。リカルドも、無駄メシ食らいをそう大勢、いつまでも抱えているわけにはいかないでしょう」
そのひと言で大広間の雰囲気は和み、廷臣や貴族たちが僕を見る目も、なんとなく温かくなってきた気がした、
そんなわけで僕は再び、気持ちよく眠れる夜をしばらくの間むさぼることができた。
ある夜、瞼の裏に浮かんだステータスは、これだ。
〔カリヤ マコト レベル20 16歳 筋力37 知力40 器用度40 耐久度35 精神力48 魅力38〕
パラメータはしばらく小刻みに上がっていたのに、精神力だけいきなり10も跳ね上がっていた。
戦闘やトラブル解決にあまり関係のない、消費されるだけのパラメータだ。
すると、この先、いよいよ本格的に大きな魔法が使えるようになったりするのだろうか?
そんな期待をしていたせいか眠りは浅く、部屋の扉を叩く微かな音に、すぐ目が覚めてしまった。
オズワルかと思って扉を開けたが、あの力加減を知らない男にそんな真似ができるわけがない。
その辺に気付かなかった辺り、僕は寝ぼけていたとしか言いようがない。
いや、油断のせいだ。
安楽な毎日が続いたせいで、三下の居候が城内でそうそう、命の危険になどさらされるはずがないと思い込んでしまっていたのだった。
廊下から飛び込んできたのは、黒いマントをまとった若い娘だった。
「お情けを……」
そう囁くなり、僕をベッドの上に押し倒す。
僕はもがいた。
「ちょっと、やめて……」
だが、娘の身体から漂うかぐわしい香りに、頭の中が真っ白になる。
……ダメだ!
心の中で叫ぶ声が、僕を叱りつける。
だが、横たわる娘のしなやかな指が僕の内股を撫でると、背筋にぞくっとするような快感が走った。
心の中のどこかで、別の声が聞こえる。
……そっちがその気なら、いいよな。
その囁きに身を任せそうになるのを、なんとか思いとどまる。
僕の肌に触れるか触れないか、ぎりぎりで這う娘の指が、思考を停止させた。
そこで、耳たぶを噛んできた者があった。
組み敷かれている娘ではない。
キイイイイイッ!
いつの間にか部屋に忍び込んでいた、フェレットのマイオだった。
「痛えっ!」
今までの快楽が夢ではないかと思うくらいだったが、そこで目が覚めた。
実際、娘の姿もどこかへ消えている。
代わりに、仁王立ちで僕を見下ろしているのはオズワルだった。
「見損なったぞ……異世界召喚者どの」
コトに及んだわけでもないのに、オズワルは僕を許さなかった。
「ご報告する……ディリア様には」
僕はなりふり構わず、その逞しい身体に泣いてすがった。
「お願いします! ディリア様にだけは、ディリア様にだけはご内密に!」
自分でも卑屈だとは思ったが、さっきの心の声と同じくらい深いところで、危険を告げるサイレンが鳴り響いていた。
まずい。絶対的にまずい。
僕に他の女が絡んだときのディリアの嫉妬は、理屈では止められないのだ。
エルフのターニアが城にやってきたときだってそうだ。
一国の君主となるべき王女にひざまずき、礼儀正しく挨拶の口上を述べたのに、僕とくっついていたせいでディリアに追放されかかったのだ。
あのときは訥弁のオズワルまでもが、必死になって止めてくれたものだ。
今となっては、そこに望みをかけるしかない。
やがてオズワルは、僕の腕をふりほどいた。
恐る恐る、フェレットの尻尾に手を伸ばす。
マイオはくるりと振り向いて、自分からオズワルの腕の中に飛び込んだ。
どうやら、ディリアの命令でフェレットのマイオを探しにきたらしい。
用が済んだところで、オズワルはひと言だけを残して部屋を出ていった。
「控えろ……ディリア様の御前は……しばらく」
今まで当たり前に異世界召喚者をやってきたが、ディリアという後ろ盾がなかったら、僕は生きていく自信がまるでない。
元の世界で学校との契約打ち切りをいきなり宣告されたときよりも、不安は重かった。
そのせいで眠れなくなった僕は、中庭に出てみた。
いい星空だった。満天の、とはいかないが、名前も分からない異世界の星座が暗い空いっぱいに浮かんでいる。
そこで胸いっぱいに冷たい空気を吸い込むと、すがすがしい夜風がどっと吹きつけてきた。
いつもだったら、こんなときに聞こえる声があるはずだ。
「大変だったね」
期待通りだった。
後ろから聞こる声に振り向くと、エルフのターニアが微笑んでいる。
その豊かな胸に顔を埋めれば、異世界にひとりで放り出されかねない不安も鎮められるんじゃないかという気がした。
今までみたいに抱きしめてくれるんじゃないかと思って、ふらふらとターニアに歩み寄る。
だが、返ってきたのは冷たいひと言だった。
「カリヤも悪いんだからね……よくこらえたと思うけど、あれ以上は助けてあげられない」
やっぱり、フェレットのマイオはターニアが操っていたのだ。
それはつまり、一部始終を見られていたということになる。
僕はしどろもどろになって言い訳した。
「いや、一応、正気ではあったんだよ、でも……」
その先は、言えなかった。
あの娘の誘惑のせいだ、というのは、男として。
ターニアは頷いた。
「信じてた。あの娘《こ》が来たのに気付いたときから。でも、カリヤひとりじゃ追い払えないとも思ってた……人間の男だし」
最期のひと言には、返す言葉がない。
ただ、これだけは告げることができた。
「充分だよ、あれで」
ディリアのもとを抜け出したのも、オズワルの乱入を図るためだったのだろう。
それがなかったら、本当に言い訳の利かないことになっていたかもしれない。
ターニアは、本当に済まないという様子で言った。
「エルフは害を及ぼされない限り、人間の争いごとに関わってはいけないの。恋も、戦争も」
東の国境の戦闘はエルフたちの住む「幻の森」の近くで起こっていたのだが、ターニアの助けがなかったのも、そういうわけなのだろう。
むしろ、エルフたちを巻き込まなかった騎士団は、よくやったのだ。
それを考えると、オズワルに無理ばかり言うわけにもいかない。
「じゃあ、ポーシャとハクウにとりなしてもらおうかな」
ターニアは、残念そうに答える。
「そう思って探したんだけど……いなかった。たぶん、フェアリーもレプラホーンも、私たちと同じなんだと思う……妖精だし」
完全に、孤立した。
それが分かったところで、ふと、思い当たったことがある。
もし、リカルドが女を放ったのだとしたら、これは……。
頭の中にイメージされた三十六枚のカードのうち、1枚がくるりと回る。
三十六計、「その二十」だ。
混水摸魚……敵を内部から混乱させて、思い通りに操る。
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