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    3場 ライバル・忍者中二病

シーン4 美少女忍者の母による熾烈な戦い

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 その頃。
  瑞希の母、一葉は異変に気づいていた。
  夕食の準備に近所のスーパーへ買い物にやってきたのだが、その入り口でふと立ち止まった。
  大手チェーン店の末端で、2階建て。
  それほど大きな店ではない。
  まず上の階でいつも買うわけではない衣服を見て回ってから、下の食料品売り場で食材を買って帰るのが一葉の日課である。
 「変ね……片付いたはずなのに」
  何か考えるときにこめかみを触れるしぐさは、瑞希によく似ている。
  違うのは身長くらいのものだが、それでも10代半ばにしか見えない。
  その容姿は、高校を中退した女の子がせめて家事ぐらいしようと健気に頑張っているか、そうでなければ未成年で結婚した幼な妻と表現するのが適当である。
  いずれにせよ、年相応の主婦には見えない。
  ましてや、「ちょっと残念な普通の男を見守る」吉祥蓮の忍者だとは、とても……。
  その愛くるしい目で、一葉は二、三度瞬く。
  傍目には何をしたか全くわからないが、これこそ「飛燕九天直覇流鬼門遁甲殺到法」奥義、「十方眼(じっぽうがん)」である。
  東西南北で「四方」、これに艮(北東)・巽(南東)・坤(南西)・乾(北西)を合わせたものが「八方」、更に上下を合わせれば「十方」となる。
  すなわち、瞬くたびに「四方」「八方」「十方」と、視覚のみならず聴覚・嗅覚・そして皮膚感覚の及ぶ限り、自分を中心とした空間を精密に把握していく術であった。
  その結果はといえば。
  ま、いいかとつぶやいて、一葉は店内に入ったが、これは必ずしも「異常なし」を意味しない。
  気がついても、敢えて放っておくことはある。

  さて、一葉が「片付いた」というのはちょうど半年ほど前の事件のことである。
  吉祥蓮の女たちにはネットワークがあり、だいたい町内から市区町村までの単位をカバーする各々の構成員が、情報交換や相互扶助を行っている。
  そのネットワークに引っかかった問題に、一葉が首を突っ込むことになったのだった。
  対象となったのは、隣町に住む若い会社員である。
  この若者、まずギャンブルはしない。
  酒も付き合い程度にしか呑まず、残業代も貰わずに遅くまで働いている。
  女性関係に至っては、交際経験はおろか職場で口を利くこともない。
  つまり、男の人生を破滅させる要素は皆無である。
  それなのに、同居する両親に内緒で、知り合いを頼って借金を始め、消費者金融にも出入りしはじめたということだった。
  まじめな人ほど、ハマりやすい。
  それだけに、吉祥蓮としては女性関係を疑ってかからなければならないのであった。

  ちょくちょく町内にも来るらしいので身辺調査を頼まれ、受験勉強を抱えた瑞希と冬彦にはカップラーメンだけ与えて、情報収集に飛び回ることになった。
  存外に横着な母親であるが、冬彦は一葉に笑顔で「ゴメン」と言われると相好を崩す性質であるし、瑞希は何が起こっているのか言わなくても察している。
  家族のそんな理解と協力のもとで尾行と聞き込みを繰り返し、彼の狭い人間関係を探って分かったことが一つあった。
  一度だけ、彼が外泊したことがあり、金策はその日から始まったということだった。
  それならばと、一葉は消費者金融の案内広告を偽造し、依頼してきた吉祥蓮の女を使って若者に渡した。
  連絡はすぐに来た。
  一葉の腕の見せどころは、そこからであった。
  連絡を受けたのは吉祥蓮の女であったが、契約のために指定した休日の喫茶店に現れたのは、どう見ても10代の少女である。
  当然、若者は訝しんだ。
 「ええと、君は……」
 「はい、ここであなたの話を聞くようにと」
  手にしたカバンには、札束がぎっしり詰まっている。
  笑顔で答えた少女は無論、「化生」術で変装した一葉である。 
 「話って……きちんと返しますから、まず現金を」
 「お話次第では応じるな、ということでした」
 「でしたって……貸す貸さないは君が決めるんだろう?」
 「嫌なら結構です。担保も保証人も要りませんが、むやみやたらと貸さないというのがウチの方針です」
  現金を手に帰ろうとする少女に、若者は追いすがった。
 「ちょっと待ってくれ」
  声を荒らげる若者に、他の客の注意が一斉に向けられる。
  一葉は席にもどって囁いた。
 「声が大きいです。こういう取引は、目立つとちょっと」
  嘘である。
  吉祥蓮としては、隠密行動が一目については困るということにすぎない。
  真剣なまなざしで、一葉は言った。
 「会社員と女子高生の別れ話のふりをしてください」
  きょとんとする若者に、居住まいを正した一葉は続けた。
 「話ぐらいは聞くわ。でも、私……」
 「深いわけがあるんだ、これには」
  金がかかっているせいか、若者の声も切羽詰まっていた。
 「で?」
  一葉は冷ややかに問い質す。
  実は、と話しだした若者の事情は、こうだった。

  会社の送別会の帰りに、泥酔した女性に出くわして介抱したところ、自宅まで連れていく羽目になった。
  正気に返った相手にお茶を振舞われた後、悪酔いしたのかその場で寝てしまった。
  目を覚ますと、女性がさめざめと泣いている。
  訳を聞くと、身寄りもなく、重い病を隠して勤めているが治療費や薬代がかかり、生活していけなくなった。
  やけになってつい酔いつぶれてしまったが、そんな自分が恥ずかしい、と。
  その日から、彼女のために自分の収入のうちのわずかな取り分を割き、あとは親しい友人を訪ね歩く日々が始まったのだった。

  ふふ、と笑った一葉は、若者の耳元で囁いたものである。
  傍目には、よりが戻った恋人同士にも見えただろう。
  だが、温かい息と共に耳をくすぐったのは、見かけとはかけ離れたシビアな単語だった。
 「消費者金融からは?」
  若者はびくっと身体を引いて首を振った。
  よかった、と若者の顔をまっすぐ見つめる一葉は、本題に入った。
 「つまり、病気が治ればいいわけね」
 「でも、医者にかかってるわけで」
 「医者も人間、神様の子じゃないわ」
  一瞬、脅すように低くなった声に、若者は居住まいを正した。
  方法があるの、と一葉は再び微笑みかけるや、現金の入ったカバンをテーブルに置いた。
 「ダメだったら、いくらでも。ずっと待つわ」
  どう見ても、恋人が病気で長期入院しようとしているようにしか聞こえない。
  若者は深く息をついてしばらく考えていたが、やがて首を縦に振った。
  一葉も頷いて、本題に入った。
 「漢方の医者に、心当たりがあるの」  
  カバン越しに身を乗り出す若者に顔を近づけた一葉は「ただし」と条件をつける。
 「薬の調合に手を貸してくれる女性が必要なの。それも、事情を知らない人が」
  若者は再び腰掛けて、無言で考え始めた。
  一葉はすかさずカバンを引っ込める。
 「サギだと思うならなかったことに」
  若者はカバンではなく、一葉の手を取った。
 「探します」

  一葉は更に条件をつけた。
  この件は秘密にすること。
  病気の女性とも会わないこと。
  生年月日が、昔の暦に直したときに辰年とか寅の日とか1つに揃っていること。
  明らかにオカルトめいているのだが、人間、女に目がくらむとそんなことはどうでもよくなるものらしい。
 「助ける相手にまで秘密にするのは分かります。でも、そんなプライベートなことを」
  狼狽する若者に、一葉は暦の早見表を渡して短く切り返した。
 「とにかく身近な女性と話しなさい」
  といっても、いきなり暦の話などできるわけがない。
  困り果てる若者に、一葉は「まず、周囲の女性の話をよく聞け」とアドバイスした。
  さらに、「ど」のつく言葉で短く尋ねては、答えに対して「へえ」とか「ほお」とか感動詞をつけてリアクションしろ、と。
  若者は、素直にこれを実行した。
  やがて、生年月日に関する話題までたどりつくことができるようになった彼は、同じ喫茶店で一人の女性を一葉に報告した。
 「1990年5月5だから午年の午の月、午の日生まれです」
  傍目から見ると、結婚式の日取りかなんかを相談しているようにも見えただろう。
  自分が何歳に見えるか自覚できている一葉は、「じゃあ、あなたの運勢は……」などと言う前置きでごまかす。
 「その女性の信頼を勝ち得ることで変わります」
 「え?」
  きょとんとする若者に、一葉は勧めた。
 「お茶にでも誘いなさい」
 「あの、別にそんな気持ちがある相手じゃあ……」
  またもや低い声で凄む一葉。
 「病に苦しむあの人を放り出すの?」
  若者はうなだれて、「はい」とだけ答えた。

  その日のうちに、若者から半泣きの状態、夕食後にひとりテレビを見てくつろいでいる一葉の携帯電話(無論、仕事用のダミーである)に連絡が入った。
  待ち合わせをしてみると、すっかり憔悴しきった若者が、尋ねる前から事情を語り始めた。
 「彼女が電話してきたんです」
 「どっちの?」
  世の汚れを何一つ知らない少女のように微笑みながら、少々イラつき気味に一葉は突っ込んだ。
  病気のほうの、と力なく答えた若者は、深くため息をついて蚊の鳴くような声で言った。
 「もう限界です。彼女の体力も、お金も。僕に一日でも早く、と助けを求めてきました」
  それで、と微笑んだまま冷めた声で促す一葉の手を、テーブルの向こうから若者はつかんだ。
 「どうやって彼女に説明すればいいですか?
 「どっちの?」
  その声は打って変わって優しかった。 
  本当は分かってるんだけど、と言わんばかりの口調だった。
  若者は、息を溜めて一気に吐き出した。
 「職場の彼女です」
  一葉はさらっと言った。
 「話せばいいじゃない。病気の女性を助ける薬を調合する条件に、あなたの手を借りるよう漢方医に言われた、と」
 「できません」
  若者は一葉を見据えて、足りない言葉をゆっくりと補った。
  あんな真面目で純粋な人に、利用するために近づいたとはとても言えないと。
  一葉は一言だけアドバイスした。 
  誠を見せなさい、と。

  すぐ次の日の夕暮れ時、若者はまた一葉を呼び出した。
  彼は、いつもの席に座って泣いていた。
  店の主人が気を遣って、人目につかない隅っこに席を作ってくれた。
  そこで若者が話したことは、こうだ。
  職場の女性に事情を話したところ、泣いて謝ったのだという。
  年をごまかしていて悪かった、と。
  これには一葉もちょっと度肝を抜かれた。
  忍者集団のくせに、というのはちょっと、一葉や吉祥蓮にとって酷である。
  戸籍まで調べるわけにはいかないので聞き込みをするわけだが、本人の嘘が巧妙だと、しばしば情報に裏切られる。
  それは国家レベルの情報機関でもあることだ。
  しかし、調べた方にとっては、情報の間違いはすぐに正されなければならない。
 「どのくらい?」
  おそるおそる尋ねると、「10歳年上」という返答だったが、問題はもうひとつあった。
  若者は、病気のほうの女性から「愛しているから、もう迷惑はかけられない」と告げられたのだ。
  ここは一葉も、彼にはっきりさせざるを得なかった。
 「あなたの気持ちはどうなの?」
  わかりません、と若者はすすり泣いた。
  どういうことか尋ねると、こんな答えが返ってきた。
  職場の彼女を愛している、だけど自分なしで病気のあの人はどうすればいいのか。
  一葉は、うつむいて泣く若者の手を取って、厳かに言った。
 「嘘をついた方をとりなさい。あなたを本当に必要としているのは、そんな弱い女性です」

  若者を送り出してすぐに、一葉は「更衣遁走術」で姿を変えながら尾行を始めた。
  隣町に入るや、吉祥蓮独自の目印をあちこちにつけて、仲間と共に動き出した。
  一葉が若者の相手として目星をつけていた女性のガードをするためである。
  若者の話を聞いた時から、吉祥蓮とは別の女が男たちに手を伸ばしているのは分かっていた。
  その変化は、生活の場のあちこちに表れる。
  朝に出されたゴミ袋、コインランドリーの客の回転、街角のスーパー……。
  若者の気持ちが動いた以上、その女も行動に出るはずだった。
  迦哩衆(かーりしゅう)。
  歴史の闇で男たちを食い物にしてきた女忍者集団。
  その秘法「越三昧会術」は、床を共にして眠る相手を、耳元での微かな囁きで思い通りの夢を見せ、思い通りに操ることができる。
  吉祥蓮は1000年の間、その女たちと戦ってきたのだった。

  若者の行動は迅速だった。
  すっかり夜も更けているというのに、彼は愛していることに気づいた一回り年上の女性を訪ねた。
  行く先は、彼女が一人住まいするアパートである。
  戸口まで顔を出した相手に、彼は深く傷つけたことを詫びた。
  彼女は泣きながら、そこまでする理由を尋ねた。
  若者は言った。
 「もう、薬は要らなくなりました」
  二人の姿が部屋の中に消えるのを遠くの道端から見届けた一葉は、辺りの様子を伺った。
  人影、足音、風の流れ……。
  その場から一葉の姿が一瞬で消えたのは、常人では分からない変化を察したからにほかならない。
  やがて、夜の公園で二人の女が対峙していた。
  一人は、逃げた女を追ってきた一葉である。
  追い詰められたもう一人は、足までが細い、病弱な感じのする女だった。 
  一葉は口元を歪めて冷ややかに嘲笑した。
 「薬代をせびるなんて、古い手よね。迦哩衆の頭の中じゃ、江戸時代の遊郭で時間が止まってるの?」
  女は無言で鍼を投げた。
  一葉は軽くかわしながら、足元の小石を蹴る。
  石礫つぶての弾道よりも高く跳んだ身軽な女は、武器を手に斬りかかってきた。
  柄の両側で逆方向に反りを打った刃を持つ短刀。
  ハラディと呼ばれる古代インドの武器である。
  一歩下がって紙一重の差ですり抜けた一葉の前で、女は片手をついて横に回転する。
  跳んで避けても、着地の瞬間を狙って反対側から刃が飛んでくる。
  しかし一葉は、鍼さえも構えようとはしなかった。
  女が突いた片手を低く蹴る。
  その片手で高々と跳躍した女が、ハラディの刃を立てて一葉の頭上に迫ったとき。
  一葉は女の後を追って飛び上がり、その細い両脚を抱え込んだ。
  身軽さを頼りに戦ってきた女は、身体の思わぬ不自由さに空中でバランスを失った。
  逆さに落とされそうになるのを、ハラディを放して地面に両手を突き、頭だけは守る。
  だが、その腰のあたりで鈍い音がした。
  女は股関節を外された激痛でのたうちまわる。
  それを見下ろしながら、一葉には冷ややかに告げた。
 「立てるようにしてあげてもいいけど、あなたは女としてもうおしまい。理由は、分かるわよね」
  一葉が再びつかんだ両脚が鈍い音を立てた。 
  ぐったりと横たわる女に、足音も立てずにその場を立ち去る一葉は言い残す。
 「迦哩衆の掟がどうなってるか知らないけど、静かに暮らせることを祈るわ。できれば、女として」

  さて、一葉と若者が、あの喫茶店に来ることは二度となかった。
  吉祥蓮の忍者としては、いかに変装していたとはいえ、そこまで目立ってしまってはしばらく姿を見せるわけにはいかないという事情があるが、その必要もなくなったのだった。
  若者の相談を受けた後、しばらくしてから吉祥蓮のネットワークを通じて、一葉に報告があったのである。
  問題の若者が、10歳年上の女性と結婚を前提に交際し始めたので面倒を見る、と。
  よいご縁になりますように、と返事した一葉は、そのきっかけとなった迦哩衆の女がどうなったかは気にも留めていないようだった。

  ――一葉が去った後の公園には、女たちが数名やってきた。
 暗闇の中で顔はよく分からないが、年の頃も服装もまちまちである。
 特にその一人は、闇の中にも分かるほど豊かな曲線を描く身体をした、髪の長い少女だった。
  一葉に敗れて横たわる女は一言、見逃して、と言った。
  少女は澄んだ声で返した。
 「自分の仇は自分で取るのね」
  もう無理よ、とすすり泣く女に、周りの女の一人が宣告した。
 「敗れし者に在処なし」 
  女はふらふらと立ち上がり、シーソーやジャングルジムといった公園の遊具に身体を預けながら、力なく歩み去っていった。
  ……と見えた。
  春先の闇の中に、ひょうと音がした。
  一本の鍼が少女を狙う。
  黒髪が微かに揺れると鋼鉄の輪が一枚、風を切ってそれを撃ち落とした。
  女たちの一人が、地面に落ちたハラディを拾って疾走する。
  その影が逃げる女の背中に追いすがるや刃が縦横に閃いて、声にならない絶叫が冷たい風となって吹き抜けた――。
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