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2場 妹・忍者13歳
シーン1 美少女忍者の疾走に少年忍者が挑むこと
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兄に文化祭公演で急に役がついた次の日の朝。
「世話が焼けるんだから! お兄ちゃん!」
小柄な身体に、そろそろ板についてきたセーラー服をまとって、家の玄関を飛び出すボブカットの少女。
郊外の静かな早朝に、住宅地をまっすぐに貫くアスファルトの道を駆け抜ける。
これが瑞希の日課だった。
服の襟は風圧で地面と水平に流れ、膝がちゃんと隠れるスカートは黒い炎のようにゆらめいて舞い上がる。
だが、その異様な速さに、部活の早朝練習に向かうのであろう高校生や、同世代の中学生が振り向くことはない。
彼らの目の前を全力疾走していたはずの少女は、どうやら視界には入らなかったらしいのである。
思い思いの方向を向いている視線をかいくぐり、すさまじい勢いで複雑なステップを踏むその足は、音ひとつ立ててはいなかった。
少女はその勢いを殺すことなく、急に足を90度踏みかえ、身体ひとつ入るぐらいの小さな路地へ滑りこむ。
更に途中で地面を蹴り、彼女の左右に迫っていたブロック塀の上に跳び上がった。
せいぜい10センチ幅の足場を、地面を走っていた時にも増して凄まじい勢いで一直線に駆け抜けるその少女の姿に、家人が気づくことはない。
彼女の速さだけが理由ではなかった。
そもそも、塀の上をセーラー服の少女が疾走する光景などを一瞬目撃したところで、人は現実として認識できるものではない。
これは、忍術なのである。
こんな芸当ができる瑞希は、無論、ただの女子中学生ではない。
一夜の内に千里を駆けると伝えられるその技を、瑞希は受け継いでいた。
その名も、「飛燕九天直覇流奇門遁甲殺到法(ひえん きゅうてん ちょくはりゅう きもん とんこう さっとうほう)」。
吉祥蓮、すなわち男たちを見守り、世に泰平をもたらす女たちが、歴史の闇の中で磨き上げてきた忍術である。
そして、常に瑞希の日課を妨げる不届き者がいた。
「よお、お早う」
路地ひとつ挟んだ塀の上を走る者が、もう一人。
長身。
すらりと伸びたしなやかな手足。
鞄を抱えて、瑞希と同じ速さで、しかし比較的ゆったりとしたペースで走る少年。
白堂玉三郎はくどう たまさぶろう。
瑞希が倫堂学園に入学してから、人には見えないはずの疾走に並走するようになった。
同じく、倫堂学園中等部一年生。
彼もまた、忍術を操る一族であった。
鳩摩羅(くまら)衆。
歴史の陰に潜み、争乱の種を蒔いては、自らその仲裁をして荒稼ぎをしてきたセコい男たち。
この鳩摩羅衆の体術も侮れない。
瑞希が家の角で塀を直角に曲がると、路地を軽く飛び越えて、そのすぐ後ろに付いて走る。
やがて塀を蹴って瑞希の頭上を越える。
宙返りを打てるくらいだから、並大抵の跳躍力ではない。
と言っても、すぐ脇の四車線ある公道から見ている者はない。
登校中の児童生徒に、徒歩通勤中のサラリーマン。
車道を制限速度10キロちょいオーバーで行き交うドライバー。
みんな自分で精一杯。忙しいのである。
だが、玉三郎が再び塀の上に降り立ったとき、すでに瑞希は歩道を駆けている。
道行く人々は不規則に並んでいる上に、歩くスピードも様々。
小学生に至っては、まっすぐ歩けというほうが無理である。
その間を、瑞希はNFLアメフト選手の150ヤード独走もかくやというフットワークで駆け抜ける。
もちろん、ここまで来ると人の視界を避けることはできない。
だが、人間にものが「見える」ためには最低三つのプロセスを要する。
1、網膜に映る。
2、その情報が視神経を通って脳に届く。
3、脳が情報を処理する。
最初の二段階は物理的にどうにもならないが、「3」の段階は、錯覚をもたらせばどうにでもなる。
いかに超人的な技を見られても、記憶に残さなければ、全く問題ない。
瑞希のフットワークは、人の間をすり抜ける瞬間にだけ発揮される。
すれ違った相手は、ごく当たり前の女子中学生の歩く姿しか見えてはいない。
早い話が、瑞希は一人一人の記憶に残像だけを残して疾走しているのである。
そんな少女忍者が毎朝、秘術を尽くして全力疾走しなければならないのには、それなりの事情がある。
原因は、その兄である。
瑞希に言わせれば「これまでの人生で出会った最大最強のバカ兄貴」。
(といっても、これまで兄と呼べる人物は冬彦一人なのだが)
この「バカ兄貴」の弁当箱を持って、朝の路地を、公道を、公園のど真ん中を疾走する……。
これが、瑞希の朝の日課であった。
中学までの冬彦は、毎朝のように朝寝坊していた。どう見ても10代にしか見えない母の一葉(かずは)から弁当を受け取り、何かの拍子にそれを忘れて学校へひた走る。
小学校は公立だったから給食があったが、私立に入ればそれがない。
去年まで小学生だった瑞希は、弁当箱を手に兄を追いかけてから登校するのが日課であった。
ところが高校生になってからの冬彦は、少し違う。
朝がやたら早くなった。下手をすると7時前に家を出る。
だが、バイオリズムがついてこないのか、朝食抜きで学校へいくことが増えた。何を急いでいるのかは、さっぱり分からない。
これまでと変わったところといえば、中学までは帰宅部でひたすら本を読むか勉強をしていた兄が、高校では演劇部などに入ったことである。
受験産業界では、メリットよりデメリットの方が大きいとされている演劇部に。(演劇関係者は否定しているが。)
それと関係があるのかどうかは分からないが、とにかく朝早く家を出ては、弁当を忘れる。
朝早い分、瑞希が起きるまでの間のタイムラグは大きくなる。
だからと言って、登校時間を冬彦に合わせはしなかった。
これまで通り家を出て、これまで通り弁当箱を届けに走る。
その時間差、平均して約30分。
常人には補えない時間差である。
常人には。
吉祥蓮に伝わる忍術を身に付けた瑞希だからこそできる離れ業であった。
だが、玉三郎はしつこい。
塀の上から瑞希の眼の前に飛び降りる。
瑞希がそれをかわして通行人との間を走りぬければ、常に二手、三手先を読んで行く手を阻む。
そのたびに、瑞希は余計なステップを踏まなければならなかった。
歩道を抜けて公園に駆け込んだのもむべなるかな、ここを突っ切るのが学校への近道である。
一応、近隣の学校には禁止令が出ているが、忍者の不法行為などいちいち挙げていてはキリがない。
確かに、むやみにルールを破って余計な災難を招いてもつまらないが、物事には優先順位というものがある。
この場合は、「バカ兄貴に校門で追いつき、忘れた弁当を渡すこと」。
別に高等部に届けに行けないこともないが、兄が恥をかくだけでなく、瑞希自身も好奇の視線を浴びることになる。
目立ってはいけないのが忍者というものだが、それ以前の問題として、瑞希にとって、冬彦はそれほど格好いい兄ではない。
というか、どっちかというと恥ずかしい。
そんなわけで、瑞希は兄弟愛というよりは自己保身のために、兄と同時に校門に立てるよう、緑の木々が生い茂る広い公園を左右対称に分けている砂利道を駆け抜ける。
どんな踏み込み方をしているのか、小石はおろか砂粒ひとつ動きはしない。
だが、その技は「飛燕九天直覇流奇門遁甲殺到法」独特のものかというと、そうでもない。
玉三郎が同じ速さで、足音も立てずに並走している。
「邪魔しないでくれる? 玉三郎!」
瑞希の手のひらから、細い鎖が一閃する。
その先には分銅。「流星錘りゅうせいすい」である。
「俺のことは獣志郎と呼べ!」
鎖の先端をかわし、代わりに放たれる一本の鍼。
瑞希は鎖を引き戻しながら、その鍼を受け止めて投げ返す。
そこへ、木の茂みを縫う小道から、朝の散歩中のお爺さんが現れる。
疾走しながらの戦闘中に、気づかれないでかわす余裕はない。
そこは共に、由緒正しい名門「倫堂学園」の生徒である。
瑞希は一瞬で減速し、「おはようございます」と折り目正しく挨拶する。
戻ってくる分銅をかわし、投げ返された鍼を受け止めた玉三郎も、更に一瞬遅れて挨拶する。
お爺さんが二人の前を横切ると、再び瑞希は走り出した。
玉三郎もゆったりと後を追う。
追いすがってくるところへ、瑞希の罵声が飛ぶ。
「邪魔なのよ、毎朝毎朝!」
玉三郎はしれっと答える。
「俺もここが通学路さ」
校則違反でしょ、という突っ込みも、お互い様、と言い抜ける。
やがて公園の出口に、車道を挟んで倫堂学園の正門が見えてくる。
小犬を散歩させている主婦と思しき女性がいた。
二人が時間差で足元の小石を蹴る。
公園と歩道を分ける並木の幹が一つ、離れたところでまた一つ鳴った。
きょろきょろしている相手の視線を避けて、玉三郎と瑞希はその前後を、やはり時間差で、音も立てずに駆け抜ける。
信号は青。
横断歩道を駆け抜ける二人の背後から、仔犬がけたたましく鳴いた。
道路を渡り切った頃、少年は少女に向かって高らかに告げる。
「明日の朝にまた会おう!」
玉三郎は風と共に消えたが、これも毎朝の日課であった。
そのときちょうど、正門に冬彦がやってくる。
追いすがる瑞希が無言で差し出す弁当を、冬彦は、「ごめん」の一言で当たり前のように受け取る。
中学1年の頃から、ずっとこうである。
唯一、これまでと違うのは、必ず挨拶をする特定の相手がいることだ。
冬彦が瑞希から弁当箱を受け取る頃になると、正門を颯爽と通っていく高等部の女生徒。
「葛城先輩、おはようございます……」
妙にリキの入った挨拶は、「ごめん」の一言とはうって変わってハツラツとしている。
どうやら冬彦の一日は、この一言で始まるらしい。
「世話が焼けるんだから! お兄ちゃん!」
小柄な身体に、そろそろ板についてきたセーラー服をまとって、家の玄関を飛び出すボブカットの少女。
郊外の静かな早朝に、住宅地をまっすぐに貫くアスファルトの道を駆け抜ける。
これが瑞希の日課だった。
服の襟は風圧で地面と水平に流れ、膝がちゃんと隠れるスカートは黒い炎のようにゆらめいて舞い上がる。
だが、その異様な速さに、部活の早朝練習に向かうのであろう高校生や、同世代の中学生が振り向くことはない。
彼らの目の前を全力疾走していたはずの少女は、どうやら視界には入らなかったらしいのである。
思い思いの方向を向いている視線をかいくぐり、すさまじい勢いで複雑なステップを踏むその足は、音ひとつ立ててはいなかった。
少女はその勢いを殺すことなく、急に足を90度踏みかえ、身体ひとつ入るぐらいの小さな路地へ滑りこむ。
更に途中で地面を蹴り、彼女の左右に迫っていたブロック塀の上に跳び上がった。
せいぜい10センチ幅の足場を、地面を走っていた時にも増して凄まじい勢いで一直線に駆け抜けるその少女の姿に、家人が気づくことはない。
彼女の速さだけが理由ではなかった。
そもそも、塀の上をセーラー服の少女が疾走する光景などを一瞬目撃したところで、人は現実として認識できるものではない。
これは、忍術なのである。
こんな芸当ができる瑞希は、無論、ただの女子中学生ではない。
一夜の内に千里を駆けると伝えられるその技を、瑞希は受け継いでいた。
その名も、「飛燕九天直覇流奇門遁甲殺到法(ひえん きゅうてん ちょくはりゅう きもん とんこう さっとうほう)」。
吉祥蓮、すなわち男たちを見守り、世に泰平をもたらす女たちが、歴史の闇の中で磨き上げてきた忍術である。
そして、常に瑞希の日課を妨げる不届き者がいた。
「よお、お早う」
路地ひとつ挟んだ塀の上を走る者が、もう一人。
長身。
すらりと伸びたしなやかな手足。
鞄を抱えて、瑞希と同じ速さで、しかし比較的ゆったりとしたペースで走る少年。
白堂玉三郎はくどう たまさぶろう。
瑞希が倫堂学園に入学してから、人には見えないはずの疾走に並走するようになった。
同じく、倫堂学園中等部一年生。
彼もまた、忍術を操る一族であった。
鳩摩羅(くまら)衆。
歴史の陰に潜み、争乱の種を蒔いては、自らその仲裁をして荒稼ぎをしてきたセコい男たち。
この鳩摩羅衆の体術も侮れない。
瑞希が家の角で塀を直角に曲がると、路地を軽く飛び越えて、そのすぐ後ろに付いて走る。
やがて塀を蹴って瑞希の頭上を越える。
宙返りを打てるくらいだから、並大抵の跳躍力ではない。
と言っても、すぐ脇の四車線ある公道から見ている者はない。
登校中の児童生徒に、徒歩通勤中のサラリーマン。
車道を制限速度10キロちょいオーバーで行き交うドライバー。
みんな自分で精一杯。忙しいのである。
だが、玉三郎が再び塀の上に降り立ったとき、すでに瑞希は歩道を駆けている。
道行く人々は不規則に並んでいる上に、歩くスピードも様々。
小学生に至っては、まっすぐ歩けというほうが無理である。
その間を、瑞希はNFLアメフト選手の150ヤード独走もかくやというフットワークで駆け抜ける。
もちろん、ここまで来ると人の視界を避けることはできない。
だが、人間にものが「見える」ためには最低三つのプロセスを要する。
1、網膜に映る。
2、その情報が視神経を通って脳に届く。
3、脳が情報を処理する。
最初の二段階は物理的にどうにもならないが、「3」の段階は、錯覚をもたらせばどうにでもなる。
いかに超人的な技を見られても、記憶に残さなければ、全く問題ない。
瑞希のフットワークは、人の間をすり抜ける瞬間にだけ発揮される。
すれ違った相手は、ごく当たり前の女子中学生の歩く姿しか見えてはいない。
早い話が、瑞希は一人一人の記憶に残像だけを残して疾走しているのである。
そんな少女忍者が毎朝、秘術を尽くして全力疾走しなければならないのには、それなりの事情がある。
原因は、その兄である。
瑞希に言わせれば「これまでの人生で出会った最大最強のバカ兄貴」。
(といっても、これまで兄と呼べる人物は冬彦一人なのだが)
この「バカ兄貴」の弁当箱を持って、朝の路地を、公道を、公園のど真ん中を疾走する……。
これが、瑞希の朝の日課であった。
中学までの冬彦は、毎朝のように朝寝坊していた。どう見ても10代にしか見えない母の一葉(かずは)から弁当を受け取り、何かの拍子にそれを忘れて学校へひた走る。
小学校は公立だったから給食があったが、私立に入ればそれがない。
去年まで小学生だった瑞希は、弁当箱を手に兄を追いかけてから登校するのが日課であった。
ところが高校生になってからの冬彦は、少し違う。
朝がやたら早くなった。下手をすると7時前に家を出る。
だが、バイオリズムがついてこないのか、朝食抜きで学校へいくことが増えた。何を急いでいるのかは、さっぱり分からない。
これまでと変わったところといえば、中学までは帰宅部でひたすら本を読むか勉強をしていた兄が、高校では演劇部などに入ったことである。
受験産業界では、メリットよりデメリットの方が大きいとされている演劇部に。(演劇関係者は否定しているが。)
それと関係があるのかどうかは分からないが、とにかく朝早く家を出ては、弁当を忘れる。
朝早い分、瑞希が起きるまでの間のタイムラグは大きくなる。
だからと言って、登校時間を冬彦に合わせはしなかった。
これまで通り家を出て、これまで通り弁当箱を届けに走る。
その時間差、平均して約30分。
常人には補えない時間差である。
常人には。
吉祥蓮に伝わる忍術を身に付けた瑞希だからこそできる離れ業であった。
だが、玉三郎はしつこい。
塀の上から瑞希の眼の前に飛び降りる。
瑞希がそれをかわして通行人との間を走りぬければ、常に二手、三手先を読んで行く手を阻む。
そのたびに、瑞希は余計なステップを踏まなければならなかった。
歩道を抜けて公園に駆け込んだのもむべなるかな、ここを突っ切るのが学校への近道である。
一応、近隣の学校には禁止令が出ているが、忍者の不法行為などいちいち挙げていてはキリがない。
確かに、むやみにルールを破って余計な災難を招いてもつまらないが、物事には優先順位というものがある。
この場合は、「バカ兄貴に校門で追いつき、忘れた弁当を渡すこと」。
別に高等部に届けに行けないこともないが、兄が恥をかくだけでなく、瑞希自身も好奇の視線を浴びることになる。
目立ってはいけないのが忍者というものだが、それ以前の問題として、瑞希にとって、冬彦はそれほど格好いい兄ではない。
というか、どっちかというと恥ずかしい。
そんなわけで、瑞希は兄弟愛というよりは自己保身のために、兄と同時に校門に立てるよう、緑の木々が生い茂る広い公園を左右対称に分けている砂利道を駆け抜ける。
どんな踏み込み方をしているのか、小石はおろか砂粒ひとつ動きはしない。
だが、その技は「飛燕九天直覇流奇門遁甲殺到法」独特のものかというと、そうでもない。
玉三郎が同じ速さで、足音も立てずに並走している。
「邪魔しないでくれる? 玉三郎!」
瑞希の手のひらから、細い鎖が一閃する。
その先には分銅。「流星錘りゅうせいすい」である。
「俺のことは獣志郎と呼べ!」
鎖の先端をかわし、代わりに放たれる一本の鍼。
瑞希は鎖を引き戻しながら、その鍼を受け止めて投げ返す。
そこへ、木の茂みを縫う小道から、朝の散歩中のお爺さんが現れる。
疾走しながらの戦闘中に、気づかれないでかわす余裕はない。
そこは共に、由緒正しい名門「倫堂学園」の生徒である。
瑞希は一瞬で減速し、「おはようございます」と折り目正しく挨拶する。
戻ってくる分銅をかわし、投げ返された鍼を受け止めた玉三郎も、更に一瞬遅れて挨拶する。
お爺さんが二人の前を横切ると、再び瑞希は走り出した。
玉三郎もゆったりと後を追う。
追いすがってくるところへ、瑞希の罵声が飛ぶ。
「邪魔なのよ、毎朝毎朝!」
玉三郎はしれっと答える。
「俺もここが通学路さ」
校則違反でしょ、という突っ込みも、お互い様、と言い抜ける。
やがて公園の出口に、車道を挟んで倫堂学園の正門が見えてくる。
小犬を散歩させている主婦と思しき女性がいた。
二人が時間差で足元の小石を蹴る。
公園と歩道を分ける並木の幹が一つ、離れたところでまた一つ鳴った。
きょろきょろしている相手の視線を避けて、玉三郎と瑞希はその前後を、やはり時間差で、音も立てずに駆け抜ける。
信号は青。
横断歩道を駆け抜ける二人の背後から、仔犬がけたたましく鳴いた。
道路を渡り切った頃、少年は少女に向かって高らかに告げる。
「明日の朝にまた会おう!」
玉三郎は風と共に消えたが、これも毎朝の日課であった。
そのときちょうど、正門に冬彦がやってくる。
追いすがる瑞希が無言で差し出す弁当を、冬彦は、「ごめん」の一言で当たり前のように受け取る。
中学1年の頃から、ずっとこうである。
唯一、これまでと違うのは、必ず挨拶をする特定の相手がいることだ。
冬彦が瑞希から弁当箱を受け取る頃になると、正門を颯爽と通っていく高等部の女生徒。
「葛城先輩、おはようございます……」
妙にリキの入った挨拶は、「ごめん」の一言とはうって変わってハツラツとしている。
どうやら冬彦の一日は、この一言で始まるらしい。
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