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魔法少女の前に僕の決定権はない

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 転校したばかりの学校で人を探して校舎中を駆け回ったり、上級生の高飛車な女子にものを尋ねたりと慣れないことをしたせいか、僕はその日の夜、ベッドに倒れ込むや否や、泥のように眠った。
 ところが、翌日の朝のことである。
 僕がベッドの中で、登校前のささやかな心地よいまどろみを楽しんでいると、枕元にいつも置いてあるスマホが不愉快な振動音をたてた。
 アラームをかけた覚えはない。すると、誰かの電話かメールが入ったのだろう。
 電話だったら怒鳴りつけ、メールだったら罵詈雑言を書き連ねて変身してやろうと思ってスマホを手に取ると、目の前に現れたのは太乙玲高校の制服を着たミオノの姿だった。
 寝起きのせいで痺れた頭に、怒鳴り声はかなりこたえる。
《ちょっとシトミ! 女の子の前で何てカッコしてんの!》
 真っ赤になっている割に、ミオノは僕から目を離さなかった。
 だが、言われてみればトランクスを履いたきり、あとは丸裸で寝ていたのだから、どちらかといえば慌てるのは僕のほうだ。
「何で? 何で僕の部屋にミオノさんが?」
 ベッドの下にずり落ちた毛布を引きずり上げて、人に見せられるほど逞しくはない身体を隠す。
 いくら魔法少女とはいえ、突然の出現にも限度というものがある。
 そのミオノはミオノで、ただ僕を睨みつけて叫ぶだけだった。
《バカ! 変態!》
 だが、ミオノにしても、普通の女の子なら背中を向けるなり手で顔を隠すなりしてもいいはずだ。僕だけが変質者呼ばわりされる覚えはない。
 いや、そういう問題ではなかった。
 こんな朝っぱらから部屋の中で女の子に大声をだされて、親にでも聞かれたらとんでもないことになる。 
「も、もうちょっと静かに……」
 部屋のドアを気にしたときには、もう遅かった。
 エプロン姿の母親が、早く起きろと言わんばかりに部屋に踏み込んできた。
 まずい。部屋の中に女の子を連れ込んだなんて思われたら……。
 そう思って傍らを見ると、誰もいない。
 ドアがバタンと閉じて母親の姿も消えたところで、はたと気付いた。
 マギッターだ。
 さっき慌てて放り出したらしいスマホが、ベッドの上でミオノ自身のように唸り続けている。
 その姿が見えたのは、アプリが動いているときにスマホを手に取ったからだ。
《シトミ!》
 再びあの振動音が僕を呼んだが、知らんぷりして制服に着替える。
 確かにミオノへの協力を申し出たのは僕だが、プライベートまで侵されるいわれはなかった。

 しつこく鳴り続けるスマホにようやく触ったのは、朝食を済ませて神奈原高校行きのバス停に向かう途中だった。
 どこに住んでいるかも分からないミオノの姿が、僕のすぐ傍らに現れた。
《なに無視してんのよ》
 肩章付きの制服を着たミオノも歩いている。太乙玲高校へ向かう途中なのだろう。 
 思えば、女の子と並んで学校に行ったことなんか今までなかった。
 もっとも、隣にいるのはマギッターが作った幻影のミオノにすぎない。
 それでも、僕の身体は朝の日差しのせいもあって、少し熱くなっていた。
 だから、ため息交じりの返事も仕方がない。
「……見たかった? 下着も替えるところ」
 それが皮肉と取られるのも仕方がない。
《マギッターでなかったら、ビンタくれてるところなんだけど》
 バス停に着いた途端、待ち伏せの平手打ちを食らうことぐらいは覚悟しなければならなかった。
 昨日、長瀬雪乃の物言いに対してみせたリアクションから、ミオノにそのくらいやりかねないところがあるのは分かってきていた。
 だが、バス停に並ぶ人の列に、本物のミオノの姿はなかった。
 平手打ちの代わりに肩透かしをくらったような気になったところで、傍らに立つ幻影のミオノが上から目線で笑いかけた。
《ツイてたね、シトミ。魔法高校の朝は早いの、普通高校よりずっと》
 尋ねもしないのに、ミオノはそこで朝礼前のスケジュールを自慢げにまくしたてる。
 登校してすぐの掃除から始まって、世界の東西南北を守る地水火風の霊への祈り、占いや魔法格闘戦などのサークル別に集合してのミーティング。
 授業ではなく、生徒が自発的にやっていることだというが、魔法高校の朝は動植物の命を扱う農業高校並みに厳しいようだった。
 つまり、僕が家を出たときには、もうとっくに武振熊のバス停を離れていたということになる
 そんなミオノの話が終わる頃にやってきたバスに乗り込むと、話題はいきなり次の聞き取り調査の話になっていた。
 冷房のおかげもあって、さっきまでの身体の火照りはあっという間に収まった。
「もう?」
 転校してきたばかりで、見ず知らずの生徒と突っ込んだ話をするのは精神的にも結構こたえる。
 昨日の今日でというのはやめてほしかった。
 だが、そんな僕のささやかな願いなど、傍らの通路に立って見下ろすミオノにとってはどうでもいいことのようだった。
《シトミに決定権はないの》
 もはや、人にものを頼む態度ではない。
 あの時の涙は何だったのだろうか。
 ここまで下僕扱いされると、反発したくもなる。 
「やらないっていったら?」
 冷ややかに言ってみせると、ミオノは鼻で笑い返した。
《もう助けてやんない》
 仕事を頼まれているのは僕なのだから、できないと思ったことは断れば済むことだ。手助けを恩に着せられるいわれはない。
 だから、そこは余裕たっぷりに聞き返す。 
「誰から?」
 協力を高く売りつけようと思ったところで、バスが停留所に停まった。そこで乗り込んできた高校生の集団がある。
 肩章付きの制服……太乙玲高校の生徒だ。
 その中でも、ひときわ背の高い生徒が目についた。
 名前は、確か……。
《ヒノエとか》
 勿体ぶったミオノのひと言で思い出した。
 狛屋《こまや》ヒノエ。
 妙にミオノに馴れ馴れしく、なぜか僕を目の敵《かたき》にする、あの男子生徒だ。
 そのヒノエを先頭にした集団は、僕に気付いたのか、取り囲むかのように周りの席に座った。
 その冷たい視線を前と後ろと通路の向こうから浴びて、僕の身体は凍り付いた。
 それでも平静を装って、ミオノに尋ねてみた。
「朝、早いんじゃなかったっけ?」
 また皮肉を言われるかと思っていたが、意外にもミオノは真面目な顔で答えた。
《こいつらは別。朝礼ギリギリに来るのよ。夜中にこそこそ集まって、何かやってるらしいんだけど……》
 聞きたいのは、そんなことじゃない。
 バスの中で何か魔法を使われたら、逃げ場がない。
 遠回しに、助けを求めるしかなかった。
「学校まで、まだちょっとあるんだけど」
 僕の言いたいことがわかったのか、ミオノは勝ち誇ったように笑った。
《大丈夫。魔法使いじゃない人を傷つけられる魔法はないし、バスになんかしたら、真っ先に疑われるのはヒノエたちだし……ただ》
 話が途切れたところで、何かが僕の鼻をくすぐった。
 大きなくしゃみが出る。
 止まらない……花粉症でもないのに。
 もしかしたらと思ってミオノに聞いてみた。
「魔法じゃ傷つけられないって……」
 鼻水をこらえる僕の顔は、マギッター越しにも分かるらしい。
 ミオノは気の毒そうに答えた。
《たぶん、空気の濃さを変えたのよ、ヒノエたち。冷房の風向きを調節して、バスの中の埃をシトミの鼻の中に送り込んだんじゃないかな……ごめんね、助けてあげられなくて》
 立てつづけに襲うくしゃみのせいで、視界が涙に滲む。
 その中でも、ヒノエたちが意地悪く笑っているのが見えた。
 傍らのミオノは、いたたまれないのか、それともあきらめたのか、うつむき加減に僕を見つめるだけだ。
 バスの自動音声が武振熊の停留所をアナウンスすると、僕は停車ボタンを手探りで押した。やがて、ブレーキと共に身体が揺れたのを感じたところで、ヒノエたちが立ち上がらないうちに、転がるようにしてバスを駆け出した。
 いつのまにか、ミオノの姿は消えている。
 スマホに触れている余裕などなかったからだ。
 運転手に呼び止められて後ろ手に定期券を差し出し、停留所を後にして走りだす。
 くしゃみも涙も次第に収まっていったが、微かに聞こえてくるヒノエたちの笑い声には怒りが込み上げてきた。

 神奈原高校の門の前までたどりついたところで、スマホが振動音を立てた。 
 触れるか触れるまいかと迷ったが、ついマギッターを開いてしまったのは僕が男だからだろう。
 どうも、魔女……じゃなくて魔法少女に魅入られてしまったんじゃないかという気がする。
 いくらなんでも、それではたまらない。
 精一杯の抵抗として、目の前に現れたミオノに思いっきり不機嫌な態度を取ってみせる。
「ちょっと、あれはひどいんじゃない?」
 ミオノのせいではないのだが、こう言わないと腹の虫が治まらなかった。
 意外なことに、素直な詫びの言葉が返ってきた。
《ごめん、ヒノエがあそこまでやるとは……》
 てっきり食ってかかるかと思っていたので、拍子抜けした。
 こうなると、追及の言葉も鈍る。
「いや、ミオノさんに謝られても……」
 頭を下げさせなくちゃいけないのは、あいつらのほうだ。
 狛屋ヒノエと、その周りの連中。
 でも、そのためにどうしようという気は起こらなかったし、どうしたらいいのかも分からなかった。
 ミオノはミオノで、今度は変にヒノエをかばう。
《私もアイツも、魔法使いだから》
 何だか、それが面白くなかった。
 つい、こんなことを言ってしまう。
「ミオノさんとヒノエは違うよ」 
 すると、今まで沈んだ顔をしていたミオノが真顔で言った。
《いい魔法使いとか、悪い魔法使いとか言わないで。魔法使いの間では、いいことも悪いことも、ひとりの問題がみんなの問題になるの。もし、ヒノエたちが何か背負っているんなら、それは私も背負うわ》
 そう言われると、僕も知らん顔はできなかった。
「じゃあ、僕も」
 すると不思議なことに、ミオノは今にも泣きだしそうな、それでいて嬉しそうな、変な笑い方をした。
《何で? シトミくん、何でそんなこと、言ってくれるの?》
 涙こそ流していなかったが、あのときと同じ顔だった。
 関係交流ボランティアの事務所で、僕を「くん」づけで呼んだときと。
 だが、どう答えていいのか分からない。
 こんな言葉しか出てこなかった。
「ミオノさんの力になりたいんだ」 
 泣き笑いのまま、ミオノの幻影は意地悪く言った。
《言ったじゃない、シトミくんに決定権はないの!》
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