10 / 11
対決
しおりを挟む
三人は、月明かりの小駄良街道を逃げに逃げた。大酒を飲んでいる上に、酒樽を担いだ才平の足は信じられないほど速い。それでも玄十郎は、なづきの手を引きながら、必死で後を追った。
歩きながら、なづきは何が起こっているのか玄十郎に尋ねた。
そんなことは玄十郎にも分からない。分かるのは、自分の命が狙われているこということだけである。
だから、玄十郎はひたすら歩くことだけを考えた。なづきも、玄十郎に手を引かれながら、無言で歩き続けた。
だが、全ては遅かった。
宗門橋の前には、既に十数人が待ち構えていたのである。
「間に合わなかったな」
才平は、酒樽を担いだまま突進した。
月明かりに照らし出された影たちが、残らず刀を抜き放つ。
そのど真ん中に飛び込んだ才平は、酒樽と共にくるりと回転した。
酒樽が叩きつけられ、十数人が残らず薙ぎ倒される。
刀という刀が、地面の上に転がった。
それでも立ち上がる者はいた。
刀を拾って斬りかかる。
だが、才平は常に紙一重の差で当たらなかった。
刀が振り下ろされるたびに血しぶきが上がったが、それは才平のものではなかった。
才平は刀をかわし、回り、また地面に伏してはごろごろと転がる。
起き上がっては無数の拳を叩き込み、倒れてはその勢いで蹴り上げる。
突きも蹴りも残らず各々の急所を襲い、一人、また一人と、宗門橋の前に刀を落とした影が横たわっていく。
ついには、そこに立っているのは才平一人だけになった。
「お見事」
橋の向こうから、才平に声がかけられた。
長身の男が、大刀を手に現れる。
「諸般の事情あって藩名は名乗れぬが、逢坂無道と申す」
才平も名乗った。
「そんな大層な身分でないが、才兵衛と覚えておけ」
言い捨てるなり、才平は酒樽の栓を抜いて、酒をがぶ飲みした。
残らず酒を飲み干し、樽を投げ転がす。
転がった樽は、立ち尽くす玄十郎の足にぶつかって止まった。
橋を挟んで、才平と無道が対峙した。
橋の向こうから無道が語る。
「その若造は、実は我が主である、さる大名の落胤。守り袋がその証拠よ」
玄十郎は、肌身離さず持っていた守り袋を取り出して眺める。
「二つ白鷺は、主が家の紋所でな。暇を出されるときにそれを渡されても、母親は妊んでおるのに気づかなんだのよ」
なづきがおそるおそる玄十郎の顔を見上げる。
玄十郎は茫然と、頭を横に振った。
無道はふん、と鼻で笑う。
「その主も先ごろ死んだ。正妻の子が後を継いだところで、俺は落胤抹殺の密命を受けたのよ」
歪んだ口元に浮かぶ笑いは、月の光の下でなおも冷たく見えた。
「その若造の居場所は母親の足取りをたどれば分かった。だが、丁度ここを出ようとしておったのでな、見失っても面倒臭い。さっさと手のものに殺させようとしたのだが……」
そこで無道は、楽しげに声を上げて笑った。
「おぬしに邪魔されたのよ」
才平はげっぷ1つして、面倒くさそうに話を遮った。
「ゴタクはいらんよ。お互い、やりたいことをやろうじゃないか」
無道が笑った。
「よかろう。参れ」
「来いよ」
才平が橋の上へと駆け出した。
橋の向こうから、無道が斬り込んでくる。
橋の丁度真ん中で、二人は鉢合わせた。
無道の大刀が振り下ろされると、才平が身体をくるりと回す。
刃は空を切った。
横薙ぎの一閃が襲い掛かる。
才平の身体は膝から後ろに折れ、刀はその腹の上を通り過ぎた。
立ち上がったところに袈裟懸けの一刀が叩きつけられる。
だが、才平は大きく一歩踏み込んだ。
その手足が無道の身体に蛸の如く、くるくると絡み付く。
才平が一声吼えると、ぼきり、という鈍い音が幾つも聞こえた。
うっと呻いて、無道がつぶやく。
「百姓にしておくには惜しい」
歯を食いしばるが、両手に掴んだ大刀は橋の上に高い音を立てて落ちた。
その長身が崩れ落ちる。
遠くから、呼子の音が聞こえてきた。
なづきが玄十郎にしがみついた。
「あれ、何……?」
玄十郎は、その音を聞いたことがあった。
幼い頃、仕事に出る前に吹いてみせてくれたことがある。
「捕り方の、呼子の音だ……。」
「じゃあ……。」
怯えるなづきの肩を抱いて、玄十郎はつぶやいた。
「捕まえに来る」
二人はしっかりと抱き合ったまま、その場に固まって動けなくなった。。
そこへ、橋の上から才平が呼びかける。
息が荒かった。
「ワシの酒樽を持ってこい」
玄十郎は我に返った。
「え……」
才平は、月明かりの下で顔を真っ赤にして叫んだ。
「持ってこい!」
玄十郎は雷にでも打たれたようにすくみ上がった。
酒樽を手に、なづきと共に才平の元へ駆け寄る。
橋の上には、死んだ無道が横たわっていた。
その身体は、無残に抱き潰されている。
小さく悲鳴をあげるなづきを抱きしめて、玄十郎がつぶやいた。
「これはいったい……。」
「こんなことは一生知らんでいい」
玄十郎からひったくった酒樽を、才平は背中に担いだ。
振り向いて、橋の端まで歩いていく。
その時、玄十郎は才平の肩から斜めに切り下げられた傷を目にした。
呼子の音が近づいてくる。
才平の口から、血の塊がこぼれ出て、橋を濡らした。
「それ……」
玄十郎の問いに、才平は答えない。
「逃げろ……達者でな]
「でも!」
「これで本望」
才平は川を背に、酒樽を担いだままの姿で夜空を見上げた。
その先には、東西にぐるりと回った天の川がある。
「死んだ連中にも、言い訳が立つ」
才平は目を閉じた。
「ワシは、酒樽と心中するわい」
言い残して、才平は宗門橋から川へ転げ落ちた。
橋の下から、高らかな歌声が響く。
その声は川の流れに沿って、どこまでも遠ざかっていった。
こちらへ向かっていた呼子の音は、歌声を追うかのように、何処かへと消え去っていく。
玄十郎は、なづきの手を取った。
「行こう。今しかない」
「え……」
見上げるなづきのまなざしと、見下ろす玄十郎の目が合った。
涙を見られるのは嫌だったが、頬を伝って流れてくるのはどうにも抑えがたかった。
精一杯、微笑んでみせる。
「長屋に、母の位牌と骨と、通行手形がある。あれを置いてはいけない」
なづきは唇を真一文字に結んでから、尋ねた。
「あたしは……?」
玄十郎は答えなかった。力任せになづきの手を引く。
二人は、月明かりの下に倒れ伏す追っ手たちを後に走り出した。
才平の歌声は、どこからか、まだ微かに聞こえてくる。
捕り方の呼子は、もう聞こえなかった。
歩きながら、なづきは何が起こっているのか玄十郎に尋ねた。
そんなことは玄十郎にも分からない。分かるのは、自分の命が狙われているこということだけである。
だから、玄十郎はひたすら歩くことだけを考えた。なづきも、玄十郎に手を引かれながら、無言で歩き続けた。
だが、全ては遅かった。
宗門橋の前には、既に十数人が待ち構えていたのである。
「間に合わなかったな」
才平は、酒樽を担いだまま突進した。
月明かりに照らし出された影たちが、残らず刀を抜き放つ。
そのど真ん中に飛び込んだ才平は、酒樽と共にくるりと回転した。
酒樽が叩きつけられ、十数人が残らず薙ぎ倒される。
刀という刀が、地面の上に転がった。
それでも立ち上がる者はいた。
刀を拾って斬りかかる。
だが、才平は常に紙一重の差で当たらなかった。
刀が振り下ろされるたびに血しぶきが上がったが、それは才平のものではなかった。
才平は刀をかわし、回り、また地面に伏してはごろごろと転がる。
起き上がっては無数の拳を叩き込み、倒れてはその勢いで蹴り上げる。
突きも蹴りも残らず各々の急所を襲い、一人、また一人と、宗門橋の前に刀を落とした影が横たわっていく。
ついには、そこに立っているのは才平一人だけになった。
「お見事」
橋の向こうから、才平に声がかけられた。
長身の男が、大刀を手に現れる。
「諸般の事情あって藩名は名乗れぬが、逢坂無道と申す」
才平も名乗った。
「そんな大層な身分でないが、才兵衛と覚えておけ」
言い捨てるなり、才平は酒樽の栓を抜いて、酒をがぶ飲みした。
残らず酒を飲み干し、樽を投げ転がす。
転がった樽は、立ち尽くす玄十郎の足にぶつかって止まった。
橋を挟んで、才平と無道が対峙した。
橋の向こうから無道が語る。
「その若造は、実は我が主である、さる大名の落胤。守り袋がその証拠よ」
玄十郎は、肌身離さず持っていた守り袋を取り出して眺める。
「二つ白鷺は、主が家の紋所でな。暇を出されるときにそれを渡されても、母親は妊んでおるのに気づかなんだのよ」
なづきがおそるおそる玄十郎の顔を見上げる。
玄十郎は茫然と、頭を横に振った。
無道はふん、と鼻で笑う。
「その主も先ごろ死んだ。正妻の子が後を継いだところで、俺は落胤抹殺の密命を受けたのよ」
歪んだ口元に浮かぶ笑いは、月の光の下でなおも冷たく見えた。
「その若造の居場所は母親の足取りをたどれば分かった。だが、丁度ここを出ようとしておったのでな、見失っても面倒臭い。さっさと手のものに殺させようとしたのだが……」
そこで無道は、楽しげに声を上げて笑った。
「おぬしに邪魔されたのよ」
才平はげっぷ1つして、面倒くさそうに話を遮った。
「ゴタクはいらんよ。お互い、やりたいことをやろうじゃないか」
無道が笑った。
「よかろう。参れ」
「来いよ」
才平が橋の上へと駆け出した。
橋の向こうから、無道が斬り込んでくる。
橋の丁度真ん中で、二人は鉢合わせた。
無道の大刀が振り下ろされると、才平が身体をくるりと回す。
刃は空を切った。
横薙ぎの一閃が襲い掛かる。
才平の身体は膝から後ろに折れ、刀はその腹の上を通り過ぎた。
立ち上がったところに袈裟懸けの一刀が叩きつけられる。
だが、才平は大きく一歩踏み込んだ。
その手足が無道の身体に蛸の如く、くるくると絡み付く。
才平が一声吼えると、ぼきり、という鈍い音が幾つも聞こえた。
うっと呻いて、無道がつぶやく。
「百姓にしておくには惜しい」
歯を食いしばるが、両手に掴んだ大刀は橋の上に高い音を立てて落ちた。
その長身が崩れ落ちる。
遠くから、呼子の音が聞こえてきた。
なづきが玄十郎にしがみついた。
「あれ、何……?」
玄十郎は、その音を聞いたことがあった。
幼い頃、仕事に出る前に吹いてみせてくれたことがある。
「捕り方の、呼子の音だ……。」
「じゃあ……。」
怯えるなづきの肩を抱いて、玄十郎はつぶやいた。
「捕まえに来る」
二人はしっかりと抱き合ったまま、その場に固まって動けなくなった。。
そこへ、橋の上から才平が呼びかける。
息が荒かった。
「ワシの酒樽を持ってこい」
玄十郎は我に返った。
「え……」
才平は、月明かりの下で顔を真っ赤にして叫んだ。
「持ってこい!」
玄十郎は雷にでも打たれたようにすくみ上がった。
酒樽を手に、なづきと共に才平の元へ駆け寄る。
橋の上には、死んだ無道が横たわっていた。
その身体は、無残に抱き潰されている。
小さく悲鳴をあげるなづきを抱きしめて、玄十郎がつぶやいた。
「これはいったい……。」
「こんなことは一生知らんでいい」
玄十郎からひったくった酒樽を、才平は背中に担いだ。
振り向いて、橋の端まで歩いていく。
その時、玄十郎は才平の肩から斜めに切り下げられた傷を目にした。
呼子の音が近づいてくる。
才平の口から、血の塊がこぼれ出て、橋を濡らした。
「それ……」
玄十郎の問いに、才平は答えない。
「逃げろ……達者でな]
「でも!」
「これで本望」
才平は川を背に、酒樽を担いだままの姿で夜空を見上げた。
その先には、東西にぐるりと回った天の川がある。
「死んだ連中にも、言い訳が立つ」
才平は目を閉じた。
「ワシは、酒樽と心中するわい」
言い残して、才平は宗門橋から川へ転げ落ちた。
橋の下から、高らかな歌声が響く。
その声は川の流れに沿って、どこまでも遠ざかっていった。
こちらへ向かっていた呼子の音は、歌声を追うかのように、何処かへと消え去っていく。
玄十郎は、なづきの手を取った。
「行こう。今しかない」
「え……」
見上げるなづきのまなざしと、見下ろす玄十郎の目が合った。
涙を見られるのは嫌だったが、頬を伝って流れてくるのはどうにも抑えがたかった。
精一杯、微笑んでみせる。
「長屋に、母の位牌と骨と、通行手形がある。あれを置いてはいけない」
なづきは唇を真一文字に結んでから、尋ねた。
「あたしは……?」
玄十郎は答えなかった。力任せになづきの手を引く。
二人は、月明かりの下に倒れ伏す追っ手たちを後に走り出した。
才平の歌声は、どこからか、まだ微かに聞こえてくる。
捕り方の呼子は、もう聞こえなかった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
居候同心
紫紺
歴史・時代
臨時廻り同心風見壮真は実家の離れで訳あって居候中。
本日も頭の上がらない、母屋の主、筆頭与力である父親から呼び出された。
実は腕も立ち有能な同心である壮真は、通常の臨時とは違い、重要な案件を上からの密命で動く任務に就いている。
この日もまた、父親からもたらされた案件に、情報屋兼相棒の翔一郎と解決に乗り出した。
※完結しました。
織田家の人々 ~太陽と月~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
(第一章 太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~)
神戸信孝は織田信長の三男として知られる。彼は、庶子でありながら、嫡出である信忠・信雄についだ格付けを得るまでにのし上がっていた。
その最たるものが四国征伐であり、信孝はその将として、今、まさに四国への渡海を目前としており、その成功は約束されていた――本能寺の変が、起こるまでは。
(第二章 月を飛ぶ蝶のように ~有楽~)
織田有楽、あるいは織田有楽斎として知られる人物は、織田信長の弟として生まれた。信行という兄の死を知り、信忠という甥と死に別れ、そして淀君という姪の最期を……晩年に京にしつらえた茶室、如庵にて有楽は何を想い、感じるのか。それはさながら月を飛ぶ蝶のような、己の生涯か。
【表紙画像】
歌川国芳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
古色蒼然たる日々
minohigo-
歴史・時代
戦国時代の九州。舞台装置へ堕した肥後とそれを支配する豊後に属する人々の矜持について、諸将は過去と未来のために対話を繰り返す。肥後が独立を失い始めた永正元年(西暦1504年)から、破滅に至る天正十六年(西暦1588年)までを散文的に取り扱う。
鬼が啼く刻
白鷺雨月
歴史・時代
時は終戦直後の日本。渡辺学中尉は戦犯として囚われていた。
彼を救うため、アン・モンゴメリーは占領軍からの依頼をうけろこととなる。
依頼とは不審死を遂げたアメリカ軍将校の不審死の理由を探ることであった。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる