上 下
34 / 39

34.私の伴侶(ラーディン)

しおりを挟む

 初めて会った時は、その美しさに思わず見惚れた。
 私の婚約者候補に自ら名乗りを上げたと聞いて、どんなたくらみを持っているのかと疑いつつも、つい目で追わずにはいられぬほどの美貌だった。

 アンスフェルム・エルガー。先王エアハルト陛下の庶子。
 艶やかな黒髪に、濡れたように輝く大きな漆黒の瞳、柔らかそうな白い肌。小さな鼻も、生意気そうな唇も、すべて完璧な配置におさまっている。女神の写し絵かと思うほど、美しい青年だった。

 なるほど、これなら蛮族と蔑まれる獣人の王子など、指先一つで言いなりにさせられると自惚れても無理はない。
 だが、私を思い通りに操ろうとしても無駄だ。そう言外に伝えても、ちっとも堪えた様子もなく、『パルダン王国をぜひ訪れたい、交流をはかりたい』と大真面目な顔で言う。
 その如才ない態度に、ナシブらもころっと参ってしまったらしく、酒を片手に嬉しそうに会話を交わしている。

 西域語を流暢にあやつり、愛想よく接する態度に、なぜか嗜虐的な気持ちが湧きあがった。
 無理難題を言いつけ、困らせてやったら、この美しい青年はどんな顔をするだろう。
 許してください、と彼が頭を下げる様を想像するだけで、耳の付け根が疼くような気がした。

 だが、アンスフェルムは私に頭を下げたりしなかった。赤裸々な愛の歌を堂々と歌いあげ、どうだと言わんばかりの笑みを浮かべて私を見た。
 その子どものように無邪気な笑顔に、私は心臓を鷲掴みにされた気がした。

 生き生きとして、まばゆく光り輝いている。私の思惑など軽々と飛び越え、楽しげに笑うあの青年を、なんとしても手に入れたい。

 自分でもよくわからぬ想いに急き立てられ、アンスフェルムを婚約者に、と指名した。
 そうしてパルダン王国へ連れて帰ったのだが、彼はどこかとらえどころがなく、その眼差しは私を通して、誰か別の存在を見ているようだった。

 どうしてそんな目で、私を見るのだろう。私の後ろに、誰の影を探しているのか。
 アンスフェルムが追い求めているのは誰なのか、考えるだけで腹立たしく、胸がムカムカした。

「アンスフェルム様について、ですか?」
 もう一人の婚約者候補、ロルフ殿から情報を得ようとしたが、彼は困ったように首をかしげて言った。
「彼は、あまり社交界に姿を見せず、先王陛下が大事にその懐にしまっておられる小鳥、と噂されておりました。仕事で各国の要人の通訳を多く務めていらっしゃることは存じております。また、『水』の魔術をたいそう得意とされているとか。……わたしが知っているのはそれくらいでしょうか。実際、わたしがアンスフェルム殿と話したのは、殿下の歓迎式典の時が初めてでして。……まあ、あの美貌ですから、社交界でも何かと話題にはされておりましたが」

 私はロルフ殿をじっと見た。
 最初に会った時も思ったが、この男は父親であるクロース公爵に、あまり似たところがない。彼を私に紹介したアンスフェルムの様子からみても、おそらくは種違いの子であろうと思われた。
 クロース公爵は、パルダン王国と国境を接する領主であることから、何度か非公式に対面したことがある。
 いかにもエルガー王国の貴族らしい、獣人を蔑む態度を隠そうともせぬ男だった。
 ロルフ殿も獣人と距離をとっているが、少なくとも父親のように獣人を蔑む様子は見せない。それだけでも、エルガー王国の貴族の中では、だいぶマシな部類に入るだろう。

「アンスフェルムは、先王陛下にだいぶ可愛がられているようだな。遅くにできた子は可愛いというが、彼は庶子なのだろう?」
「それは……、まあ……」
 ロルフ殿は、歯切れ悪く言った。

「アンスフェルム殿は、その……、あの容姿ですからね。先王陛下が大切にされるのも、無理はないと申しますか」
 奥歯に物が挟まったような言い方が引っかかったが、私はそれ以上、追及しなかった。
 他国の事情に興味はない。アンスフェルムの出生に何か秘密があるなら、本人に直接、聞けばいいだけの話だ。

 結局、ロルフ殿の話からわかったのは、アンスフェルムは魔術や大陸の諸言語に造詣が深く、社交嫌いの変わり者、ということのみだった。
 そして、やはりエルガー王国でもアンスフェルムの美貌は有名らしかった。当然のことだが、なんだか面白くなかった。

 私の婚約者が、その美しさを他者に取り沙汰され、品定めされている。その事実が不愉快だった。
 アンスフェルムは、私の婚約者、私のものだ。他者がどうこう言っていい存在ではない。
 彼は、私だけのものなのに。

 アンスフェルムと褥を共にした時、強引にその体を己のものにしたくて、でも、もしそれで彼に嫌われたらと恐ろしくて、どうしても手が出せなかった。
 そして、そんな自分自身に少し驚いた。
 欲しいものは奪い取る、それが獣人のやり方だ。私もそうして生きてきた。
 だが今は、アンスフェルムの体だけではなく、心も欲しい。どうすればその二つとも、手に入れることができるのか。

 優しくその体を抱きしめ、時おり髪に口づけると、アンスフェルムは私の腕の中で、安心しきった子犬のような寝顔を見せた。その穏やかな寝顔に、私は複雑な想いを味わった。
 こうして優しく守ってやりたいが、それだけではとうてい足りぬ。泣かせ、喘がせ、すがりつかせたい。この生意気な口にいやらしい言葉を言わせ、私を欲しいと懇願されたら、どんなに――。

 言葉を交わし、そばにいればいるほど、己の想いが大きくなるのを感じる。
 私の伴侶は、アンスフェルムしかいない。
 だが、はっきりそうと分かったのは、彼が王妃の放った暗殺者に襲われた時だった。

 幸いアンスフェルムは無事だったが、もし彼に何かあったらと、考えただけで世界が終わるような気がした。
 どうあっても彼だけは失えぬ。それくらいなら、自分が死んだほうがマシだ。
 そうして私は、彼に心臓の誓いを捧げた。

 アンスフェルムは私の想いに応え、ずっと隠していた彼の秘密を明かしてくれた。
 出生については薄々、勘づいていたが、さすがに『時間』の魔力属性にまでは思い至らなかった。
 が、そういうことなら、すべて説明がつく。

 そうか。私は彼と、すでに二度、出会っていたのか。
 過去の人生、二回ともアンスフェルムは、私の婚約者ではなかったという。しかし、それは些末なことだ。たとえ婚約者であろうがなかろうが、私はけっして彼を手放しはしなかっただろう。
 何を犠牲にしても、彼だけは失えぬ。離れるのは、どちらかが死ぬ時だ。

『私はきっと、その二回の人生でも、変わらずおまえを愛していた。私にはおまえだけだ、アンスフェルム』
 そう告げると、アンスフェルムは唇をとがらせ、不満そうに言い返した。
『そんな甘いことをおっしゃっても、騙されませんよ。殿下って、優しいところがあるかと思えば、俺に対してだけは妙に厳しいんですから』
『なぜそのようなことを?』
『自分を裏切った人間が他国へ亡命しても見逃してあげるくせに、俺だけは絶対許さないで、どこまでも追ってくるからですよ』
 ぶつぶつと文句を言うアンスフェルムが愛しく、私は思わず彼を抱きしめた。

 そんなことは当たり前ではないか。
 他の人間など、どうでもいい。亡命したいのなら、どこにでも行けばいい。パルダン王国の不利益にならぬなら、追いかけるのも面倒だ。
 だが、むろんアンスフェルムは別だ。過去の人生で、彼がもし、私から逃げたのなら、私はどこまででも追いかけただろう。地の果てまでも追いかけ、それでも彼が手に入らぬというなら、せめてこの手で殺しただろう。
 わかりきった話だ。

 見当違いの不満をもらすアンスフェルムが可愛らしく、愛しくてならない。
 ああ、早く彼を私のものにしたい。抱きしめると鼻腔をくすぐる甘い香りに、たまらない気持ちになる。

 アンスフェルム、おまえは私のただ一人の伴侶。死ぬまで――、いや、死んでも私だけのものだ。

しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

【完結】父を探して異世界転生したら男なのに歌姫になってしまったっぽい

おだししょうゆ
BL
超人気芸能人として活躍していた男主人公が、痴情のもつれで、女性に刺され、死んでしまう。 生前の行いから、地獄行き確定と思われたが、閻魔様の気まぐれで、異世界転生することになる。 地獄行き回避の条件は、同じ世界に転生した父親を探し出し、罪を償うことだった。 転生した主人公は、仲間の助けを得ながら、父を探して旅をし、成長していく。 ※含まれる要素 異世界転生、男主人公、ファンタジー、ブロマンス、BL的な表現、恋愛 ※小説家になろうに重複投稿しています

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~

松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。 ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。 恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。 伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。

しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。 基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。 一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。 それでも宜しければどうぞ。

婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました

ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。 愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。 ***************** 「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。 ※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。 ※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。  評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。 ※小説家になろう様でも公開中です。

悪役令嬢と同じ名前だけど、僕は男です。

みあき
BL
名前はティータイムがテーマ。主人公と婚約者の王子がいちゃいちゃする話。 男女共に子どもを産める世界です。容姿についての描写は敢えてしていません。 メインカプが男性同士のためBLジャンルに設定していますが、周辺は異性のカプも多いです。 奇数話が主人公視点、偶数話が婚約者の王子視点です。 pixivでは既に最終回まで投稿しています。

祝福という名の厄介なモノがあるんですけど

野犬 猫兄
BL
魔導研究員のディルカには悩みがあった。 愛し愛される二人の証しとして、同じ場所に同じアザが発現するという『花祝紋』が独り身のディルカの身体にいつの間にか現れていたのだ。 それは女神の祝福とまでいわれるアザで、そんな大層なもの誰にも見せられるわけがない。  ディルカは、そんなアザがあるものだから、誰とも恋愛できずにいた。 イチャイチャ……イチャイチャしたいんですけど?! □■ 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです! 完結しました。 応援していただきありがとうございます! □■ 第11回BL大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

処理中です...