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第2章 王への道
八話 新生せし秘境
しおりを挟む目の前にいるニィシャさんを、俺はまじまじと見つめる。どこからともなく現れた彼女は十年前と変わらない微笑みをたたえている。
彼女はヴェルと同じように東部のダークゴブリンたちから三人の兎人族の子供たちを連れて西部に逃げてきた人物であり、出会った当初は瀕死の重傷を負っていた。
怪我が治った後は身を寄せるような親族もいないということでヴェル、そしてレイという兎人族の幼女と一緒にログキャビンで暮らしていた。その時もこの微笑みをよく見たものだ。
ニィシャさんとレイと最後に話をしたのは、北部へ行くために作った魔道具であるフリューゲルで一緒に遊んだ日の食卓だ。それを最後に俺は眠りについた。
そんなニィシャさんは、あの日俺が最後に見た時の姿とほとんど変わっていなかった。唯一変わっているのは服装と目の色で、紅色の巫女服をまとっており、両目は翡翠色に輝いている。
……あの巫女服、一見何の変哲も無いようなものに見えるけど、実態は全く違う。全身の皮膚の下で、枝が共鳴するように震えていた。あれは、俺の体内に寄生している枝と同質のものだ。
《訂正を。今の龍人様より遥かに強力ですね》
…やっぱりな。
そしてそれは、彼女がこの枝の大元である大樹の加護を受けていることを意味している。いや、どちらかといえば彼女は使役している側だろうか。
ニィシャさんは、実はこの『遥か高き果ての森』の心臓であるエナジーコア、並びにそれを核として育った『大精霊の大樹』を管理する大精霊の分身を宿した『神子』のうちの一人なのだ。
俺がシリルラに聞いた話では、大精霊は無作為に選んだ各地域の魔物に自分の分身を憑依させ、それを端末として森全体の状況を把握していたという。
そして東部の『神子』だったのがニィシャさん。彼女が西武に逃げ込んだ本当の理由は、乗っ取られかけている東部を守護する神獣を、東部を支配していた黒鬼神から取り戻そうとして失敗したからだ。
ちなみに黒鬼神とは、何百年にも渡って西部に戦いをふっかけていた亜神だ。俺が眠る理由となった黒鬼暴君を北部に向かわせた張本人でもある。ちなみに、俺は直接会ったことはない。
黒鬼神は、神獣を支配してその力を手にしようとしていた。結局それは叶わず、俺が黒鬼暴君の変化した異形を倒したことで弱体化し、エクセイザーたちに惨殺されたそうだが。
黒鬼神が倒されたことによりレベルが限界まで到達し亜神化、そして偶然にもイザナギ様のスキルが解放され、俺は見事神へと昇華した。まあ、その過程でウィータが生まれたわけでもあるが。
しかし、その神化は彼女の…というよりは大精霊の加護無くして成り立たないものだった。その加護があったからこそ、俺は息を吹き返したのだから。
見ず知らずの相手でも助ける俺の行動を気に入ったらしく、俺の魂が剥離しかけていた肉体に命の力…つまり霊力を司る力を駆使して命を与えてくれたのだ。
それに加えて、神化と破損した肉体の回復に必要な霊力を供給するのも手伝ってくれていたみたいだし。
ていうか今更だけど、俺が見させられたあの時のとは別にニィシャさんともやってないよね?
……いや、やってる可能性は大いにある。神格としては大精霊の分身である彼女のほうが上のはずだから、効率としてははるかに良い。
《……その場合、もし具現化できていたら切り落としていましたのにね》
何を!? どこを!?
《ナニですね。この浮気者》
ひ、酷い……俺の意思全然関係なくやられた(かもしれない)ことなのに、どうやら最愛の相手はかなりご立腹のご様子だ。世の中理不尽である。
って、それよりも。今はニィシャさんのことも大切だ。何せ、こうして目覚められたのは彼女がいてこそなのだから。
……そういえば。今考えてみると、東部の『神子』はニィシャさんだが、西部の『神子』はいったい誰なんだろう。聞いた話によると、各地域に一人ずついるらしいのだが。
心当たりがある知り合いは……いないな。エクセイザーは絶対に違うし、ただの亜神であるヴェルも違うだろう。いや、案外ユキさんとかだったりして。
ほかに考えられる可能性としては、ニィシャさんのことを知って姿を隠している。分身が二体もやられてしまっては大精霊の方も大損害だろうし。
加えて言うならば、もしかしたら北部の『神子』はもう死んでいるかもしれない。何せあれが暴れたのだ、殺された魔物の中の一匹である可能性が高いだろう。
……まあ、十年前のことなんて考えても仕方がないか。とりあえず、今は目の前にいるニィシャさんからだ。
「……お久しぶりです、ニィシャさん」
「うふふ、そんなにかしこまらなくてもいいんですのよ?だって……もう私たちは逢瀬を交わしたのですから」
そう言って、それまでとは少し違う微笑みを浮かべて自分の下腹部を撫でるニィシャさん。あっ、これもう手遅れなやつですね。悪い予想的中してるわ。
《……龍人様?》
「……ふんっ」
「…チッ」
ニィシャさんがそう言った瞬間、後ろにいるエクセイザー、より親密に感覚が繋がったシリルラ、あとなぜかヴェルから怒気が発せられる。あれっ。これ、俺後で死ぬんじゃない?
思わず引きつってしまった顔をなんとか元に戻し、ひくひくと口角を痙攣させながらニィシャさんに話しかける。
「えっと、今の『遥か高き果ての森』の事、説明してくれるんですよね?」
「はい。結構壮大な話なので、かいつまんで説明しますね」
それから始まったニィシャさんの話を要約すると、大体こうだ。
まず、『遥か高き果ての森』は今や遥か天空にはなく、地上にある四つの大陸の中央、魔海と呼ばれていた場所にあるらしい。うん、初っ端から訳がわからん。
その理由としては、『大精霊の大樹』、そしてその核である『エナジーコア』の変質が密接に関係している。その原因は……俺。
亜神化の他に、創造主であるイザナギ様から与えられたスキルの力で本物の神になってしまった俺。その強大な力は神性の高い『大精霊の大樹』を変質させ、『神樹』にしてしまった。
『神樹』とは、世界に一本しか生えないと言われている究極の木。神々の住まう世界への扉を開き、その木になる果実を食べたものは永遠の命を得るという。
日本とかだと、神社の中に祀られているものが神樹と呼ばれていた。神霊が宿るとされ、崇め奉られ、実際に八百万の神々が宿っていることも稀にある。
それに当てはめると、この『神樹』のご神体は俺ということになる。つまりエナジーコアとも繋がっているから、こうして繋がっているような感覚がある。
で、そんなこの木なんの木トンデモな木になってしまった『大精霊の大樹』だが、どうやらそれの核にあたるエナジーコアにも変化が起きたらしい。
神になった俺と同化したことにより、その力は爆発的に増大。元の力の何百倍にも膨れ上がったそれは、『遥か高き果ての森』から溢れ出して外界にまで影響を及ぼした。
有り余るエネルギーを持て余したエナジーコアは『遥か高き果ての森』の他に空に漂っていた浮島たちを引き寄せ、そこにいた生き物たちもろとも吸収して一つにした。今の『遥か高き果ての森』はちょっとした小さな大陸くらいの大きさがあるらしい。
だがやるだけやったエナジーコアは自分が使えるエネルギーを全部使い果たし、空に浮かぶことができなくなった。だからより大きなエネルギー……つまり魔力のある地上に自ら落ちたのだ。
この世界には地球の龍脈と同じような魔力の流れのようなものがあるらしい。そして龍脈の集まる龍穴に該当するものこそが、魔海。そこに『遥か高き果ての森』はすっぽりと収まってしまった。
そうして、これまで悠久の時の間天空を彷徨い続けた秘境は、海の上に浮かぶ大陸の一つになった。何千何万という、未知の生き物たちを抱えて。
「そこからはもう、大変でした。さらに暴走しようとするエナジーコアを本体と私たちが全力で押さえ込んでコントロールし、エクセイザー様やヴェル様たち亜神が先頭に立って、新生した秘境を統一する戦いが始まったのです」
「戦が……」
俺のせいで、そんなことに……
「……壮絶な戦いの最中、多くの命が散っていった。その中には、お主が知ってるやつもおる」
「エクセイザー…」
それでもエクセイザー達は、新たな秘境の平和のため戦い続けたという。
五年にも渡る争いの末、全ての秘境と和解し手を取り合った。そして元々の『遥か高き果ての森』の各地域のリーダーと、大精霊をトップとして、二年前に一つの国となったのだ。
「最近ではかなり安定してきて、かつての『遥か高き果ての森』のように均衡を取り戻しつつあります」
私や私の本体が生まれて以来初めての大仕事だったんですよ?と笑うニィシャさん。そんな彼女を見て俺は目眩を覚える。
しかし、そんな踏んだり蹴ったりなエナジーコアの暴走から始まった新生した『遥か高き果ての森』だが、どうやら悪いことばかりでもなかったらしい。
まず、巨大なエネルギーを地上から取り入れることによって『神樹』の力が高まり、俺の回復が早まったとか。想定では、あと五年以上は眠ったままだった。だからあんなに、慌ててここに現れたのか。
他にも、他の秘境にいた様々な勢力を取り込んだことにより文明として大幅に発展した。太古に廃れた筈の技術や文化、食べ物に魔道具、建造物、生産……その方向は多岐に渡る。
ニィシャさん曰く、現在この国は軍事力も経済力も、全てにおいて今のヒュリスにあるどの国より発展しているらしい。それこそ、現代の地球すら軽く凌駕するほどに。
それほどの力を持っていれば当然狙われるのが世の常であるが、敵対する相手はことごとく返り討ち、有効な相手は同盟を組んで今もなお成長を続けているようだ。
「……と、いうのが今の私たちの現状です。いかがでしょうか?」
「いや、いかがでしょうかって言われても……」
少なくとも、俺のキャパシティを軽ーくオーバーしているのは間違いない。いくら十年も眠ってたとはいえ、変わりすぎだろう。
それをたった二年でやり遂げたエクセイザーたちには感服する。さすがとしか言いようがない。そのおかげで、俺はこうして無事に目覚めることができたしな。
まあ、なんにせよ……スケールがでかすぎる。精神的にはたった十七年かそこらしか生きていないガキに、この事実はあまりにも重すぎた。思わずこめかみをグリグリとする。
だが、そうやって事のでかさに対する混乱以上に……自分への嫌悪感が溢れてきた。相変わらず何も変わっていない自分に、反吐が出そうになる。
俺は皆を…俺を仲間だと言ってくれる西部のみんなのために異形を倒したのに、結果的にまた迷惑をかけてしまったのだ。自分の不甲斐なさに腹がたつ。
いつだってそうだ。俺がやったことは全て誰かの仇になる。どこに行っても、結局俺は中途半端なことしかできない役立たずなんだ。
「……ッ!」
こんなことなら、いっそのことあの時そのまま死んでいれば……
パンッ!
不意に、頬に痛みが走った。
「……え?」
呆然としながら、自分の頬に触れる。ジンジンとした痛みがあって、くすぐったい。でもそれ以上に……なんだか、とても心が苦しくなる痛みだった。
俺は今、何をされた? 少なくとも、死んでおけばよかったと思った瞬間、乾いた音と一緒に横っ面が誰かに張り飛ばされたことだけはわかる。
つまり……俺、誰かに打たれたのか?でも、誰に?そう思って、痛む頬を抑えながら正面に向き直る。
すると、怒りに顔を染めたエクセイザーがいた。その手は振り切られており、彼女が俺のことを打ったことがわかる。一体なぜ、彼女が俺を?
訳がわからず混乱していると、ふっとエクセイザーの表情が穏やかなものに戻った。そして振り切ったままの手をこちらに伸ばす。
まさかもう一度叩かれるのかと身構えるが、俺の予想に反してエクセイザーは俺のことを抱き寄せた。ふわりと彼女の匂いが鼻腔をくすぐる。
「わっ……エクセイザー?」
「……のう、龍人。なぜ妾が5年間戦ってこれたかわかるか?」
エクセイザーの問いに、俺は答えられなかった。彼女の問いかけに対する答えを、俺は持っていなかった。
黙り込んだままの俺にエクセイザーはふっと笑い、頭を撫でてくる。不思議とそれが安心を誘った。
「妾が戦ってこれた理由……それはな、お主がいたからじゃ」
「……え?」
俺が、理由?
「ああ、そうじゃ。お主が目覚めた時平和に迎えられるように、笑ってウィータのことを抱かせてやれるように。……何より、愛していると伝えるために。そう思いながら妾は戦ってきた」
「エクセイザー……」
思わず、声が漏れる。そんな風に彼女が考えてくれていたなんて思いもしなかった。それなのに俺はまた、ネガティヴな方に思考が偏って……。
「だからな、頼む。死にたいなどと言わないでくれ。お前が死んでしまっては、妾は生きる意味を失ってしまう。これからずっとお主なしで生きていくなど、真っ平御免じゃからな」
「…うん。ごめん」
「わかったなら良し。いきなり叩いてすまなかったな」
優しげな声音でいうエクセイザーに、解放された俺は首を横に振った。
「いや、むしろ目が覚めたよ。くよくよしてたって始まらねえ。ここでいつまでも後悔してるより、これからどうしたいかを考えた方がずっといい」
「ふふっ、切り替えが早いの」
「それが取り柄だからな」
どん、と昔より薄くなった胸を叩いてそう言う。それにエクセイザーとその後ろにいるヴェルはクスリと笑った。
それ見ながら、俺はとあることを密かに決意する。エクセイザーのものとも、先ほどのものとも違う三つ目の決意。我ながら、目覚めて早々色々と思うところが多いと思うが。
「……三人とも、聞いてくれ」
「なんじゃ?」
「なんだ?」
「はい、なんでしょうか?」
こちらを見る三人に、俺はずっと息を吸って深呼吸すると、意を決して言う。
「俺は、この新しい場所の守護者になる。それがこの話を聞いた俺の結論だ」
それこそが、俺の三つ目の決意。エナジーコアを暴走させてしまったことへのケジメだ。多少でかくなったところで俺のやることは変わりはしない。
でも、それはきっと一人じゃできない。一人ぼっちで我武者羅に走ってたって、いつかは力尽きてそこで終わってしまう。それではあの時と同じだ。
でも幸い、今の俺には頼りになる奴らがいる。俺一人じゃできないとしても、一緒に走る誰かがいるのなら必ず目指す場所にたどり着ける。
生半可なことじゃないだろう。五年もかけてエクセイザーたちがまとめ上げた奴らを、俺が先頭に立ち守るなど。
だがどんなに難しくてもやり遂げてみせる。それが俺が今こうして生き長らえていることの意味だと思うから。
だから俺は……。
「頼む。そのために、俺に力を貸してくれ」
「ふっ、愚問じゃな。夫を支えるのが妻の役目。どこまでも付き合ってやろう」
「家族の頼みとあっちゃあ、断れねえな」
「ふふ……貴方は本当に面白い人。いいですわ、お力添えいたします」
不敵な笑みを浮かべる三人。そんな頼もしい仲間に。
否。家族に、俺は強く頷くのだった。
ーーー
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