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20.俺たちは、逃げるしかない

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「トーマ! シルヴァーナ様が……殺される! 早く、取り戻さないと……!」

 石橋先輩……いや、それも嘘なんだろう。
 とにかく女が、必死の形相で俺にしがみつく。

「シルヴァーナ様って……シィナのことか?」

 変な暗示をかけられていた訳だから、信用なんてできない。
 俺は女を睨みつけたまま、その腕を振り払った。

「そうよ。私はマリジェンカ。シルヴァーナ様つきの女官よ。マリカでいいわ」

 マリカは青ざめた顔で呟いた。

「何のために俺の前に現れたんだ?」
「……」

 マリカは答えようとしなかった。
 もともと、俺たち――いや、俺には、ウルスラの存在を悟られるべきではなかったのだろう。
 どこから話せばいいのか、考えあぐねている様子だった。

 ユズがちょっとマリカを見ると
「……シィナの記憶を解放するために来た、らしい」
と俺に教えてくれた。
 マリカがぎょっとしたような顔をしてユズを見た。

「トーマに幻惑をかけて近づこうとしていたみたいだ。実際にはあまり効かなかったみたいだけど」
「道理で……」

 気持ちもないのに妙に距離を詰めてくるな、とは思ってた。
 マリカは諦めたように溜息をついた。

「……そうよ。だから、それ以上のことは何も知らないわ」
「……」
「でも、私の力では完全に記憶を戻すことはできなかったの。だから、陰から様子を窺っていたのよ。それより……」

 マリカがガッと俺の両腕を掴んだ。
 必死の形相で俺を見上げる。

「今のはギャレット様の部下よ。そうとしか考えられないわ。シルヴァーナ様がギャレット様に捕まったら、殺されてしまうかも」
「何?」

 ――トーマ……!

 その瞬間、シィナの声が聞こえた気がして……俺は思わず振り返った。
 しかし、夜の闇が俺達を包んでいるだけだ。

「でも、助けるったって、どうやって……」

 ユズが、そう呟いた瞬間。
 俺達三人のまわりに突風が吹き荒れた。あっという間に紫色の風に包まれる。

「何だ!?」
「トーマ!」

 ユズが伸ばした手を、咄嗟に左手で掴む。俺の右腕には、マリカがしがみついていた。
 紫色の竜巻の中心に居るような、不思議な状況だ。
 そして俺達三人は……どこかに飛ばされたようだった。


 しばらくすると……回転が緩み、徐々に周りの景色が見えるようになる。
 やがて足が、地面を捉えた。

 風が止むと……そこは、薄暗い部屋だった。
 まるで洞窟の中のような、ジメジメした感じ。
 徐々に目が慣れてきて……辺りを見渡す。

 目の前の土っぽい壁……その下の方で、一人の女性と若い二人の男がへたり込んでいた。
 壁に叩きつけられたのか、頭や腰を押さえながら呻いている。
 女性の方は薄い水色のヒラヒラしたドレスのような物を着ていて、宝石なんかもジャラジャラと身に着けている。
 男二人の方は、上下黒のヨレヨレの格好をしていた。王妃様と傭兵、みたいな感じだ。

 ふと視線を感じて右の方を見ると……茫然と立ち尽くす中年の男と目が合った。……赤い髪。
 こいつ、最初に俺たちに襲い掛かってきた男だ。間違いない。
 あのときはさっきの傭兵みたいな男と同じ格好をしていたが、今は同じ黒色でも光沢のあるローブのようなものを着ている。ちょっとエラい奴、なんだろうか。
 牧師みたいだな……と思いつつ、視線を下に向ける。
 ――床に両手をつき座り込んでいる、金髪の女の子。……藍色の浴衣。

「まさか……」

 俺の声に気づいた金髪の少女が顔を上げてこっちを見た。紫色の瞳が、大きく見開く。

「……トーマ!」
「シィナ? シィナだな!」

 駆け寄ろうとすると、中年の男がとっさにシィナの腕を引っ張った。
 シィナは「嫌!」と叫んで手を振り払い、立ち上がろうとするが……ゆっくりと目を閉じてしまった。
 その場でガクリと崩れ落ちる。

「トーマ!」
「おっしゃ!」

 ユズに渡された棒を構えると、俺は男にダッシュした。
 男が構える前に振りかぶって面をしたが、ギィンという鈍い音がして跳ね返される。
 この男は一度俺と闘っているから、俺の攻撃の強さが分かっているようだ。
 完璧に防御ガードされたら、前みたいに気絶させることは難しいかも……。

『お前達も……闘いなさい!』

  呻いていた女性が若い二人の男に怒鳴るのが聞こえた。
 その瞬間、俺の身体が見えない何かで縛られたように動けなくなった。

「何だ!?」
「トーマ!」

 マリカが俺に駆け寄って、咄嗟に俺の身体の見えない何かを引きちぎる。
 身体が動くようになった俺は、マリカを庇いながら、向かってきた赤い髪の男に突きを食らわせた。
 不意打ちだったらしく、防御ガードは不完全だったみたいだ。
 勢いよく壁まで吹き飛ぶ。
 振り返ると、ユズがシィナを抱えていた。
 シィナは気絶しているようだが……とりあえず、無事だな。

『何だ、あの女!』
『何をしているの! 障壁シールドで身を守っている場合ではないでしょう! シルヴァーナを取り返しなさい!』
『ギャレット様、俺達は戦闘要員じゃないんですよ! 幻惑を破られたら、打つ手が……』

 術をかけたらしい男が何やら慌てふためいていて、女がものすごい形相で二人を怒鳴りつけている。
 何を言っているのか俺にはわからなかったが、かなり揉めているようだ。
 ……ということは、新手の敵が現れる前に逃げた方がいい!

「ユズ!」

 ユズは頷くと、今度は大きい鉄球を出現させた。ビルの解体に使うような、あの巨大な黒い球だ。
 鉄球は激しく転がっていき……壁に激突する。
 ガラガラガラ……と激しい音を立てて、壁が崩れた。薄暗いが、その向こうに廊下みたいなものが見える。

「トーマ! 早く!」

 俺はユズに棒を返すと、シィナを背負った。

「よし、行くぞ!」

 壁に開いた大穴から廊下らしきところに飛び出した。
 俺に続いてユズとマリカも飛び出してくる。大きな鉄球が、あっという間にかき消えた。

「どこに行けばいいんだ?」
「わからない……私も、西の塔からは出たことがないの!」

 マリカが困った顔をしている。

「あー、もう! とにかく走れるだけ走るぞ!」

 俺は長い廊下を駆け出した。背後から
『早く……早く、追いなさい!』
という女性の声が響いてきた。

   * * *

 廊下を走り、階段を上ったり下りたりする。
 とにかく人の気配がしない方へしない方へ走っているので、今どこに向かっているのかさっぱりわからない。
 廊下も階段もどこも薄暗い。何だか陰気な雰囲気が漂っている。
 装飾とかはテレビで見たような宮殿っぽくて立派なんだが……とにかく空気が淀んでいるという感じだ。
 これがウルスラとかいう国の王宮なんだろうが……王宮って、こんな辛気臭い場所なのか?

「はぁ……はぁ……もう……駄目……」

 マリカが胸を押さえて立ち止まる。
 ユズも荒い息をつきながら前方を指差した。

「トーマ、行き止まり……」
「ちっ……戻るか」
「ちょっと……待って……」

 マリカがふらりとよろけて壁に手をついた。

「……あれ?」
「どうした?」

 マリカが空中で何かを払うような動作をする。
 すると、ぐにゃりと空間がねじ曲がり、突然扉が現れた。

「……ん?」
隠蔽カバーされていたみたい」

 マリカがペタペタと扉を触る。
 俺は辺りを見回した。
 滅茶苦茶に走って来たけど、今のところ追手は来ていない。
 二人は走り疲れているし、いったん休憩した方がいいかも知れないな。

「よし、入るか」
「えっ!」

 マリカがぎょっとする。

「隠されてた扉よ? 何があるかわからないわよ」
「変な気配もしないし……もともと隠されてた場所なら、見つかりにくいんじゃないか?」
「……そうだね。ちょっと休まないと」

 ユズも頷いた。
 マリカは俺達をじっと見ると「……仕方ないわね」と溜息をついた。

 俺は扉の前で深呼吸をすると
「お邪魔しまーす……」
と言ってそっとドアを開けた。
 とたん、明るい光が差してきて目が眩む。

「うわっ!」

 俺は思わず叫ぶと、少し後じさりした。
 今まで薄暗い所を走って来たから、目がチカチカする。
 後ろに居たユズとマリカが
「どうしたの?」
「何もないよ」
と不思議そうな声を出した。
 二人には……廊下との明るさの違いが、わからないんだろうか。

 ユズに背中を押されて、俺はまだ光に慣れない目をパチパチさせながら、どうにか前に進んだ。
 全員が部屋の中に入ったらしく、マリカがホッとしたような息を漏らすのが聞こえた。
 パタンという扉が閉まる音と共に、ユズが
隠蔽カバーなくなったけど大丈夫かな……」
と心配そうに呟いている。

 ようやく……目が慣れてきた。
 目の前には、大きな窓。ここから光が差しているから明るいのか……? いや、そういうレベルじゃないな。
 窓の外には、あまり手入れされていない感じの小さな庭があるだけで、あとはたくさんの木々が生えている。向こうが全く見えないから、奥はすべて森なのかもしれない。

 俺は部屋を見回した。
 だいたい十畳ぐらいかな。ふかふかした淡い緑色の絨毯が敷き詰められている。模様も何もない、ただの若草色で、物足りない感じがした。
 右手の壁にベッドと机、そしてタンスがある。
 すべて薄い茶色の木目調で、全部同じ材質で作られたものだとわかる。装飾は一切なく、ひどくシンプルなデザインだ。

 この部屋の主は、インテリアとかに全く興味はなさそうだな……。
 というか、そもそもここに人は住んでいるのだろうか?
 
 そう思いながら部屋の中央に目を移すと、同じ木製の小さなテーブルセットがあった。
 円形のテーブルと、向かい合うように椅子が2つ。カフェにありそうな感じのサイズだ。
 そしてそのテーブルの上には、本が広げっぱなしになっている。
 木製の椅子も、右側の方がまさに立ち上がったまま、という感じで斜めになっているし……やっぱり明らかに、誰かの部屋だよな……。

「××……××?」

 急に声が聞こえ、俺は慌てて左手を見た。
 そこには扉があり、どうやらさらに奥に部屋があったようだ。
 扉が開いて、女の子が俺たちを見てポカンとした顔のまま立ち尽くしている。

 赤い髪に茶色の瞳の、10歳ぐらいの女の子だ。ショートカットがよく似合う、活動的な感じのする可愛い子だった。

「あ、こんにちは……お邪魔してます」
「……」

 俺達を見て、女の子はびっくりして固まっていた。
 ……そりゃそうか。完全に不審者だし。

「えっと……怪しい者じゃないんだが、少し休ませてくれないか? この部屋、廊下と違ってすごく明るくていい部屋だな」

 怖がらせないように、俺は精一杯の笑顔で言った。

「トーマ、日本語で言ったって……」
「あ、そうか」

 女の子は一瞬きょとんとすると
「××××!」
とびっくりするような声を出した。
 ウルスラ語らしく、よくわからない。
 マリカが、
「お兄ちゃんにはわかるんだ、って言ってる」
と教えてくれた。

「……何が?」
「さあ……」

 女の子はじーっと俺を見てから……俺の背中のシィナ、隣に居るユズ、マリカを順々に見回した。
 そして嬉しそうに笑うと
「あ……ごめん。言葉、間違えてた」
と言ってポリポリと頭を掻いた。
 急に流暢な日本語を喋りだしたので、容姿とのギャップに面食らう。

夢鏡ミラーでは見てたけど、実物に会えると思わなかったな~。ねぇ、オレと話をしようよ」

 見かけは可愛い女の子なのに、喋り方が少年みたいだな。

「話は、まぁいいんだけど。ただ、逃げてる途中だから、あんまり時間は……あ、いけね」

 女の子の無邪気な様子に思わず口が滑った。
 赤毛の女の子はお腹を押さえながら、からからっと笑った。本当に元気な子だ。

「母さまだろ? ここなら大丈夫だよ」
「母さまって……」

 マリカがぎょっとしたような顔をする。
 赤毛の女の子はニッと笑って自分を指差した。

「オレは、シャロット。ギャレットの娘だよ」
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