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結
幽霊に花束を①
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花束なんて、チヒロにすら渡したことがない。
母の日のカーネーションだって、いつも一輪の造花だった。
だから僕が誰かに花束を渡すのは、もしかするとこれが初めてのことなのではないだろうか。
助手席では、閉店直前の花屋で買った、ほのかに香る花束が車の振動にあわせて揺れている。
いつものように自動販売機の前で車を止めると、深呼吸をしてからドアを開ける。
花粉の混じった空気が夜の闇に飲まれていくのを、香りに慣れきった鼻腔で感じた。
ドアを閉めて助手席側に回り込むと、割れ物を扱うかのような慎重さで花束を抱きかかえた。
瑞々しい空気が顔の近くで溢れている。
ひんやりとした心地よさが、腕の中に広がる。
「こんばんは」
聞き慣れた、やわらかい声。
その中にしこりのような硬いものが混じっていることなど、僕に分からないはずもない。
不安になって見てみると、幽霊さんの表情は、やはり普段とはほんの少しだけ違っていた。
車の屋根に隠れているせいで目元しか見えはしないけれど、そんなことは問題ではない。
「こんばんは」
自動販売機を背にして立つ幽霊さんに、車を挟んだままで挨拶を返した。
再び車の周りを半周すると、僕は幽霊さんに微笑みかける。
「こんばんは」
二度目の挨拶。
どうしたんですか、という意味を込めて。
幽霊さんは僕のことを見上げるようにして瞳をくるくると泳がせると、困ったように、ふわりと笑った。
「こんばんは」
幽霊さんの、儚げな笑顔。
今すぐにでも近づきたいという衝動は、花束を抱える腕に少し力を入れることによって紛らわされる。
「また来てくれるなんて」
肩をすくめる姿が、また愛おしい。
おどけた笑顔は、僕の心音を大きくした。
「どうして。もう来ないなんて言いましたっけ」
調子を合わせておどけてみせる。
それでようやく、幽霊さんは混じりけのないやわらかさで笑ってくれた。
「言ってませんでしたよ」
首を振って、にこやかに。
幽霊さんが気にしているのは悪霊のことか、もしくは前回の別れかたについてだろう。
それでも僕は、普段と変わらずやって来た。
幽霊さんの反応は、そんな僕に喜びの確信を持たせるには十分すぎた。
「今日は、この花束を渡そうと思って」
「ふぅん。いったい、誰に」
まったく、分かりきったことを聞く。
「決まってるじゃないですか。幽霊さんに、ですよ。他に誰がいるっていうんですか」
花束に向けられた視線には、何か、見たことのない色が含まれているように思われる。
それが僕にとって良いものなのか、悪いものなのかは分からない。
それでも僕は、幽霊さんに向かって微笑んでいた。
「どうして花束なんか?」
「ああ、それは、ですね」
あらかじめ考えておいたはずの言葉が、この肝心な段になって、喉につかえて出てこない。
挙句、出てきた言葉は、
「お供えですよ」
最悪だった。
最悪の照れ隠しだった。
淡い紫色をした小さな花がいくつも咲き乱れ、その中で点々と、赤く小さなぼんぼりのような花たちが存在を主張している。
地味と言ってしまえばそれまでの、少なくとも派手ではない花束ではあるけれど、それでも、死者に手向けるために買ったものではない。
「ああ、なるほど」
手をぽんと打ち、幽霊さんはその手を僕に向かって差し出した。
にこやかな顔の中、瞳の奥には、先ほどとはまた違う色が揺れているような気がしてしまう。
「じゃあ、受け取っておきますね」
不安だった。
花束を渡した後、僕の腕の中には不安だけが残された。
正体の分からない不安は、そのせいだろうか、とても重い。
「はい、ありがとうございます」
花束を受け取り、やわらかな笑顔の幽霊さん。
薄い青色をした服装に、紫と赤の花束はよく似合っている。
母の日のカーネーションだって、いつも一輪の造花だった。
だから僕が誰かに花束を渡すのは、もしかするとこれが初めてのことなのではないだろうか。
助手席では、閉店直前の花屋で買った、ほのかに香る花束が車の振動にあわせて揺れている。
いつものように自動販売機の前で車を止めると、深呼吸をしてからドアを開ける。
花粉の混じった空気が夜の闇に飲まれていくのを、香りに慣れきった鼻腔で感じた。
ドアを閉めて助手席側に回り込むと、割れ物を扱うかのような慎重さで花束を抱きかかえた。
瑞々しい空気が顔の近くで溢れている。
ひんやりとした心地よさが、腕の中に広がる。
「こんばんは」
聞き慣れた、やわらかい声。
その中にしこりのような硬いものが混じっていることなど、僕に分からないはずもない。
不安になって見てみると、幽霊さんの表情は、やはり普段とはほんの少しだけ違っていた。
車の屋根に隠れているせいで目元しか見えはしないけれど、そんなことは問題ではない。
「こんばんは」
自動販売機を背にして立つ幽霊さんに、車を挟んだままで挨拶を返した。
再び車の周りを半周すると、僕は幽霊さんに微笑みかける。
「こんばんは」
二度目の挨拶。
どうしたんですか、という意味を込めて。
幽霊さんは僕のことを見上げるようにして瞳をくるくると泳がせると、困ったように、ふわりと笑った。
「こんばんは」
幽霊さんの、儚げな笑顔。
今すぐにでも近づきたいという衝動は、花束を抱える腕に少し力を入れることによって紛らわされる。
「また来てくれるなんて」
肩をすくめる姿が、また愛おしい。
おどけた笑顔は、僕の心音を大きくした。
「どうして。もう来ないなんて言いましたっけ」
調子を合わせておどけてみせる。
それでようやく、幽霊さんは混じりけのないやわらかさで笑ってくれた。
「言ってませんでしたよ」
首を振って、にこやかに。
幽霊さんが気にしているのは悪霊のことか、もしくは前回の別れかたについてだろう。
それでも僕は、普段と変わらずやって来た。
幽霊さんの反応は、そんな僕に喜びの確信を持たせるには十分すぎた。
「今日は、この花束を渡そうと思って」
「ふぅん。いったい、誰に」
まったく、分かりきったことを聞く。
「決まってるじゃないですか。幽霊さんに、ですよ。他に誰がいるっていうんですか」
花束に向けられた視線には、何か、見たことのない色が含まれているように思われる。
それが僕にとって良いものなのか、悪いものなのかは分からない。
それでも僕は、幽霊さんに向かって微笑んでいた。
「どうして花束なんか?」
「ああ、それは、ですね」
あらかじめ考えておいたはずの言葉が、この肝心な段になって、喉につかえて出てこない。
挙句、出てきた言葉は、
「お供えですよ」
最悪だった。
最悪の照れ隠しだった。
淡い紫色をした小さな花がいくつも咲き乱れ、その中で点々と、赤く小さなぼんぼりのような花たちが存在を主張している。
地味と言ってしまえばそれまでの、少なくとも派手ではない花束ではあるけれど、それでも、死者に手向けるために買ったものではない。
「ああ、なるほど」
手をぽんと打ち、幽霊さんはその手を僕に向かって差し出した。
にこやかな顔の中、瞳の奥には、先ほどとはまた違う色が揺れているような気がしてしまう。
「じゃあ、受け取っておきますね」
不安だった。
花束を渡した後、僕の腕の中には不安だけが残された。
正体の分からない不安は、そのせいだろうか、とても重い。
「はい、ありがとうございます」
花束を受け取り、やわらかな笑顔の幽霊さん。
薄い青色をした服装に、紫と赤の花束はよく似合っている。
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