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第十章 とあるヴァイスタの誕生と死と
12 頭を抱えている。ベッドの脇に腰を下ろし、時折、喉の
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頭を抱えている。
ベッドの脇に腰を下ろし、時折、喉の奥から唸りに似たくぐもった声を発しながら。
ぐちゃぐちゃに歪んだ、苦悶の表情を浮かべながら。
大鳥正香が、自室のベッドで頭を抱えている。
涼しい笑みをたやすことなく浮かべている、普段の彼女を知る者からしたら、別人にしか見えないだろう。
普段の、冷静で注意深い彼女ならば、この建物の中すぐそばにまで、慶賀応芽の魂が接近していたことに、なにかしらの気付きがあっても不思議ではなかっただろう。現在の彼女は、自分のことに手一杯で、それどころではない状態であった。
ふうっと息を吐いた正香は、まるで溺れ掛けでもしているのか、頭を持ち上げながら、必死に喘いで空気を吸った。
上手く呼吸が出来ずに、肩を大きく激しく上下させながら、何度も。
こんなことをしている自分に、こんなことになっている自分に、イライラした様子で膝を叩いた。
不快感。
彼女の頭の中には現在、とてつもない不快感が、まるで形ある物のごとくに、ぐるぐると回っていた。
嘔吐感。
地球のすべての瘴気が、自分の中に凝縮して渦を巻いているかのような、耐え難い精神的な気持ち悪さを感じていた。
ぐううう。がああ。
ため息と呻き声が混じった感じの、不気味な音が、口から漏れている。
自分で、それがたまらなく不快だが、ままならない。
その、込み上げる気持ち悪さとは別に……
一体、なんだろうか、この感覚は。
なんとも名状しがたい感覚、というのか感情というのかが、現在の意識の立ち位置、薄皮一枚の向こうに存在している。確実に。
それは、記憶?
なにか、思い出したくないことがあって、不快感はすべてそこに繋がっている?
感覚の正体が、なんであるのかは、気になるが、でも、思い出したくない。
絶対に思い出してはいけないものなのだ、という強い気持ちがある。
そう思っているということは、やはりこの不快感の正体は、自分の記憶そのものということ? もしくは思い出すことへの恐れ?
でも、それは一体……
そのような記憶、体験が、自分にあるのか。
十年前にこの屋敷で起きた悲劇こそあれ、叔父たちと共に、なに不自由なく生きてきた、自分なんかに。
激しい嘔吐感の中、ふと平家成葉の顔が頭の中をよぎっていた。
ああ、そうだった。
今朝、成葉さんと喧嘩をしてしまったのだっけ。
それだけではない。先ほども、顔も見たくないなどと、彼女に暴言を浴びせてしまった。
何故?
だって、掘り起こそうとするから。
何故?
嫌だといっているのに、揺さぶろうとするから。
何故?
戦わせようとするから。
突き落とそうとするから。
思い出させようとするからっ!
あのような、
あのような、
あのようなおぞましい!
え……
正香は、顔を上げていた。
しんと静まり返った部屋の中で。
はっとした表情で。
いま、わたしはなにを思った?
あのような、おぞましい?
そう思ったのか。
あのような?
つまり知っている?
わたしは、知っている?
なにを?
なにを知っている?
なにを、知った?
なにを、見た?
あの時に、
十年前のあの時に……
はあはあ、
息を切らせながら、胸を押さえ、ふと壁に立て掛けてある姿見の方へと顔を向けた。
鏡の中には、ベッドに腰を下ろし、すっかり憔悴しきった自分の顔が……
いや、違う。
違う。
鏡の中には、母親の顔が映っていたのである。
十年前に殺されたはずの、母親の顔が。
それは、にやりとあざけりの笑みを浮かべながら、楽しそうに正香を見つめていた。
咆えていた。
凄まじい悲鳴、恐ろしい悲鳴を、正香は放っていた。
立ち上がると、言葉にならない叫び声を張り上げながら、鏡へと殴り掛かっていた。
砕け散る音。
砕け散っていた。
鏡が、手の骨が、魂が。
どくどく、血が流れ腕を滴り落ち、床を鮮血で染める。
呻き声。
血みどろの手で、正香は顔を押さえた。
手の、指の奥に見える目が、かっと見開かれた。
蘇っていた。
十年前の記憶が、完全に。
ベッドの脇に腰を下ろし、時折、喉の奥から唸りに似たくぐもった声を発しながら。
ぐちゃぐちゃに歪んだ、苦悶の表情を浮かべながら。
大鳥正香が、自室のベッドで頭を抱えている。
涼しい笑みをたやすことなく浮かべている、普段の彼女を知る者からしたら、別人にしか見えないだろう。
普段の、冷静で注意深い彼女ならば、この建物の中すぐそばにまで、慶賀応芽の魂が接近していたことに、なにかしらの気付きがあっても不思議ではなかっただろう。現在の彼女は、自分のことに手一杯で、それどころではない状態であった。
ふうっと息を吐いた正香は、まるで溺れ掛けでもしているのか、頭を持ち上げながら、必死に喘いで空気を吸った。
上手く呼吸が出来ずに、肩を大きく激しく上下させながら、何度も。
こんなことをしている自分に、こんなことになっている自分に、イライラした様子で膝を叩いた。
不快感。
彼女の頭の中には現在、とてつもない不快感が、まるで形ある物のごとくに、ぐるぐると回っていた。
嘔吐感。
地球のすべての瘴気が、自分の中に凝縮して渦を巻いているかのような、耐え難い精神的な気持ち悪さを感じていた。
ぐううう。がああ。
ため息と呻き声が混じった感じの、不気味な音が、口から漏れている。
自分で、それがたまらなく不快だが、ままならない。
その、込み上げる気持ち悪さとは別に……
一体、なんだろうか、この感覚は。
なんとも名状しがたい感覚、というのか感情というのかが、現在の意識の立ち位置、薄皮一枚の向こうに存在している。確実に。
それは、記憶?
なにか、思い出したくないことがあって、不快感はすべてそこに繋がっている?
感覚の正体が、なんであるのかは、気になるが、でも、思い出したくない。
絶対に思い出してはいけないものなのだ、という強い気持ちがある。
そう思っているということは、やはりこの不快感の正体は、自分の記憶そのものということ? もしくは思い出すことへの恐れ?
でも、それは一体……
そのような記憶、体験が、自分にあるのか。
十年前にこの屋敷で起きた悲劇こそあれ、叔父たちと共に、なに不自由なく生きてきた、自分なんかに。
激しい嘔吐感の中、ふと平家成葉の顔が頭の中をよぎっていた。
ああ、そうだった。
今朝、成葉さんと喧嘩をしてしまったのだっけ。
それだけではない。先ほども、顔も見たくないなどと、彼女に暴言を浴びせてしまった。
何故?
だって、掘り起こそうとするから。
何故?
嫌だといっているのに、揺さぶろうとするから。
何故?
戦わせようとするから。
突き落とそうとするから。
思い出させようとするからっ!
あのような、
あのような、
あのようなおぞましい!
え……
正香は、顔を上げていた。
しんと静まり返った部屋の中で。
はっとした表情で。
いま、わたしはなにを思った?
あのような、おぞましい?
そう思ったのか。
あのような?
つまり知っている?
わたしは、知っている?
なにを?
なにを知っている?
なにを、知った?
なにを、見た?
あの時に、
十年前のあの時に……
はあはあ、
息を切らせながら、胸を押さえ、ふと壁に立て掛けてある姿見の方へと顔を向けた。
鏡の中には、ベッドに腰を下ろし、すっかり憔悴しきった自分の顔が……
いや、違う。
違う。
鏡の中には、母親の顔が映っていたのである。
十年前に殺されたはずの、母親の顔が。
それは、にやりとあざけりの笑みを浮かべながら、楽しそうに正香を見つめていた。
咆えていた。
凄まじい悲鳴、恐ろしい悲鳴を、正香は放っていた。
立ち上がると、言葉にならない叫び声を張り上げながら、鏡へと殴り掛かっていた。
砕け散る音。
砕け散っていた。
鏡が、手の骨が、魂が。
どくどく、血が流れ腕を滴り落ち、床を鮮血で染める。
呻き声。
血みどろの手で、正香は顔を押さえた。
手の、指の奥に見える目が、かっと見開かれた。
蘇っていた。
十年前の記憶が、完全に。
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