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第五章 仲間
03 裏をかかれた。ということだろうか。それとも偶然、不
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裏をかかれた。
ということだろうか。
それとも偶然、不運。
間違いなくいえるのは、彼女ら、カズミたちが明らかに不利な状況に追い込まれているということ。
敵を一箇所に集め、狭い地形の箇所を上手く利用することで囲まれないようにして、一点集中で少しずつ減らしていこう、そのような作戦だったのに。
反対に、ヴァイスタの方こそが、巧みに地形を利用している感じだ。
アサキは現在、戦場になっている公園の少し手前にある、小高い丘状の地形に、一人、立っている。
女の子を現界に送り届けた後、戦場へ向かう途中、戦っているカズミたちの姿が眼下に見えたので、ここで少しだけ足を止めて、負傷した左腕を治療しつつ様子を見ているところだ。
十体ほどのヴァイスタと、
分散させられ、地の利も占められ、なんとか頑張っている治奈、カズミ、正香、成葉の四人。
ヴァイスタへの攻撃は致命傷でなければなんの意味もないというのに、相手の方こそが地形を生かし、なおかつ連係で庇い合っており、治奈たちはまともな攻撃をさせて貰えない状況だ。
地形云々というだけではなく、この連係に見られるようにヴァイスタ自身もまた強くなっている気がする。
アサキは焦れた表情で、拳をぎゅっと握った。
「みんなのフォローをしないと」
自分ごときに大局を左右する力はないし、それどころか足手まといになることも多いけど……
でも、そんなことはいっていられない。
やれること、出来ることを、やらないと。
ある程度、左腕も治癒したし。
とん、と飛び降り平地に降り立ったアサキは、ぐにゃぐにゃねじくれている、色調が反転して真っ白なアスファルト道路を走り出した。
角を折れると、先ほど高いところから場所を確認した通り、真っ直ぐ伸びている通りの向こうに、ヴァイスタと戦っているカズミの姿が見えた。
「カズミちゃん!」
速度落とすことなく腕を振り走り続けながら、大きな声で名を叫んだ。
「おう、アサキか!」
激しい戦いの最中、余裕の笑みを浮かべようとするカズミであったが、次の瞬間、彼女の顔から笑みは失われ、次にその口から出たのは、
「あぶねえ、よけろっ!」
絶叫にも似た大きな声。
その声と、ほとんど同時であった。
アサキの横から、ぶうんと唸る音がしてなにかが振り下ろされたのは。
ヴァイスタの、長い触手状の腕であった。
「うわ!」
間一髪、アサキは飛び退いてかわしていた。
とん、と着地すると、身構えヴァイスタを睨み付ける。
睨みながらも、胸の中ではほっと安堵のため息を吐いていた。
危なかった。
油断をしていたわけではないのだけど。
カズミちゃんが教えてくれなかったら、どうなっていたか。
しっかり礼をいいたいところだが、そういう状況ではなくなっていた。ではないどころか、かなり深刻な状況へと追い込まれていた。
狭い道を、二体のヴァイスタに前後から挟まれていたのである。
一体の腕が、再びムチのごとくしなって、アサキを襲った。
アサキは咄嗟に、腰から抜いた剣のひらで受けていた。
がつっ、と重たい衝撃が剣を通して腕を、全身を走る。
その凄まじい衝撃に、アサキの足元の地面に亀裂が走っていた。
彼女らがよく「にょろにょろ」と呼んでいる、触手に似たヴァイスタの長い腕。あまりに長いため目立たないが、実は丸太のように太くもある。それをしならせ振り下ろすのだから、破壊力如何ほどか想像出来るというものであろう。
びりびりと、足に痺れを感じながらもアサキは、本能的に飛び退いていた。
コンマ何秒かの差で、そこへ二体から突き出される触手が突き刺さっていた。
息つく暇もなく、さらに次の攻撃がアサキを襲う。
「アサキチ! こいつら倒してすぐそっち行くから、持ちこたえろ! 死ぬんじゃねえぞ!」
声を張り上げるカズミであるが、しかし彼女も、より強力になったヴァイスタに相当な苦戦をしているようで、言葉通りの余裕などはないこと明白だった。
アサキは、脳内の意識と無意識を総動員して、気力感覚を研ぎ澄ませて両手の剣を振り、なんとか二体の攻撃を避け弾きながら、考えていた。
やっぱり、この場は一人で打開してみせるしかないか、と。
そうだ。
なにも倒す必要はない。
ここを切り抜けて、みんなと合流さえ出来ればいいんだから。
難しいことじゃないはずだ。
「いくぞおお!」
粘液に全身を被われた白い巨人へと、叫びながら剣を振り上げ、挑み掛かる。
ヴァイスタの胴を狙ったものであるが、だが、その攻撃は最後までやり切ることは出来なかった。
生じた僅かな隙を突いて、待ち構えていたかのようにもう一体のヴァイスタが触手を突き出して来たためである。
突進に待ったを掛けたアサキの目の前を、ヴァイスタの腕が槍のように伸びて、胸をかすめる。
ガカッ、
と砕ける音がして、胸の防具の一部が欠けてしまっていた。
もし無理に突破しようとしていたら、身体の脇を貫かれて生命がなかったかも知れない。
きっと、こっちが突破したい気持ちを逆手にとって、わざと狙いどころ、隙を作って、そこへ追い込もうとしているんだ。
強行突破を図ろうものなら、このようにこちらこそが致命的な怪我を受けることになりかねないし、だからといって、こちらが手をこまねいてなにもせずとも、それこそ二体のヴァイスタは容赦なく攻撃を仕掛けて来る。
もう、自分に当面のところの選択肢はなかった。
仕掛けることも逃げることも出来ず、ただ防戦一方で耐え続ける。
それ以外に、出来ることはなかった。
カズミたちがなんとか活路を切り開いて、ヴァイスタを倒して駆けつけてくれるのを信じて、待つしかなかった。
丸太のように太く、だというのにムチのようにしなやかにしなる、長い触手のような腕。
剣で受け、押し返すたびに、身体が削られるかのような衝撃を受ける。
でも、じっと耐えるしかない。
頑張れアサキ!
と、弱気になる自分の心を励ますアサキであったが、気持ちだけでどうにか出来るものではなかった。
「うああっ!」
苦痛に顔を歪めた。
ぎ、と歯を食いしばり、ヴァイスタを睨みつけた。
避け損ない、触手の先端にある無数の牙に左腕を噛み付かれたのである。
先ほど応急処置をした左腕を、再び。
噛みつかれたまま、ぐん、とそのまま身体を引っ張られるが、なんとか剣を右手だけ振るって、触手へと叩き付けた。
先ほどは焦るあまり魔力を込め切ることが出来ず、全力で剣を振るおうとも弾かれるだけだったが、今度は僅かながらの覚悟が生じたこともあり痛みの中でも魔力をそこそこ込めることが出来て、見事ヴァイスタの触手がスパッと切断されていた。
ぼとりと落ちた触手の先端は、すぐにひからびて砂になって消えてしまったが、ヴァイスタ本体の腕からは、じくじくと白い粘液が垂れて、もう再生し掛かっている。
そう、ヴァイスタは致命傷を与えない限りまるで意味がない。
少しずつダメージを与えていく、という戦い方が通用しないのだ。
時間を掛けるほど、反対にこちらばかりが奪われていく。
体力、魔力、気力、すべての力が。
「やっぱり……」
強引に、突破するしかないのか。
一か八かだけど。
でも、このままじゃあ……
決心したアサキは剣を構え、たん、と一歩踏み込んだ。
ぶん、と伸びるヴァイスタの攻撃を、剣のひらで受け止めつつ、返す剣先を胴へと叩き付けた。
いまだ!
剣先を叩き付けたその瞬間には、斜め前方へ飛ぶように、ヴァイスタの脇を抜けていた。
いや、
その瞬間を待ち構えていたかのように、もう一体が二本の触手を同時に振るった。
まともに受けて、アサキの身体は横殴りに吹っ飛ばされていた。
紙くずのように実に軽々と飛んだアサキであるが、もちろん実際には何十キロという体重があるわけで、その勢いで、壁に頭と身体を打ち付けたならば、これがどうしてたまろうか。
意識を失いかけたアサキは、崩れ、ずるずると、地へと落ちた。
魔道着の効果か、アサキの精神力か、かろうじて意識を保ち、地を蹴り横へ飛び、ごろんと転がった。
次の瞬間、アサキがもといたところに、ヴァイスタの真っ直ぐ伸びた槍状の腕が、壁を穿ち、突き刺さっていた。
もしもアサキがあっさり意識を失っていたならば、既に生命はなかっただろう。
助かった。
と、いえるのかどうか。
だって……
はあはあ息を切らせながら立ち上がるアサキであるが、立ち上がり切る前にがくりと膝が崩れていた。
ダメージの蓄積に、もう身体がボロボロなのだ。
なにもせずとも勝手に治癒して行くヴァイスタと違い、魔法が使えるとはいえ人間の身、休まないことにはいつまでも戦い続けることは出来ない。
これ以上は、もたない。
分かっているけど、なら、どうすればいいのか。
打つ手がない。
でも、
でも……
「こんなところで、やられてたまるかああああ!」
自暴自棄になるつもりはない。
だけど、まず自分の気持ちに勝たなければ始まらない。
そう思い、雄叫びを張り上げ、剣を振り上げた。
と、その時である。
カッ、
と、どこから生じたのか眩い閃光に、周囲が真っ白になった。
「なっ、なに?」
アサキが眩しさに目を細め、手を額にかざした瞬間、その眩いモノの正体であろうか、なにかが目の前を横切っていた。
眩しくてなにも見えないが、まるで天馬が空を疾走しているかのような感覚を、アサキは抱いていた。
二体のヴァイスタの間を、その光が、天馬が、通り過ぎる。
光の密度に胸を強く弾いたか、二体とも、後ろに倒れそうになり、身体をよろけさせている。
なんだったんだ、と思うよりも早く、アサキはその隙を突いて、ヴァイスタによる包囲網を突破していた。
といっても、きた方へ戻る道しか空いておらず、カズミたちへ合流するには反対方向。
だが、このまま殺されるよりはマシだ。
疲労の中を、走り出す。
謎の光が通り過ぎて消えた方へと、迷わず。
別にその光を追おうとしているわけでない。
こちらしか逃げる方向がないだけだ。
少し道を進んだところで、なにか拳大の小さな物が、道路の真ん中に落ちているのに気が付いた。
銀色のプラスチックで覆われた、機械のようだ。
「なんだろう?」
ひょっとして、さっきの光の主が落とした?
拾い上げてみると、テプラーが貼ってあり、なんだか小学生女子が書いたかのような丸い字で「ファームアッパー」と書いてある。
ファーム、アップ?
え、これっ、もしかしたら……
リストフォン大好きな現代の女子中高生なら誰でも知っている、あのファームアッパーのことか?
通信回線を使わず、接触させるだけでバージョンアップが出来る機械らしいが、そもそも通信をするのがリストフォンなので必要性をまったく感じず、一度も使ったことがない。
それが何故、こんなところに落ちているのだろうか。
と考え込んでいるところ、背後に重たい足音を聞いて、びくりと肩をすくませ、振り返るともういちど肩をすくませた。
二体のヴァイスタが、こちらへと追ってきているのだ。
逃げ出すアサキであったが、立ち止まり、振り向いた。
「一か八かだあ!」
叫ぶと、右手に握られているファームアッパーと思われる機器の、側面にあるスイッチを押した。
ピー、と電子音。
左腕のリストフォンと接触させた。
真っ白な閃光が生じたかと思うと、魔道着がさらさら金色の粉のようになって空気へと溶け流れ、
アサキは、一瞬にして、全裸になっていた。
「えっ、えーーーーっ!」
叫びながら、手をわちゃわちゃ動かして、身体のあれやこれやを隠そうとする。
顔を真っ赤にしながら、また叫んだ。
「余計なことするんじゃなかったああああああ!」
クラフトはただのリストフォンじゃないのに……だからきっとクラフトが混乱しちゃったんだ。
それで変身が解除されちゃったんだ。
考えなしに、馬鹿なことをしてしまった。
素っ裸のまま、身体を縮こませるようにしながら、走ってその場を逃げ出した。
こ、こんな姿でっ、ヴァイスタと戦えるはずがないっ。
仮に戦えようともっ、は、は、恥ずかしすぎて、戦えるはずがないっ。
そんなアサキの思いなど関係無しに、ヴァイスタがずんずんとこちらへ迫って来る。
真っ赤な顔でアサキは振り向き、余計に真っ赤になって前を向き直り、そして叫んだ。
「追ってこないでーーーっ!」
恥ずかしいから!
追ってもいいけど、せめて、見ないでええ!
胸の内と外とに叫ぼうとも、聞き入れてくれるはずもないわけだが。
ヴァイスタにとっては、秘める魔力さえ高ければ獲物は弱いほどよいのだから。これほど食らうに適した獲物はそうそうないというものだ。
背後のヴァイスタからお尻を隠すと正面が隠せない。正面になど誰もいないけど、それと自分の羞恥は別だ。
とはいえ、全力で走るためには、もう隠してなどいられない。
いられないけど、でも、あまりの恥ずかしさに、やはり身体を縮こませてしまい、そうなると、当然ながら全力で走ることなど出来ようもなく。
そのためか、ヴァイスタが歩く速度の方が、僅かに速く、既にすぐ後ろ、もう追いつかれてしまいそうだ。
「も、もう……」
もうダメだ。
わたし、
異空で、しかもこんな恥ずかしい格好で死ぬんだあ。
なんだったの、この人生。
と、諦め掛け、ちょっと、いやかなり情けない気持ちになっていた時である。
「え?」
自分の身体が、金色に輝いていた。
突然のことに、うわっ、と心の中で悲鳴を上げて、目を閉じていた。
薄っすらとまぶたを開いたアサキは、驚きにそのまぶたを、かっと見開いていた。
溶けて消えたはずの、白銀色の服や、黒いスパッツが、復活していたのである。
それだけではない。
いつの間にやら頭上に浮遊していた巨大な塊が、ぱあっとばらけて、胸、腕、足、次々に防具として装着されていく。
先ほど、ヴァイスタに潰されヒビが入っていたすね当てであるが、直っているどころか磨き上げられたかのように綺麗になっていた。
わたし……
また、変身している?
ファームアップが完了した、ということ?
アサキはゆっくりと後ろを振り向いて、追ってくるヴァイスタと向かい合った。
気が付けば、右手には剣が握られている。
先ほど、服と一緒に消えてしまった剣が。
「な、なんかっよく分からないけどおおお!」
アサキは地を蹴り走り出し、自らヴァイスタとの距離を詰めた。
両手に振りかぶった剣を、斜めに振り下ろした瞬間、ヴァイスタの腕が切断され宙に舞い上がっていた。
ガツンと引っ掛かるような重たい感触もなく、見るも簡単に切り落とすことが出来た。
これが、ファームアップの効果?
ヴァイスタの、残ったもう一本の腕が、槍のように突き出される。
アサキは、剣のひらで受けつつ払い上げると、後ろへ少し跳んで距離を取った。
ひらで受けた時に、これまでのようにガリガリ削られるような重たさをまったく感じなかった。
やっぱり魔道着がパワーアップしている?
「もしかしたら……」
わたし一人で、この二体を倒せるかも知れない。
かも知れないけど、でも、そんなバクチをするよりも、カズミちゃんたちのところへ駆け付けたい。
苦戦していたし、わたしを助けに行こうと無茶をしているかも知れないから。
このファームアッパーで、みんなもパワーアップ出来るかも知れないし。
それに、なにがどうであれ一人は怖い。早くみんなと合流したいから。
剣を腰に戻したアサキは、ヴァイスタ二体の間を通り抜けようとする。
攻撃のくること承知で、ファームアップした魔道着の力を信じて強引に。
二体のヴァイスタから、ぬめる触手状の腕が、それぞれ突き出される。
紙一重でその攻撃を見切ったアサキは、さっと両手を上げて、それぞれの甲でそれぞれの触手を弾いた。
お互いの長い腕が絡み合っているその下を、身を低く飛び込んで、ごろり転がって抜けた。
転がる勢いで立ち上がって、走る。
走る。
前へ。
希望へ。
「アサキ!」
青魔道着の魔法使い、カズミが両手にナイフを構えたまま、こちらへ走ってきた。
アサキがピンピンしていることに対してか、びっくりした表情だ。
「カズミちゃん。助けにきてくれたんだ」
アサキは笑顔を見せた。
異空に入ってからそれほどの時は経過していないというのに、なんだか久しぶりに笑った気がする。
カズミはちょっと演技めいた感じに、面倒くそうな表情で頭を掻きながら、
「しょうがねえだろ。……時間が掛かっちまってごめんな。しかしよく生きてやがったな」
「うん。わたしもよく分からないんたけどね、もう駄目だって時に、誰かに助けられたような気がして。……それだけでなく、こんな物が落ちていてね」
右手に握り締めている物を見せた。
「クラフト専用のファームアッパーじゃねえか。なんでお前がそんなもん持ってんだよ?」
「だから、落ちてたんだってば! 一か八かってこれを使ったら、魔道着が直っちゃって、身体も軽くなって。それで、逃げることが出来たんだ」
「一か八かすぎだろ。……最新ファームは一斉リリースされるから、ベータ版か個別対策パッチかな。誰が落としたんだろうな。第二中かな。万延子のバカとか」
「わたしが知るはずないよお」
「実は治奈が隠し持ってた物だったり。……ま、そんな話は後だ。みんな、お前を助けに行かせるために、あたしをなんとか送り出して、相当に苦戦しているはずだから、早く戻ってやらねえとな。……すげえ数だけど、このファームアッパーがあれば、打開出来るかも知れねえ」
そういうとカズミは、アサキの手からぱっと奪い取った。
「あっ、そ、それっ、魔道着がっ……」
溶けてしばらく素っ裸になることを説明しようと思ったのだが、もう遅かった。
もう遅かったが、しかしカズミは、呪文を唱えて金色に輝く光のカーテン状の幕を作ると、小学生が水着に着替える時みたいにすっぽりと、かぶっていた。
「え?」
「よおし、ファームアップだ!」
カチリ、という音。
ふわふわなびく光の中で見えないが、カズミがファームアッパーを作動させたのだろう。
「えーーーっ! なっ、なっ、なあに、そうやって身体を隠すのおおお?」
びっくり大口、間抜けな表情になっているアサキ。
「どう隠すかは勝手だけど。……お前、もしかして、路上で全裸になってたの?」
ふわふわ揺れる光に包まれながらカズミが問う。
アサキは無言のまま、身体をぶるぶる震わせながら、真っ赤な顔で頷いた。
「ここ、外なのに?」
その言葉に、また、拳ぎゅっと握って恥ずかしそうにこくり。
だって、あんな風になるなんて、知らなかったし。
魔法使いの道具にあんなのがあるなんて、誰も教えてくれなかったじゃないかあ。
「現界だったら公然猥褻で逮捕されてたな。さすがのあたしも、外で素っ裸は無理だよ。凄えなお前、度胸あるというか羞恥心がないというか。そもそも、よくそんな小学生みたいな貧弱な身体で、平気でフルヌードになれるな」
はははははっと冷たい笑い声のカズミ。
単純に、からかっているのだろう。
「へ、平気じゃないよっ! 知らなかったんだからしょうがないでしょお! ひ、貧弱とか、関係ないでしょお!」
蘇った恥ずかしさと、からかわれた悔しさで、ぎゅうっと両方の拳を握りながら詰め寄った。
「よおしっ、たぶんパワーアップしたっ!」
ぱあーっ、とカズミを包む光が弾けて、中から先ほどと変わらずの青い魔道着が現れた。
見た目は特に変わっていない。
いや、すすけていた部分が漂白したように綺麗になっている。
「なんか軽くなったような気がするな」
「でしょ?」
「魔道着の見た目は変わってねえけど、身体から力が溢れるような感じで」
自分の両手のひらを見ながら、ちょっとわくわくしたような表情のカズミ。
追ってきている二体のヴァイスタに気が付くと、やはりというべきか吐く言葉は、
「よし、まずこいつら倒すぞ!」
力試しをしたいのだろう。
「えーっ! 早く治奈ちゃんたちのとこへ行かないとお!」
「大丈夫。……あっという間に片付けられる気がする」
「でも……」
「大勢のヴァイスタのところでいきなり戦って、ファームに欠陥あったらどうすんだよ」
単に戦ってみたい気持ちをはぐらかしているだけだろうが、とにかくそういいながら、両手のナイフを構え身を低くしながらヴァイスタへと飛び込んでいた。
「もう!」
不満の声を上げながらも、アサキも飛び込み、もう一体のヴァイスタからぐんと突き出される触手を剣で跳ね上げカズミを守った。
一人で二体を相手にしていた時に、散々この連係に苦しめられていたからこそ、しっかりタイミングを読むことが出来たのである。
「サンキュウ!」
懐に入ったカズミは、
「でやああああああ!」
低い位置で両手を交差させ、ヴァイスタの腹をエックス字に切り裂いていた。
「まだまだあ!」
二本のナイフを突き立てながら、真上へと跳び上がり、宙でくるんと回転、今度は背中を切り裂きながら着地した。
ズタボロにされたヴァイスタは、そのまま動かなくなった。
「昇天は後だ。二人で残り一匹をやるぞ!」
「挟み撃ち?」
「いや、ジェットハリケーンアタックだ! 先にいけアサキ!」
「よく分かんないけど分かったっ!」
たた、っと地を蹴りヴァイスタへと飛び込むアサキ。
背後にぴったりカズミがくっつく。
と、突然、目の前のアサキが転んで、その背中を踏み付けてしまう。
「むぎゃ」
「うおっ!」
引っ掛けられて、カズミも一緒に転んでしまった。
好機到来、二人まとめて串刺しにしようと、ヴァイスタの右腕がぐんと、アサキに乗っているカズミの背中へと突き出された。
「あぶねっ!」
ごろん、カズミは素早く、アサキの背中から転がり逃げた。
「ぎゃーーーーーー!」
突然、視界が開けたアサキは、自分へと突き出されてくるヴァイスタの腕に悲鳴を上げながら、咄嗟に手でぱしりと払い、払ったその勢いで転がり逃れた。
立ち上がりながら、
「カズミちゃん、急に避けないでよーーーーーーっ!」
「お前が転ぶのが悪いんだろおおおお! いい加減にそのドジ直せよ! よく一人で死なずに生き残れたなあ!」
「ひ、ひ、一人の時はあ、ちゃんと出来てたんだからあ」
「じゃあ一人じゃない時もちゃんとしろよ! つうかちょっといわれたくらいで、いちいち涙目になってんじゃねえよバーカ!」
「なってない!」
と、そんな喧嘩をしているアサキたちに、ぶんぶんとヴァイスタから二本の腕が突き出された。
完全に油断をしている二人の身体へ、触手腕の先端が貫いて……いや、その触手の先端は、二本ともが、くるくると宙を舞っていた。
アサキの剣と、カズミのナイフが、それぞれ切断していたのだ。
「油断のふり作戦、あたしの考えてること分かるようになってきたじゃんか」
にやり笑うカズミ。
「不本意だけどね」
「なんだとこのお! こっちがお前の脳味噌レベルに合わせてんだよお! アホ毛のくせに!」
「ちょ、ちょっとナイフ持ってる手で首を締めないでええええ! 危ないいいっ!」
「分かってるよ。早くこいつらにとどめ刺すぞ」
どろどろと白い粘液が垂れ固まり、ヴァイスタの両腕が再生していく。
アサキは、きっと睨むような真顔になり、頷くと、剣を両手に構えてヴァイスタの胴体へと横一閃。
ぶじゅり、とゼリーを潰すような音。
アサキの頭上越しに跳んだカズミが、落下しながら両手のナイフを白い巨人の頭部へと突き刺した。
そのまま、ずちゅずちゅ、と気色の悪い音を立てながら、足の付け根あたりまで切り裂いていった。
ヴァイスタは動かなくなった。
ふう、とカズミは小さなため息を吐くと額の汗を腕で拭った。
「よし、昇天だ」
カズミの言葉に頷いたアサキは、先に倒した方のヴァイスタのぐずぐずになっている胴体へと、手のひらを当てた。
いま倒したばかりのもう一体には、カズミが手のひらを当てる。
「間違って復活の呪文とか唱えるなよ。お前、バカだから」
「そそっそーやって小馬鹿にすることに、なんか意味があるんですかあ?」
「ねえよ。やりかねねえから、いってんだよ」
「いつまでも新米じゃないんだから。……あれ、そもそも昇天の呪文ってなんだっけ? イッヒリーベ、じゃなくて」
「お前なあ!」
「あ、あ、思い出した。素で忘れてたけど、思い出したっ!」
「ったく。じゃあ、やるぞ」
こくり、アサキは頷いた。
二人の口が、ゆっくり、小さく開いた。
「イヒベルデベシュテレン、ゲーナックヘッレ」
発せられる、呪文の言葉。
変化はすぐに起きた。
二体のヴァイスタの、ずたずたに切り裂かれた身体が、まるでビデオのコマ送り逆再生でも見るかのように、元の状態へと戻っていく。
あっという間に、完全に元の状態へと……いや、ヴァイスタは顔のパーツがなにもないはずなのに、いつの間にか、口が出来ている。魚に似た、小さな口が。
その口が、にいいいいっ、と嫌らしい笑みを作ると、
頭頂が、きらり金色に光り、さらさらと金色の粉になり、風に溶けた。
頭頂だけでなく、頭、首、胸、腹、もも、膝、見る見るうちに輝く粉と化して、跡形もなく消えた。
「勝ったか。……アサキのバカに足を引っ張られつつも。さすがあたし」
カズミは腰に手を当て、小さく鼻で息を吐いた。
「わたしがファームアッパー拾ったからでしょおお!」
「まあその効果もあるな。……たぶん微妙に強くなったというだけなんだろうけど、その微妙が感覚として大きいよな」
「そうだね」
「このファームは本物だ。早く治奈たちにも届けよう」
「そうだね」
「よし、行くぞ!」
カズミは胸の前でぐっと力強く拳を握った。
「うん」
アサキも真似をして、拳を握った。
「うっしゃああ、天王台第三中魔法使い、反撃開始だーーーーーっ!」
「反撃開始だーっ!」
二人は、腹の底からの叫び声を上げながら、異空の瘴気に溢れた歪んだ町並みの中を走り出した。
ということだろうか。
それとも偶然、不運。
間違いなくいえるのは、彼女ら、カズミたちが明らかに不利な状況に追い込まれているということ。
敵を一箇所に集め、狭い地形の箇所を上手く利用することで囲まれないようにして、一点集中で少しずつ減らしていこう、そのような作戦だったのに。
反対に、ヴァイスタの方こそが、巧みに地形を利用している感じだ。
アサキは現在、戦場になっている公園の少し手前にある、小高い丘状の地形に、一人、立っている。
女の子を現界に送り届けた後、戦場へ向かう途中、戦っているカズミたちの姿が眼下に見えたので、ここで少しだけ足を止めて、負傷した左腕を治療しつつ様子を見ているところだ。
十体ほどのヴァイスタと、
分散させられ、地の利も占められ、なんとか頑張っている治奈、カズミ、正香、成葉の四人。
ヴァイスタへの攻撃は致命傷でなければなんの意味もないというのに、相手の方こそが地形を生かし、なおかつ連係で庇い合っており、治奈たちはまともな攻撃をさせて貰えない状況だ。
地形云々というだけではなく、この連係に見られるようにヴァイスタ自身もまた強くなっている気がする。
アサキは焦れた表情で、拳をぎゅっと握った。
「みんなのフォローをしないと」
自分ごときに大局を左右する力はないし、それどころか足手まといになることも多いけど……
でも、そんなことはいっていられない。
やれること、出来ることを、やらないと。
ある程度、左腕も治癒したし。
とん、と飛び降り平地に降り立ったアサキは、ぐにゃぐにゃねじくれている、色調が反転して真っ白なアスファルト道路を走り出した。
角を折れると、先ほど高いところから場所を確認した通り、真っ直ぐ伸びている通りの向こうに、ヴァイスタと戦っているカズミの姿が見えた。
「カズミちゃん!」
速度落とすことなく腕を振り走り続けながら、大きな声で名を叫んだ。
「おう、アサキか!」
激しい戦いの最中、余裕の笑みを浮かべようとするカズミであったが、次の瞬間、彼女の顔から笑みは失われ、次にその口から出たのは、
「あぶねえ、よけろっ!」
絶叫にも似た大きな声。
その声と、ほとんど同時であった。
アサキの横から、ぶうんと唸る音がしてなにかが振り下ろされたのは。
ヴァイスタの、長い触手状の腕であった。
「うわ!」
間一髪、アサキは飛び退いてかわしていた。
とん、と着地すると、身構えヴァイスタを睨み付ける。
睨みながらも、胸の中ではほっと安堵のため息を吐いていた。
危なかった。
油断をしていたわけではないのだけど。
カズミちゃんが教えてくれなかったら、どうなっていたか。
しっかり礼をいいたいところだが、そういう状況ではなくなっていた。ではないどころか、かなり深刻な状況へと追い込まれていた。
狭い道を、二体のヴァイスタに前後から挟まれていたのである。
一体の腕が、再びムチのごとくしなって、アサキを襲った。
アサキは咄嗟に、腰から抜いた剣のひらで受けていた。
がつっ、と重たい衝撃が剣を通して腕を、全身を走る。
その凄まじい衝撃に、アサキの足元の地面に亀裂が走っていた。
彼女らがよく「にょろにょろ」と呼んでいる、触手に似たヴァイスタの長い腕。あまりに長いため目立たないが、実は丸太のように太くもある。それをしならせ振り下ろすのだから、破壊力如何ほどか想像出来るというものであろう。
びりびりと、足に痺れを感じながらもアサキは、本能的に飛び退いていた。
コンマ何秒かの差で、そこへ二体から突き出される触手が突き刺さっていた。
息つく暇もなく、さらに次の攻撃がアサキを襲う。
「アサキチ! こいつら倒してすぐそっち行くから、持ちこたえろ! 死ぬんじゃねえぞ!」
声を張り上げるカズミであるが、しかし彼女も、より強力になったヴァイスタに相当な苦戦をしているようで、言葉通りの余裕などはないこと明白だった。
アサキは、脳内の意識と無意識を総動員して、気力感覚を研ぎ澄ませて両手の剣を振り、なんとか二体の攻撃を避け弾きながら、考えていた。
やっぱり、この場は一人で打開してみせるしかないか、と。
そうだ。
なにも倒す必要はない。
ここを切り抜けて、みんなと合流さえ出来ればいいんだから。
難しいことじゃないはずだ。
「いくぞおお!」
粘液に全身を被われた白い巨人へと、叫びながら剣を振り上げ、挑み掛かる。
ヴァイスタの胴を狙ったものであるが、だが、その攻撃は最後までやり切ることは出来なかった。
生じた僅かな隙を突いて、待ち構えていたかのようにもう一体のヴァイスタが触手を突き出して来たためである。
突進に待ったを掛けたアサキの目の前を、ヴァイスタの腕が槍のように伸びて、胸をかすめる。
ガカッ、
と砕ける音がして、胸の防具の一部が欠けてしまっていた。
もし無理に突破しようとしていたら、身体の脇を貫かれて生命がなかったかも知れない。
きっと、こっちが突破したい気持ちを逆手にとって、わざと狙いどころ、隙を作って、そこへ追い込もうとしているんだ。
強行突破を図ろうものなら、このようにこちらこそが致命的な怪我を受けることになりかねないし、だからといって、こちらが手をこまねいてなにもせずとも、それこそ二体のヴァイスタは容赦なく攻撃を仕掛けて来る。
もう、自分に当面のところの選択肢はなかった。
仕掛けることも逃げることも出来ず、ただ防戦一方で耐え続ける。
それ以外に、出来ることはなかった。
カズミたちがなんとか活路を切り開いて、ヴァイスタを倒して駆けつけてくれるのを信じて、待つしかなかった。
丸太のように太く、だというのにムチのようにしなやかにしなる、長い触手のような腕。
剣で受け、押し返すたびに、身体が削られるかのような衝撃を受ける。
でも、じっと耐えるしかない。
頑張れアサキ!
と、弱気になる自分の心を励ますアサキであったが、気持ちだけでどうにか出来るものではなかった。
「うああっ!」
苦痛に顔を歪めた。
ぎ、と歯を食いしばり、ヴァイスタを睨みつけた。
避け損ない、触手の先端にある無数の牙に左腕を噛み付かれたのである。
先ほど応急処置をした左腕を、再び。
噛みつかれたまま、ぐん、とそのまま身体を引っ張られるが、なんとか剣を右手だけ振るって、触手へと叩き付けた。
先ほどは焦るあまり魔力を込め切ることが出来ず、全力で剣を振るおうとも弾かれるだけだったが、今度は僅かながらの覚悟が生じたこともあり痛みの中でも魔力をそこそこ込めることが出来て、見事ヴァイスタの触手がスパッと切断されていた。
ぼとりと落ちた触手の先端は、すぐにひからびて砂になって消えてしまったが、ヴァイスタ本体の腕からは、じくじくと白い粘液が垂れて、もう再生し掛かっている。
そう、ヴァイスタは致命傷を与えない限りまるで意味がない。
少しずつダメージを与えていく、という戦い方が通用しないのだ。
時間を掛けるほど、反対にこちらばかりが奪われていく。
体力、魔力、気力、すべての力が。
「やっぱり……」
強引に、突破するしかないのか。
一か八かだけど。
でも、このままじゃあ……
決心したアサキは剣を構え、たん、と一歩踏み込んだ。
ぶん、と伸びるヴァイスタの攻撃を、剣のひらで受け止めつつ、返す剣先を胴へと叩き付けた。
いまだ!
剣先を叩き付けたその瞬間には、斜め前方へ飛ぶように、ヴァイスタの脇を抜けていた。
いや、
その瞬間を待ち構えていたかのように、もう一体が二本の触手を同時に振るった。
まともに受けて、アサキの身体は横殴りに吹っ飛ばされていた。
紙くずのように実に軽々と飛んだアサキであるが、もちろん実際には何十キロという体重があるわけで、その勢いで、壁に頭と身体を打ち付けたならば、これがどうしてたまろうか。
意識を失いかけたアサキは、崩れ、ずるずると、地へと落ちた。
魔道着の効果か、アサキの精神力か、かろうじて意識を保ち、地を蹴り横へ飛び、ごろんと転がった。
次の瞬間、アサキがもといたところに、ヴァイスタの真っ直ぐ伸びた槍状の腕が、壁を穿ち、突き刺さっていた。
もしもアサキがあっさり意識を失っていたならば、既に生命はなかっただろう。
助かった。
と、いえるのかどうか。
だって……
はあはあ息を切らせながら立ち上がるアサキであるが、立ち上がり切る前にがくりと膝が崩れていた。
ダメージの蓄積に、もう身体がボロボロなのだ。
なにもせずとも勝手に治癒して行くヴァイスタと違い、魔法が使えるとはいえ人間の身、休まないことにはいつまでも戦い続けることは出来ない。
これ以上は、もたない。
分かっているけど、なら、どうすればいいのか。
打つ手がない。
でも、
でも……
「こんなところで、やられてたまるかああああ!」
自暴自棄になるつもりはない。
だけど、まず自分の気持ちに勝たなければ始まらない。
そう思い、雄叫びを張り上げ、剣を振り上げた。
と、その時である。
カッ、
と、どこから生じたのか眩い閃光に、周囲が真っ白になった。
「なっ、なに?」
アサキが眩しさに目を細め、手を額にかざした瞬間、その眩いモノの正体であろうか、なにかが目の前を横切っていた。
眩しくてなにも見えないが、まるで天馬が空を疾走しているかのような感覚を、アサキは抱いていた。
二体のヴァイスタの間を、その光が、天馬が、通り過ぎる。
光の密度に胸を強く弾いたか、二体とも、後ろに倒れそうになり、身体をよろけさせている。
なんだったんだ、と思うよりも早く、アサキはその隙を突いて、ヴァイスタによる包囲網を突破していた。
といっても、きた方へ戻る道しか空いておらず、カズミたちへ合流するには反対方向。
だが、このまま殺されるよりはマシだ。
疲労の中を、走り出す。
謎の光が通り過ぎて消えた方へと、迷わず。
別にその光を追おうとしているわけでない。
こちらしか逃げる方向がないだけだ。
少し道を進んだところで、なにか拳大の小さな物が、道路の真ん中に落ちているのに気が付いた。
銀色のプラスチックで覆われた、機械のようだ。
「なんだろう?」
ひょっとして、さっきの光の主が落とした?
拾い上げてみると、テプラーが貼ってあり、なんだか小学生女子が書いたかのような丸い字で「ファームアッパー」と書いてある。
ファーム、アップ?
え、これっ、もしかしたら……
リストフォン大好きな現代の女子中高生なら誰でも知っている、あのファームアッパーのことか?
通信回線を使わず、接触させるだけでバージョンアップが出来る機械らしいが、そもそも通信をするのがリストフォンなので必要性をまったく感じず、一度も使ったことがない。
それが何故、こんなところに落ちているのだろうか。
と考え込んでいるところ、背後に重たい足音を聞いて、びくりと肩をすくませ、振り返るともういちど肩をすくませた。
二体のヴァイスタが、こちらへと追ってきているのだ。
逃げ出すアサキであったが、立ち止まり、振り向いた。
「一か八かだあ!」
叫ぶと、右手に握られているファームアッパーと思われる機器の、側面にあるスイッチを押した。
ピー、と電子音。
左腕のリストフォンと接触させた。
真っ白な閃光が生じたかと思うと、魔道着がさらさら金色の粉のようになって空気へと溶け流れ、
アサキは、一瞬にして、全裸になっていた。
「えっ、えーーーーっ!」
叫びながら、手をわちゃわちゃ動かして、身体のあれやこれやを隠そうとする。
顔を真っ赤にしながら、また叫んだ。
「余計なことするんじゃなかったああああああ!」
クラフトはただのリストフォンじゃないのに……だからきっとクラフトが混乱しちゃったんだ。
それで変身が解除されちゃったんだ。
考えなしに、馬鹿なことをしてしまった。
素っ裸のまま、身体を縮こませるようにしながら、走ってその場を逃げ出した。
こ、こんな姿でっ、ヴァイスタと戦えるはずがないっ。
仮に戦えようともっ、は、は、恥ずかしすぎて、戦えるはずがないっ。
そんなアサキの思いなど関係無しに、ヴァイスタがずんずんとこちらへ迫って来る。
真っ赤な顔でアサキは振り向き、余計に真っ赤になって前を向き直り、そして叫んだ。
「追ってこないでーーーっ!」
恥ずかしいから!
追ってもいいけど、せめて、見ないでええ!
胸の内と外とに叫ぼうとも、聞き入れてくれるはずもないわけだが。
ヴァイスタにとっては、秘める魔力さえ高ければ獲物は弱いほどよいのだから。これほど食らうに適した獲物はそうそうないというものだ。
背後のヴァイスタからお尻を隠すと正面が隠せない。正面になど誰もいないけど、それと自分の羞恥は別だ。
とはいえ、全力で走るためには、もう隠してなどいられない。
いられないけど、でも、あまりの恥ずかしさに、やはり身体を縮こませてしまい、そうなると、当然ながら全力で走ることなど出来ようもなく。
そのためか、ヴァイスタが歩く速度の方が、僅かに速く、既にすぐ後ろ、もう追いつかれてしまいそうだ。
「も、もう……」
もうダメだ。
わたし、
異空で、しかもこんな恥ずかしい格好で死ぬんだあ。
なんだったの、この人生。
と、諦め掛け、ちょっと、いやかなり情けない気持ちになっていた時である。
「え?」
自分の身体が、金色に輝いていた。
突然のことに、うわっ、と心の中で悲鳴を上げて、目を閉じていた。
薄っすらとまぶたを開いたアサキは、驚きにそのまぶたを、かっと見開いていた。
溶けて消えたはずの、白銀色の服や、黒いスパッツが、復活していたのである。
それだけではない。
いつの間にやら頭上に浮遊していた巨大な塊が、ぱあっとばらけて、胸、腕、足、次々に防具として装着されていく。
先ほど、ヴァイスタに潰されヒビが入っていたすね当てであるが、直っているどころか磨き上げられたかのように綺麗になっていた。
わたし……
また、変身している?
ファームアップが完了した、ということ?
アサキはゆっくりと後ろを振り向いて、追ってくるヴァイスタと向かい合った。
気が付けば、右手には剣が握られている。
先ほど、服と一緒に消えてしまった剣が。
「な、なんかっよく分からないけどおおお!」
アサキは地を蹴り走り出し、自らヴァイスタとの距離を詰めた。
両手に振りかぶった剣を、斜めに振り下ろした瞬間、ヴァイスタの腕が切断され宙に舞い上がっていた。
ガツンと引っ掛かるような重たい感触もなく、見るも簡単に切り落とすことが出来た。
これが、ファームアップの効果?
ヴァイスタの、残ったもう一本の腕が、槍のように突き出される。
アサキは、剣のひらで受けつつ払い上げると、後ろへ少し跳んで距離を取った。
ひらで受けた時に、これまでのようにガリガリ削られるような重たさをまったく感じなかった。
やっぱり魔道着がパワーアップしている?
「もしかしたら……」
わたし一人で、この二体を倒せるかも知れない。
かも知れないけど、でも、そんなバクチをするよりも、カズミちゃんたちのところへ駆け付けたい。
苦戦していたし、わたしを助けに行こうと無茶をしているかも知れないから。
このファームアッパーで、みんなもパワーアップ出来るかも知れないし。
それに、なにがどうであれ一人は怖い。早くみんなと合流したいから。
剣を腰に戻したアサキは、ヴァイスタ二体の間を通り抜けようとする。
攻撃のくること承知で、ファームアップした魔道着の力を信じて強引に。
二体のヴァイスタから、ぬめる触手状の腕が、それぞれ突き出される。
紙一重でその攻撃を見切ったアサキは、さっと両手を上げて、それぞれの甲でそれぞれの触手を弾いた。
お互いの長い腕が絡み合っているその下を、身を低く飛び込んで、ごろり転がって抜けた。
転がる勢いで立ち上がって、走る。
走る。
前へ。
希望へ。
「アサキ!」
青魔道着の魔法使い、カズミが両手にナイフを構えたまま、こちらへ走ってきた。
アサキがピンピンしていることに対してか、びっくりした表情だ。
「カズミちゃん。助けにきてくれたんだ」
アサキは笑顔を見せた。
異空に入ってからそれほどの時は経過していないというのに、なんだか久しぶりに笑った気がする。
カズミはちょっと演技めいた感じに、面倒くそうな表情で頭を掻きながら、
「しょうがねえだろ。……時間が掛かっちまってごめんな。しかしよく生きてやがったな」
「うん。わたしもよく分からないんたけどね、もう駄目だって時に、誰かに助けられたような気がして。……それだけでなく、こんな物が落ちていてね」
右手に握り締めている物を見せた。
「クラフト専用のファームアッパーじゃねえか。なんでお前がそんなもん持ってんだよ?」
「だから、落ちてたんだってば! 一か八かってこれを使ったら、魔道着が直っちゃって、身体も軽くなって。それで、逃げることが出来たんだ」
「一か八かすぎだろ。……最新ファームは一斉リリースされるから、ベータ版か個別対策パッチかな。誰が落としたんだろうな。第二中かな。万延子のバカとか」
「わたしが知るはずないよお」
「実は治奈が隠し持ってた物だったり。……ま、そんな話は後だ。みんな、お前を助けに行かせるために、あたしをなんとか送り出して、相当に苦戦しているはずだから、早く戻ってやらねえとな。……すげえ数だけど、このファームアッパーがあれば、打開出来るかも知れねえ」
そういうとカズミは、アサキの手からぱっと奪い取った。
「あっ、そ、それっ、魔道着がっ……」
溶けてしばらく素っ裸になることを説明しようと思ったのだが、もう遅かった。
もう遅かったが、しかしカズミは、呪文を唱えて金色に輝く光のカーテン状の幕を作ると、小学生が水着に着替える時みたいにすっぽりと、かぶっていた。
「え?」
「よおし、ファームアップだ!」
カチリ、という音。
ふわふわなびく光の中で見えないが、カズミがファームアッパーを作動させたのだろう。
「えーーーっ! なっ、なっ、なあに、そうやって身体を隠すのおおお?」
びっくり大口、間抜けな表情になっているアサキ。
「どう隠すかは勝手だけど。……お前、もしかして、路上で全裸になってたの?」
ふわふわ揺れる光に包まれながらカズミが問う。
アサキは無言のまま、身体をぶるぶる震わせながら、真っ赤な顔で頷いた。
「ここ、外なのに?」
その言葉に、また、拳ぎゅっと握って恥ずかしそうにこくり。
だって、あんな風になるなんて、知らなかったし。
魔法使いの道具にあんなのがあるなんて、誰も教えてくれなかったじゃないかあ。
「現界だったら公然猥褻で逮捕されてたな。さすがのあたしも、外で素っ裸は無理だよ。凄えなお前、度胸あるというか羞恥心がないというか。そもそも、よくそんな小学生みたいな貧弱な身体で、平気でフルヌードになれるな」
はははははっと冷たい笑い声のカズミ。
単純に、からかっているのだろう。
「へ、平気じゃないよっ! 知らなかったんだからしょうがないでしょお! ひ、貧弱とか、関係ないでしょお!」
蘇った恥ずかしさと、からかわれた悔しさで、ぎゅうっと両方の拳を握りながら詰め寄った。
「よおしっ、たぶんパワーアップしたっ!」
ぱあーっ、とカズミを包む光が弾けて、中から先ほどと変わらずの青い魔道着が現れた。
見た目は特に変わっていない。
いや、すすけていた部分が漂白したように綺麗になっている。
「なんか軽くなったような気がするな」
「でしょ?」
「魔道着の見た目は変わってねえけど、身体から力が溢れるような感じで」
自分の両手のひらを見ながら、ちょっとわくわくしたような表情のカズミ。
追ってきている二体のヴァイスタに気が付くと、やはりというべきか吐く言葉は、
「よし、まずこいつら倒すぞ!」
力試しをしたいのだろう。
「えーっ! 早く治奈ちゃんたちのとこへ行かないとお!」
「大丈夫。……あっという間に片付けられる気がする」
「でも……」
「大勢のヴァイスタのところでいきなり戦って、ファームに欠陥あったらどうすんだよ」
単に戦ってみたい気持ちをはぐらかしているだけだろうが、とにかくそういいながら、両手のナイフを構え身を低くしながらヴァイスタへと飛び込んでいた。
「もう!」
不満の声を上げながらも、アサキも飛び込み、もう一体のヴァイスタからぐんと突き出される触手を剣で跳ね上げカズミを守った。
一人で二体を相手にしていた時に、散々この連係に苦しめられていたからこそ、しっかりタイミングを読むことが出来たのである。
「サンキュウ!」
懐に入ったカズミは、
「でやああああああ!」
低い位置で両手を交差させ、ヴァイスタの腹をエックス字に切り裂いていた。
「まだまだあ!」
二本のナイフを突き立てながら、真上へと跳び上がり、宙でくるんと回転、今度は背中を切り裂きながら着地した。
ズタボロにされたヴァイスタは、そのまま動かなくなった。
「昇天は後だ。二人で残り一匹をやるぞ!」
「挟み撃ち?」
「いや、ジェットハリケーンアタックだ! 先にいけアサキ!」
「よく分かんないけど分かったっ!」
たた、っと地を蹴りヴァイスタへと飛び込むアサキ。
背後にぴったりカズミがくっつく。
と、突然、目の前のアサキが転んで、その背中を踏み付けてしまう。
「むぎゃ」
「うおっ!」
引っ掛けられて、カズミも一緒に転んでしまった。
好機到来、二人まとめて串刺しにしようと、ヴァイスタの右腕がぐんと、アサキに乗っているカズミの背中へと突き出された。
「あぶねっ!」
ごろん、カズミは素早く、アサキの背中から転がり逃げた。
「ぎゃーーーーーー!」
突然、視界が開けたアサキは、自分へと突き出されてくるヴァイスタの腕に悲鳴を上げながら、咄嗟に手でぱしりと払い、払ったその勢いで転がり逃れた。
立ち上がりながら、
「カズミちゃん、急に避けないでよーーーーーーっ!」
「お前が転ぶのが悪いんだろおおおお! いい加減にそのドジ直せよ! よく一人で死なずに生き残れたなあ!」
「ひ、ひ、一人の時はあ、ちゃんと出来てたんだからあ」
「じゃあ一人じゃない時もちゃんとしろよ! つうかちょっといわれたくらいで、いちいち涙目になってんじゃねえよバーカ!」
「なってない!」
と、そんな喧嘩をしているアサキたちに、ぶんぶんとヴァイスタから二本の腕が突き出された。
完全に油断をしている二人の身体へ、触手腕の先端が貫いて……いや、その触手の先端は、二本ともが、くるくると宙を舞っていた。
アサキの剣と、カズミのナイフが、それぞれ切断していたのだ。
「油断のふり作戦、あたしの考えてること分かるようになってきたじゃんか」
にやり笑うカズミ。
「不本意だけどね」
「なんだとこのお! こっちがお前の脳味噌レベルに合わせてんだよお! アホ毛のくせに!」
「ちょ、ちょっとナイフ持ってる手で首を締めないでええええ! 危ないいいっ!」
「分かってるよ。早くこいつらにとどめ刺すぞ」
どろどろと白い粘液が垂れ固まり、ヴァイスタの両腕が再生していく。
アサキは、きっと睨むような真顔になり、頷くと、剣を両手に構えてヴァイスタの胴体へと横一閃。
ぶじゅり、とゼリーを潰すような音。
アサキの頭上越しに跳んだカズミが、落下しながら両手のナイフを白い巨人の頭部へと突き刺した。
そのまま、ずちゅずちゅ、と気色の悪い音を立てながら、足の付け根あたりまで切り裂いていった。
ヴァイスタは動かなくなった。
ふう、とカズミは小さなため息を吐くと額の汗を腕で拭った。
「よし、昇天だ」
カズミの言葉に頷いたアサキは、先に倒した方のヴァイスタのぐずぐずになっている胴体へと、手のひらを当てた。
いま倒したばかりのもう一体には、カズミが手のひらを当てる。
「間違って復活の呪文とか唱えるなよ。お前、バカだから」
「そそっそーやって小馬鹿にすることに、なんか意味があるんですかあ?」
「ねえよ。やりかねねえから、いってんだよ」
「いつまでも新米じゃないんだから。……あれ、そもそも昇天の呪文ってなんだっけ? イッヒリーベ、じゃなくて」
「お前なあ!」
「あ、あ、思い出した。素で忘れてたけど、思い出したっ!」
「ったく。じゃあ、やるぞ」
こくり、アサキは頷いた。
二人の口が、ゆっくり、小さく開いた。
「イヒベルデベシュテレン、ゲーナックヘッレ」
発せられる、呪文の言葉。
変化はすぐに起きた。
二体のヴァイスタの、ずたずたに切り裂かれた身体が、まるでビデオのコマ送り逆再生でも見るかのように、元の状態へと戻っていく。
あっという間に、完全に元の状態へと……いや、ヴァイスタは顔のパーツがなにもないはずなのに、いつの間にか、口が出来ている。魚に似た、小さな口が。
その口が、にいいいいっ、と嫌らしい笑みを作ると、
頭頂が、きらり金色に光り、さらさらと金色の粉になり、風に溶けた。
頭頂だけでなく、頭、首、胸、腹、もも、膝、見る見るうちに輝く粉と化して、跡形もなく消えた。
「勝ったか。……アサキのバカに足を引っ張られつつも。さすがあたし」
カズミは腰に手を当て、小さく鼻で息を吐いた。
「わたしがファームアッパー拾ったからでしょおお!」
「まあその効果もあるな。……たぶん微妙に強くなったというだけなんだろうけど、その微妙が感覚として大きいよな」
「そうだね」
「このファームは本物だ。早く治奈たちにも届けよう」
「そうだね」
「よし、行くぞ!」
カズミは胸の前でぐっと力強く拳を握った。
「うん」
アサキも真似をして、拳を握った。
「うっしゃああ、天王台第三中魔法使い、反撃開始だーーーーーっ!」
「反撃開始だーっ!」
二人は、腹の底からの叫び声を上げながら、異空の瘴気に溢れた歪んだ町並みの中を走り出した。
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