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もう、ダメだ。
はあはあと息を切らせながら、なんとか手足を回転させて、ここまで走ってきた来夢であったが、既に体力は限界を遥かに超えている。
背景の流れていく速度が急激に落ちたかと思うと、やがて、完全に止まった。
澄み渡った、快晴の空。
見回せば前方、視界一杯に広がる青い海。
太陽の光を受けて、きらきらと輝き、揺らめいている波。
空と海との境界線に、小さく漁船が見えている。
そよぐ風、潮の匂い。
爽やかな、最高の気分になれる来夢お気に入りのジョギングコース、のはずであったが、もうすっかりへたばってしまって、そんな気分を味わうどころではなかった。
ここは、自宅を出て農道や河口沿いの道を通って、海へ出たばかりのところ。
本当は、ここからさらに海沿いを野蒜のあたりまで走るつもりであったのだが、遥か手前で体力の限界が来て計画は頓挫。
屈み腰になり、膝に両手をつくと、喘ぐように大きく呼吸をした。
たっぷりと空気を吸い込もうとしたものの、花粉の混じった乾いた熱気しか入ってこない。
それでもしばらくすると、少しずつ苦しさがやわらいできた。
ふらふらとした様子で、縁石に腰を下ろした。
意気揚々とジャージにTシャツで自宅を飛び出したは良いが、結局、以前は当然のようにこなしていたジョギングコースの五分の一も走ることが出来なかった。
自分が情けなく悔しいという気持ちはあるが、でも冷静に考えてみれば今日はリハビリとしてのジョギング初日なのだ。上出来といえる結果であろう。
そう。あんな、酷い怪我を負ったのだから。
右アキレス腱断裂。
去年の十二月十二日に行った、サッカーの試合で、相手選手に突っ込んで、半ば自ら足の筋をねじ切ってしまったのだ。
医師から下された診断は、全治六ヶ月。
それまでは試合どころか通常の練習も出来ないが、軽いジョギング程度であれば三ヶ月ほどから始めていいといわれていた。
今日は、二〇一一年三月十一日。
怪我をしてからちょうど三ヶ月が経過していた。
先ほど病院で検査し、医師の承諾を得たのであるが、もういてもたってもいられずに帰宅するなり準備運動もそこそこに早速ジョギングを開始したというわけである。
ここまでの三ヶ月は、本当に長い期間だった。
黙々とただ筋トレをするばかりの日々で、一体何年に感じられたことか。
二ヶ月くらいの頃だか、医者に内緒で走ってしまおうかと考えたこともあった。
チームメイトたちに必死に止められて断念したのであるが、とにかく来夢としては、それだけ自分の体力がどんどん落ちていっているであろうことに、我慢が出来なかったのだ。
今日いざ走り出してみてすぐに分かったが、やはり体力は相当に落ち込んでいた。
足以外を使ったメニューにより、かかさず心肺トレーニングを続けていたにもかかわらずだ。
足の筋力がすっかりなくなっていることが大きな原因の一つだ。
まだ右足はじくじくと痛むし、それを庇いながら走ろうとしたせいで余計に疲労したというのもあるだろう。
元の体力を取り戻すために、果たしてあとどれだけかかるのだろうか。
あとちょうど一ヶ月で、チャレンジリーグの新シーズンが開幕してしまうというのに。
出場が出来るのは、早くても五月か六月。体力、調子が戻っていなければ、もっと遅くなるだろう。
そもそも他の選手の台頭により、完全に居場所を失うことになるかも知れない。
それはずっと怖れていた最悪の結果であり、そして、現在のこの肉体の衰えを考えるならば充分に起こり得ることであった。
それなのに、来夢はまったく気落ちはしていなかった。
自分でも不思議なくらいに。
事実は事実、変えることは出来ない。でも自分の気持ちは変えられる。ならばすべてを受け入れて、それらをバネに、より成長していこう。
この小さな身体の中には、そう前向きに考えている自分しか存在していなかったのだ。
来夢をそういったポジティブな気持ちにさせる要因、間違いなくその一つといえるものがいま、彼女の右手の中にあった。
ジョギング中にずっと握り締めていたそれを、彼女はいま改めてまじまじと見つめていた。
「センス悪くは、ないよな。大丈夫だよな」
と、自問の言葉を呟いた。
手にしているのは、真っ白な、可愛らしい封筒。
裏面は、アニメ調にデフォルメされた熊のシールで封をしてある。
握り締めて走っている間に、少しシワになってしまっていた。
太腿の上に置いて、手のひらを版画のバレンのようにして伸ばした。
でも全然シワが消えないので、すぐに諦めて立ち上がった。
海沿いのこの道を少し進んだところのファミリーレストラン前に、郵便ポストがある。
そこまでゆっくり歩くと、その手紙を投函した。
それは、大沢隆之への手紙であった。
一昨日、来夢は十七歳の誕生日を迎えた。
去年の暮れに東京へ引っ越した大沢隆之から、その日に合わせ、ささやかなプレゼントが届いた。そのお礼と、近況報告の手紙だ。
本来ならば、そのプレゼントは手渡しで直接貰えるはずだったのだが。
何故ならば今頃、来夢は東京にいる予定だったからである。
東京へ遊びに行き、誕生日前後の一週間ほど滞在し、隆之にディズニーランドやら渋谷やらへ連れて行ってもらう予定であった。もしもなんらかのサッカーの試合がやっているのであれば、国立競技場にも行こうと思っていた。
しかし、病院に入院している隆之の母、咲子の容態が少し悪化したため、予定を延期することになってしまったのだ。
昨日隆之からの電話を受けた来夢の母によると、咲子はその後、持ち直して回復にむかい、現在はなんともない状態であるとのことだ。
考えようによっては、東京に行ってからそういうどたばたが起こるよりも良かったかも知れない。
自分なんかがいても、なにも出来ずに隆之たちに迷惑がかかっただけだろうし。
直接プレゼントを貰っても、まともな言葉を返せなかっただろうし。
手紙にすることで、言葉を考える余裕が出来て良かった。
といいつつ、何度読み返してもなにを伝えたいのかよく分からない、支離滅裂な内容になってしまったのだけれど。
でもまあ、要は気持ちだ気持ち。
封はしちゃったから書き直すことは出来ないし、もう書き直すつもりもない。
先月のバレンタインデーの日、二人の関係を怪しむ気持ちが頂点に達して暴走してしまった星野明美に、「どうせ遠距離で、まだ付き合ってんでしょ!」と教室で怒鳴られて、全身にバケツの水をぶっかけられた。
その時のことを書こうか書くまいか迷ったこともあって、ただでさえ相当な回数の書き直しをしているのだから。
結局そのことには一切触れなかったが、とにかくそのようなわけありというか苦労して書き上げた手紙をポストに投函して、そこを立ち去ろうと踵を返した、その時であった。
それは、
無から有を生むがごとく、突然に、起きたのであった。
最初に感じたのは、微かな振動であった。
感じはしたが、すっかり疲れ果てていたために目眩を起こしているのかなと思った。
その瞬間、突如として、揺れ始めたのである。
足元が、激しく、ぐらぐらと。
それは地の唸る低い音とともに。
地震?
そうに決まっている。それなのに、そう自問をしてしまうのは、その揺れがかつて感じたことのない規模の、凄まじいものであったからだ。
なにが軋んでいるのか、ぎしぎしという音があちこちから聞こえてくる。
道路が波打つようにたわみ、ポスト、電信柱など、地中から伸びているものの柱が、アスファルトと擦れ合っているのだ。
電線が振動し、ひゅんひゅんと笛のような気持ちの悪い音を立てている。
来夢は、支えなしで立っていることが出来ず、郵便ポストに背中をついた。
なおも足元は激しく動き、風景は大きく跳ね上がり続け、バランス感覚が麻痺したことと、なによりもそのあまりの恐怖とに、ついにはその場にしゃがみ込んでしまった。
ごごご、と低い、地の唸り声が、風となって来夢の心身を吹き抜け、揺さ振った。
すぐそばに見えるファミリーレストランから男女が何人か、悲鳴を上げながら飛び出してきた。
道路を見ればあちらでもこちらでも、自動車から人が降りて、揺れに対してなんら抵抗出来ずに慌ているだけの様子が見える。
この世の、終わり?
がつんがつんと突き上げられるように縦に横に全身を揺さぶられる中、来夢は本気でそんなことを考えていた。
いつしか道路には亀裂が入り、断面同士が擦れ、ぐいっぐいっと不快な音を立てていた。
来夢は悲鳴を上げていた。
その亀裂から地面が大きく割れて、そこに自分が飲み込まれてしまうような感覚に襲われたのだ。
さらに大きく裂けて、そこにこの世のすべてが飲み込まれ、すべてが終わってしまうような。
そういった最悪の事態に恐怖しながらも、脳裏に思い浮かんだのは、自分の家のこと、そして隆之のいる関東地方がどうかということであった。
地球そのものを巨大な悪魔が揺さぶっているかのようなこの揺れが、もしもあの来る来るといわれていた関東大地震なのであるとしたら、遠く宮城県ですらここまで信じられないような激しい揺れなのだ、関東は完全におしまいではないか。
そう他人のことが心配で仕方がないくせに、来夢は、自らがいま現在襲われているこの現象、それによる恐怖に、しゃがみ込んだまま、まったく身動きを取ることすらも出来なかった。
鼓膜を震わせる地の唸りについに耐えられなくなり、両手で耳を塞いだ。
だが、じっとしゃがんで、恐れおののいているうちに、やがて、揺れが小さくなってきた。
ぎしぎしと軋む音や、低い地の唸りが、小さくなってきた。
そして、揺れが収まった。
土砂降りが降りやんだかと思うと、次の瞬間には青く晴れ渡った空に太陽が輝いているような、それは実にあっさりと収束した。
事象は収まったものの、それでも地球の終末を迎えかけたことによるその恐怖が簡単に去るはずはなく、来夢は相変わらず頭を抱えて、ががたがたと震え続けていた。
それからさらに、何分が経過したであろうか。
ようやく、来夢は手を頭から離した。
ようやく、揺れが収まっていることを、おぼろげながら実感した。
そこでようやく、安堵の息をはいた。
袖で、まぶたを拭った。
すっかりと涙目になっていたのである。
鼻をすすると、ゆっくりと腰を持ち上げた。
ゆっくりと、周囲を見回し、状況を確認した。
過ぎ去った大地震が残した痕跡を、確かめようと思ったのだ。
ざっと見回す限りでは、倒壊しているような建物はない。
実はそれほどの地震ではなかったのだろうか。
それとも日本の建築技術が素晴らしいのだろうか。
それともすべては、自分の錯覚だったのだろうか。
いや……
建物から避難している人々の姿が見えるし、遠くに一軒、古びた造りの平屋の一角が崩れ落ちてしまって、そこの住民が騒いでいるのが見える。
なにより自分の足元、道路のいたるところに入っている、亀裂。
すべて……現実なんだ。
とんでもない大きな地震だったんだ。
大丈夫だろうか、あそこの、崩れた家の人達。
それより、大丈夫だろうか、自分の家は。
来夢の顔は、すっかり青ざめていた。
しかしこの現状に、心配する以上のなにを考えることも出来ず、ただ呆然とした表情のまま、歩き始めていた。
道路では、ぽつりぽつりと存在する自動車はすべて停止しており、外へと下りている人達が口々にいまの地震の凄まじさを話し合っている。
そんな中、ふと、犬の鳴き声が聞こえた気がした。
いや、気のせいではない。
自分の歩く、その先のほうから聞こえてくる。
可愛そうに、倒木の被害にでもあって、怪我でもしたのだろうか。
その鳴き声がどこから聞こえてくるのか、すぐに分かった。
道路沿いにある畑の端に建てられている、使っているのかどうかも分からないようなぼろぼろの物置の扉を、その前に倒れている農業機材が塞いでしまっており、中に犬が閉じ込められているということらしい。
耕す機械なのか、刈り取る機械なのか来夢には分からないが、とにかくガソリンなどで動かすような、大きな金属の塊だ。とても持ち上げることが出来るような重さではないだろう。
自動車から下りていた初老の女性が、来夢より早くそのことに気が付いたようで、犬を助けるべくその機材をどかそうとしていた。
老女は非力で体重もなく、踏ん張る足がするする滑るばかりで機材はぴくりとも動かなかった。
「ああ、あたし、手伝います!」
別に焦る必要もないのだけれど、何故だか来夢はそのようにいうと、老女のそばに駆け寄った。
「ありがとう。ほんとに凄い地震だったわね」
「そうですね。びっくりしました」
来夢は老女に並んで、一緒になって機材を押し始めた。
これはなんの機械であろうか。重たくて、びくともしない。
持ち主がいれば、エンジンをかけるなりして簡単に動かせるのだろうけど。
ぐ、とより力を入れたその時である。
踏ん張っていた足に、右足に、激痛が走った。
「うあ!」
来夢は悲鳴を上げ、顔を苦痛に歪めた。
また足、やっちゃったかも知れない……
いや、大丈夫だ。でも、右足で踏ん張るのはやめとこう。後でお医者さんに行っておこう。
と、右足は添えるだけにして、左足を畑の土にうずもらせながら、老女と一緒に機材を押し続けた。
ずる、と一度動き始めると、あっという間だった。
それは扉の前から完全にずれ、倒れ、自重で土の中に半ば減り込んだ。
老女が早速扉を開くと、物置の中から飛び出してきたのは白い犬。
「……シロノラ?」
来夢は小さく口を開いていた。
そう隆之と来夢とで命名をした、おそらく野良の、でももしかしたら金持ちに飼われているかも知れない犬だ。
「このワンちゃん、お嬢ちゃんのお知り合い?」
「あ、はい。近所でよく見かける犬なんです。……おい、シロノラ、お前はほんとどこにでもいるなあ」
来夢はそういうと、シロノラの頭をなでてやった。
単に自分の行動範囲が狭いだけという話かも知れないが。結局、ジョギングもたいした距離を走れなかったし。
「お嬢ちゃん、足、悪いの? 家か、病院に送ってあげましょうか? ワンちゃんと一緒に」
老女は、足を引きずるようにしている来夢を、心配そうに見つめた。
「あ、いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
来夢は深く頭を下げた。
こんな非常事態の中で、そういう優しい心遣いの出来る女性がいるということに、来夢はちょっと嬉しくなった。
でも、そこまで足の状態が悪いわけではないと思い、断った。さすがにもう、走るのはやめておいたほうがいいだろうけど。
一緒に犬の救助活動を行った見ず知らずの老女は、一人自動車に乗ると、ひび割れ多発の悪路の中を去っていった。
残されたのは、少女一人と犬一匹。
人間に感じられないなにかを察したのであろうか。シロノラはいきなり、天を向いて一声吠えると、たたっと走り始めた。
しかしすぐに足を止め、来夢のほうを振り返って、じっと見ている。
それはまるで、こっちにこい、と呼んでいるかのようであった。
助けたお礼に骨でもくれるのだろうか。
愛嬌のかけらもないような、ぶすっとした顔をしているくせに。
お礼しようとしているのなら、気持ちは嬉しいけど、でも、
「ごめん、あたし、走れないんだ。というか歩くのも精一杯。だから、骨はまた今度ね」
そういうと、なんとはなしに海へと視線を向けた。
陽光を反射して、小さな波がきらきらと輝いている。
普段となんら変わらぬ美しい風景を見ていると、たったいまあんな凄い地震があったなんて、とても信じられない。
不安を追い払おうと、綺麗な海に視線を向けたのではあるが、しかしその気持ちはこれっぽっちも解消されることはなかった。
視線を戻すと、シロノラの姿はいつの間にか消えていた。
一人っきりになった来夢の頭の中を、よりいっそう、不安な気持ちが強く支配していた。
家、大丈夫だろうか。
自分の家はおそらく大丈夫だとは思うけど、無事であることを確認したわけではないし、なによりも隣町にある祖父宅が特に心配であった。
築年数の相当に経過した、いわゆるボロ家であるからだ。
そして先ほど、地震のために一部が崩れ落ちたボロ家を見てしまったためだ。
祖父母に義兄、姉に甥と姪、住んでいる者もたくさんいるし、義兄以外は現在全員が家にいてもおかしくない。
来夢は後悔していた。
老女の自動車に、素直に乗せてもらえばよかった。
そもそも、ジョギングなんか明日からにしておけばよかった。
早く、家に帰らないと。
今日は家にお母さんがいる。
家が無事なことを確認したら、職場のお父さん、それとおじいちゃんの家に電話をしないと。もうとっくにお母さんが、確認してるかも知れないけど。
それが済んだら後は、どこ遊びに行ってるのか分からないけど弟の無事も確認しないとな。病院に行くのは、それからだ。
早足で歩こうとしたところ、ズキズキと足が痛み、来夢は顔をしかめた。
今日は色々と、無茶をし過ぎてしまった。
ここまでジョギングで走ってくるだけでも、相当な足の負担であったというのに。
走るどころか早歩きすら出来ない自分の足の状態が、どうにももどかしかった。
来夢はきらきら小波の輝く海に背を向け、足を引きずるように、河口の川沿いの道を、ゆっくりと歩き始めた。
ただ、家族みんなの無事を祈りながら。
2
二〇一一年三月十一日に、東北と関東とを襲った巨大地震。
近年の我が国において、これほどの被害を国民にもたらした震災は他にないだろう。
マグニチュード九・〇。
最大震度七。
震災による直接の被害だけを取り上げても、後世に残る、想像を絶する規模のものであるというのに、それだけにとどまらず、原発事故による放射性物質の汚染や、景気低迷により不安定であった日本の経済をさらに傾ける大きな元凶となったのであるから。
経済においては、近いか遠いかは分からないがいずれは復興し、日本に再び輝きの戻る日も来るのであろう。
しかし、語るまでもないことではあるが、失われた人命は二度と戻って来ることはない。
この震災による死者の数は、一万人を遥かに超えるものであった。
それだけを考えても、いかに未曾有の災害に人類が襲われたのかが分かるだろう。
死亡者の、その死因に目を向けると特徴的であるのが、十六年前にやはり国民に大打撃を与えた阪神淡路大震災と比べ、建物倒壊による者があまりいないということ。
そのほとんどが、地震にまだ怯える人々を容赦なく襲い飲み込んだ、津波によるものであった。
防災上の想定が甘かったといわれればそれまでかも知れないが、とにかく人間の想定を遥かに超えた大津波が発生し、海岸付近にあるありとあらゆるものを押し流したのである。
宮城県東松島市も、震災による大きな被害を受けたところである。
なにしろその死亡者の数が実に驚異的で、千人を超えているのであるから。
これは震災における死亡者全体の、なんと十数分の一を占める人数であった。
市内の全住宅の、三分の二以上が全半壊の損害を受け、せっかく生き残った者たちも相当な人数が、住み慣れた住居を追われるという絶望を味わうことになった。
ある者は転出して生活拠点を他所に求め、ある者は小学校などを利用した避難所での生活を余儀なくされた。仮設住宅の設置が検討されているが、遅々として進んでいない。
産業の活性化など、市の復興の兆しの兆しさえ感じられるのであれば、もう少し市民の顔にも笑顔が見られたかも知れない。しかし現実として、住居のみならず生産基盤も大打撃を受けており、市民はどこにも希望を見出せない状態であった。
漁業は養殖や加工の施設が流され、農地は塩害で作物を育てることが難しくなり、産業は一気に後退。
当然、観光客を招くどころではない。
これでどうやって、希望を持てというのであろうか。
しかし、すべては生き残ることが出来たからこその苦悩であり、生き残ることが出来たからこその絶望であり、生き残ったからには前を向き、生き続けていくしかなかった。
自分、家族のため、そして、死んでいった者たちのためにも。
3
―― ××新聞日曜版に掲載された、東松島市に住むある母親の手記 ――
毎日、家の電話が鳴るたびに、私の心臓はドキリと跳ね上がった。
その都度、確実に寿命が減ったと思う。
その都度、ぷるぷると震える手で、受話器を掴み、取る。
正直、取るのが怖い。
でもそれは、希望をもたらす電話であるのかも知れない。
鳴って欲しい。早く。
でも、鳴るのが、そして受話器を取るのが怖い。
私の中で、そんな相反する気持ちが一切の矛盾なく存在していた。
そんな気の抜けない状況も、いつまでも続くと疲れてしまう。
いつしか、希望する結果のみを切実に願い求めるというよりは、とにかく、ただ、事実をはっきりさせ、楽になりたいという、そんな気持ちにもなっていた。
そんな冷徹な自分を、殴り殺してやりたいとも思いながら。
自分に対して色々と支離滅裂な言い訳をしながら、ひたすら、電話を待った。
三月二十五日、もう日も暮れかけていた頃、また電話が鳴った。
そして、ついにその時は訪れたのである。
溺死。
震災後、行方不明のままであった私達の娘が、溺死体となって発見された。
その連絡を受けたのだ。
未曾有の大地震の発生から、ちょうど二週間後のことだった。
娘が見付かったのは、川の、瓦礫の中とのこと。
津波による行方不明者を探すため、川の水を抜いて、川底の瓦礫を除去するという大々的な作業を実施していたらしいのであるが、その最中に、娘の死体は発見された。
ここで、頭が真っ白になるのが普通かも知れない。
しかし私は、ああ、ようやく、見つかったのだな、と、何故だか冷静に受け止めることが出来ていた。
もちろん気が狂いそうでもあったけれども、その半面で、そう冷静に考えている自分がいるのは確かだった。
ずっと冷たく暗い川の底で誰にも発見されず、さぞかし淋しかっただろう。よく、これまで一人で頑張ったね。
そんな台詞を心の中につぶやく余裕すらあった。
二週間も、覚悟を決める時間をもらったからだろうか。
きっとそうだろう。
そうでなければ、電話で話を聞いた瞬間に、私の心臓はショックのあまり止まってしまっていただろう。
もちろん信じられないくらいのショックは受けた。悲しみに張り裂けそうではあった。同時に、むしろ見付かったということに、ほっとしている私がいた。
これ以上時間が経過すると、腐乱が進んで身元特定が困難になるという話であったし、特定の出来ない遺体は共同で、まとめて土葬にするなどという話も聞いていたから。
個別に火葬して、うちのお墓に入れてあげることが出来る。それだけでも感謝しないと。
いちいちそういう心のよりどころを見つけて悲しみを回避しようというところ、親の心理状態として最低ではないか、と思わなくもなかったが、やはり私のその考えは至極まっとうなものだと思う。
この震災を経験し、家族を亡くした経験を持つ人間の感覚としては。
その電話連絡を受けた私たちは、すぐに家族全員で安置所へと駆け付けた。
部屋に入る前、覚悟してくださいね、と係りの人に脅されるように言われた。彼らとしては、いちいち取り乱されるのが、もう鬱陶しいのだろうな。と私は思った。
異臭漂うひんやりとした部屋の中は、ごろごろと死体が寝かせられており、シーツがかけられている。
人間の死に感じていた、厳かな気配と、ここは一切無縁だった。
ここに人間の死体があるというのに、生きている人間が忙しそうに携帯電話で大声で話をしながら歩き回っているのだ。
そうなるのも当然か。二週間が経過したとはいえ、まだまだあの恐ろしい震災の渦中と言っても過言ではないのだから。これからももっともっと遺体が見つかってくるのだろう。
こちらです。と、案内してくれた係りの人がシーツをどけた。
私は、ひっと息を飲み、目を見開いていた。きっと夫も、息子も。
間違いなかった。
私の、娘に。
別人といってもいいような、すっかりと変わり果てた姿になってはいたが、それでも、私たち家族の者が見間違えるはずがなかった。
ずっと冷たい水の中に沈んでいたとはいえ、既に二週間が経過しており、さすがに腐敗が始まりかけていた。
ずっと水の中にいたため、皮膚のすぐ下にガスが貯まって、全体的に少し膨れ、そして崩れていた。
それらのため、娘はまるで別人のようになっていたのだ。
息子が、泣き崩れた。
姉が果たしてどのような姿であるか、充分に覚悟をしていただろうに、それでも抑え切れなかったのだろう。
夫は、鼻をすすった。
私は、手をぎゅっと握り締め、ただ静かに横たわる娘のその姿を見下ろしていた。
とにかくこうして、私たちは娘と二週間ぶりの対面を果たしたのだった。
もう二度と、動くことのない、娘との。
その後数日は忙しかった。
火葬、葬儀の準備をしていたためだ。
変わり果てた姿で発見された娘だけれども、でも、これまで頑張って生きてきたのは、その身体を動かしてきた心。
そしてその心は現在、その肉体を離れて、私たちとともにある。
だから、悲しむことはないのだ。
そう思い込もうとしていたくせに、火葬の際には涙が止まらなかった。
凍るような冷たい水の中に何週間も沈んでいたというのに、今度は何千度もの高温で一時間もの間焼かれている。
その残酷さに、あまりに娘が可哀相でならなかった。
焼却が終了し、お骨を、みんなで壺に入れている時、私は信じられない気持ちで一杯だった。
こんな、小さな壺の中にいるのか、と。
魂に、大きいも小さいもないことなど分かっているのに。壺が小さかろうと、そんなことはどうでもいいことなのに。
葬儀は終わったが、当然、その後も私はなにかにつけて娘のことばかり考えている。
その都度、あの日のことが頭をよぎる。
あの日、我が家のすぐ近くまで津波が押し寄せた。
家にいたのは、お店の収支計算をしていた私だけ。一時間ほど前までそこに娘もいたのだが、ちょっと外を走ってくる、と外出していたのだ。
うちは、津波の被害はそれほど受けなかった。
一階が完全に水浸しになったので、大損害ではあるが、永遠に失ったものの重さを考えればなんということはない。
隣町に住む私の義父の家も、さして被害はなかった。義母があまりの揺れにびっくりして尻餅をついて、腰の骨にひびが入ったという程度だ。
夫は、私たちの経営する海近くの飲食店で働いているところを津波に襲われたが、近くにある五階建ての雑居ビルの屋上に登って、かろうじて助かったとのことだった。
みんなの無事が確認出来て、残るは娘だけ。
しかし娘は、外出したきりいつまでも帰って来ることはなく、死亡の報を受けることもなく、一日、二日と過ぎ、そして震災から二週間後、ようやくにして発見されたのだった。
どうしてこの子だけがこんな目に。と、最初は神様を恨んだ。
ちょっと外に行ってくるね。そういって家を出る娘を、止めなかった自分を恨んだ。娘はスポーツで、足を怪我していた。だったら無茶をさせず、止めておけばよかったのだ。
もしかしたら、そのせいで津波から逃げ遅れたのかも知れないし。
すべては仕方のないこと。
そう自分を慰めては、また自分を責める毎日。
夫もきっと、似たような思いであると思う。
娘は、震災の数日前に十七歳の誕生日を迎えたばかりでした。
慣れないものでまとまりのない下手な文章ですが、もう最後です。
最後に、これを読んでくださっている方々に質問があります。
十七歳という生涯、短いと思いますか?
私は、そうは思わない。
何故ならば私は、そうではない生涯を送った女の子を、知っているから。
彼女は、娘は、精一杯生きたと思う。
親のいたらなさもあって、幸せだけの人生ではなかったかも知れない。
精一杯、悩んで、苦しんで、泣いて、楽しんで、笑って、夢を追い掛け続けて。
他の人の一生分か、それ以上に匹敵するほどの生を存分に駆け抜けたと思う。
だから娘には、その濃密な人生を終えたことに対して、お疲れ様と声をかけてあげたい。
生命の燃え尽きる最後の最後の瞬間まで、よく、必死で頑張ったね、と。
明日にはまた、私の呼吸は乱れてしまうのかも知れないけれども、今の私の気持ちとしては、それ以外に、それ以上に、娘にかけてあげられる言葉はない。
4
「黙祷」
喪章を付けた腕を後ろ手に組み、ピッチ中央で大きく輪になって並んでいた選手たちは、場内アナウンスの女性の声に、そっとまぶたを閉じた。
ベンチにいる選手や監督、スタッフ、そして客席にいる観客たちも、みな起立し、目を閉じている。
選手たちの作る輪の中で、目を閉じながらも息荒く、身体を震わせている者がいた。
いまにも泣き出してしまいそうな、それをごまかすために懸命に怒り顔を作ろうとしているような、それは、そんな表情に見えた。
神原学園、皆川純江である。
彼女は、長かった髪の毛をばっさりと切り落としており、ショートヘアーをさらにヘアバンドできっちりととめている。
数年前に神原学園に入団してからはずっと、長い髪の毛を頭頂で無造作に縛って試合に臨んでいたので、これまでとはがらりと異なる雰囲気になっていた。
彼女は今年から大学生になった。
髪を切ったこと自体は、そうした環境の変化によるもかも知れないが、しかし、彼女に対して受ける雰囲気が変わったのは、それだけが理由ではなかった。
その表情や、発する気というべきか、とにかく身体を包み込むその光の質が、去年までとはまるで違っていたのである。
未曾有の大震災から、ほぼ一ヶ月が経過した。
被害に遭い亡くなった者へ捧げる黙祷が終了すると、選手たちはピッチ上に散らばった。
二〇一一年四月十日 日曜日
チャレンジリーグEAST 第一節
神原学園 対 オベレイション十勝
会場 天童わくわくスポーツ広場第一競技場(山形県天童市)
今日からチャレンジリーグの開幕である。
神原学園の選手たちは円陣を組むと、近藤直子キャプテンの音頭のもと、叫び、気合いを入れた。
ホームゲームを隣県の山形で開催する理由であるが、塩竈市が震災により壊滅的な被害を受けたためである。
神原学園がホームスタジアムとして利用してきた塩竈市営サッカー・ラグビー場も大く損壊し、一向に修復の目処が立っていない。そのため、当面の間はホーム試合を県外の他会場を転々としながら開催する予定になっている。
慣れたスタジアムという地の理こそ生かせないものの、神原学園のホームゲームであることに違いはなく、選手たちは上下真っ赤なユニフォームに身を包んでいる。
胸には「風馬堂」の文字。ふうまどう、と読む、仙台市にある和菓子の会社だ。今期からついに神原学園にも胸スポンサーがつくようになったのである。
決定後に大震災が来たのだが、風馬堂は運よくそれほどの被害は受けず、この話は流れることはなかった。
胸スポンサーをきっかけとして、ユニフォームの基本デザインも新しくなった。
目に見える大きな変化としては、二つ。
一つは、肩や胴体側面に入っている黄色や青のライン。これまでは同じ太さの線が走っているだけであったのが、すうっと細くなって消えていくシャープな印象のものになった。
もう一つは、色である。
えんじ色から、鮮やかな朱色になった。
もともとなでしこリーグ入りを目指すことを表明していた神原学園であるが、フロントがようやく本腰を上げたようで、まずは胸スポンサー獲得を頑張ったということらしい。
クラブ名の変更や、Jリーグ入りを目指す男子クラブチームとの提携も視野に入れているとのこと。
フロントがそうした判断を下すきっかけになったのは、去年の全日本女子サッカー選手権大会での神戸SC戦。負けはしたが、日本代表を多数抱える強豪相手に終盤まで好ゲームを演じ、それが各メディアから評価されたということによるものであった。
実質のところ補填に過ぎないのかも知れないがが、今期の補強として、四人の選手が入ってきた。
神原学園同様チャレンジリーグ所属のクラブである柏レニウスからGKが一人、地元塩竈の大学を卒業したばかりの世代別代表経験のあるFWが一人、それとスクール生から昇格した現役高校生が二人。
なお、これまで長らくの間、正GKを務めていた福士紗代莉は、昨シーズンをもって引退した。
それと畠山志保、彼女はなでしこリーグのクラブに引き抜かれて、移籍を決断した。待遇の悪さはこれまでと変わらないが、より上の舞台でチャレンジしたくなったとのことだ。
もうすぐ試合開始の時刻になる。
神原学園の本日のメンバーは次の通りである。
FW 佐竹愛
FW 大友花香(新加入)
MF 大和田美紀
MF 皆川純江
MF 小向佐美江
MF 近藤直子
DF 吉田夏実(新加入)
DF 新沼明美
DF 小林美織(新加入)
DF 岩間笑子
GK 尾形にいな
リザーブ
FW 工藤香織
MF 照井郁美
MF 米田繁子
DF 鎌田百子
GK 長江朱美(新加入)
去年と比べてシステム的には同様であるが、要所要所で選手が入れ替わっている。
工藤香織がいたところに、新加入の大卒FWが入った。大友花香、大柄ながら足の速い選手で、ボールタッチも柔らかく、世代別代表に選ばれた経験もある。
皆川純江が、スターティングメンバーとして復帰した。
ボランチは、退団した畠山志保の位置に近藤直子がコンバートされた。合わなければ彼女をまたCBに戻すという選択肢もあるが、塩屋浩二監督としてはとりあえず今年はこれで進めたいとのこと。
一番大きな変化が見られるのはDFである。
四バックの半分が入れ代わったのだから。
一人はCB。近藤直子のボランチコンバートにより空いたところに今年トップ昇格したばかりの高校三年生である小林美織が入った。
もう一人は左SB。怪我空けの不調から抜け出せないでいる鎌田百子を控えに置き、小林同様に昇格組の吉田夏実が先発に。
GKは、退団した福士紗代莉に代わって、これまで控えの座に甘んじていた尾形にいながゴールを守る。
ピッチ上には既に両チーム選手たちがそれぞれの場所に広がって、主審の吹く笛の音を待っている。
右SH《サイドハーフ》の位置に付いて、膝の屈伸などをしていた皆川は、ふと周囲を見回した。
ぐるりと、青い山に囲まれている。
ほとんど高さのないスタンドであるため、風がそのままスタジアムを吹き抜けている。
塩竈とはまるで違う、四月であるというのに冷たく乾いた風だ。
芝を改めて踏み締め、スパイクを通して足の裏にその感触を確かめた。
深呼吸。
この場所を、完全なるホームスタジアムにするため 気持ちを集中させた。
主審が高く手を上げた。
笛の音が響いた。
キックオフ。
新生神原学園の戦いが、いま始まった。
5
佐竹愛は、新しい相棒である大友花香へとボールを転がした。
大友は柔らかなタッチですぐ佐竹へ戻し、前へ走り出した。
オベレイション十勝の、7番の猛烈なプレスを受けた佐竹は、くるりと反転して、後ろへボールを戻した。
しかし、ここで連係のミスが出てしまった。
戻したところに誰もおらず、プレスからそのまま走り抜けた7番に拾われてしまったのだ。
敵地ど真ん中に切り込んだ状態の7番は、そこでボールキープをして、味方の攻め上がりを待っている。
その7番の背後に、神原学園の選手がぴたりとくっついた。がつがつと当たり、手足を伸ばして、強引に奪おうとしていた。
それは、皆川純江であった。
身体を押さえ付けるように回り込もうとしたところで、主審の笛が鳴った。
皆川のファールを取られ、十勝にFKが与えられた。
「みんな、しっかり守ってこう!」
キャプテン近藤直子は、手を叩き、選手たちを鼓舞し、集中を促した。
頑張るのはいいけど純江はちょっとやり過ぎかな、とでもいいたげな近藤の表情であったが、特に注意はしなかった。
もともと皆川純江は、技術より気持ちで戦うタイプの選手であったからだろうか。ここまで鬼気迫る形相の彼女は、さすがに見たこともなかったであろうが。
皆川は、そのあまりに激しいプレーによって後半に退場することになってしまうのであるが、当然ながらいまは誰も知る由などなかった。
相手の蹴ったFKは、精度高くゴール前へと綺麗な軌跡を描いた。長身選手に頭で落とされ、そこから地面を上手く繋げられてシュートまで持っていかれてしまうが、入団三年目にしてついに初スタメンの座を掴んだGK尾形にいなが、横へ倒れながらがっちりキャッチ。神原学園は、まずはしっかりと、相手の攻撃を防いだ。
尾形にいなは、前方へ強く蹴った。
上空を強く吹く風で、少し押し戻された。
落下地点を予測し小向佐美江が入り込むが、十勝の4番の長身に競り負けてしまい、また相手ボールになってしまった。
「コース切れ!」
嫌な位置で奪われたと直感的に危機を察したか、キャプテンの近藤が怒鳴るように叫んでいた。
しかしその叫びもむなしく、神原学園に大ピンチが訪れた。
十勝の4番が、ボールを受けたその瞬間にダイレクトに蹴り上げ、前線に張っていたFWを走らせるスルーパスを出したのだ。
FWはタイミング良く神原学園守備陣から抜け出して、全力で駆け、背後から低い弾道で飛んでくるボールの軌道上に入り込んだ。
やられた。
神原学園の誰もが失点を覚悟したことであろう。
トップ昇格組のCBである小林美織が、相手の足元ばかりに注意を向けるあまり、スルーパスへの警戒をすっかり怠っていたのだ。相手は裏に抜ける駆け引きの得意な選手だと、ミーティングで散々にいわれていたというのに。
だが、そのFWへとボールが渡ることはなかった。
皆川純江が長い距離を全力で走って戻り、起動上に入り込み、大きく跳躍をしながら足を伸ばしカットしたのだ。
気合いでスルーパスを阻止したはいいが、しかしボールは跳ね上がって、ころころと転がってしまう。
皆川はすぐさまそのボールへと走り寄るが、そこを十勝の5番と8番の選手に挟み込まれてしまった。
ボールを軽く踏みながら、視線を走らせパスコースを探す皆川。
「純江!」
声の聞こえたその瞬間に、その声のほうへパスを出していた。近藤直子へと。
皆川はリターンを受けようと、囲みから飛び出した。
ここでこの二人を抜けば、前には大きなスペースがある。
先制のチャンスだ。
しかし次の瞬間、皆川は8番に襟首を掴まれて、倒されていた。
笛が鳴った。
近藤は、皆川純江に歩み寄ると、手を引っ張って起こした。
「純江、さっきのパスカット良かったよ。助かった。ありがとね。それとミオ! ああいうのもあるんだからね、九十分間一瞬たりとも気を抜くな! それがCBの最低限の仕事!」
プレーの切れたついでにキャプテンは、先ほど小林美織が裏に抜けられピンチを招きかけたシーンのことを、きつく叱った。
「はい!」
小林美織は、大柄な身体にふさわしい低い声で叫ぶように返事をした。
その後、両チームは攻めようとするもののなかなか攻め切れない、膠着した状態に陥っていた。
総合的に判断するならば、神原学園が押しているといえる。
しかし神原学園は、新加入の選手たちとの連係不足、それと昇格組二人の技術やセンスの未熟さ、そこを突かれ、先ほどのようなピンチをたびたび招いてしまっていた。
どちらのチームもゴール前まではなかなか運べないため、点の入る気配はないものの、しかしいきなりどちらかに点が入ったとしても、不思議ではなかった。
上手くいかないということであれば、そこはまずは個人の頑張りで耐えるしかないのであるが、そんな中、凄まじいまでの気迫でそれを実践し、攻守にピッチを走り回っている選手がいた。
「愛さん、かぶってる! 引き付けてっていったでしょ!」
皆川純江であった。
先輩に対しても、まるでものおじしないどころか、怒鳴るような大声を上げて指示、要求を出している。
いまも、自ら蹴り上げたクロスボールに対しての、前線選手の飛び込みかたに注文をつけていたところだ。
皆川純江は、技術的には平凡な選手である。上手な選手のたくさんいる中、気持ちで補わなければ戦えないから、だからこれまで気持ちで補い、戦っていた。
昨シーズンまでは、そうであった。
だが今シーズンが始まってみれば、彼女の言動すべて、昨年までとはまるで異なっていた。
補わなければ、ではなく、自然と熱い気持ちが沸き上がり、大きな声を出し、身体が動いていたのである。
彼女が変わるきっかけとなったのは、先月の、あの大震災であった。
震災がもたらした希望と絶望。辛く、悲しい思いも経験した。それが、彼女の意識を根本から変えることとなったのである。
この後、彼女は宮城県選抜として呼ばれ、その気迫でチームを引っ張り、国体で宮城県を優勝に導く大活躍を見せることになるのだが、それはまた別の話である。
とにかくそんな魂のこもった気迫のあるプレーを見せる皆川澄江であったが、しかしいくら気合いを入れて頑張ったところで、サッカーとは相手の存在する競技、そしてその相手は、今季に大補強を行った昇格候補の一つである。そう思う通りにいくものではなかった。
むしろ、だんだんと十勝の選手たちがゲームに慣れて調子を上げてきたことにより、反対に、神原学園は少しずつ押し込められていった。
どちらにとって悔しいことかは分からないが、とにかくスコアレスのまま前半戦は終了。
そして、後半戦へ突入した。
6
塩屋浩二監督のハーフタイムでの修正が功を奏し、神原学園は劣勢を立て直して、互角な状態へ持っていくことに成功した。
しかし、一見互角ではあるものの、決定機の数では相変わらずはっきりとした優劣がついていた。
上手くシュートで終わらせることの出来る十勝に対し、神原学園は中盤でパスは回るものの前半同様に相手ゴールまでボールを運ぶことが出来ない。中途半端なところで奪われて、カウンターを受けて冷や冷やすることもしばしば。
ただ、まだ失点はしていない。なんら焦る必要はない、はずであったのだが……
十勝の8番が、膝を崩し、芝の上に転がった。
足首を押さえ、痛そうに顔を歪め、歯を食いしばっている。
そのすぐそばには、皆川純江が横たわり、足を伸ばし、軽く上体を起こした姿勢で、時が止まったかのようにただ呆然としていた。
主審が笛を吹いた。
そして、イエローカードを高くかかげた。
皆川へと、歩み寄りながら。
前半戦に、皆川は繰り返しの違反によって一枚、警告を受けている。
次に取った主審の行動、もう確認するまでもなかった。
皆川は座り込んだまま動かず、うつろな視線で空を見上げていた。
主審は彼女に、早くピッチから立ち去るように促した。
前線へとパスを出した十勝8番へ、アフターで横からのチャージ。皆川のそのプレーは、誰も擁護出来るものではなかった。
攻める意識、点を取ろうとする意識、しいては勝とうとする意識が空回りしてしまったのだ。
それだけではない。前半に飛ばし過ぎて、ハーフタイムをむかえた時点で既に疲労困憊の状態であった。そのため、半ば意識が朦朧として、余計なファールをおかしてしまったのだ。
皆川は、悔しそうに地面を叩くと、ゆっくりと立ち上がり、天を見上げて絶叫した。
自分の、あまりのふがいなさに。
がくりとうなだれ、力抜けたように背を丸めると、ピッチを後にした。
「純江!」
佐竹愛が、そのすっかり小さくなった背中へと叫んでいた。
皆川は、振り向いた。ピッチの中から叫んでいる佐竹の姿を、見つめた。
一呼吸置いて、佐竹は続けた。
「絶対に点取るから……絶対に、勝つから! お前の思い、あたしが受け取った!」
そう佐竹は叫んでいた。
二人の作り出すその雰囲気に、スタジアムはしんと静まり返っていた。
皆川は、佐竹へと深く頭を下げた。
しかし佐竹が不屈の闘志を燃やそうとも、精神論だけでサッカーは戦えるものではなく、一人少なくなった神原学園はより押し込まれることになった。
精神論を持ち出すにしても、そうであれば一人多い十勝のほうが精神的に有利であり、選手たちはますます躍動し、いつか必ず入るであろう得点を信じて悠々とパスを回し始めていた。
その劣勢を撃ち破るべく、後半二十分に、神原学園は今日最初の選手交代をした。
小向佐美江 アウト
米田繁子 イン
退場者が出た以上は、前線の一人を下げて欠けたポジションの補填をするのがセオリーかも知れないが、塩屋浩二監督はここで勝負に出た。小向佐美江を下げて近藤直子のワンボランチとし、その分というべきか退場した右SHという攻撃的な位置に守備的な選手である米田繁子を投入したのである。
その結果、まず近藤直子が、いつ過労死するか分からないほど膨大に、仕事と緊張の量が増えた。
そして、もう一つ。全体的に、ボールがよく回るようになったのである。
相乗効果として前線にボールが収まるようになり、段々と、近藤の守備負担も軽くなっていった。
十勝の選手たちが、慌てながらも声を飛ばし合い、なんとか自分たちで修正をはかっている。
整えられる前に、と神原学園の選手たちは、誰からともなく攻勢を強めていた。
少しずつ、十勝がまた勢いを盛り返してきていたが、もう試合は終盤、神原学園の選手たちは攻撃は防御とばかりになおも攻め続けた。
そしてついに、その時は訪れたのである。
パスカットに成功した近藤直子は、相手のすっかり間延びした陣形の中へとドリブルで躍り込んだ。8番の選手が一人で、前へのパスコースを巧みに塞ぎながら走り、向かってきたが、近藤は引き付けてかわすと左サイドへとボールを転がした。
予期し走り出していた左SHの大和田美紀は、ほぼトップスピードの状態でそれを受け、続く相手のスライディングタックルを軽く跳躍してかわし、完全にサイドを切り裂いた。
そして、クロス。
ゴール前には神原学園FWの佐竹愛と大友花香、そして十勝のDF二人とGK。
大友がボール目掛けて跳躍し、GKと競り合った。
GKは、大友の巨体とぶつかって、キャッチしそこねてボールが跳ね上がった。
その落ちるところへと、佐竹がすっと走り込んでいた。
相手に引っ張られ、倒れ込みながら、ボールに頭を叩き付けていた。
ゴールネットが、揺れた。
それは試合終了直前の、先制ゴールであった。
佐竹は立ち上がり、自分が決めたことを知ると、飛び上がって喜んだ。
同時に、試合終了の笛が鳴った。
開幕戦、一人少ない神原学園が、劇的ゴールでオベレイション十勝をくだした瞬間であった。
「やったあ」
大友花香が、佐竹愛に抱き着いた。
大和田美紀が走り寄ってきて、佐竹の髪の毛をくしゃくしゃに掻き回しつつ、もう片方の手で大きな鼻を摘んだ。
「いてて、くそ、なんでどいつもこいつもあたしの鼻を摘むんだよ!」
大きくて目立つからである。
佐竹は反撃に出て、大和田にヘッドロック、大友には地獄突きで、群がる地獄の亡者どもを蹴散らすと、退場によりベンチにいる皆川純江へと視線を向けた。
ガッツポーズを作り、そして笑顔を贈った。一緒に勝利を掴み取った、大切な仲間へと。
でも皆川澄江は、そんな佐竹の姿をまったく見てはいなかった。
何故ならば皆川は、ベンチで突っ立ったまま、天を見上げて、泣いていたのである。
「大丈夫……大丈夫だから……」
すすりあげるような声で、そう、何度も繰り返しながら。
神原学園は、心配いらない。大丈夫だ。
これから、どんどん、強くなる。
自分ももっともっと頑張って、絶対に一部に上げて、代表をどんどん排出するような、そんなクラブにするんだ。
自分自身はなでしこに呼ばれるような、才能のある選手なんかじゃないけど、でも、クラブを育てて、選手を育てて、そこからどんどん、送り出すんだ。
そんな、夢への第一歩を自分が踏み出したことを確信した、嬉しい勝利であるはずなのに、何故だか涙が止まらなかった。
7
大沢隆之は、ぎしぎしと軋む、ところどころペンキの剥げた金属製の階段をゆっくりとゆっくりと上った。
自分の二倍は体重があろうかという、しかもカップルが、この二階には住んでいるので心配する必要などはないのだろうが、乱暴に駆け上がったりすると実は階段が腐っていて抜けてしまったりしないかが気になって。
二階通路に並ぶ四つの扉のうち、一番手前のドアノブの鍵穴に鍵を差し込んだ。
扉を開いたその瞬間に、なんともいえないカビ臭さが漂ってきた。
ここへの入居にあたって、以前の家での荷物は大半を処分してしまったので、部屋は実に簡素でほとんど物はないのだが、拭い切れない長年の歴史が壁や空気にじっとりと染み込んで、嗅覚を刺激するのである。
ここは大沢栄吉と隆之の親子が暮らしている木造アパートだ。築四十年は経とうかというある種の歴史的建造物で、しかしながらというべきか、だからこそというべきか、家賃は三万九千円という破格の安さであった。
隆之は靴を脱ぎ、部屋に入ると、学校制服のブレザーを脱いで、壁のハンガーに掛けた。
下校時に母の入院先の病院に寄って、その帰りである。
明日と明後日はアルバイトの予定が入っているため、今日はその分たっぷりと会ってきた。
今日も母、咲子の状態は良かった。自分で上体を起こして、長話が出来るほどに。
治療そのものが、順調であるためだ。
順調、といっても、現在の医療では完治させること自体は不可能といわれている。しかしながら、一時期すっかり衰弱しきっていた体力が投薬などによりかなり回復してきており、今後の医療技術発達を焦らずに期待して待てる状態であるといえた。
実際、海外では既にマウスを使った実験で治療に成功しており、特効薬の完成も時間の問題といわれているらしい。
生きれば生きるほど、希望が広がる。以前に、主治医がいっていた通りの状況になりそうであった。
隆之は現在、都立高校に通っており、今月に三年生に進級したばかりである。
特に東北のイントネーションをからかわれたことなどはないが、でもやはり転校生ということでなんとも窮屈な思いを感じていた。それが、新学年になってクラス編制がシャッフルされたことで、ようやく気分が楽になった。
まだ友達といえるかは分からないが、仲の良い者も少しずつ増えてきた。
部活動は、どこにも所属していない。
咲子は部活を含めて学校生活を楽しめなどというが、アルバイトもあるし、それどころではないからだ。
どちらにしても、部活に入ったところでこの一学期で三年生はみんな引退してしまうのだし。
東京に、自分はいつまで住むことになるのだろうか。
ふと、そう考えてしまうことがある。
少なくとも、東松島に戻ることはないだろう。
戻ろうにも戻る家がないからだ。
ここにくる前に住んでいた家は、引っ越しをした二ヶ月後に発生した大震災により半壊、そして土地そのものも津波による塩害にあって、住もうにも住めない状態になり、先日、完全に売り払った。
不動産屋の提示する買い値があまりに安すぎたのでしばらく保留にしてしまっていたことを、父は後悔していた。
引っ越しをすると同時にすぐに売っていれば、幾らかかの金にはなったのに、結局、価値が下がったどころか家屋の処分などでマイナスになってしまったからである。
でも、隆之は、別にそれで良かったと思っている。
自分に一生忘れないような思い出を様々作ってくれたあの家に、感謝をしているからである。
余計生活は厳しくなって、アルバイトをしなければならないほどだけど。
ここの生活でも変わらず、食事は基本自炊。
父と隆之との当番制で、今週は隆之の担当である。
その準備にかかろうかと思い、部屋着へ着替えようとワイシャツを脱ぎかけたところ、呼び出しのチャイムが鳴った。
玄関のドアを開けると、そこには白いヘルメットをかぶった中年の男が立っていた。
「郵便です」
ひとの良さそうな雰囲気の中年の男はそういうと、手にしている白い封筒を見せた。
それは、一度水浸しになったものを乾かしたかのように、歪み、汚れていた。
「これ、おおさわさん、って読むんですよね。大きいに沢。住所も、これ、ここで、合っている、はずですよね?」
郵便配達員とは思えない自信の感じられない態度で、あて先の掠れた文字を読み上げた。
封筒に書かれた字が、ところどころ薄くなって、消えてしまっているためだ。
どくん。
その封筒を、覗き込むように見た瞬間、隆之の心臓は、大きく跳ね上がっていた。
思わず唾を飲み込もうとしていたが、一瞬にして舌の先から喉の奥まで乾いてしまっていたようで、つっかかってしまってなかなか飲み込めなかった。
「差出人は?」
おずおずと、隆之は尋ねた。
これがなんの手紙であるのか、おおよその見当はついていたが、まだその確証がなかったから。
「あ、はい、|広|《ひろ》頼《より》さん? または、広瀬さん、かな。住所は松と市だけで後は消えちゃってますけど、これは東松島市で投函された分です。知ってます? 宮城県東松島市」
「はい。そこに、住んでましたから。それ、広瀬です。ぼく宛て、だと思います」
「それなら間違いなさそうですね。ああ、よかった。大震災の津波で、被災地のポストがやられちゃって、回収された中から、グチャグチャになった手紙でもなるべく届けるようにしているんですが、この通りあて先が掠れて消えちゃったりしてて、間違って届けてしまうわけにもいかないので、色々とお尋ねしたんですよ。では、どうぞ」
配達員は手紙を差し出した。
隆之は軽く頭を下げると、手を伸ばした。
その手がぶるぶると震えてしまい、落としてしまいそうで不安だったので、もう片方の手も出して、両手でしっかりと封筒を受け取った。
「あ、それ、消印は四月十七になっちゃってますけど、間違いなく三月十一日に投函されたものですから」
配達員は、そう念を押した。
「分かりました。どうも、ありがとうございます」
隆之はそういうと、今度は深く、頭を下げた。
ドアを閉めると、隆之は鍵もかけ忘れ、部屋のどこかにあるはずのハサミを探し始めた。
普段ならば手紙など手で破って開封する性分だが、この手紙だけは、そのような真似は出来なかったから。
床の上、雑誌に隠れるようにハサミが落ちていた。
それを拾うと、刃を封筒に当てた。
隆之の呼吸は、いつしかすっかり荒くなっていた。
いまにも気を失って倒れてしまいそうなほどに。
手の震えるのをなんとかなだめながら、ハサミで封筒の上辺を切り取っていった。
開くと、その中に便箋が入っているのが見えた。
封筒の内側と、中の便箋とがへばりついていたが、ハサミの先端を突き入れるとぺりぺりと剥がれた。
便箋を取り出すと、両手でゆっくりと広げた。
ず、と鼻をすすった。
封筒表面とは違って、中に入っていた手紙の文字自体は、にじんではいるもののはっきりと読み取ることが出来た。
一目見た限り、やはり内容は隆之の予想していた通りのものであった。
隆之は、床にぺたんと座り込んだままの姿勢で、それを読み始めた。
いつの間にか、頬を涙が伝っていた。
指で、そっと拭った。
鼻をすする。
読み進めていく中、ちょっと淋しげに、でも楽しそうに、笑った。
表情は笑顔であったが、しかし目からは、涙がどんどん溢れ、ぼろぼろとこぼれ落ちていた。
でももう、気にもとめず、こぼれるがままにまかせていた。
あまりに、きりがないから。
そして、自分の気持ちを否定したくなかったから。
いつしか喉の奥から、呻くような声を漏らしていた。
その手紙を拝むように顔に押し当てたまま、叩きつけるような勢いで床に伏せた。
あっ、としゃくり上げるような声が漏れていた。
自分の身体のことなのに、それを止めることが出来なかった。
泣き崩れていた。
どこへもやり場のないこの感情を制御出来ずに、ただ床をかきむしるように泣き声を上げていた。
ぼろぼろと涙をこぼし、呻き声を漏らし、声を詰まらせ、ぐしゃぐしゃになった顔で、隆之はいつまでもむせび泣いていた。
8
普通、どんな言葉づかいで書くものなんだろう。こういう手紙って。
なんだかグダグダな文面になりそうなこと、はじめに断っておきます。なにとぞお許し下さい。
誕生日のプレゼント、どうもありがとうございました。
練習(筋トレばかりだけど)から帰ってきたら、届いていて、びっくりしました。
馬蹄のペンダント、後から友達に聞いてみたら、夢を叶えるって意味があるんだね。
とっても、嬉しかったです。というか、私が無知すぎて、その価値に気付かないところでした。
あと、プーさんのぬいぐるみもありがとう。
どっちも、大事にします。
お返し、ご期待ください。
あ、どうだろう。センスないからなー、私。
そうそう、プレゼントといえばね、私の所属してるサッカークラブも、とても大きなプレゼントをもらうことになりました。
なな、なんとなんと、今期より胸スポンサーがつくことになったのだ(どどーん、とここで背景に波)。
風馬堂っていう和菓子の会社でね、ほら、あれ知ってるんじゃない、「眼帯あずき」とか「穂の暮れ間」とか聞いたことない?
みんなで仙台の本社ビルに挨拶に行ったら、お菓子をもらっちゃいました。かえってきょうしゅく。
ユニフォームにはそのスポンサー名が入るだけじゃなく、新デザインになるとのことです。
今年から本格的になでしこリーグ入りに向けて動くという話だし、頑張らないと。
私は、まずは怪我をしっかり治すことからかな。
あとは、もうあんな怪我をしない体作り。
痛みにボロボロ涙流して泣いたからね、あの時は。
おかげでもう三ヶ月近くもボールを蹴っていないから、身体がうずうずしちゃって仕方ないです。もう少ししたらジョギングから始めてもいいってお医者さんから言われているけれど。
新加入選手は、まったくといっていいほど私とはポジションはかぶらないけれど、でも油断なんかしていられない。
右サイドにはミナガワスミエという最大のライバルがいるから。
話したことあったっけ? 純江ちゃんのこと。
私の顔におもいきりパンチしてきたことのある、すっごい嫌な奴。
でもいまは、さいっこうに仲のいい親友。学年は向こうが一つ上だけど。ま、精神年齢は一緒、いやいや向こうのほうが子供かな。
っと、純江の話なんかどうでもいいのじゃ。
学年といえば、そうそう、忘れちゃいけないのがこの間の期末テストですよ。
私ね、なんと学年で7番になったんだよ。
すごいでしょ。
自分でも信じられないよ。
やれば出来るんだな、って自信になるよね。サッカーに関してもさ。
話かわるけど、おばさんのこと。
昨日、お母さんから聞いた。おばさん、体調よくなって、よかったね。
絶対に絶対に、病気治してもらおうね。
まずは気持ちから元気になってもらわないと。だからネガティブなこと言ったりなんかしたら駄目だからね。
なんか辛いことあったら顔で笑って心で泣け。これ、私からの命令。
私も、オフの日程が合うか、それか遠征でそっちのほうに行くことがあったら、お見舞いに行くから。
いまはお互い頑張って治そう、って言っといてね。
ええと、あまり書きすぎても、会った時に話すことがなくなっちゃうので、とりあえずこのへんにしときます。
早く、会いたいです。
今度はさ、ディズニーランド連れていってよね。絶対。
それじゃ、またね。
ター君
うわああああ、つい書いちゃったよおおお!! この呼び名
ボールペンだから消せないいい!!
もう、ダメだ。
はあはあと息を切らせながら、なんとか手足を回転させて、ここまで走ってきた来夢であったが、既に体力は限界を遥かに超えている。
背景の流れていく速度が急激に落ちたかと思うと、やがて、完全に止まった。
澄み渡った、快晴の空。
見回せば前方、視界一杯に広がる青い海。
太陽の光を受けて、きらきらと輝き、揺らめいている波。
空と海との境界線に、小さく漁船が見えている。
そよぐ風、潮の匂い。
爽やかな、最高の気分になれる来夢お気に入りのジョギングコース、のはずであったが、もうすっかりへたばってしまって、そんな気分を味わうどころではなかった。
ここは、自宅を出て農道や河口沿いの道を通って、海へ出たばかりのところ。
本当は、ここからさらに海沿いを野蒜のあたりまで走るつもりであったのだが、遥か手前で体力の限界が来て計画は頓挫。
屈み腰になり、膝に両手をつくと、喘ぐように大きく呼吸をした。
たっぷりと空気を吸い込もうとしたものの、花粉の混じった乾いた熱気しか入ってこない。
それでもしばらくすると、少しずつ苦しさがやわらいできた。
ふらふらとした様子で、縁石に腰を下ろした。
意気揚々とジャージにTシャツで自宅を飛び出したは良いが、結局、以前は当然のようにこなしていたジョギングコースの五分の一も走ることが出来なかった。
自分が情けなく悔しいという気持ちはあるが、でも冷静に考えてみれば今日はリハビリとしてのジョギング初日なのだ。上出来といえる結果であろう。
そう。あんな、酷い怪我を負ったのだから。
右アキレス腱断裂。
去年の十二月十二日に行った、サッカーの試合で、相手選手に突っ込んで、半ば自ら足の筋をねじ切ってしまったのだ。
医師から下された診断は、全治六ヶ月。
それまでは試合どころか通常の練習も出来ないが、軽いジョギング程度であれば三ヶ月ほどから始めていいといわれていた。
今日は、二〇一一年三月十一日。
怪我をしてからちょうど三ヶ月が経過していた。
先ほど病院で検査し、医師の承諾を得たのであるが、もういてもたってもいられずに帰宅するなり準備運動もそこそこに早速ジョギングを開始したというわけである。
ここまでの三ヶ月は、本当に長い期間だった。
黙々とただ筋トレをするばかりの日々で、一体何年に感じられたことか。
二ヶ月くらいの頃だか、医者に内緒で走ってしまおうかと考えたこともあった。
チームメイトたちに必死に止められて断念したのであるが、とにかく来夢としては、それだけ自分の体力がどんどん落ちていっているであろうことに、我慢が出来なかったのだ。
今日いざ走り出してみてすぐに分かったが、やはり体力は相当に落ち込んでいた。
足以外を使ったメニューにより、かかさず心肺トレーニングを続けていたにもかかわらずだ。
足の筋力がすっかりなくなっていることが大きな原因の一つだ。
まだ右足はじくじくと痛むし、それを庇いながら走ろうとしたせいで余計に疲労したというのもあるだろう。
元の体力を取り戻すために、果たしてあとどれだけかかるのだろうか。
あとちょうど一ヶ月で、チャレンジリーグの新シーズンが開幕してしまうというのに。
出場が出来るのは、早くても五月か六月。体力、調子が戻っていなければ、もっと遅くなるだろう。
そもそも他の選手の台頭により、完全に居場所を失うことになるかも知れない。
それはずっと怖れていた最悪の結果であり、そして、現在のこの肉体の衰えを考えるならば充分に起こり得ることであった。
それなのに、来夢はまったく気落ちはしていなかった。
自分でも不思議なくらいに。
事実は事実、変えることは出来ない。でも自分の気持ちは変えられる。ならばすべてを受け入れて、それらをバネに、より成長していこう。
この小さな身体の中には、そう前向きに考えている自分しか存在していなかったのだ。
来夢をそういったポジティブな気持ちにさせる要因、間違いなくその一つといえるものがいま、彼女の右手の中にあった。
ジョギング中にずっと握り締めていたそれを、彼女はいま改めてまじまじと見つめていた。
「センス悪くは、ないよな。大丈夫だよな」
と、自問の言葉を呟いた。
手にしているのは、真っ白な、可愛らしい封筒。
裏面は、アニメ調にデフォルメされた熊のシールで封をしてある。
握り締めて走っている間に、少しシワになってしまっていた。
太腿の上に置いて、手のひらを版画のバレンのようにして伸ばした。
でも全然シワが消えないので、すぐに諦めて立ち上がった。
海沿いのこの道を少し進んだところのファミリーレストラン前に、郵便ポストがある。
そこまでゆっくり歩くと、その手紙を投函した。
それは、大沢隆之への手紙であった。
一昨日、来夢は十七歳の誕生日を迎えた。
去年の暮れに東京へ引っ越した大沢隆之から、その日に合わせ、ささやかなプレゼントが届いた。そのお礼と、近況報告の手紙だ。
本来ならば、そのプレゼントは手渡しで直接貰えるはずだったのだが。
何故ならば今頃、来夢は東京にいる予定だったからである。
東京へ遊びに行き、誕生日前後の一週間ほど滞在し、隆之にディズニーランドやら渋谷やらへ連れて行ってもらう予定であった。もしもなんらかのサッカーの試合がやっているのであれば、国立競技場にも行こうと思っていた。
しかし、病院に入院している隆之の母、咲子の容態が少し悪化したため、予定を延期することになってしまったのだ。
昨日隆之からの電話を受けた来夢の母によると、咲子はその後、持ち直して回復にむかい、現在はなんともない状態であるとのことだ。
考えようによっては、東京に行ってからそういうどたばたが起こるよりも良かったかも知れない。
自分なんかがいても、なにも出来ずに隆之たちに迷惑がかかっただけだろうし。
直接プレゼントを貰っても、まともな言葉を返せなかっただろうし。
手紙にすることで、言葉を考える余裕が出来て良かった。
といいつつ、何度読み返してもなにを伝えたいのかよく分からない、支離滅裂な内容になってしまったのだけれど。
でもまあ、要は気持ちだ気持ち。
封はしちゃったから書き直すことは出来ないし、もう書き直すつもりもない。
先月のバレンタインデーの日、二人の関係を怪しむ気持ちが頂点に達して暴走してしまった星野明美に、「どうせ遠距離で、まだ付き合ってんでしょ!」と教室で怒鳴られて、全身にバケツの水をぶっかけられた。
その時のことを書こうか書くまいか迷ったこともあって、ただでさえ相当な回数の書き直しをしているのだから。
結局そのことには一切触れなかったが、とにかくそのようなわけありというか苦労して書き上げた手紙をポストに投函して、そこを立ち去ろうと踵を返した、その時であった。
それは、
無から有を生むがごとく、突然に、起きたのであった。
最初に感じたのは、微かな振動であった。
感じはしたが、すっかり疲れ果てていたために目眩を起こしているのかなと思った。
その瞬間、突如として、揺れ始めたのである。
足元が、激しく、ぐらぐらと。
それは地の唸る低い音とともに。
地震?
そうに決まっている。それなのに、そう自問をしてしまうのは、その揺れがかつて感じたことのない規模の、凄まじいものであったからだ。
なにが軋んでいるのか、ぎしぎしという音があちこちから聞こえてくる。
道路が波打つようにたわみ、ポスト、電信柱など、地中から伸びているものの柱が、アスファルトと擦れ合っているのだ。
電線が振動し、ひゅんひゅんと笛のような気持ちの悪い音を立てている。
来夢は、支えなしで立っていることが出来ず、郵便ポストに背中をついた。
なおも足元は激しく動き、風景は大きく跳ね上がり続け、バランス感覚が麻痺したことと、なによりもそのあまりの恐怖とに、ついにはその場にしゃがみ込んでしまった。
ごごご、と低い、地の唸り声が、風となって来夢の心身を吹き抜け、揺さ振った。
すぐそばに見えるファミリーレストランから男女が何人か、悲鳴を上げながら飛び出してきた。
道路を見ればあちらでもこちらでも、自動車から人が降りて、揺れに対してなんら抵抗出来ずに慌ているだけの様子が見える。
この世の、終わり?
がつんがつんと突き上げられるように縦に横に全身を揺さぶられる中、来夢は本気でそんなことを考えていた。
いつしか道路には亀裂が入り、断面同士が擦れ、ぐいっぐいっと不快な音を立てていた。
来夢は悲鳴を上げていた。
その亀裂から地面が大きく割れて、そこに自分が飲み込まれてしまうような感覚に襲われたのだ。
さらに大きく裂けて、そこにこの世のすべてが飲み込まれ、すべてが終わってしまうような。
そういった最悪の事態に恐怖しながらも、脳裏に思い浮かんだのは、自分の家のこと、そして隆之のいる関東地方がどうかということであった。
地球そのものを巨大な悪魔が揺さぶっているかのようなこの揺れが、もしもあの来る来るといわれていた関東大地震なのであるとしたら、遠く宮城県ですらここまで信じられないような激しい揺れなのだ、関東は完全におしまいではないか。
そう他人のことが心配で仕方がないくせに、来夢は、自らがいま現在襲われているこの現象、それによる恐怖に、しゃがみ込んだまま、まったく身動きを取ることすらも出来なかった。
鼓膜を震わせる地の唸りについに耐えられなくなり、両手で耳を塞いだ。
だが、じっとしゃがんで、恐れおののいているうちに、やがて、揺れが小さくなってきた。
ぎしぎしと軋む音や、低い地の唸りが、小さくなってきた。
そして、揺れが収まった。
土砂降りが降りやんだかと思うと、次の瞬間には青く晴れ渡った空に太陽が輝いているような、それは実にあっさりと収束した。
事象は収まったものの、それでも地球の終末を迎えかけたことによるその恐怖が簡単に去るはずはなく、来夢は相変わらず頭を抱えて、ががたがたと震え続けていた。
それからさらに、何分が経過したであろうか。
ようやく、来夢は手を頭から離した。
ようやく、揺れが収まっていることを、おぼろげながら実感した。
そこでようやく、安堵の息をはいた。
袖で、まぶたを拭った。
すっかりと涙目になっていたのである。
鼻をすすると、ゆっくりと腰を持ち上げた。
ゆっくりと、周囲を見回し、状況を確認した。
過ぎ去った大地震が残した痕跡を、確かめようと思ったのだ。
ざっと見回す限りでは、倒壊しているような建物はない。
実はそれほどの地震ではなかったのだろうか。
それとも日本の建築技術が素晴らしいのだろうか。
それともすべては、自分の錯覚だったのだろうか。
いや……
建物から避難している人々の姿が見えるし、遠くに一軒、古びた造りの平屋の一角が崩れ落ちてしまって、そこの住民が騒いでいるのが見える。
なにより自分の足元、道路のいたるところに入っている、亀裂。
すべて……現実なんだ。
とんでもない大きな地震だったんだ。
大丈夫だろうか、あそこの、崩れた家の人達。
それより、大丈夫だろうか、自分の家は。
来夢の顔は、すっかり青ざめていた。
しかしこの現状に、心配する以上のなにを考えることも出来ず、ただ呆然とした表情のまま、歩き始めていた。
道路では、ぽつりぽつりと存在する自動車はすべて停止しており、外へと下りている人達が口々にいまの地震の凄まじさを話し合っている。
そんな中、ふと、犬の鳴き声が聞こえた気がした。
いや、気のせいではない。
自分の歩く、その先のほうから聞こえてくる。
可愛そうに、倒木の被害にでもあって、怪我でもしたのだろうか。
その鳴き声がどこから聞こえてくるのか、すぐに分かった。
道路沿いにある畑の端に建てられている、使っているのかどうかも分からないようなぼろぼろの物置の扉を、その前に倒れている農業機材が塞いでしまっており、中に犬が閉じ込められているということらしい。
耕す機械なのか、刈り取る機械なのか来夢には分からないが、とにかくガソリンなどで動かすような、大きな金属の塊だ。とても持ち上げることが出来るような重さではないだろう。
自動車から下りていた初老の女性が、来夢より早くそのことに気が付いたようで、犬を助けるべくその機材をどかそうとしていた。
老女は非力で体重もなく、踏ん張る足がするする滑るばかりで機材はぴくりとも動かなかった。
「ああ、あたし、手伝います!」
別に焦る必要もないのだけれど、何故だか来夢はそのようにいうと、老女のそばに駆け寄った。
「ありがとう。ほんとに凄い地震だったわね」
「そうですね。びっくりしました」
来夢は老女に並んで、一緒になって機材を押し始めた。
これはなんの機械であろうか。重たくて、びくともしない。
持ち主がいれば、エンジンをかけるなりして簡単に動かせるのだろうけど。
ぐ、とより力を入れたその時である。
踏ん張っていた足に、右足に、激痛が走った。
「うあ!」
来夢は悲鳴を上げ、顔を苦痛に歪めた。
また足、やっちゃったかも知れない……
いや、大丈夫だ。でも、右足で踏ん張るのはやめとこう。後でお医者さんに行っておこう。
と、右足は添えるだけにして、左足を畑の土にうずもらせながら、老女と一緒に機材を押し続けた。
ずる、と一度動き始めると、あっという間だった。
それは扉の前から完全にずれ、倒れ、自重で土の中に半ば減り込んだ。
老女が早速扉を開くと、物置の中から飛び出してきたのは白い犬。
「……シロノラ?」
来夢は小さく口を開いていた。
そう隆之と来夢とで命名をした、おそらく野良の、でももしかしたら金持ちに飼われているかも知れない犬だ。
「このワンちゃん、お嬢ちゃんのお知り合い?」
「あ、はい。近所でよく見かける犬なんです。……おい、シロノラ、お前はほんとどこにでもいるなあ」
来夢はそういうと、シロノラの頭をなでてやった。
単に自分の行動範囲が狭いだけという話かも知れないが。結局、ジョギングもたいした距離を走れなかったし。
「お嬢ちゃん、足、悪いの? 家か、病院に送ってあげましょうか? ワンちゃんと一緒に」
老女は、足を引きずるようにしている来夢を、心配そうに見つめた。
「あ、いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
来夢は深く頭を下げた。
こんな非常事態の中で、そういう優しい心遣いの出来る女性がいるということに、来夢はちょっと嬉しくなった。
でも、そこまで足の状態が悪いわけではないと思い、断った。さすがにもう、走るのはやめておいたほうがいいだろうけど。
一緒に犬の救助活動を行った見ず知らずの老女は、一人自動車に乗ると、ひび割れ多発の悪路の中を去っていった。
残されたのは、少女一人と犬一匹。
人間に感じられないなにかを察したのであろうか。シロノラはいきなり、天を向いて一声吠えると、たたっと走り始めた。
しかしすぐに足を止め、来夢のほうを振り返って、じっと見ている。
それはまるで、こっちにこい、と呼んでいるかのようであった。
助けたお礼に骨でもくれるのだろうか。
愛嬌のかけらもないような、ぶすっとした顔をしているくせに。
お礼しようとしているのなら、気持ちは嬉しいけど、でも、
「ごめん、あたし、走れないんだ。というか歩くのも精一杯。だから、骨はまた今度ね」
そういうと、なんとはなしに海へと視線を向けた。
陽光を反射して、小さな波がきらきらと輝いている。
普段となんら変わらぬ美しい風景を見ていると、たったいまあんな凄い地震があったなんて、とても信じられない。
不安を追い払おうと、綺麗な海に視線を向けたのではあるが、しかしその気持ちはこれっぽっちも解消されることはなかった。
視線を戻すと、シロノラの姿はいつの間にか消えていた。
一人っきりになった来夢の頭の中を、よりいっそう、不安な気持ちが強く支配していた。
家、大丈夫だろうか。
自分の家はおそらく大丈夫だとは思うけど、無事であることを確認したわけではないし、なによりも隣町にある祖父宅が特に心配であった。
築年数の相当に経過した、いわゆるボロ家であるからだ。
そして先ほど、地震のために一部が崩れ落ちたボロ家を見てしまったためだ。
祖父母に義兄、姉に甥と姪、住んでいる者もたくさんいるし、義兄以外は現在全員が家にいてもおかしくない。
来夢は後悔していた。
老女の自動車に、素直に乗せてもらえばよかった。
そもそも、ジョギングなんか明日からにしておけばよかった。
早く、家に帰らないと。
今日は家にお母さんがいる。
家が無事なことを確認したら、職場のお父さん、それとおじいちゃんの家に電話をしないと。もうとっくにお母さんが、確認してるかも知れないけど。
それが済んだら後は、どこ遊びに行ってるのか分からないけど弟の無事も確認しないとな。病院に行くのは、それからだ。
早足で歩こうとしたところ、ズキズキと足が痛み、来夢は顔をしかめた。
今日は色々と、無茶をし過ぎてしまった。
ここまでジョギングで走ってくるだけでも、相当な足の負担であったというのに。
走るどころか早歩きすら出来ない自分の足の状態が、どうにももどかしかった。
来夢はきらきら小波の輝く海に背を向け、足を引きずるように、河口の川沿いの道を、ゆっくりと歩き始めた。
ただ、家族みんなの無事を祈りながら。
2
二〇一一年三月十一日に、東北と関東とを襲った巨大地震。
近年の我が国において、これほどの被害を国民にもたらした震災は他にないだろう。
マグニチュード九・〇。
最大震度七。
震災による直接の被害だけを取り上げても、後世に残る、想像を絶する規模のものであるというのに、それだけにとどまらず、原発事故による放射性物質の汚染や、景気低迷により不安定であった日本の経済をさらに傾ける大きな元凶となったのであるから。
経済においては、近いか遠いかは分からないがいずれは復興し、日本に再び輝きの戻る日も来るのであろう。
しかし、語るまでもないことではあるが、失われた人命は二度と戻って来ることはない。
この震災による死者の数は、一万人を遥かに超えるものであった。
それだけを考えても、いかに未曾有の災害に人類が襲われたのかが分かるだろう。
死亡者の、その死因に目を向けると特徴的であるのが、十六年前にやはり国民に大打撃を与えた阪神淡路大震災と比べ、建物倒壊による者があまりいないということ。
そのほとんどが、地震にまだ怯える人々を容赦なく襲い飲み込んだ、津波によるものであった。
防災上の想定が甘かったといわれればそれまでかも知れないが、とにかく人間の想定を遥かに超えた大津波が発生し、海岸付近にあるありとあらゆるものを押し流したのである。
宮城県東松島市も、震災による大きな被害を受けたところである。
なにしろその死亡者の数が実に驚異的で、千人を超えているのであるから。
これは震災における死亡者全体の、なんと十数分の一を占める人数であった。
市内の全住宅の、三分の二以上が全半壊の損害を受け、せっかく生き残った者たちも相当な人数が、住み慣れた住居を追われるという絶望を味わうことになった。
ある者は転出して生活拠点を他所に求め、ある者は小学校などを利用した避難所での生活を余儀なくされた。仮設住宅の設置が検討されているが、遅々として進んでいない。
産業の活性化など、市の復興の兆しの兆しさえ感じられるのであれば、もう少し市民の顔にも笑顔が見られたかも知れない。しかし現実として、住居のみならず生産基盤も大打撃を受けており、市民はどこにも希望を見出せない状態であった。
漁業は養殖や加工の施設が流され、農地は塩害で作物を育てることが難しくなり、産業は一気に後退。
当然、観光客を招くどころではない。
これでどうやって、希望を持てというのであろうか。
しかし、すべては生き残ることが出来たからこその苦悩であり、生き残ることが出来たからこその絶望であり、生き残ったからには前を向き、生き続けていくしかなかった。
自分、家族のため、そして、死んでいった者たちのためにも。
3
―― ××新聞日曜版に掲載された、東松島市に住むある母親の手記 ――
毎日、家の電話が鳴るたびに、私の心臓はドキリと跳ね上がった。
その都度、確実に寿命が減ったと思う。
その都度、ぷるぷると震える手で、受話器を掴み、取る。
正直、取るのが怖い。
でもそれは、希望をもたらす電話であるのかも知れない。
鳴って欲しい。早く。
でも、鳴るのが、そして受話器を取るのが怖い。
私の中で、そんな相反する気持ちが一切の矛盾なく存在していた。
そんな気の抜けない状況も、いつまでも続くと疲れてしまう。
いつしか、希望する結果のみを切実に願い求めるというよりは、とにかく、ただ、事実をはっきりさせ、楽になりたいという、そんな気持ちにもなっていた。
そんな冷徹な自分を、殴り殺してやりたいとも思いながら。
自分に対して色々と支離滅裂な言い訳をしながら、ひたすら、電話を待った。
三月二十五日、もう日も暮れかけていた頃、また電話が鳴った。
そして、ついにその時は訪れたのである。
溺死。
震災後、行方不明のままであった私達の娘が、溺死体となって発見された。
その連絡を受けたのだ。
未曾有の大地震の発生から、ちょうど二週間後のことだった。
娘が見付かったのは、川の、瓦礫の中とのこと。
津波による行方不明者を探すため、川の水を抜いて、川底の瓦礫を除去するという大々的な作業を実施していたらしいのであるが、その最中に、娘の死体は発見された。
ここで、頭が真っ白になるのが普通かも知れない。
しかし私は、ああ、ようやく、見つかったのだな、と、何故だか冷静に受け止めることが出来ていた。
もちろん気が狂いそうでもあったけれども、その半面で、そう冷静に考えている自分がいるのは確かだった。
ずっと冷たく暗い川の底で誰にも発見されず、さぞかし淋しかっただろう。よく、これまで一人で頑張ったね。
そんな台詞を心の中につぶやく余裕すらあった。
二週間も、覚悟を決める時間をもらったからだろうか。
きっとそうだろう。
そうでなければ、電話で話を聞いた瞬間に、私の心臓はショックのあまり止まってしまっていただろう。
もちろん信じられないくらいのショックは受けた。悲しみに張り裂けそうではあった。同時に、むしろ見付かったということに、ほっとしている私がいた。
これ以上時間が経過すると、腐乱が進んで身元特定が困難になるという話であったし、特定の出来ない遺体は共同で、まとめて土葬にするなどという話も聞いていたから。
個別に火葬して、うちのお墓に入れてあげることが出来る。それだけでも感謝しないと。
いちいちそういう心のよりどころを見つけて悲しみを回避しようというところ、親の心理状態として最低ではないか、と思わなくもなかったが、やはり私のその考えは至極まっとうなものだと思う。
この震災を経験し、家族を亡くした経験を持つ人間の感覚としては。
その電話連絡を受けた私たちは、すぐに家族全員で安置所へと駆け付けた。
部屋に入る前、覚悟してくださいね、と係りの人に脅されるように言われた。彼らとしては、いちいち取り乱されるのが、もう鬱陶しいのだろうな。と私は思った。
異臭漂うひんやりとした部屋の中は、ごろごろと死体が寝かせられており、シーツがかけられている。
人間の死に感じていた、厳かな気配と、ここは一切無縁だった。
ここに人間の死体があるというのに、生きている人間が忙しそうに携帯電話で大声で話をしながら歩き回っているのだ。
そうなるのも当然か。二週間が経過したとはいえ、まだまだあの恐ろしい震災の渦中と言っても過言ではないのだから。これからももっともっと遺体が見つかってくるのだろう。
こちらです。と、案内してくれた係りの人がシーツをどけた。
私は、ひっと息を飲み、目を見開いていた。きっと夫も、息子も。
間違いなかった。
私の、娘に。
別人といってもいいような、すっかりと変わり果てた姿になってはいたが、それでも、私たち家族の者が見間違えるはずがなかった。
ずっと冷たい水の中に沈んでいたとはいえ、既に二週間が経過しており、さすがに腐敗が始まりかけていた。
ずっと水の中にいたため、皮膚のすぐ下にガスが貯まって、全体的に少し膨れ、そして崩れていた。
それらのため、娘はまるで別人のようになっていたのだ。
息子が、泣き崩れた。
姉が果たしてどのような姿であるか、充分に覚悟をしていただろうに、それでも抑え切れなかったのだろう。
夫は、鼻をすすった。
私は、手をぎゅっと握り締め、ただ静かに横たわる娘のその姿を見下ろしていた。
とにかくこうして、私たちは娘と二週間ぶりの対面を果たしたのだった。
もう二度と、動くことのない、娘との。
その後数日は忙しかった。
火葬、葬儀の準備をしていたためだ。
変わり果てた姿で発見された娘だけれども、でも、これまで頑張って生きてきたのは、その身体を動かしてきた心。
そしてその心は現在、その肉体を離れて、私たちとともにある。
だから、悲しむことはないのだ。
そう思い込もうとしていたくせに、火葬の際には涙が止まらなかった。
凍るような冷たい水の中に何週間も沈んでいたというのに、今度は何千度もの高温で一時間もの間焼かれている。
その残酷さに、あまりに娘が可哀相でならなかった。
焼却が終了し、お骨を、みんなで壺に入れている時、私は信じられない気持ちで一杯だった。
こんな、小さな壺の中にいるのか、と。
魂に、大きいも小さいもないことなど分かっているのに。壺が小さかろうと、そんなことはどうでもいいことなのに。
葬儀は終わったが、当然、その後も私はなにかにつけて娘のことばかり考えている。
その都度、あの日のことが頭をよぎる。
あの日、我が家のすぐ近くまで津波が押し寄せた。
家にいたのは、お店の収支計算をしていた私だけ。一時間ほど前までそこに娘もいたのだが、ちょっと外を走ってくる、と外出していたのだ。
うちは、津波の被害はそれほど受けなかった。
一階が完全に水浸しになったので、大損害ではあるが、永遠に失ったものの重さを考えればなんということはない。
隣町に住む私の義父の家も、さして被害はなかった。義母があまりの揺れにびっくりして尻餅をついて、腰の骨にひびが入ったという程度だ。
夫は、私たちの経営する海近くの飲食店で働いているところを津波に襲われたが、近くにある五階建ての雑居ビルの屋上に登って、かろうじて助かったとのことだった。
みんなの無事が確認出来て、残るは娘だけ。
しかし娘は、外出したきりいつまでも帰って来ることはなく、死亡の報を受けることもなく、一日、二日と過ぎ、そして震災から二週間後、ようやくにして発見されたのだった。
どうしてこの子だけがこんな目に。と、最初は神様を恨んだ。
ちょっと外に行ってくるね。そういって家を出る娘を、止めなかった自分を恨んだ。娘はスポーツで、足を怪我していた。だったら無茶をさせず、止めておけばよかったのだ。
もしかしたら、そのせいで津波から逃げ遅れたのかも知れないし。
すべては仕方のないこと。
そう自分を慰めては、また自分を責める毎日。
夫もきっと、似たような思いであると思う。
娘は、震災の数日前に十七歳の誕生日を迎えたばかりでした。
慣れないものでまとまりのない下手な文章ですが、もう最後です。
最後に、これを読んでくださっている方々に質問があります。
十七歳という生涯、短いと思いますか?
私は、そうは思わない。
何故ならば私は、そうではない生涯を送った女の子を、知っているから。
彼女は、娘は、精一杯生きたと思う。
親のいたらなさもあって、幸せだけの人生ではなかったかも知れない。
精一杯、悩んで、苦しんで、泣いて、楽しんで、笑って、夢を追い掛け続けて。
他の人の一生分か、それ以上に匹敵するほどの生を存分に駆け抜けたと思う。
だから娘には、その濃密な人生を終えたことに対して、お疲れ様と声をかけてあげたい。
生命の燃え尽きる最後の最後の瞬間まで、よく、必死で頑張ったね、と。
明日にはまた、私の呼吸は乱れてしまうのかも知れないけれども、今の私の気持ちとしては、それ以外に、それ以上に、娘にかけてあげられる言葉はない。
4
「黙祷」
喪章を付けた腕を後ろ手に組み、ピッチ中央で大きく輪になって並んでいた選手たちは、場内アナウンスの女性の声に、そっとまぶたを閉じた。
ベンチにいる選手や監督、スタッフ、そして客席にいる観客たちも、みな起立し、目を閉じている。
選手たちの作る輪の中で、目を閉じながらも息荒く、身体を震わせている者がいた。
いまにも泣き出してしまいそうな、それをごまかすために懸命に怒り顔を作ろうとしているような、それは、そんな表情に見えた。
神原学園、皆川純江である。
彼女は、長かった髪の毛をばっさりと切り落としており、ショートヘアーをさらにヘアバンドできっちりととめている。
数年前に神原学園に入団してからはずっと、長い髪の毛を頭頂で無造作に縛って試合に臨んでいたので、これまでとはがらりと異なる雰囲気になっていた。
彼女は今年から大学生になった。
髪を切ったこと自体は、そうした環境の変化によるもかも知れないが、しかし、彼女に対して受ける雰囲気が変わったのは、それだけが理由ではなかった。
その表情や、発する気というべきか、とにかく身体を包み込むその光の質が、去年までとはまるで違っていたのである。
未曾有の大震災から、ほぼ一ヶ月が経過した。
被害に遭い亡くなった者へ捧げる黙祷が終了すると、選手たちはピッチ上に散らばった。
二〇一一年四月十日 日曜日
チャレンジリーグEAST 第一節
神原学園 対 オベレイション十勝
会場 天童わくわくスポーツ広場第一競技場(山形県天童市)
今日からチャレンジリーグの開幕である。
神原学園の選手たちは円陣を組むと、近藤直子キャプテンの音頭のもと、叫び、気合いを入れた。
ホームゲームを隣県の山形で開催する理由であるが、塩竈市が震災により壊滅的な被害を受けたためである。
神原学園がホームスタジアムとして利用してきた塩竈市営サッカー・ラグビー場も大く損壊し、一向に修復の目処が立っていない。そのため、当面の間はホーム試合を県外の他会場を転々としながら開催する予定になっている。
慣れたスタジアムという地の理こそ生かせないものの、神原学園のホームゲームであることに違いはなく、選手たちは上下真っ赤なユニフォームに身を包んでいる。
胸には「風馬堂」の文字。ふうまどう、と読む、仙台市にある和菓子の会社だ。今期からついに神原学園にも胸スポンサーがつくようになったのである。
決定後に大震災が来たのだが、風馬堂は運よくそれほどの被害は受けず、この話は流れることはなかった。
胸スポンサーをきっかけとして、ユニフォームの基本デザインも新しくなった。
目に見える大きな変化としては、二つ。
一つは、肩や胴体側面に入っている黄色や青のライン。これまでは同じ太さの線が走っているだけであったのが、すうっと細くなって消えていくシャープな印象のものになった。
もう一つは、色である。
えんじ色から、鮮やかな朱色になった。
もともとなでしこリーグ入りを目指すことを表明していた神原学園であるが、フロントがようやく本腰を上げたようで、まずは胸スポンサー獲得を頑張ったということらしい。
クラブ名の変更や、Jリーグ入りを目指す男子クラブチームとの提携も視野に入れているとのこと。
フロントがそうした判断を下すきっかけになったのは、去年の全日本女子サッカー選手権大会での神戸SC戦。負けはしたが、日本代表を多数抱える強豪相手に終盤まで好ゲームを演じ、それが各メディアから評価されたということによるものであった。
実質のところ補填に過ぎないのかも知れないがが、今期の補強として、四人の選手が入ってきた。
神原学園同様チャレンジリーグ所属のクラブである柏レニウスからGKが一人、地元塩竈の大学を卒業したばかりの世代別代表経験のあるFWが一人、それとスクール生から昇格した現役高校生が二人。
なお、これまで長らくの間、正GKを務めていた福士紗代莉は、昨シーズンをもって引退した。
それと畠山志保、彼女はなでしこリーグのクラブに引き抜かれて、移籍を決断した。待遇の悪さはこれまでと変わらないが、より上の舞台でチャレンジしたくなったとのことだ。
もうすぐ試合開始の時刻になる。
神原学園の本日のメンバーは次の通りである。
FW 佐竹愛
FW 大友花香(新加入)
MF 大和田美紀
MF 皆川純江
MF 小向佐美江
MF 近藤直子
DF 吉田夏実(新加入)
DF 新沼明美
DF 小林美織(新加入)
DF 岩間笑子
GK 尾形にいな
リザーブ
FW 工藤香織
MF 照井郁美
MF 米田繁子
DF 鎌田百子
GK 長江朱美(新加入)
去年と比べてシステム的には同様であるが、要所要所で選手が入れ替わっている。
工藤香織がいたところに、新加入の大卒FWが入った。大友花香、大柄ながら足の速い選手で、ボールタッチも柔らかく、世代別代表に選ばれた経験もある。
皆川純江が、スターティングメンバーとして復帰した。
ボランチは、退団した畠山志保の位置に近藤直子がコンバートされた。合わなければ彼女をまたCBに戻すという選択肢もあるが、塩屋浩二監督としてはとりあえず今年はこれで進めたいとのこと。
一番大きな変化が見られるのはDFである。
四バックの半分が入れ代わったのだから。
一人はCB。近藤直子のボランチコンバートにより空いたところに今年トップ昇格したばかりの高校三年生である小林美織が入った。
もう一人は左SB。怪我空けの不調から抜け出せないでいる鎌田百子を控えに置き、小林同様に昇格組の吉田夏実が先発に。
GKは、退団した福士紗代莉に代わって、これまで控えの座に甘んじていた尾形にいながゴールを守る。
ピッチ上には既に両チーム選手たちがそれぞれの場所に広がって、主審の吹く笛の音を待っている。
右SH《サイドハーフ》の位置に付いて、膝の屈伸などをしていた皆川は、ふと周囲を見回した。
ぐるりと、青い山に囲まれている。
ほとんど高さのないスタンドであるため、風がそのままスタジアムを吹き抜けている。
塩竈とはまるで違う、四月であるというのに冷たく乾いた風だ。
芝を改めて踏み締め、スパイクを通して足の裏にその感触を確かめた。
深呼吸。
この場所を、完全なるホームスタジアムにするため 気持ちを集中させた。
主審が高く手を上げた。
笛の音が響いた。
キックオフ。
新生神原学園の戦いが、いま始まった。
5
佐竹愛は、新しい相棒である大友花香へとボールを転がした。
大友は柔らかなタッチですぐ佐竹へ戻し、前へ走り出した。
オベレイション十勝の、7番の猛烈なプレスを受けた佐竹は、くるりと反転して、後ろへボールを戻した。
しかし、ここで連係のミスが出てしまった。
戻したところに誰もおらず、プレスからそのまま走り抜けた7番に拾われてしまったのだ。
敵地ど真ん中に切り込んだ状態の7番は、そこでボールキープをして、味方の攻め上がりを待っている。
その7番の背後に、神原学園の選手がぴたりとくっついた。がつがつと当たり、手足を伸ばして、強引に奪おうとしていた。
それは、皆川純江であった。
身体を押さえ付けるように回り込もうとしたところで、主審の笛が鳴った。
皆川のファールを取られ、十勝にFKが与えられた。
「みんな、しっかり守ってこう!」
キャプテン近藤直子は、手を叩き、選手たちを鼓舞し、集中を促した。
頑張るのはいいけど純江はちょっとやり過ぎかな、とでもいいたげな近藤の表情であったが、特に注意はしなかった。
もともと皆川純江は、技術より気持ちで戦うタイプの選手であったからだろうか。ここまで鬼気迫る形相の彼女は、さすがに見たこともなかったであろうが。
皆川は、そのあまりに激しいプレーによって後半に退場することになってしまうのであるが、当然ながらいまは誰も知る由などなかった。
相手の蹴ったFKは、精度高くゴール前へと綺麗な軌跡を描いた。長身選手に頭で落とされ、そこから地面を上手く繋げられてシュートまで持っていかれてしまうが、入団三年目にしてついに初スタメンの座を掴んだGK尾形にいなが、横へ倒れながらがっちりキャッチ。神原学園は、まずはしっかりと、相手の攻撃を防いだ。
尾形にいなは、前方へ強く蹴った。
上空を強く吹く風で、少し押し戻された。
落下地点を予測し小向佐美江が入り込むが、十勝の4番の長身に競り負けてしまい、また相手ボールになってしまった。
「コース切れ!」
嫌な位置で奪われたと直感的に危機を察したか、キャプテンの近藤が怒鳴るように叫んでいた。
しかしその叫びもむなしく、神原学園に大ピンチが訪れた。
十勝の4番が、ボールを受けたその瞬間にダイレクトに蹴り上げ、前線に張っていたFWを走らせるスルーパスを出したのだ。
FWはタイミング良く神原学園守備陣から抜け出して、全力で駆け、背後から低い弾道で飛んでくるボールの軌道上に入り込んだ。
やられた。
神原学園の誰もが失点を覚悟したことであろう。
トップ昇格組のCBである小林美織が、相手の足元ばかりに注意を向けるあまり、スルーパスへの警戒をすっかり怠っていたのだ。相手は裏に抜ける駆け引きの得意な選手だと、ミーティングで散々にいわれていたというのに。
だが、そのFWへとボールが渡ることはなかった。
皆川純江が長い距離を全力で走って戻り、起動上に入り込み、大きく跳躍をしながら足を伸ばしカットしたのだ。
気合いでスルーパスを阻止したはいいが、しかしボールは跳ね上がって、ころころと転がってしまう。
皆川はすぐさまそのボールへと走り寄るが、そこを十勝の5番と8番の選手に挟み込まれてしまった。
ボールを軽く踏みながら、視線を走らせパスコースを探す皆川。
「純江!」
声の聞こえたその瞬間に、その声のほうへパスを出していた。近藤直子へと。
皆川はリターンを受けようと、囲みから飛び出した。
ここでこの二人を抜けば、前には大きなスペースがある。
先制のチャンスだ。
しかし次の瞬間、皆川は8番に襟首を掴まれて、倒されていた。
笛が鳴った。
近藤は、皆川純江に歩み寄ると、手を引っ張って起こした。
「純江、さっきのパスカット良かったよ。助かった。ありがとね。それとミオ! ああいうのもあるんだからね、九十分間一瞬たりとも気を抜くな! それがCBの最低限の仕事!」
プレーの切れたついでにキャプテンは、先ほど小林美織が裏に抜けられピンチを招きかけたシーンのことを、きつく叱った。
「はい!」
小林美織は、大柄な身体にふさわしい低い声で叫ぶように返事をした。
その後、両チームは攻めようとするもののなかなか攻め切れない、膠着した状態に陥っていた。
総合的に判断するならば、神原学園が押しているといえる。
しかし神原学園は、新加入の選手たちとの連係不足、それと昇格組二人の技術やセンスの未熟さ、そこを突かれ、先ほどのようなピンチをたびたび招いてしまっていた。
どちらのチームもゴール前まではなかなか運べないため、点の入る気配はないものの、しかしいきなりどちらかに点が入ったとしても、不思議ではなかった。
上手くいかないということであれば、そこはまずは個人の頑張りで耐えるしかないのであるが、そんな中、凄まじいまでの気迫でそれを実践し、攻守にピッチを走り回っている選手がいた。
「愛さん、かぶってる! 引き付けてっていったでしょ!」
皆川純江であった。
先輩に対しても、まるでものおじしないどころか、怒鳴るような大声を上げて指示、要求を出している。
いまも、自ら蹴り上げたクロスボールに対しての、前線選手の飛び込みかたに注文をつけていたところだ。
皆川純江は、技術的には平凡な選手である。上手な選手のたくさんいる中、気持ちで補わなければ戦えないから、だからこれまで気持ちで補い、戦っていた。
昨シーズンまでは、そうであった。
だが今シーズンが始まってみれば、彼女の言動すべて、昨年までとはまるで異なっていた。
補わなければ、ではなく、自然と熱い気持ちが沸き上がり、大きな声を出し、身体が動いていたのである。
彼女が変わるきっかけとなったのは、先月の、あの大震災であった。
震災がもたらした希望と絶望。辛く、悲しい思いも経験した。それが、彼女の意識を根本から変えることとなったのである。
この後、彼女は宮城県選抜として呼ばれ、その気迫でチームを引っ張り、国体で宮城県を優勝に導く大活躍を見せることになるのだが、それはまた別の話である。
とにかくそんな魂のこもった気迫のあるプレーを見せる皆川澄江であったが、しかしいくら気合いを入れて頑張ったところで、サッカーとは相手の存在する競技、そしてその相手は、今季に大補強を行った昇格候補の一つである。そう思う通りにいくものではなかった。
むしろ、だんだんと十勝の選手たちがゲームに慣れて調子を上げてきたことにより、反対に、神原学園は少しずつ押し込められていった。
どちらにとって悔しいことかは分からないが、とにかくスコアレスのまま前半戦は終了。
そして、後半戦へ突入した。
6
塩屋浩二監督のハーフタイムでの修正が功を奏し、神原学園は劣勢を立て直して、互角な状態へ持っていくことに成功した。
しかし、一見互角ではあるものの、決定機の数では相変わらずはっきりとした優劣がついていた。
上手くシュートで終わらせることの出来る十勝に対し、神原学園は中盤でパスは回るものの前半同様に相手ゴールまでボールを運ぶことが出来ない。中途半端なところで奪われて、カウンターを受けて冷や冷やすることもしばしば。
ただ、まだ失点はしていない。なんら焦る必要はない、はずであったのだが……
十勝の8番が、膝を崩し、芝の上に転がった。
足首を押さえ、痛そうに顔を歪め、歯を食いしばっている。
そのすぐそばには、皆川純江が横たわり、足を伸ばし、軽く上体を起こした姿勢で、時が止まったかのようにただ呆然としていた。
主審が笛を吹いた。
そして、イエローカードを高くかかげた。
皆川へと、歩み寄りながら。
前半戦に、皆川は繰り返しの違反によって一枚、警告を受けている。
次に取った主審の行動、もう確認するまでもなかった。
皆川は座り込んだまま動かず、うつろな視線で空を見上げていた。
主審は彼女に、早くピッチから立ち去るように促した。
前線へとパスを出した十勝8番へ、アフターで横からのチャージ。皆川のそのプレーは、誰も擁護出来るものではなかった。
攻める意識、点を取ろうとする意識、しいては勝とうとする意識が空回りしてしまったのだ。
それだけではない。前半に飛ばし過ぎて、ハーフタイムをむかえた時点で既に疲労困憊の状態であった。そのため、半ば意識が朦朧として、余計なファールをおかしてしまったのだ。
皆川は、悔しそうに地面を叩くと、ゆっくりと立ち上がり、天を見上げて絶叫した。
自分の、あまりのふがいなさに。
がくりとうなだれ、力抜けたように背を丸めると、ピッチを後にした。
「純江!」
佐竹愛が、そのすっかり小さくなった背中へと叫んでいた。
皆川は、振り向いた。ピッチの中から叫んでいる佐竹の姿を、見つめた。
一呼吸置いて、佐竹は続けた。
「絶対に点取るから……絶対に、勝つから! お前の思い、あたしが受け取った!」
そう佐竹は叫んでいた。
二人の作り出すその雰囲気に、スタジアムはしんと静まり返っていた。
皆川は、佐竹へと深く頭を下げた。
しかし佐竹が不屈の闘志を燃やそうとも、精神論だけでサッカーは戦えるものではなく、一人少なくなった神原学園はより押し込まれることになった。
精神論を持ち出すにしても、そうであれば一人多い十勝のほうが精神的に有利であり、選手たちはますます躍動し、いつか必ず入るであろう得点を信じて悠々とパスを回し始めていた。
その劣勢を撃ち破るべく、後半二十分に、神原学園は今日最初の選手交代をした。
小向佐美江 アウト
米田繁子 イン
退場者が出た以上は、前線の一人を下げて欠けたポジションの補填をするのがセオリーかも知れないが、塩屋浩二監督はここで勝負に出た。小向佐美江を下げて近藤直子のワンボランチとし、その分というべきか退場した右SHという攻撃的な位置に守備的な選手である米田繁子を投入したのである。
その結果、まず近藤直子が、いつ過労死するか分からないほど膨大に、仕事と緊張の量が増えた。
そして、もう一つ。全体的に、ボールがよく回るようになったのである。
相乗効果として前線にボールが収まるようになり、段々と、近藤の守備負担も軽くなっていった。
十勝の選手たちが、慌てながらも声を飛ばし合い、なんとか自分たちで修正をはかっている。
整えられる前に、と神原学園の選手たちは、誰からともなく攻勢を強めていた。
少しずつ、十勝がまた勢いを盛り返してきていたが、もう試合は終盤、神原学園の選手たちは攻撃は防御とばかりになおも攻め続けた。
そしてついに、その時は訪れたのである。
パスカットに成功した近藤直子は、相手のすっかり間延びした陣形の中へとドリブルで躍り込んだ。8番の選手が一人で、前へのパスコースを巧みに塞ぎながら走り、向かってきたが、近藤は引き付けてかわすと左サイドへとボールを転がした。
予期し走り出していた左SHの大和田美紀は、ほぼトップスピードの状態でそれを受け、続く相手のスライディングタックルを軽く跳躍してかわし、完全にサイドを切り裂いた。
そして、クロス。
ゴール前には神原学園FWの佐竹愛と大友花香、そして十勝のDF二人とGK。
大友がボール目掛けて跳躍し、GKと競り合った。
GKは、大友の巨体とぶつかって、キャッチしそこねてボールが跳ね上がった。
その落ちるところへと、佐竹がすっと走り込んでいた。
相手に引っ張られ、倒れ込みながら、ボールに頭を叩き付けていた。
ゴールネットが、揺れた。
それは試合終了直前の、先制ゴールであった。
佐竹は立ち上がり、自分が決めたことを知ると、飛び上がって喜んだ。
同時に、試合終了の笛が鳴った。
開幕戦、一人少ない神原学園が、劇的ゴールでオベレイション十勝をくだした瞬間であった。
「やったあ」
大友花香が、佐竹愛に抱き着いた。
大和田美紀が走り寄ってきて、佐竹の髪の毛をくしゃくしゃに掻き回しつつ、もう片方の手で大きな鼻を摘んだ。
「いてて、くそ、なんでどいつもこいつもあたしの鼻を摘むんだよ!」
大きくて目立つからである。
佐竹は反撃に出て、大和田にヘッドロック、大友には地獄突きで、群がる地獄の亡者どもを蹴散らすと、退場によりベンチにいる皆川純江へと視線を向けた。
ガッツポーズを作り、そして笑顔を贈った。一緒に勝利を掴み取った、大切な仲間へと。
でも皆川澄江は、そんな佐竹の姿をまったく見てはいなかった。
何故ならば皆川は、ベンチで突っ立ったまま、天を見上げて、泣いていたのである。
「大丈夫……大丈夫だから……」
すすりあげるような声で、そう、何度も繰り返しながら。
神原学園は、心配いらない。大丈夫だ。
これから、どんどん、強くなる。
自分ももっともっと頑張って、絶対に一部に上げて、代表をどんどん排出するような、そんなクラブにするんだ。
自分自身はなでしこに呼ばれるような、才能のある選手なんかじゃないけど、でも、クラブを育てて、選手を育てて、そこからどんどん、送り出すんだ。
そんな、夢への第一歩を自分が踏み出したことを確信した、嬉しい勝利であるはずなのに、何故だか涙が止まらなかった。
7
大沢隆之は、ぎしぎしと軋む、ところどころペンキの剥げた金属製の階段をゆっくりとゆっくりと上った。
自分の二倍は体重があろうかという、しかもカップルが、この二階には住んでいるので心配する必要などはないのだろうが、乱暴に駆け上がったりすると実は階段が腐っていて抜けてしまったりしないかが気になって。
二階通路に並ぶ四つの扉のうち、一番手前のドアノブの鍵穴に鍵を差し込んだ。
扉を開いたその瞬間に、なんともいえないカビ臭さが漂ってきた。
ここへの入居にあたって、以前の家での荷物は大半を処分してしまったので、部屋は実に簡素でほとんど物はないのだが、拭い切れない長年の歴史が壁や空気にじっとりと染み込んで、嗅覚を刺激するのである。
ここは大沢栄吉と隆之の親子が暮らしている木造アパートだ。築四十年は経とうかというある種の歴史的建造物で、しかしながらというべきか、だからこそというべきか、家賃は三万九千円という破格の安さであった。
隆之は靴を脱ぎ、部屋に入ると、学校制服のブレザーを脱いで、壁のハンガーに掛けた。
下校時に母の入院先の病院に寄って、その帰りである。
明日と明後日はアルバイトの予定が入っているため、今日はその分たっぷりと会ってきた。
今日も母、咲子の状態は良かった。自分で上体を起こして、長話が出来るほどに。
治療そのものが、順調であるためだ。
順調、といっても、現在の医療では完治させること自体は不可能といわれている。しかしながら、一時期すっかり衰弱しきっていた体力が投薬などによりかなり回復してきており、今後の医療技術発達を焦らずに期待して待てる状態であるといえた。
実際、海外では既にマウスを使った実験で治療に成功しており、特効薬の完成も時間の問題といわれているらしい。
生きれば生きるほど、希望が広がる。以前に、主治医がいっていた通りの状況になりそうであった。
隆之は現在、都立高校に通っており、今月に三年生に進級したばかりである。
特に東北のイントネーションをからかわれたことなどはないが、でもやはり転校生ということでなんとも窮屈な思いを感じていた。それが、新学年になってクラス編制がシャッフルされたことで、ようやく気分が楽になった。
まだ友達といえるかは分からないが、仲の良い者も少しずつ増えてきた。
部活動は、どこにも所属していない。
咲子は部活を含めて学校生活を楽しめなどというが、アルバイトもあるし、それどころではないからだ。
どちらにしても、部活に入ったところでこの一学期で三年生はみんな引退してしまうのだし。
東京に、自分はいつまで住むことになるのだろうか。
ふと、そう考えてしまうことがある。
少なくとも、東松島に戻ることはないだろう。
戻ろうにも戻る家がないからだ。
ここにくる前に住んでいた家は、引っ越しをした二ヶ月後に発生した大震災により半壊、そして土地そのものも津波による塩害にあって、住もうにも住めない状態になり、先日、完全に売り払った。
不動産屋の提示する買い値があまりに安すぎたのでしばらく保留にしてしまっていたことを、父は後悔していた。
引っ越しをすると同時にすぐに売っていれば、幾らかかの金にはなったのに、結局、価値が下がったどころか家屋の処分などでマイナスになってしまったからである。
でも、隆之は、別にそれで良かったと思っている。
自分に一生忘れないような思い出を様々作ってくれたあの家に、感謝をしているからである。
余計生活は厳しくなって、アルバイトをしなければならないほどだけど。
ここの生活でも変わらず、食事は基本自炊。
父と隆之との当番制で、今週は隆之の担当である。
その準備にかかろうかと思い、部屋着へ着替えようとワイシャツを脱ぎかけたところ、呼び出しのチャイムが鳴った。
玄関のドアを開けると、そこには白いヘルメットをかぶった中年の男が立っていた。
「郵便です」
ひとの良さそうな雰囲気の中年の男はそういうと、手にしている白い封筒を見せた。
それは、一度水浸しになったものを乾かしたかのように、歪み、汚れていた。
「これ、おおさわさん、って読むんですよね。大きいに沢。住所も、これ、ここで、合っている、はずですよね?」
郵便配達員とは思えない自信の感じられない態度で、あて先の掠れた文字を読み上げた。
封筒に書かれた字が、ところどころ薄くなって、消えてしまっているためだ。
どくん。
その封筒を、覗き込むように見た瞬間、隆之の心臓は、大きく跳ね上がっていた。
思わず唾を飲み込もうとしていたが、一瞬にして舌の先から喉の奥まで乾いてしまっていたようで、つっかかってしまってなかなか飲み込めなかった。
「差出人は?」
おずおずと、隆之は尋ねた。
これがなんの手紙であるのか、おおよその見当はついていたが、まだその確証がなかったから。
「あ、はい、|広|《ひろ》頼《より》さん? または、広瀬さん、かな。住所は松と市だけで後は消えちゃってますけど、これは東松島市で投函された分です。知ってます? 宮城県東松島市」
「はい。そこに、住んでましたから。それ、広瀬です。ぼく宛て、だと思います」
「それなら間違いなさそうですね。ああ、よかった。大震災の津波で、被災地のポストがやられちゃって、回収された中から、グチャグチャになった手紙でもなるべく届けるようにしているんですが、この通りあて先が掠れて消えちゃったりしてて、間違って届けてしまうわけにもいかないので、色々とお尋ねしたんですよ。では、どうぞ」
配達員は手紙を差し出した。
隆之は軽く頭を下げると、手を伸ばした。
その手がぶるぶると震えてしまい、落としてしまいそうで不安だったので、もう片方の手も出して、両手でしっかりと封筒を受け取った。
「あ、それ、消印は四月十七になっちゃってますけど、間違いなく三月十一日に投函されたものですから」
配達員は、そう念を押した。
「分かりました。どうも、ありがとうございます」
隆之はそういうと、今度は深く、頭を下げた。
ドアを閉めると、隆之は鍵もかけ忘れ、部屋のどこかにあるはずのハサミを探し始めた。
普段ならば手紙など手で破って開封する性分だが、この手紙だけは、そのような真似は出来なかったから。
床の上、雑誌に隠れるようにハサミが落ちていた。
それを拾うと、刃を封筒に当てた。
隆之の呼吸は、いつしかすっかり荒くなっていた。
いまにも気を失って倒れてしまいそうなほどに。
手の震えるのをなんとかなだめながら、ハサミで封筒の上辺を切り取っていった。
開くと、その中に便箋が入っているのが見えた。
封筒の内側と、中の便箋とがへばりついていたが、ハサミの先端を突き入れるとぺりぺりと剥がれた。
便箋を取り出すと、両手でゆっくりと広げた。
ず、と鼻をすすった。
封筒表面とは違って、中に入っていた手紙の文字自体は、にじんではいるもののはっきりと読み取ることが出来た。
一目見た限り、やはり内容は隆之の予想していた通りのものであった。
隆之は、床にぺたんと座り込んだままの姿勢で、それを読み始めた。
いつの間にか、頬を涙が伝っていた。
指で、そっと拭った。
鼻をすする。
読み進めていく中、ちょっと淋しげに、でも楽しそうに、笑った。
表情は笑顔であったが、しかし目からは、涙がどんどん溢れ、ぼろぼろとこぼれ落ちていた。
でももう、気にもとめず、こぼれるがままにまかせていた。
あまりに、きりがないから。
そして、自分の気持ちを否定したくなかったから。
いつしか喉の奥から、呻くような声を漏らしていた。
その手紙を拝むように顔に押し当てたまま、叩きつけるような勢いで床に伏せた。
あっ、としゃくり上げるような声が漏れていた。
自分の身体のことなのに、それを止めることが出来なかった。
泣き崩れていた。
どこへもやり場のないこの感情を制御出来ずに、ただ床をかきむしるように泣き声を上げていた。
ぼろぼろと涙をこぼし、呻き声を漏らし、声を詰まらせ、ぐしゃぐしゃになった顔で、隆之はいつまでもむせび泣いていた。
8
普通、どんな言葉づかいで書くものなんだろう。こういう手紙って。
なんだかグダグダな文面になりそうなこと、はじめに断っておきます。なにとぞお許し下さい。
誕生日のプレゼント、どうもありがとうございました。
練習(筋トレばかりだけど)から帰ってきたら、届いていて、びっくりしました。
馬蹄のペンダント、後から友達に聞いてみたら、夢を叶えるって意味があるんだね。
とっても、嬉しかったです。というか、私が無知すぎて、その価値に気付かないところでした。
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あ、どうだろう。センスないからなー、私。
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ユニフォームにはそのスポンサー名が入るだけじゃなく、新デザインになるとのことです。
今年から本格的になでしこリーグ入りに向けて動くという話だし、頑張らないと。
私は、まずは怪我をしっかり治すことからかな。
あとは、もうあんな怪我をしない体作り。
痛みにボロボロ涙流して泣いたからね、あの時は。
おかげでもう三ヶ月近くもボールを蹴っていないから、身体がうずうずしちゃって仕方ないです。もう少ししたらジョギングから始めてもいいってお医者さんから言われているけれど。
新加入選手は、まったくといっていいほど私とはポジションはかぶらないけれど、でも油断なんかしていられない。
右サイドにはミナガワスミエという最大のライバルがいるから。
話したことあったっけ? 純江ちゃんのこと。
私の顔におもいきりパンチしてきたことのある、すっごい嫌な奴。
でもいまは、さいっこうに仲のいい親友。学年は向こうが一つ上だけど。ま、精神年齢は一緒、いやいや向こうのほうが子供かな。
っと、純江の話なんかどうでもいいのじゃ。
学年といえば、そうそう、忘れちゃいけないのがこの間の期末テストですよ。
私ね、なんと学年で7番になったんだよ。
すごいでしょ。
自分でも信じられないよ。
やれば出来るんだな、って自信になるよね。サッカーに関してもさ。
話かわるけど、おばさんのこと。
昨日、お母さんから聞いた。おばさん、体調よくなって、よかったね。
絶対に絶対に、病気治してもらおうね。
まずは気持ちから元気になってもらわないと。だからネガティブなこと言ったりなんかしたら駄目だからね。
なんか辛いことあったら顔で笑って心で泣け。これ、私からの命令。
私も、オフの日程が合うか、それか遠征でそっちのほうに行くことがあったら、お見舞いに行くから。
いまはお互い頑張って治そう、って言っといてね。
ええと、あまり書きすぎても、会った時に話すことがなくなっちゃうので、とりあえずこのへんにしときます。
早く、会いたいです。
今度はさ、ディズニーランド連れていってよね。絶対。
それじゃ、またね。
ター君
うわああああ、つい書いちゃったよおおお!! この呼び名
ボールペンだから消せないいい!!
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