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第3章 高平陵の変
第12話 重門
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蔡甘は王平に深々と一礼をすると、胸を張って即座に幕舎を飛び出した。
これで、誰も撤退を口に出すことは無い。
はっきりと、自分が死と隣り合わせに生きていることを、誰もが理解した。
将来を見込んで、自ら育て上げた将であったが、王平はあえてその蔡甘を殺すことを選んだ。
そうでもしないと、漢中は守れない。しかし、この死で、漢中は絶対に破られない要塞へ変化したのだ。
「胡済」
「ここに」
「お前の考える、全体的な戦略を申してみよ」
「はっ」
胡済は前に進み出ると、漢中及びその周辺が克明に描かれた地図に歩み寄る。
「現実問題、いくら漢中が堅固とはいえ、兵力差があまりにも開いています。そこで、要所であるこの漢中城を放棄。その背後にある漢城・楽城は互いに連携も出来るので寡兵でも守りやすいかと。この二城を守って援軍を待ち、漢中城および、漢中の全域を取り戻すのが最善の策かと」
「なるほど……だが、一時的とはいえ、漢中城を取られるのはまずい。未だ漢中の民は避難しておらず、農作もよく実ったままだ。魏軍にそれを奪われれば、兵糧の補填とされてしまうだろう」
大軍の最も弱点となるものは、何といっても兵糧である。
兵糧が少なくなれば、どんなに優勢でも、軍は退却せざるを得ない。
ただ、漢中に入られてしまえば、その弱点を突けなくなってしまう。
「されど、前に出て防衛を行い兵を損なえば、漢中を保つのは難しいかと。戦線を成都の手前である『剣閣』にまで後退せざるを得ません」
「いや、漢中はそれほど脆くはない。今こそ『重門』の真価を問う時だ」
かつてこの漢中は、呉懿が治めるよりも前に、魏延という将軍が治めていた。
先帝の劉備から直々に抜擢を受けた名将であり、五虎将軍と称された蜀を代表する五人の将軍、彼らの亡き蜀軍を一人で支えた、勇猛果敢な大将軍である。
戦の上手い将軍であったが、漢中を軍事拠点として作り上げる程の、高い統治手腕も持っていた。
その代表ともいえるのが「重門」と呼ばれる、決して敵を漢中に入れない様に考案された防衛方法である。
漢中は益州への出入り口であり、その周辺を険しき山岳に囲まれている。
この山々に幾重もの罠や砦を築き、強固な防衛線としたのだ。
「興勢山を、決戦の地とする。その命、この戦で失うと心得よ」
王平は剣を抜き、高らかに宣言した。
蒋琬の危篤に伴い、成都からフ城へと駆けつけたばかりであったが、その後すぐに魏軍が蜀討伐の軍を発足。
主力軍を直ちに各地から終結させ、精鋭三万を連れて、姜維はフ城を飛び出した。
危篤の蒋琬に代わって、フ城一帯の統治は陳祇に預けている。
姜維の唯一の親友であり、政務に関して言えば、陳祇に任せていれば安心であった。
「昼夜を問わず急げば、予定より一日早く漢中へ到達します」
「いや、戦の前だ、無理はしない。予定の日時丁度に漢中へ着くようにする」
「しかし、王平将軍の守備兵は二万、魏軍は十五万。急いだ方がよろしいのでは」
顔に焦りの色が浮かんでいるのは、校尉の蒋斌である。
最近はいつも近くに蒋斌を付けていた。
将来を有望視しているというのもあるが、近頃はどこか生き急いでいる振る舞いが多く、危なっかしいからというのが大きい。
というのも、同僚である傅僉が、誰よりも早く将軍へと昇進したのである。
先の北伐での功績は、見事という他無い大活躍であった。
姜維旗下の騎馬隊の先頭を駆けて、陳泰の軍を大きく切り崩した。
また、鄧艾の軍に断ち割られた廖化軍の救援に逸早く駆けつけたのも、傅僉だった。
この成長ぶりは姜維すら予想していない所であり、当の本人ですら、無我夢中で全く覚えていないというのだ。
その勇猛さは極めて非凡であった。戦で無心になる事を掴んだ瞬間から、その才覚が一気に飛躍したといえる。
さらにその人間性も謙虚で人当たりが良く、兵からの信頼も厚い。将軍への昇格も、誰も反対する者は居なかった。
少し前まではただの兵隊長であった青年が、一気に将軍まで駆け上がった。
最も将来を渇望されていた蒋斌が、誰よりも焦りを覚えたのも無理はない話である。
「王平将軍が守ると言ったのだ。ならば、守れる」
不安気な蒋斌をよそに、姜維はゆらゆらと馬に揺られていた。
これから戦に出るとは思えない落ち着き様である。
まだ、少し離れた街へ出かけると言った方がしっくりくるだろう。
「あれは、将軍、早馬で御座います」
蒋斌の指の先、柳起の配下の者であった。
「物見で御座いますっ」
「どうした」
「蔡甘将軍が千の兵を率いて魏軍の正面より突撃。郭淮軍と七度も激戦を繰り返した末、討死なされました」
「被害は」
「全滅。一人も、生きて帰った者は御座いません」
「王平将軍は、どうなされている」
「全軍にその戦況を克明に伝えました。漢中守備軍の士気は、魏軍十五万を凌ぐほどです」
「分かった。何かあればすぐに伝えよ」
「はっ」
確か蔡甘は、王平自ら育て上げていた、勇猛な若き将軍であったはずである。
それを、自ら手放した。
どこまでも軍人気質な王平らしい、冷酷な判断である。
しかし、この蔡甘の死は大きい。
間違いなく勝てる。
王平はこの戦で、大いに魏軍を叩くつもりである事が分かった。
曹爽の首を取る。この一戦は、そう言った意味合いが込められていると言って良い。
「傅僉を呼べ」
旗下の一人に命じる。
軍の後方より、一層精悍な体格となった傅僉が駆け寄ってきた。
これで、誰も撤退を口に出すことは無い。
はっきりと、自分が死と隣り合わせに生きていることを、誰もが理解した。
将来を見込んで、自ら育て上げた将であったが、王平はあえてその蔡甘を殺すことを選んだ。
そうでもしないと、漢中は守れない。しかし、この死で、漢中は絶対に破られない要塞へ変化したのだ。
「胡済」
「ここに」
「お前の考える、全体的な戦略を申してみよ」
「はっ」
胡済は前に進み出ると、漢中及びその周辺が克明に描かれた地図に歩み寄る。
「現実問題、いくら漢中が堅固とはいえ、兵力差があまりにも開いています。そこで、要所であるこの漢中城を放棄。その背後にある漢城・楽城は互いに連携も出来るので寡兵でも守りやすいかと。この二城を守って援軍を待ち、漢中城および、漢中の全域を取り戻すのが最善の策かと」
「なるほど……だが、一時的とはいえ、漢中城を取られるのはまずい。未だ漢中の民は避難しておらず、農作もよく実ったままだ。魏軍にそれを奪われれば、兵糧の補填とされてしまうだろう」
大軍の最も弱点となるものは、何といっても兵糧である。
兵糧が少なくなれば、どんなに優勢でも、軍は退却せざるを得ない。
ただ、漢中に入られてしまえば、その弱点を突けなくなってしまう。
「されど、前に出て防衛を行い兵を損なえば、漢中を保つのは難しいかと。戦線を成都の手前である『剣閣』にまで後退せざるを得ません」
「いや、漢中はそれほど脆くはない。今こそ『重門』の真価を問う時だ」
かつてこの漢中は、呉懿が治めるよりも前に、魏延という将軍が治めていた。
先帝の劉備から直々に抜擢を受けた名将であり、五虎将軍と称された蜀を代表する五人の将軍、彼らの亡き蜀軍を一人で支えた、勇猛果敢な大将軍である。
戦の上手い将軍であったが、漢中を軍事拠点として作り上げる程の、高い統治手腕も持っていた。
その代表ともいえるのが「重門」と呼ばれる、決して敵を漢中に入れない様に考案された防衛方法である。
漢中は益州への出入り口であり、その周辺を険しき山岳に囲まれている。
この山々に幾重もの罠や砦を築き、強固な防衛線としたのだ。
「興勢山を、決戦の地とする。その命、この戦で失うと心得よ」
王平は剣を抜き、高らかに宣言した。
蒋琬の危篤に伴い、成都からフ城へと駆けつけたばかりであったが、その後すぐに魏軍が蜀討伐の軍を発足。
主力軍を直ちに各地から終結させ、精鋭三万を連れて、姜維はフ城を飛び出した。
危篤の蒋琬に代わって、フ城一帯の統治は陳祇に預けている。
姜維の唯一の親友であり、政務に関して言えば、陳祇に任せていれば安心であった。
「昼夜を問わず急げば、予定より一日早く漢中へ到達します」
「いや、戦の前だ、無理はしない。予定の日時丁度に漢中へ着くようにする」
「しかし、王平将軍の守備兵は二万、魏軍は十五万。急いだ方がよろしいのでは」
顔に焦りの色が浮かんでいるのは、校尉の蒋斌である。
最近はいつも近くに蒋斌を付けていた。
将来を有望視しているというのもあるが、近頃はどこか生き急いでいる振る舞いが多く、危なっかしいからというのが大きい。
というのも、同僚である傅僉が、誰よりも早く将軍へと昇進したのである。
先の北伐での功績は、見事という他無い大活躍であった。
姜維旗下の騎馬隊の先頭を駆けて、陳泰の軍を大きく切り崩した。
また、鄧艾の軍に断ち割られた廖化軍の救援に逸早く駆けつけたのも、傅僉だった。
この成長ぶりは姜維すら予想していない所であり、当の本人ですら、無我夢中で全く覚えていないというのだ。
その勇猛さは極めて非凡であった。戦で無心になる事を掴んだ瞬間から、その才覚が一気に飛躍したといえる。
さらにその人間性も謙虚で人当たりが良く、兵からの信頼も厚い。将軍への昇格も、誰も反対する者は居なかった。
少し前まではただの兵隊長であった青年が、一気に将軍まで駆け上がった。
最も将来を渇望されていた蒋斌が、誰よりも焦りを覚えたのも無理はない話である。
「王平将軍が守ると言ったのだ。ならば、守れる」
不安気な蒋斌をよそに、姜維はゆらゆらと馬に揺られていた。
これから戦に出るとは思えない落ち着き様である。
まだ、少し離れた街へ出かけると言った方がしっくりくるだろう。
「あれは、将軍、早馬で御座います」
蒋斌の指の先、柳起の配下の者であった。
「物見で御座いますっ」
「どうした」
「蔡甘将軍が千の兵を率いて魏軍の正面より突撃。郭淮軍と七度も激戦を繰り返した末、討死なされました」
「被害は」
「全滅。一人も、生きて帰った者は御座いません」
「王平将軍は、どうなされている」
「全軍にその戦況を克明に伝えました。漢中守備軍の士気は、魏軍十五万を凌ぐほどです」
「分かった。何かあればすぐに伝えよ」
「はっ」
確か蔡甘は、王平自ら育て上げていた、勇猛な若き将軍であったはずである。
それを、自ら手放した。
どこまでも軍人気質な王平らしい、冷酷な判断である。
しかし、この蔡甘の死は大きい。
間違いなく勝てる。
王平はこの戦で、大いに魏軍を叩くつもりである事が分かった。
曹爽の首を取る。この一戦は、そう言った意味合いが込められていると言って良い。
「傅僉を呼べ」
旗下の一人に命じる。
軍の後方より、一層精悍な体格となった傅僉が駆け寄ってきた。
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