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皇弟と月夜

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 月を眺めるのはある種ディアナの習慣と言える。
 今日もテラスに出て、ディアナは空に浮かぶ月を眺めていた。
 
 ディアナがウィクトル帝国に来た時には満ちていた月も今ではもう半分を切っている。

「今日も良い月ですね、ディアナ嬢」

 そして彼は、現れる時はいつでもそう言った。

「お暇なんですね、皇弟殿下」
「ディアナ嬢はつれないですね。ユージンと呼んでくださいと言っているのに」

 あの満月の日に現れたユージンは、なぜかあの後も時々やってくる。
 毎回、夜の月明かりの中、あの大木に。

「いったいなぜ私に構うのでしょう?」
「以前も申し上げたでしょう? 麗しの花はいつでも愛でていたいものなのですよ」

 相変わらずユージンの真意がディアナには見えなかった。
 何の目的もないとは思えないが、しかしユージンは三日に一度くらい訪れながらいつもたわいない話をして帰っていく。
 何も話すことなくお互いが月を眺めているだけの時すらあった。

「女神ルナリアは我が国の混乱を救ってくれると思いますか?」
「混乱……ですか?」
「そうです」

 ウィクトル帝国の混乱といえばイーサンの乱心だろうか。
 誰がどう見てもイーサンのフィリアに対する執着は普通ではないから。
 そして、日に日に政務すら滞ってきていることを考えると、少なくともイーサンの中で何かが起こっていることは確かだった。

「女神様にとっては私たちの混乱などさまつなものでは?」
「慈悲深き女神ルナリアは、彼女のたなごころの上に住まう我々を救ってくれる存在でしょう?」

 ユージンの言葉に、ディアナは開きかけた口を一瞬閉じた。

 女神ルナリアは慈悲深き存在か。

「女神様にしろ神様にしろ、尊き存在が必ずしも慈悲深いと思いますか?」
「それは……女神の愛し子たるフォルトゥーナの王女とは思えない発言ですね」

 月を眺めながら言ったディアナの横顔にユージンの視線が注がれる。

『女神の愛し子』……たしかに、女神は愛し子をそれはそれは大切にする。
 ある種偏愛といえるくらいに。
 でもそれは、ディアナには当てはまらない。

「皇弟殿下、あなたの目的はいったいなんでしょう?」
「目的ですか?」
「ええ。あなたが何の意味もなく私の元に訪れるとは思えませんわ。いい加減その理由をお聞かせいただいてもいいのでは?」

 それはこの理由なき時間をこれ以上続けたくなかったからでもある。
 沈黙が苦にならない時間、それが続くのはあまり好ましくない。
 
 ……これからイーサンに嫁ぐディアナ自身のためには。

「そうですね……では一つ質問に答えていただいても?」

 大木の枝に腰掛けたユージンはその枝に右膝を立て、立てた膝に腕を乗せる。
 左足は放り出すかのように伸ばしたままだ。
 
 行儀悪い姿勢ではあるが、それが逆に堅苦しさや建前を捨てたように見えた。

「私に答えられることであれば」
「……基本的に国外の者とは婚姻を結ばないフォルトゥーナの王族が、今回はなぜ我が国との婚姻を許されたのでしょう?」

 ユージンの視線が真っ直ぐにディアナの目を射貫く。

(なぜ、知っているの?)

 フォルトゥーナの王族は自国の者とのみ結婚する。
 それは事実ではあったけれど、王族外に公表したことはない。
 
 自国民ですら知らないそのことをなぜウィクトル帝国皇弟が知っているのか。

 ディアナの背中にゾワッとしたものが駆け上る。

(私はこの男に気を許しすぎていたのかもしれない)

「何のことを仰っているのかわかりませんわ。過去にも、祖国の王族から他国に嫁いだ者はいます」

 少しだけ、声が震えたことに気づかれてしまっただろうか。

 そう思いながらディアナはユージンの顔を見た。

「過去にも?」
「ええ」

 ユージンのエメラルドの瞳がゆらめく。
 ディアナの言葉に納得したのかしていないのか。
 その瞳から読み取ることはできなかった。
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