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悪役令嬢は惑う

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親ガチャとはよく言ったものだと思う。
どこに産まれ、親がどんな人かによってその後の人生に大きく影響することを考えると、人は産まれた時から運の良さが決まっている気がした。

機能不全の家庭に育てば皺寄せは一番非力な者が被ることになる。
今時シングルマザーの家庭は珍しくないが、母がまともな人でなければ悲惨さは段違いだ。

当たり前のように母に甘えることも、人の顔色をうかがわずに思うまま振る舞うことも、物心ついた頃にはできなくなっていた。
いや、はっきり言えば許されなかった。

子どもは大人が思うよりも周りのことをよく見ている。
だから、いったいどうすれば母に疎まれないかを毎日考えていたように思う。

そして私は処世術を身につけていった。

自分の希望は胸にしまって相手の望む自分を演じ続ける。
わがままは言わず、聞き分け良く、そして隙を見せない。

普通の人以上に真面目に生活するのも、施設育ちは何かと疑われやすいせいもあった。
いじめられないためには立ち回りだって気をつけなければならない。

だから。

私は自分の中に箱を作った。
そして希望や願い、やりたいことをその箱の中にしまう。
辛いこと、悔しいこと、泣きたくなることも同様に。

その箱に厳重な鍵をつければ私は望まれる自分を演じ続けられる。

そうやって続けていくうちに、いつの間にか演じる自分もまた本当の自分となった。
今この場にいる私が嘘で塗り固められた私なわけではない。
考え方だっていろんな人とのつき合いや経験から身につけたものだ。

ただ一つ。
思うままに行動すること。

それだけが上手くできない。

そう見えるように振る舞うことはできても、無意識に、抑制しているから。

「いやですわ。私は気持ちを隠してなんかいません」

思考の海から浮上して、私はにこりと微笑むとダグラスに答えた。

「やりたいこともやっているでしょう?ダグラスだって振り回されていたではありませんか」
「例えば?」
「そうですわね……急に情報ギルドに行きたいと言い出すとか、ティミード伯爵家に突撃するとか……他にも商会の設立もしましたわね」

ね、好きに生きてるでしょう?
そう言うかのように例を挙げるけれど、ダグラスの表情は優れなかった。

「俺の知る限り、エレナ嬢には何かしらの目的があって、それに必要だと思われることに対しては積極的に行動しているように思う。しかしそれ以外のこと、特に自分の楽しみや喜びに関しての行動があまり見えてこない」

そんなことはない。
私は死にたくなかったから自分のために行動した。
たとえそれがエマのヒロインとしての物語を変えるとしても。
自分を優先したのだ。

そういう意味で、私だって十分に自己中心的なのだろう。
ダグラスが感じたという『何かしらの目的』だって、結局のところその先の自分が『生きる』という希望のためとも言えた。

私が納得していないことを感じたのかダグラスが小さく息をつく。

「エレナ嬢」

呼びかけに顔を上げた。

「俺とエレナ嬢はこれから婚約し、結婚する」

何を当たり前のことを?と思ったけれど、ダグラスが真剣な顔をしていたので黙って言葉の続きを待つ。

「結婚式の時に誓うだろう?健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、そして富める時も貧しき時も、愛し、敬い、慰め、助け、命ある限り真心を尽くすと」
「そうですわね」

ダグラスが私の方を向き、右手で私の左手をすくい上げた。

「エレナ嬢がその心にどんなものを抱えているのかはわからないが、これだけは覚えておいて欲しい。たとえどんなことがあっても、俺はきちんと向き合うと」

それは、ただ『愛する』と言われるよりも私の心に響いた。
『愛』は儚いものだ。
恋愛でも家族愛でも親愛でも、私はそれがずっと続くと信じられない。

けれど。
きちんと向き合ってくれるのなら。
私の言葉を聞いて、一緒に考えてくれるというのなら。

それはどんなに素敵なことだろう。
どんなに、安心できることだろう。

ダグラスの左手が伸びてくる。
その手が優しくそっと私の右頬に触れた。

親指の腹が頬を滑る。
私の瞳からこぼれ落ちた涙でその指がほんの少し濡れたけれど、ダグラスは何も言わなかった。
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