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けもけもの章

幸せになります

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さくらは、抱き上げたあきらの感触がみるみる変わっていくのを感じていた。その彼女の視線の先には、体毛が消え失せ肌が露出し、そして明らかにプロポーションも変わっていく光景が。

そして数十秒後には、さくらの腕の中には、柔らかそうなピンク色の肌をした<人間の赤ん坊>が抱かれていたのだった。

「人狼……」

アオがそう声を漏らす。それは、洸がまぎれもなくウェアウルフであることを示す現象であった。

「やっぱり、さくらのことをお母さんだと思ってるんじゃないかな。だからさくらと同じ人間の姿を、無意識のうちにとったのかもしれない。

ウェアウルフと一緒に暮らしてた知人の話によると、どちらの姿を普段とるかは、最終的には本人次第らしいし。

その知人のところのウェアウルフは、狼の姿を選んだ実の親と長く一緒に暮らしてたからか、普段は狼として飼われてるという形をとってたけど」

ミハエルが説明してくれる。

「そっか……もし洸がそう思ってくれてるんだったら嬉しいです……」

自分の腕の中ですやすやと眠る<赤ん坊>を見るさくらの表情は、完全に<母親>のそれだった。

「洸……」

その名前を呟き、改めて存在を確かめる。

するとさくらの胸の中に、とても大きなあたたかい<かたまり>が噴き上がるのを感じた。

エンディミオンと一緒にいる時にも感じるもの。

おそらく、<母性>と呼ばれるものなのだろう。

止めどもなく溢れ出るそれに自分が満たされていく。

頬が緩んでしまって抑えが効かない。

「洸……」

何度も名前を口にしてしまう。名前を呼ぶのさえ心地いい。

「そうかあ、これが<赤ちゃんの魔力>ってやつかあ……」

うっとりと洸を見詰めるさくらの様子に、アオはしみじみと呟いた。まさに彼女の言う通りだろう。それに捕らえられた者はこうなってしまうのだ。

『なぜ子供をつくるのか?』

理屈ではない。ただただそれを求めてしまうからだ。

もちろん、こうやって実際に赤ん坊に触れてもそうならない人もいる。どちらが正常でどちらが異常とかいうのは関係ない。ただそうなる人もいるというだけだ。そしてさくらはそうなる人間だったというだけである。

「洸……生まれてきてくれてありがとう……」

本当に自然とそう言えた。ただただ心から。

ミハエルは言う。

「そう言ってくれる人がいれば、もう十分に幸せだと思う。僕とアオも力になるよ。洸をこれからも幸せでいさせてあげて欲しい」

彼の言葉に、さくらも当然のように頷いていた。

「はい、エンディミオンと洸と一緒に、幸せになります」

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