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戸野上探偵事務所
ネット依存
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結論から言うと、戸野上が発見した母子の命は、本当に際どいところでつなぎ留められた。あと半日発見が遅れると間に合わなかったかもしれないと医師は言った。
母子の部屋には、食べられるものも飲むものも何もなかった。ペットボトルに水が一口分くらい残っていただけだろう。
赤ん坊も、少なくとも二日近く、乳を飲んでいないと思われた。最後に母乳を与えてから母親は意識を失い、そのままになったのだと推測された。母親の意識がまだ回復していないので事情を訊くことができないのだ。
赤ん坊の方は既に意識も取り戻し、ミルクをよく飲んでいるそうだ。こちらの方が先に退院できるだろうということだった。
しかし母親の意識が戻らず、親族とも連絡が取れない状態なので、赤ん坊は児童養護施設<もえぎ園>の方で保護することとなる。その方がむしろ戸野上としても安心だった。あちらに任せておけば大丈夫だ。
だが、母親の方は<重傷>だろう。栄養失調も深刻だったが、食事すらせずに自分の体調が尋常じゃないことさえ気付かないほど、いや、気付いていたのかもしれないがそれを後回しにしてまでネットをやらずにいられなかったのかもしれないということが<重傷>なのだ。
「ま、事情が事情だから、今回のお前の器物損壊と住居侵入はお咎めなしってことになるな」
事情を訊かれた警察署で、いかにも<しつこそうな刑事>といった風情の中年男性がそう声を掛けてきた。少年課の刑事、斉藤敬三だ。旧知の間柄どころか同じ<もえぎ園>の外部協力者に名を連ねる二人は、ある意味では歳の離れた兄弟のような存在だった。二人とも、児童養護施設<もえぎ園>の出身者だからである。
「まったく、どうしてこういうことがなくならないんですかね……」
戸野上が苦々しく吐き捨てるように言う。そんな彼に、禁煙パイプを咥えて斉藤が応えた。
「そりゃ、それ自体が<人間の業>ってもんだからだろう。生きるということだけに精力を費やせばいい野生動物と違って、人間には誘惑が多すぎる。娯楽もそうだが、価値観ってものが実に多様だ。『結婚はしない』『子供は要らない』『自分の楽しみこそ至高』なんて、生物としちゃ明らかに異常と言える価値観ってのを是認しちまう生き物だからな。
自分の命より我が子の命より、自分の<楽しみ>が優先するのさ。
けど、だからって人間としちゃそういう個体も排除できない。それは<選民思想>ってことになるからな。多様性を認めることでしか、もはや人間は生き延びられない。それを否定すれば、始まるのはおそらく殺し合いだ。
となりゃ、子供を育てられない親から子供を保護して、それができる人間で育てるって形になるだろう。
俺達自身が、そのおかげでこうして生きてるんだからよ」
母子の部屋には、食べられるものも飲むものも何もなかった。ペットボトルに水が一口分くらい残っていただけだろう。
赤ん坊も、少なくとも二日近く、乳を飲んでいないと思われた。最後に母乳を与えてから母親は意識を失い、そのままになったのだと推測された。母親の意識がまだ回復していないので事情を訊くことができないのだ。
赤ん坊の方は既に意識も取り戻し、ミルクをよく飲んでいるそうだ。こちらの方が先に退院できるだろうということだった。
しかし母親の意識が戻らず、親族とも連絡が取れない状態なので、赤ん坊は児童養護施設<もえぎ園>の方で保護することとなる。その方がむしろ戸野上としても安心だった。あちらに任せておけば大丈夫だ。
だが、母親の方は<重傷>だろう。栄養失調も深刻だったが、食事すらせずに自分の体調が尋常じゃないことさえ気付かないほど、いや、気付いていたのかもしれないがそれを後回しにしてまでネットをやらずにいられなかったのかもしれないということが<重傷>なのだ。
「ま、事情が事情だから、今回のお前の器物損壊と住居侵入はお咎めなしってことになるな」
事情を訊かれた警察署で、いかにも<しつこそうな刑事>といった風情の中年男性がそう声を掛けてきた。少年課の刑事、斉藤敬三だ。旧知の間柄どころか同じ<もえぎ園>の外部協力者に名を連ねる二人は、ある意味では歳の離れた兄弟のような存在だった。二人とも、児童養護施設<もえぎ園>の出身者だからである。
「まったく、どうしてこういうことがなくならないんですかね……」
戸野上が苦々しく吐き捨てるように言う。そんな彼に、禁煙パイプを咥えて斉藤が応えた。
「そりゃ、それ自体が<人間の業>ってもんだからだろう。生きるということだけに精力を費やせばいい野生動物と違って、人間には誘惑が多すぎる。娯楽もそうだが、価値観ってものが実に多様だ。『結婚はしない』『子供は要らない』『自分の楽しみこそ至高』なんて、生物としちゃ明らかに異常と言える価値観ってのを是認しちまう生き物だからな。
自分の命より我が子の命より、自分の<楽しみ>が優先するのさ。
けど、だからって人間としちゃそういう個体も排除できない。それは<選民思想>ってことになるからな。多様性を認めることでしか、もはや人間は生き延びられない。それを否定すれば、始まるのはおそらく殺し合いだ。
となりゃ、子供を育てられない親から子供を保護して、それができる人間で育てるって形になるだろう。
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