30 / 283
もえぎ園
存在意義
しおりを挟む
仕事中も、深夜も、牧内不動)の石田葵への意識の傾注は緩められることはない。
作業中であっても葵が「ふ…ふぇ……」と声を上げようものなら作業を放り出して駆け付け、穏やかな表情で彼女の顔を覗き込み、「どうした?」と声を掛けた。
おむつでもミルクでもなく、それでもなお不機嫌そうにしていると、彼女を自分の膝に寝かせてあやしながら作業を続けた。それはもう彼にとっては慣れたものなので、一人で作業をしている時とさほど変わらず集中できた。仕事と子供への意識の振り分けが完全に染みついているのだ。
ここに至るまでは決して容易ではなかったが、人間の能力というものはこれほどのことさえ可能にするということだろう。もちろん、彼自身に元々その適性もあったのだろうが。
深夜もそうだ。ミルクやりとおむつ替えは当然として、ぐずり始めただけでも飛び起きて、
「そうかそうか、怖い夢を見たんだな。でも大丈夫。お父さんはここにいるよ」
と彼女に柔らかく語り掛けた。そのおかげか、酷く夜泣きをするということは殆どなかった。
なお、妻の早苗もミルクの時やおむつ替えの時にはその用意を手伝ってくれる。彼女も人並み以上に世話はできるのだが、不動がやった方が明らかに子供が落ち着いているので、合理的に考えて今の形になったのである。
その代り、家事はほぼ早苗の仕事だった。彼女は、夫の不動が仕事と子供の面倒をみることに集中できるように努力をしてくれていて、不動はそれをとても感謝していた。
「ありがとう」
たとえ当たり前のことをしてくれたとしても、不動も早苗も、必ずそれを口にした。子供は親のそういう姿を見て学ぶことを知っているからである。
深夜にミルクの為に不動が起きると早苗も起きて、彼がおむつを替えている間にミルクの用意をし、それを手渡すと、彼は「ありがとう」と言った。
このやり方を奇異に思う人間もいるかもしれない。不動の彫金師としての収入だけで十分に余裕のある生活ができていて早苗は専業主婦をしているのだから、早苗にやらせるべきだと思う人間もいるかもしれない。
けれど、不動はそんな人間の言うことを一切聞き入れることはなかった。事情も知らず適性というものさえ考慮せず『妻にやらせるべきだ』と言い切る人間の言うことなど、彼にとっては何の価値もなかった。
彼は、『きちんと結婚して子供を作って日本を支え守るべきだ』と考える<もえぎ園>園長の宿角蓮華と考えを同じくし、自分達に子供ができないという事実を受け止めた上で、次の世代を育て上げることに自らの存在意義を見出しているのだから。
作業中であっても葵が「ふ…ふぇ……」と声を上げようものなら作業を放り出して駆け付け、穏やかな表情で彼女の顔を覗き込み、「どうした?」と声を掛けた。
おむつでもミルクでもなく、それでもなお不機嫌そうにしていると、彼女を自分の膝に寝かせてあやしながら作業を続けた。それはもう彼にとっては慣れたものなので、一人で作業をしている時とさほど変わらず集中できた。仕事と子供への意識の振り分けが完全に染みついているのだ。
ここに至るまでは決して容易ではなかったが、人間の能力というものはこれほどのことさえ可能にするということだろう。もちろん、彼自身に元々その適性もあったのだろうが。
深夜もそうだ。ミルクやりとおむつ替えは当然として、ぐずり始めただけでも飛び起きて、
「そうかそうか、怖い夢を見たんだな。でも大丈夫。お父さんはここにいるよ」
と彼女に柔らかく語り掛けた。そのおかげか、酷く夜泣きをするということは殆どなかった。
なお、妻の早苗もミルクの時やおむつ替えの時にはその用意を手伝ってくれる。彼女も人並み以上に世話はできるのだが、不動がやった方が明らかに子供が落ち着いているので、合理的に考えて今の形になったのである。
その代り、家事はほぼ早苗の仕事だった。彼女は、夫の不動が仕事と子供の面倒をみることに集中できるように努力をしてくれていて、不動はそれをとても感謝していた。
「ありがとう」
たとえ当たり前のことをしてくれたとしても、不動も早苗も、必ずそれを口にした。子供は親のそういう姿を見て学ぶことを知っているからである。
深夜にミルクの為に不動が起きると早苗も起きて、彼がおむつを替えている間にミルクの用意をし、それを手渡すと、彼は「ありがとう」と言った。
このやり方を奇異に思う人間もいるかもしれない。不動の彫金師としての収入だけで十分に余裕のある生活ができていて早苗は専業主婦をしているのだから、早苗にやらせるべきだと思う人間もいるかもしれない。
けれど、不動はそんな人間の言うことを一切聞き入れることはなかった。事情も知らず適性というものさえ考慮せず『妻にやらせるべきだ』と言い切る人間の言うことなど、彼にとっては何の価値もなかった。
彼は、『きちんと結婚して子供を作って日本を支え守るべきだ』と考える<もえぎ園>園長の宿角蓮華と考えを同じくし、自分達に子供ができないという事実を受け止めた上で、次の世代を育て上げることに自らの存在意義を見出しているのだから。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
妻と浮気と調査と葛藤
pusuga
現代文学
妻の浮気を疑い探偵事務所に調査を依頼した男。
果たして妻は浮気をしているのか?葛藤を繰り返し何を持って自分を納得させるのか?そんな話です。
隔日連載
全15話予定
ちなみに完全フィクションです。
勘違いしないようにして下さい。
公爵家長男はゴミスキルだったので廃嫡後冒険者になる(美味しいモノが狩れるなら文句はない)
音爽(ネソウ)
ファンタジー
記憶持ち転生者は元定食屋の息子。
魔法ありファンタジー異世界に転生した。彼は将軍を父に持つエリートの公爵家の嫡男に生まれかわる。
だが授かった職業スキルが「パンツもぐもぐ」という謎ゴミスキルだった。そんな彼に聖騎士の弟以外家族は冷たい。
見習い騎士にさえなれそうもない長男レオニードは廃嫡後は冒険者として生き抜く決意をする。
「ゴミスキルでも美味しい物を狩れれば満足だ」そんな彼は前世の料理で敵味方の胃袋を掴んで魅了しまくるグルメギャグ。
九尾の狐に嫁入りします~妖狐様は取り換えられた花嫁を溺愛する~
束原ミヤコ
キャラ文芸
八十神薫子(やそがみかおるこ)は、帝都守護職についている鎮守の神と呼ばれる、神の血を引く家に巫女を捧げる八十神家にうまれた。
八十神家にうまれる女は、神癒(しんゆ)――鎮守の神の法力を回復させたり、増大させたりする力を持つ。
けれど薫子はうまれつきそれを持たず、八十神家では役立たずとして、使用人として家に置いて貰っていた。
ある日、鎮守の神の一人である玉藻家の当主、玉藻由良(たまもゆら)から、神癒の巫女を嫁に欲しいという手紙が八十神家に届く。
神癒の力を持つ薫子の妹、咲子は、玉藻由良はいつも仮面を被っており、その顔は仕事中に焼け爛れて無残な化け物のようになっていると、泣いて嫌がる。
薫子は父上に言いつけられて、玉藻の元へと嫁ぐことになる。
何の力も持たないのに、嘘をつくように言われて。
鎮守の神を騙すなど、神を謀るのと同じ。
とてもそんなことはできないと怯えながら玉藻の元へ嫁いだ薫子を、玉藻は「よくきた、俺の花嫁」といって、とても優しく扱ってくれて――。
【完結】君のために生きる時間
野村にれ
恋愛
カペルル王国、アズライン伯爵家。
そこにはミルシュアとリズファンという仲のいい姉妹がいた。
しかし、伯爵家は酷いものだった。
愛人を邸で平気で囲う父親、こんな人と結婚するのではなかったと泣く母親。
姉妹は互いこそが唯一の理解者で、戦友だった。
姉が笑えば妹が笑い、妹が悲しめば姉も悲しむ。まるで同じように生きて来たのだ。
しかし、あの忌まわしい日が訪れてしまった。
全てだった存在を失って、一体彼女に何が残ったというのだろうか。
日本史
春秋花壇
現代文学
日本史を学ぶメリット
日本史を学ぶことは、私たちに様々なメリットをもたらします。以下、そのメリットをいくつか紹介します。
1. 現代社会への理解を深める
日本史は、現在の日本の政治、経済、文化、社会の基盤となった出来事や人物を学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、現代社会がどのように形成されてきたのかを理解することができます。
2. 思考力・判断力を養う
日本史は、過去の出来事について様々な資料に基づいて考察する学問です。日本史を学ぶことで、資料を読み解く力、多様な視点から物事を考える力、論理的に思考する力、自分の考えをまとめる力などを養うことができます。
3. 人間性を深める
日本史は、過去の偉人たちの功績や失敗、人々の暮らし、文化などを学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、人間としての生き方や価値観について考え、人間性を深めることができます。
4. 国際社会への理解を深める
日本史は、日本と他の国との関係についても学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、国際社会における日本の役割や責任について理解することができます。
5. 教養を身につける
日本史は、日本の伝統文化や歴史的な建造物などに関する知識も学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、教養を身につけることができます。
日本史を学ぶことは、単に過去を知るだけでなく、未来を生き抜くための力となります。
日本史の学び方
日本史を学ぶ方法は、教科書を読んだり、歴史小説を読んだり、歴史映画を見たり、博物館や史跡を訪れたりなど、様々です。自分に合った方法で、楽しみながら日本史を学んでいきましょう。
まとめ
日本史を学ぶことは、私たちに様々なメリットをもたらします。日本史を学んで、自分の視野を広げ、未来を生き抜くための力をつけましょう。
【百合】彗星と花
永倉圭夏
現代文学
一筋の彗星となって消えゆく一羽の隼とその軌跡
全72話、完結済。六年前、我執により左腕を切断したレーサー星埜千隼。再接合手術には成功するものの、レーサーとして再起の道は断たれた。「虚ろの発作」に苛まれ雨にそぼ濡れる千隼に傘を差しだしたのは……
(カクヨムにて同時連載中)
鷹花の二人編:第1話~第22話
疾走編:第23話~第58話
再生編:第59話~最終第71話
となっております。
スルドの声(共鳴) terceira esperança
桜のはなびら
現代文学
日々を楽しく生きる。
望にとって、それはなによりも大切なこと。
大げさな夢も、大それた目標も、無くたって人生の価値が下がるわけではない。
それでも、心の奥に燻る思いには気が付いていた。
向かうべき場所。
到着したい場所。
そこに向かって懸命に突き進んでいる者。
得るべきもの。
手に入れたいもの。
それに向かって必死に手を伸ばしている者。
全部自分の都合じゃん。
全部自分の欲得じゃん。
などと嘯いてはみても、やっぱりそういうひとたちの努力は美しかった。
そういう対象がある者が羨ましかった。
望みを持たない望が、望みを得ていく物語。
太陽と星のバンデイラ
桜のはなびら
現代文学
〜メウコラソン〜
心のままに。
新駅の開業が計画されているベッドタウンでのできごと。
新駅の開業予定地周辺には開発の手が入り始め、にわかに騒がしくなる一方、旧駅周辺の商店街は取り残されたような状態で少しずつ衰退していた。
商店街のパン屋の娘である弧峰慈杏(こみねじあん)は、店を畳むという父に代わり、店を継ぐ決意をしていた。それは、やりがいを感じていた広告代理店の仕事を、尊敬していた上司を、かわいがっていたチームメンバーを捨てる選択でもある。
葛藤の中、相談に乗ってくれていた恋人との会話から、父がお店を継続する状況を作り出す案が生まれた。
かつて商店街が振興のために立ち上げたサンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』と商店街主催のお祭りを使って、父の翻意を促すことができないか。
慈杏と恋人、仕事のメンバーに父自身を加え、計画を進めていく。
慈杏たちの計画に立ちはだかるのは、都市開発に携わる二人の男だった。二人はこの街に憎しみにも似た感情を持っていた。
二人は新駅周辺の開発を進める傍ら、商店街エリアの衰退を促進させるべく、裏社会とも通じ治安を悪化させる施策を進めていた。
※表紙はaiで作成しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる