愛しのアリシア

京衛武百十

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ロボットメイド、アリシアの愉快な日常

13日目 秀青、アリシアを意識する

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「それでは行ってきます」

午後一時。自由時間になったアリシアは秀青少年と会う為に、千堂に見送られて屋敷を出た。昨日と同じ時間に待ち合わせならゆっくり歩いて行ってちょうどいい筈だが、彼女は軽く走っていく。その姿は、いかにもメイド風のその見た目とは少々不釣り合いではあったが、どこにも無駄な力を感じさせない、超一流のアスリートに匹敵する美しいフォームだった。ただしその速度は、軽く流しているだけでも、競技中のマラソンのトップランナー並みであったが。

当然と言えば当然である。通常モードでもこの華奢に見える体で百㎏を大きく超える人間を抱きかかえることも可能なパワーに加え、戦闘時には途方もないパフォーマンスを発揮出来るだけのボディバランスを与えられているのだから、彼女にとってこれはむしろ軽いジョギング程度の行為でしかないのだ。

僅か三分ほどで昨日の場所に着いたアリシアだったが、そこに秀青の姿はまだなかった。

『さすがに早かったかな…』

彼女がそう思った時、聴覚センサーに人間の呼吸音が捉えられた。音のする方を見ると、百mほど先の千堂の私有地との境界を示す簡単な門の陰に、小さな人影が確認出来た。彼だ。同じ場所で待ち合わせとは言ったものの、やはり分かってて私有地に勝手に立ち入るのは憚られたのだろう。門のところで待っていたに違いない。多少口は悪いが、根は生真面目な少年だというのがそこからも見て取れた。しかも待ち合わせの時間にはまだ三十分ほどあったにも拘わらず、既に先に到着していたようですらあった。

「こんにちは。入ってきて大丈夫ですよ。お許しはいただいてます」

アリシアが手を振りながら声を掛けると、少年は駆け足でアリシアの元に来た。昨日と同じような長袖シャツにズボンといういでたちで、虫取り網と虫かごも手にしていた。

少し息を切らし自分を見つめる彼に、アリシアは改めて頭を下げた。

「昨日はちゃんと自己紹介をしてませんでしたね。私の名前は千堂アリシアです」

彼女がそう名乗ると、少年は少しハッとした表情を見せた。しかしそれはすぐに訝しがるようなものになり、そして言った。

「千堂って、そうか、ここがJAPAN-2ジャパンセカンドロボティクス部門の役員の千堂の家かよ。でも、ロボットに自分の姓を名乗らせるとか、とんだ変態だな」

それは遠慮のない、嫌悪感を隠そうともしない辛辣な悪態だった。それを耳にしたアリシアの表情が見る見る不機嫌そうに変わっていく。

「どうしてそんなこと言うんですか? 千堂様は素敵で立派な人です。壊れて廃棄処分になりそうだった私を助けてくれた恩人です。私、千堂様の悪口を言う人は嫌いです」

唇を尖らせて横を向き、本当に人間のように彼女は怒った表情を見せて言った。人間ならそれは当然の姿だろう。だが少年ははっきりと驚いた表情を見せていた。

「お前、本当にロボットなのか…?」

昨日も言ったその言葉が、改めて口から漏れた。無理もない、今、彼の目の前でムクれているアリシアの姿は、どこをどう見てもロボットのそれには見えなかったのだ。そんな少年に対してアリシアはさらに言った、

「ロボットですよ。なんだったらメンテナンスハッチでも開けて見せましょうか?」

そう言いつつ、エプロンドレスに似せてデザインされたボディーの胸の部分に指を掛けてはだけるような仕草を見せた。

「わ、分かったよ。やめろよ。見せなくていいよ!」

少年ははっきりとうろたえたように顔を真っ赤にしながら手を振った。それはまるで本当に人間の女性が服をはだけようとしたかのような反応だった。

無論、アリシアが言ったとおり、彼女が指を掛けたのはメンテナンスハッチを開ける為だった。いくら服のように見えても彼女のそれはあくまでボディの一部であり、そこを開ければすぐにロボットとしての機械部分が見えるだけで、人間と同じ体が隠されてるわけではない。しかし彼女の振る舞いがあまりに人間らしすぎて、何だか彼の方が恥ずかしくなってしまったのだった。

「…悪かったよ…言い過ぎた」

彼は目を逸らしながらも、そう言って謝罪した。それを見てアリシアも感じていた。彼の、ロボットに対する複雑な感情というものを。どういう理由かは定かではないが、彼はロボットに対して何とも言えない感情を抱いているのは確かなのだろう。

彼が性根の捻じ曲がった悪童でないことは今の段階でも十分に分かる。ただ、何かの事情があって少々拗ねてしまってる感じなのだとアリシアも理解した。千堂に対する悪態も、千堂個人に対する侮辱というよりは、ロボットに対する何かがそうさせてしまったのかも知れない。それを思うと、少年に対する憤懣が一気に萎んだのだった。そんな彼女の耳に、微かに声が届いてきた。

「…秀青しゅうせい…」

殆ど呟くような小さな声だった為に改めて確認しようと顔を向けたアリシアに対して、少しだけ声を大きくして少年が言った。

茅島秀青かやしましゅうせい。僕の名前だ」

『…!』

自分をちゃんと見てようやく名乗ってくれた彼に、アリシアは不思議な感覚を覚えた。メインフレームに表現し難い負荷が微かにあった。それはまるで、千堂を見る時に感じるものに近いようにも思われた。

『え…? これってまさか…!?』

これまでは千堂に対してしか感じなかったそれを目の前の少年からも感じてしまい、彼女は混乱した。

『え? ウソ、どうして? どうして千堂様と同じ感じが彼からするの…!?』

自分の頬を手の平で押さえて、そう自らに問いかける。だが答えは見つからなかった。何故かは分からないしその正体も分からないが、とにかく千堂と同じ何かが彼から感じ取れてしまったのだけは間違いなかった。

「…どうした? 何かエラーでも出たのか?」

問い掛ける秀青の言葉はいかにもロボットに対するものだった。しかしそのトーンには、確かに彼女に対する気遣いも込められている。それを認識した途端、アリシアの動揺が収まる。それもまた、千堂に労わられた時のそれに似ていた。そして彼女は気付いた。

『ああ、そうか、彼、千堂様に似てるんだ』

外見自体は特に似ている訳ではない。貧弱とまでは言わないが年相応に少年らしい体つきの彼と、一見すると大企業の役員とは思えない引き締まった筋肉質な千堂とではまるで違うし、顔だって特に似てる訳ではない。ただ、ぶっきらぼうなようでいて実は繊細で相手に対する気遣いを失わないといった部分が似ているのかも知れなかった。

それに気付いた途端、アリシアは自分が落ち着くのを感じていた。千堂と似ているのなら、千堂に対するのと同じように接していればいいのだと思った。もちろん、彼は千堂ではないから甘えたりはしない。しかし甘える感じじゃない接し方をすればちょうどいいかも知れないというのを思い付いたのだった。

「大丈夫です。落ち着きました」

そう言って彼に笑いかけると、秀青はまた、顔を赤らめて目を逸らしてしまう。そんな彼に対して、アリシアは、自分の状態をなるべく正確に伝えた方がいいかもしれないと思った。

「秀青さんのおっしゃる通り、私は普通のロボットじゃありません。私は少し、いいえ、かなり壊れているんです。だから私は他のロボットと同じことが出来ません。その代わり、他のロボットには出来ないことが私には出来ます。笑ったり、涙を流す機能はないですけど泣いたり、千堂様のことを悪く言われて怒ったり、でもこうして秀青さんと仲良くなったり。それが私なんです」

そう自らを語る彼女に、彼は呆気にとられたかのように目を向ける。その姿は、彼の知るどんなロボットとも違っていた。確かに彼女の言う通りだと彼も思った。このロボットは、壊れているんだと。にも拘わらず、不思議と悪い感じはしなかった。壊れているのは確かでも、悪い壊れ方じゃないと彼は感じていた。

「お前、本当に変な奴だな」

そう言って彼は屈託なく笑ったのだった。

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