上 下
674 / 697
第六幕

他者が用意してくれた社会システムに

しおりを挟む
社会性動物の場合、特に<人間>の場合、完全に自分一人で生きていくことは事実上ほぼ不可能である。裸で何の道具を持たず自然の中に放り出されればその場合生きていくことができないのが何よりの証拠であろう。

どれほど強がろうともイキがろうとも、

『自分は自分一人だけの力で生きている!』

などという大言壮語を吐こうとも、人間は所詮、他者が用意してくれた社会システムに便乗しなければ生きていくことはできないのだ。

ごくまれに例外的な存在がいるとしても、誰もがそうなれるのでなければそれは『できる』とは言わない。

例えば、大変なサバイバル技術を持ち、それこそ裸で何一つ道具さえ持たずに自然の中に放り出されても生き延びてみせる者もいるかもしれない。しかしその者が会得した<サバイバル技術>は、一体どのようにして編み出され、そして身に付けることができたというのか?

結局のところ、自分以外の誰かに頼って、自分以外の誰かからもたらされたものではないのか? それを、

『自分一人の力で』

などとは、よくも言えたものである。

一方、吸血鬼の場合は元々の能力の高さから自然の中で野生動物のように生きることさえ容易い。しかも、エドマンドやメアリーのように森の土に埋もれてそれこそ植物のように生きることすらできてしまうのだから、人間とは根本的に違っているのだ。

その吸血鬼でさえ、他の吸血鬼と関わって生きるのであれば、無用な衝突を回避するために有形無形の<ルール>を基にして互いを慮る形で折り合いをつけることを心掛ける。

野生動物の場合はたとえ衝突しようとも、賭けるのは互いの命であり、そしてその影響は極めて局所的限定的なものでしかない。対して吸血鬼は、非常に強大な力を有するがゆえに、場合によっては際限なく影響が広まってしまう。

そしてこれは人間の場合も同じであろう。その究極の形が<戦争>のはずである。

人間同士の争いであるにも拘わらず他の生き物や環境にまで多大な損害をもたらす愚かな行いそのものだ。そして人間は、そんな自らの行いを詭弁を並べて正当化しようとする。人間以外の存在にとっては、傍迷惑どころの騒ぎではない。

人間以外の存在が意見を述べることができるなら、

『お前らだけで勝手にやってろ! こっちを巻き込むな! 迷惑をかけるな!』

と、大ブーイングが起こるのではないだろうか。

吸血鬼はそれが分かっているので、自分達を律するようにしているのである。そして律することができている。

エイスネもそれを理解していく必要があるだろう。

今はまだそこまでは考えられないとしても。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

前世で八十年。今世で二十年。合わせて百年分の人生経験を基に二週目の人生を頑張ります

京衛武百十
ファンタジー
俺の名前は阿久津安斗仁王(あくつあんとにお)。いわゆるキラキラした名前のおかげで散々苦労もしたが、それでも人並みに幸せな家庭を築こうと仕事に精を出して精を出して精を出して頑張ってまあそんなに経済的に困るようなことはなかったはずだった。なのに、女房も娘も俺のことなんかちっとも敬ってくれなくて、俺が出張中に娘は結婚式を上げるわ、定年を迎えたら離婚を切り出されれるわで、一人寂しく老後を過ごし、2086年4月、俺は施設で職員だけに看取られながら人生を終えた。本当に空しい人生だった。 なのに俺は、気付いたら五歳の子供になっていた。いや、正確に言うと、五歳の時に危うく死に掛けて、その弾みで思い出したんだ。<前世の記憶>ってやつを。 今世の名前も<アントニオ>だったものの、幸い、そこは中世ヨーロッパ風の世界だったこともあって、アントニオという名もそんなに突拍子もないものじゃなかったことで、俺は今度こそ<普通の幸せ>を掴もうと心に決めたんだ。 しかし、二週目の人生も取り敢えず平穏無事に二十歳になるまで過ごせたものの、何の因果か俺の暮らしていた村が戦争に巻き込まれて家族とは離れ離れ。俺は難民として流浪の身に。しかも、俺と同じ難民として戦火を逃れてきた八歳の女の子<リーネ>と行動を共にすることに。 今世では結婚はまだだったものの、一応、前世では結婚もして子供もいたから何とかなるかと思ったら、俺は育児を女房に任せっきりでほとんど何も知らなかったことに愕然とする。 とは言え、前世で八十年。今世で二十年。合わせて百年分の人生経験を基に、何とかしようと思ったのだった。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

コグマと大虎 ~捨てられたおっさんと拾われた女子高生~

京衛武百十
現代文学
古隈明紀(こぐまあきのり)は、四十歳を迎えたある日、妻と娘に捨てられた。元々好きで結婚したわけでもなくただ体裁を繕うためのそれだったことにより妻や娘に対して愛情が抱けず、それに耐えられなくなった妻に三下り半を突き付けられたのだ。 財産分与。慰謝料なし。養育費は月五万円(半分は妻が負担)という条件の一切を呑んで離婚を承諾。独り身となった。ただし、実は会社役員をしていた妻の方が収入が多かったこともあり、実際はコグマに有利な条件だったのだが。妻としても、自分達を愛してもいない夫との暮らしが耐えられなかっただけで、彼に対しては特段の恨みもなかったのである。 こうして、形の上では家族に捨てられることになったコグマはその後、<パパ活>をしていた女子高生、大戸羅美(おおとらみ)を、家に泊めることになる。コグマ自身にはそのつもりはなかったのだが、待ち合わせていた相手にすっぽかされた羅美が強引に上がり込んだのだ。 それをきっかけに、捨てられたおっさんと拾われた(拾わせた)女子高生の奇妙な共同生活が始まったのだった。      筆者より。 中年男が女子高生を拾って罪に問われずに済むのはどういうシチュエーションかを考えるために書いてみます。 なお、あらかじめ明かしておきますが、最後にコグマと大虎はそれぞれ自分の人生を歩むことになります。 コグマは結婚に失敗して心底懲りてるので<そんな関係>にもなりません。

こずえと梢

気奇一星
キャラ文芸
時は1900年代後期。まだ、全国をレディースたちが駆けていた頃。 いつもと同じ時間に起き、同じ時間に学校に行き、同じ時間に帰宅して、同じ時間に寝る。そんな日々を退屈に感じていた、高校生のこずえ。 『大阪 龍斬院』に所属して、喧嘩に明け暮れている、レディースで17歳の梢。 ある日、オートバイに乗っていた梢がこずえに衝突して、事故を起こしてしまう。 幸いにも軽傷で済んだ二人は、病院で目を覚ます。だが、妙なことに、お互いの中身が入れ替わっていた。 ※レディース・・・女性の暴走族 ※この物語はフィクションです。

声劇台本置き場

ツムギ
キャラ文芸
望本(もちもと)ツムギが作成したフリーの声劇台本を投稿する場所になります。使用報告は要りませんが、使用の際には、作者の名前を出して頂けたら嬉しいです。 台本は人数ごとで分けました。比率は男:女の順で記載しています。キャラクターの性別を変更しなければ、演じる方の声は男女問いません。詳細は本編内の上部に記載しており、登場人物、上演時間、あらすじなどを記載してあります。 詳しい注意事項に付きましては、【ご利用の際について】を一読して頂ければと思います。(書いてる内容は正直変わりません)

僕が美少女になったせいで幼馴染が百合に目覚めた

楠富 つかさ
恋愛
ある朝、目覚めたら女の子になっていた主人公と主人公に恋をしていたが、女の子になって主人公を見て百合に目覚めたヒロインのドタバタした日常。 この作品はハーメルン様でも掲載しています。

処理中です...