600 / 697
第六幕
医師<エルビス>
しおりを挟む
「これは……酷いな……」
世界中に蔓延したジャガイモの疫病菌による被害の調査を行っていた医師<エルビス>は、特に状況が悪いと噂されていたアイルランドを自らの目で確かめるべく訪れ、病に苦しむ人々の治療を行いつつ各地を巡ったが、一八四八年に訪れたある村のあまりの惨状に思わずそう呟いた。
いや、それはもはや<惨状>と表現するのも生ぬるいものであったかもしれない。何しろ、動いている人間は誰一人いなかったのだ。そこで動いていたのは、野犬と化した犬ばかりだった。それらが何かを貪っている。
すでに大部分が食われて本来の形を失っていたが、エルビスには一目でその正体が分かった。
人間だ。人間の死体を、野犬達が貪っているのだ。
「ヴヴヴ……!」
彼に気付いた野犬達が牙を剝き威嚇してくる。しかし、
「……」
エルビスがわずかに険しい表情を見せると、
「ヒャインッ!!」
野犬達は悲鳴を上げながら逃げ去ってしまう。まるで巨大なクマにでも出くわしたかのような反応であった。
それを見送った後、残された無残な有様の遺体に向けて十字を切った上で手を組み、エルビスは死者を悼んだ。埋葬してやりたかったが、
「さすがにこれではな……」
彼が視線を周囲に移すと、そこには累々と屍が横たわっていた。ある者は道の真ん中で蹲ったまま息絶え、ある者は雑草を口にしたまま事切れていた。毒を含んでいるということで本来は決して口にしないそれだった。しかし、毒草でさえ口にせずにいられなかったのだろう。もしくは、もはや毒草であるということさえ分からなくなっていたか。
飢えだ。飢えた余りに判断力が失われたのかもしれない。ゆえに遺体はどれも、まるでミイラのように骨の上にかろうじて皮が貼りついているだけの状態だった。
そのような亡骸が、あちこちに見られた。と言うか、見渡す限り亡骸しかなかった。一目見て、その村は壊滅しているのだというのが察せられてしまう。
仲間の医師達は隣町で診療を行うための施設の準備をしていて、エルビスは、自分達が設営した施設であれば無償で診察と治療を受けられると知らせるために近隣の村々を訪れたのである。そこでこの状況を目の当たりにしたのだ。
それでも、誰か生存者がいないかと、彼は家々を覗いて回った。けれどそこには、さらに凄惨な光景が備えられていた。
調理場に子供らしき遺体があったのだが、それが本来の半分くらいしか残されていなかったのだ。しかも先ほどの遺体と違い、野犬などに貪られたというそれではないと一目で分かった。何しろ調理用のナイフが一緒に置かれていたのである。しかも遺体の欠損部分は綺麗に切り取られた状態だった。
さらには、スープのようなものが残されそれが腐り、悪臭を放つ鍋。
エルビスには、そこに入っていたのは人の肉を入れたスープであることが分かってしまったのだった。
世界中に蔓延したジャガイモの疫病菌による被害の調査を行っていた医師<エルビス>は、特に状況が悪いと噂されていたアイルランドを自らの目で確かめるべく訪れ、病に苦しむ人々の治療を行いつつ各地を巡ったが、一八四八年に訪れたある村のあまりの惨状に思わずそう呟いた。
いや、それはもはや<惨状>と表現するのも生ぬるいものであったかもしれない。何しろ、動いている人間は誰一人いなかったのだ。そこで動いていたのは、野犬と化した犬ばかりだった。それらが何かを貪っている。
すでに大部分が食われて本来の形を失っていたが、エルビスには一目でその正体が分かった。
人間だ。人間の死体を、野犬達が貪っているのだ。
「ヴヴヴ……!」
彼に気付いた野犬達が牙を剝き威嚇してくる。しかし、
「……」
エルビスがわずかに険しい表情を見せると、
「ヒャインッ!!」
野犬達は悲鳴を上げながら逃げ去ってしまう。まるで巨大なクマにでも出くわしたかのような反応であった。
それを見送った後、残された無残な有様の遺体に向けて十字を切った上で手を組み、エルビスは死者を悼んだ。埋葬してやりたかったが、
「さすがにこれではな……」
彼が視線を周囲に移すと、そこには累々と屍が横たわっていた。ある者は道の真ん中で蹲ったまま息絶え、ある者は雑草を口にしたまま事切れていた。毒を含んでいるということで本来は決して口にしないそれだった。しかし、毒草でさえ口にせずにいられなかったのだろう。もしくは、もはや毒草であるということさえ分からなくなっていたか。
飢えだ。飢えた余りに判断力が失われたのかもしれない。ゆえに遺体はどれも、まるでミイラのように骨の上にかろうじて皮が貼りついているだけの状態だった。
そのような亡骸が、あちこちに見られた。と言うか、見渡す限り亡骸しかなかった。一目見て、その村は壊滅しているのだというのが察せられてしまう。
仲間の医師達は隣町で診療を行うための施設の準備をしていて、エルビスは、自分達が設営した施設であれば無償で診察と治療を受けられると知らせるために近隣の村々を訪れたのである。そこでこの状況を目の当たりにしたのだ。
それでも、誰か生存者がいないかと、彼は家々を覗いて回った。けれどそこには、さらに凄惨な光景が備えられていた。
調理場に子供らしき遺体があったのだが、それが本来の半分くらいしか残されていなかったのだ。しかも先ほどの遺体と違い、野犬などに貪られたというそれではないと一目で分かった。何しろ調理用のナイフが一緒に置かれていたのである。しかも遺体の欠損部分は綺麗に切り取られた状態だった。
さらには、スープのようなものが残されそれが腐り、悪臭を放つ鍋。
エルビスには、そこに入っていたのは人の肉を入れたスープであることが分かってしまったのだった。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
甘灯の思いつき短編集
甘灯
キャラ文芸
作者の思いつきで書き上げている短編集です。 (現在16作品を掲載しております)
※本編は現実世界が舞台になっていることがありますが、あくまで架空のお話です。フィクションとして楽しんでくださると幸いです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

はじまりはいつもラブオール
フジノシキ
キャラ文芸
ごく平凡な卓球少女だった鈴原柚乃は、ある日カットマンという珍しい守備的な戦術の美しさに魅せられる。
高校で運命的な再会を果たした柚乃は、仲間と共に休部状態だった卓球部を復活させる。
ライバルとの出会いや高校での試合を通じ、柚乃はあの日魅せられた卓球を目指していく。
主人公たちの高校部活動青春ものです。
日常パートは人物たちの掛け合いを中心に、
卓球パートは卓球初心者の方にわかりやすく、経験者の方には戦術などを楽しんでいただけるようにしています。
pixivにも投稿しています。
毒小町、宮中にめぐり逢ふ
鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。
生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。
しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく

素晴らしい世界に終わりを告げる
桜桃-サクランボ-
キャラ文芸
自分の気持ちを素直に言えず、悩んでいた女子高生、心和愛実は、ある日子供を庇い事故に遭ってしまった。
次に目を覚ましたのは、見覚えのない屋敷。そこには、世話係と名乗る、コウヨウという男性が部屋に入る。
コウセンという世界で、コウヨウに世話されながら愛実は、自分の弱い所と、この世界の実態を見て、悩む。
コウヨウとは別にいる世話係。その人達の苦しみを目の当たりにした愛実は、自分に出来る事なら何でもしたいと思い、決意した。
言葉だけで、終わらせたくない。
言葉が出せないのなら、伝えられないのなら、行動すればいい。
その先に待ち受けていたのは、愛実が待ちに待っていた初恋相手だった。
※カクヨムでも公開中

下っ端妃は逃げ出したい
都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー
庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。
そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。
しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる