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第六幕

医師<エルビス>

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「これは……酷いな……」

世界中に蔓延したジャガイモの疫病菌による被害の調査を行っていた医師<エルビス>は、特に状況が悪いと噂されていたアイルランドを自らの目で確かめるべく訪れ、病に苦しむ人々の治療を行いつつ各地を巡ったが、一八四八年に訪れたある村のあまりの惨状に思わずそう呟いた。

いや、それはもはや<惨状>と表現するのも生ぬるいものであったかもしれない。何しろ、動いている人間は誰一人いなかったのだ。そこで動いていたのは、野犬と化した犬ばかりだった。それらが何かを貪っている。

すでに大部分が食われて本来の形を失っていたが、エルビスには一目でその正体が分かった。

人間だ。人間の死体を、野犬達が貪っているのだ。

「ヴヴヴ……!」

彼に気付いた野犬達が牙を剝き威嚇してくる。しかし、

「……」

エルビスがわずかに険しい表情を見せると、

「ヒャインッ!!」

野犬達は悲鳴を上げながら逃げ去ってしまう。まるで巨大なクマにでも出くわしたかのような反応であった。

それを見送った後、残された無残な有様の遺体に向けて十字を切った上で手を組み、エルビスは死者を悼んだ。埋葬してやりたかったが、

「さすがにこれではな……」

彼が視線を周囲に移すと、そこには累々と屍が横たわっていた。ある者は道の真ん中で蹲ったまま息絶え、ある者は雑草を口にしたまま事切れていた。毒を含んでいるということで本来は決して口にしないそれだった。しかし、毒草でさえ口にせずにいられなかったのだろう。もしくは、もはや毒草であるということさえ分からなくなっていたか。

飢えだ。飢えた余りに判断力が失われたのかもしれない。ゆえに遺体はどれも、まるでミイラのように骨の上にかろうじて皮が貼りついているだけの状態だった。

そのような亡骸が、あちこちに見られた。と言うか、見渡す限り亡骸しかなかった。一目見て、その村は壊滅しているのだというのが察せられてしまう。

仲間の医師達は隣町で診療を行うための施設の準備をしていて、エルビスは、自分達が設営した施設であれば無償で診察と治療を受けられると知らせるために近隣の村々を訪れたのである。そこでこの状況を目の当たりにしたのだ。

それでも、誰か生存者がいないかと、彼は家々を覗いて回った。けれどそこには、さらに凄惨な光景が備えられていた。

調理場に子供らしき遺体があったのだが、それが本来の半分くらいしか残されていなかったのだ。しかも先ほどの遺体と違い、野犬などに貪られたというそれではないと一目で分かった。何しろ調理用のナイフが一緒に置かれていたのである。しかも遺体の欠損部分は綺麗に切り取られた状態だった。

さらには、スープのようなものが残されそれが腐り、悪臭を放つ鍋。

エルビスには、そこに入っていたのは人の肉を入れたスープであることが分かってしまったのだった。

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