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第八章
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ボールドウィン公爵邸の豪華な客間で、ハリエットはクリフォードの帰りを待ちわびていた。
伯爵さまは、ドノヴァンと共に早朝に出かけたらしいが、昼を過ぎ、日が暮れても戻らなかった。
このままでは、公爵邸にもう一泊することになる。フィッツロイの屋敷に戻ったほうがいいのではないかと言ってみたが、モードリンとボールドウィン公爵にクリフォードの許可なく動いてはいけないとたしなめられた。
亡き祖母イザドラの話をしてくれていたモードリンがあくびをしながら去り、レヴィもソファーの下に寝そべってうとうとし始めても、ハリエットは時計の針を睨んで眠気を堪えようと頑張っていた。
クリフォードにあれこれ訊きたいことがあったし、聞いてほしいこともあった。
ところが、いつの間にか開いていたはずの目が閉じていたらしい。優しく揺さぶられ、気がつけばクリフォードが目の前にいた。
「ハリエット、もう寝る時間だ。ベッドへ行くんだ」
軽々と抱き上げられ、そのままベッドへ運ばれる。
ガウンを脱がされ、毛布に包まれ、優しい手つきで髪を撫でられ、「おやすみ」と囁かれて唇に軽いキスを落とされるとうっとりしてしまい、そのまま目をつぶりかけてハッとした。
「ま、待ってくださいっ!」
蝋燭を吹き消そうとしていたクリフォードは、何事かと眉を引き上げた。
「あの、お、お話が……」
「明日では駄目なのか?」
「そういうわけじゃないですけれど、でも……」
今日話そうと明日話そうと、何かが変わるわけではない。
でも、ハリエットはたった一日でも、クリフォードに何か隠し事をするのは嫌だったし、先延ばしにしたくない。明日また会えるとは限らないとメリンダの死から学んだのだ。
「では、私もここで一緒に寝てもかまわないだろうか?」
「えっ!?」
「今日は早朝からずっと出かけていて、クタクタなんだ」
ほの暗い蝋燭の明かりではっきりわからないが、ちょっと髭が伸びているようだし、目の下にはうっすら隈がある。髪も乱れていて、クラヴァットは緩み、上着はどこかで脱いで来たのかウエストコートだけ。しかも、ボタンが一個足りない。いつもピカピカに磨かれているブーツは何かよくわからないもので汚れている。
話だけ聞いて追い出すのもなんだか気の毒な気がして、ハリエットは頷いた。
「はい」
その途端、クリフォードの目がきらりと光った気がして、慌てて付け足した。
「一緒に寝るだけですよね?」
「……もちろんだとも。仔羊なみに大人しくしているよ」
渋々と言った口調のせいでとても疑わしいと思ったが、大きな溜息を吐いたクリフォードは心底疲れているようだ。
「脱ぐのを手伝ってくれないか?」
「えっ!?」
ニヤリと笑うクリフォードの視線がハリエットの纏う薄い寝間着を這う。
「私も手伝う」
「こ、これ以上、脱ぐ必要はないですっ!」
ハリエットが両腕で自分の身体を抱きしめると、クリフォードはくすくす笑いながらウエストコートを脱ぎ、シャツを脱ぎ、美しい裸体をあらわにした。
やや苦労しながらブーツを引き抜いた後、靴下を脱いで放り投げようとして、レヴィの熱烈な視線に気づき、ブーツの中へ押し込める。
それから、ぴったりと足にはりついているブリーチズを引き下ろし……。
ハリエットはそれ以上見ていられず、顔を背けて毛布の中に潜り込んだ。
「何も着ていないほうが、リラックスできると思うんだが?」
腰に腕を回され、ぐいっと引き寄せられると背中に硬くて広い胸の温もりを感じ、お尻に硬いものが当たる。
「そ、そそそうじゃない人もいると思います」
「二人で寝る時は、布じゃなく肌が触れ合ったほうが心地いいだろう? こんなふうに……」
寝間着の裾がするすると引き上げられて、たくましい足が足の間に割り込んで来る。
「く、クリフォードさま!」
「話というのは? 気にせず始めてくれ」
ハリエットは、お腹のあたりをさまよっていたクリフォードの手が胸へ伸びるのを引き止めた。
戒めを逃れようとするクリフォードとの攻防戦を繰り広げながら、話をするしかないようだ。
「モードリンさまだったんです」
「大伯母さまがどうかしたのか?」
「メリンダ宛に、私に王都へ来るよう手紙を書いたのは、モードリンさまだったんです。メリンダが、ホワイト伯爵未亡人に私の将来を相談する手紙を寄越して、ヘザートンを訪れたことがあるモードリンさまに、私のことを知っているか訊ねたんです。それで、私がもしかしたら自分の孫かもしれないと気づいたようで……」
クリフォードはしばし沈黙したが、落ち着いた声で先を促した。
「……つまり?」
「ホワイト伯爵の息子だったケネスという人は、実は病死ではなくて駆け落ちしていたんです。私の母と。ネックレスは、母が持っていたものなんだそうです。母は北の出身で、ホワイト伯爵はその頃の国王さまのせいで、二人が大変な目に遭うかもしれないから勘当したんじゃないかって……」
「なるほど」
「ホワイト伯爵未亡人は手紙が書けないくらいに弱っていたので、モードリンさまが代わりに手紙を書いて私を呼び寄せようとしたけれど、間に合わなくて……。それから、モードリンさまはクリフォードさまとホワイト伯爵家に繋がりがあるように……そのう、嘘の御先祖さまを作ったんだそうです」
クリフォードは深い溜息を吐いた。
「……ドラゴンならやりかねないな」
「でも、両親の行方はやっぱりわからないし、本当に私がケネスという人とその駆け落ちした女の人の子どもか証明もできないので……信じてもいいかどうかわからないんです」
もしも、イザドラに直接会えていたら、信じることができたかもしれない。
でも、誰一人肉親に会えないまま、その一員だと言われても実感がわかなかった。
クリフォードは、ハリエットのつむじに顎をのせて呟いた。
「結局、大伯母さまは最初から知っていたんだな。だったら、さっさと教えてくれればよかったものを……。だが、ハリエットの両親について、私たちが知った事実もある。詳しいことはもう少し時間をくれたら証明できると思う」
伯爵さまは、ドノヴァンと共に早朝に出かけたらしいが、昼を過ぎ、日が暮れても戻らなかった。
このままでは、公爵邸にもう一泊することになる。フィッツロイの屋敷に戻ったほうがいいのではないかと言ってみたが、モードリンとボールドウィン公爵にクリフォードの許可なく動いてはいけないとたしなめられた。
亡き祖母イザドラの話をしてくれていたモードリンがあくびをしながら去り、レヴィもソファーの下に寝そべってうとうとし始めても、ハリエットは時計の針を睨んで眠気を堪えようと頑張っていた。
クリフォードにあれこれ訊きたいことがあったし、聞いてほしいこともあった。
ところが、いつの間にか開いていたはずの目が閉じていたらしい。優しく揺さぶられ、気がつけばクリフォードが目の前にいた。
「ハリエット、もう寝る時間だ。ベッドへ行くんだ」
軽々と抱き上げられ、そのままベッドへ運ばれる。
ガウンを脱がされ、毛布に包まれ、優しい手つきで髪を撫でられ、「おやすみ」と囁かれて唇に軽いキスを落とされるとうっとりしてしまい、そのまま目をつぶりかけてハッとした。
「ま、待ってくださいっ!」
蝋燭を吹き消そうとしていたクリフォードは、何事かと眉を引き上げた。
「あの、お、お話が……」
「明日では駄目なのか?」
「そういうわけじゃないですけれど、でも……」
今日話そうと明日話そうと、何かが変わるわけではない。
でも、ハリエットはたった一日でも、クリフォードに何か隠し事をするのは嫌だったし、先延ばしにしたくない。明日また会えるとは限らないとメリンダの死から学んだのだ。
「では、私もここで一緒に寝てもかまわないだろうか?」
「えっ!?」
「今日は早朝からずっと出かけていて、クタクタなんだ」
ほの暗い蝋燭の明かりではっきりわからないが、ちょっと髭が伸びているようだし、目の下にはうっすら隈がある。髪も乱れていて、クラヴァットは緩み、上着はどこかで脱いで来たのかウエストコートだけ。しかも、ボタンが一個足りない。いつもピカピカに磨かれているブーツは何かよくわからないもので汚れている。
話だけ聞いて追い出すのもなんだか気の毒な気がして、ハリエットは頷いた。
「はい」
その途端、クリフォードの目がきらりと光った気がして、慌てて付け足した。
「一緒に寝るだけですよね?」
「……もちろんだとも。仔羊なみに大人しくしているよ」
渋々と言った口調のせいでとても疑わしいと思ったが、大きな溜息を吐いたクリフォードは心底疲れているようだ。
「脱ぐのを手伝ってくれないか?」
「えっ!?」
ニヤリと笑うクリフォードの視線がハリエットの纏う薄い寝間着を這う。
「私も手伝う」
「こ、これ以上、脱ぐ必要はないですっ!」
ハリエットが両腕で自分の身体を抱きしめると、クリフォードはくすくす笑いながらウエストコートを脱ぎ、シャツを脱ぎ、美しい裸体をあらわにした。
やや苦労しながらブーツを引き抜いた後、靴下を脱いで放り投げようとして、レヴィの熱烈な視線に気づき、ブーツの中へ押し込める。
それから、ぴったりと足にはりついているブリーチズを引き下ろし……。
ハリエットはそれ以上見ていられず、顔を背けて毛布の中に潜り込んだ。
「何も着ていないほうが、リラックスできると思うんだが?」
腰に腕を回され、ぐいっと引き寄せられると背中に硬くて広い胸の温もりを感じ、お尻に硬いものが当たる。
「そ、そそそうじゃない人もいると思います」
「二人で寝る時は、布じゃなく肌が触れ合ったほうが心地いいだろう? こんなふうに……」
寝間着の裾がするすると引き上げられて、たくましい足が足の間に割り込んで来る。
「く、クリフォードさま!」
「話というのは? 気にせず始めてくれ」
ハリエットは、お腹のあたりをさまよっていたクリフォードの手が胸へ伸びるのを引き止めた。
戒めを逃れようとするクリフォードとの攻防戦を繰り広げながら、話をするしかないようだ。
「モードリンさまだったんです」
「大伯母さまがどうかしたのか?」
「メリンダ宛に、私に王都へ来るよう手紙を書いたのは、モードリンさまだったんです。メリンダが、ホワイト伯爵未亡人に私の将来を相談する手紙を寄越して、ヘザートンを訪れたことがあるモードリンさまに、私のことを知っているか訊ねたんです。それで、私がもしかしたら自分の孫かもしれないと気づいたようで……」
クリフォードはしばし沈黙したが、落ち着いた声で先を促した。
「……つまり?」
「ホワイト伯爵の息子だったケネスという人は、実は病死ではなくて駆け落ちしていたんです。私の母と。ネックレスは、母が持っていたものなんだそうです。母は北の出身で、ホワイト伯爵はその頃の国王さまのせいで、二人が大変な目に遭うかもしれないから勘当したんじゃないかって……」
「なるほど」
「ホワイト伯爵未亡人は手紙が書けないくらいに弱っていたので、モードリンさまが代わりに手紙を書いて私を呼び寄せようとしたけれど、間に合わなくて……。それから、モードリンさまはクリフォードさまとホワイト伯爵家に繋がりがあるように……そのう、嘘の御先祖さまを作ったんだそうです」
クリフォードは深い溜息を吐いた。
「……ドラゴンならやりかねないな」
「でも、両親の行方はやっぱりわからないし、本当に私がケネスという人とその駆け落ちした女の人の子どもか証明もできないので……信じてもいいかどうかわからないんです」
もしも、イザドラに直接会えていたら、信じることができたかもしれない。
でも、誰一人肉親に会えないまま、その一員だと言われても実感がわかなかった。
クリフォードは、ハリエットのつむじに顎をのせて呟いた。
「結局、大伯母さまは最初から知っていたんだな。だったら、さっさと教えてくれればよかったものを……。だが、ハリエットの両親について、私たちが知った事実もある。詳しいことはもう少し時間をくれたら証明できると思う」
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