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第七章
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「忌々しいくらいに、爽やかな朝だな」
「ああ。当分、肉料理にはお目にかかりたくない」
地下牢に満ちる血の匂いからようやく解放されたクリフォードは、幌を上げた二人乗りの二輪馬車へドノヴァンと共に乗り込んだ。
地下牢に運びこまれた暗殺者の死体は見るも無残な有様で、引退した軍医が身体の隅々までほじくり返して探ったが、ネックレスはどこにもなかった。
「さてと……どこから始める?」
あくびをしながら尋ねるドノヴァンに、『ヴァニタス』と答える。
「コールダー・メイソンが関わっていることはわかっているが、仮面の女の正体はわからない。予想はつくが証拠がない」
ピーター・バーンズにあれこれ吹き込んだ女はロレインだったのではないかという疑いを抱いているが、単なる憶測だ。限りなく黒に近くとも、灰色であれば罪を問うわけにはいかない。
「俺なら、灰色は黒だと見なすぞ?」
「限りなく黒に近くとも、灰色は灰色だ」
理解出来ないと言うように肩を竦めたドノヴァンは、手綱を扱いて馬車を出した。
クリフォードは常々、座席がむき出しの二輪馬車はうぬぼれ屋の好む軽薄な乗り物だと思っていたが、使い古した雑巾のような気分で乗るには最適だった。
冷たい朝の空気が頭を冷やし、胸のむかつきを押さえてくれる。
いつも人であふれかえっている王都でも、日が昇ったばかりの時間から活動する者は少ない。普段は混雑する通りにも人影はなく、すれ違う馬車もいなかった。
ところが、賭博場や売春宿、酒場などがひしめき合う界隈へ差し掛かった途端、立ち往生する羽目になった。
早朝とは思えぬ人だかりが通りを塞ぎ、その先にある壁も扉も黒く塗りつぶされた『ヴァニタス』の前には、警察官らしき数人の男が立っている。
「何かあったのかもしれないな。知り合いがいれば、事情を聞けるだろう」
抜け目ない視線でカモを物色している様子の少年を見つけたクリフォードは、硬貨を放って馬車を任せると野次馬をかき分けて進むドノヴァンを追った。
群がる野次馬を押し返し、怒鳴りつけている警察官の中に知った顔を見つけたドノヴァンが、鋭く短い口笛を吹いて「ジョシュア」と呼びかけた。
「うちで働いていた使用人の息子なんだ……ジョシュア! こっちだ」
赤毛の若者は眉根を寄せて顔を上げ、忌々しげに野次馬を見回してドノヴァンを見つけるなり表情を一変させた。
「ドノヴァンさま! 無事に帰国したとは聞いていましたが、お元気そうですね?」
笑顔で駆け寄り、ドノヴァンが差し出した手を両手で握って振り回す。
「ああ、おかげさまで健康そのものだ。こんな朝っぱらから仕事だなんて、大変だな? 酔っ払いの喧嘩でもあったのか?」
「まさか! 喧嘩程度で呼び出されはしませんよ。死人が出たんです」
ジョシュアはうんざりしたように首を振り、肩越しに店から運び出される白い布に包まれた大小二つの物体を顎で示した。
「死人? 殺しか?」
「そうかもしれないし、お遊びが行き過ぎたのかもしれない。金持ちには、変わった趣味を持つ人間もいますから」
「……女がらみか?」
「ええ。真っ最中にグサリ。どっちが先に逝ったかはわかりません。短剣は床に落ちていたし、辺り一面血塗れで……早朝から拝むのには最高の景色でしたよ。当分、赤いドレスは見たくないですね」
よほど凄惨な光景だったのだろう。ジョシュアの顔は目に見えて青ざめた。
「それで、至福の中で死んだ憐れな男は?」
「パウエル伯爵です」
ジョシュアが声を潜めて告げた名に、クリフォードとドノヴァンは顔を見合わせた。
「相手は?」
「店に出入りしていた高級娼婦です。仮面を着けていたので上流階級の夫人かと思ったんですが、違いました。パウエル伯爵夫人にしてみれば、不幸中の幸いでしょうね。相手が有力者の夫人だったら、大スキャンダルになって、相手方の夫に財産を巻き上げられたかもしれない」
「そうだろうな。妻を寝取られた屈辱を金で晴らそうとする貴族は多い」
「それに、ケチくさい男も多い。娼婦を買って、やることやってから値切る男もいるようですからね。パウエル伯爵も、金の話でもめたんでしょう。あ、すみません、もう行かないと……」
同僚が呼ぶ声に、ジョシュアが振り返って「すぐ行く」と返事をする。
「邪魔して悪かったな。今度屋敷に遊びに来るといい。俺に仕事を頼まれていると言えば、入れるはずだ」
ドノヴァンもこれ以上訊き出せることはないと判断したらしい。
「まだ頼まれていませんが?」
「これから頼むかもしれない」
「ははっ! 前払いですか。公爵様に、顔だけでなく性格も似てきたようですね? ドノヴァンさま」
「喜んでいいのか、悲しんでいいのか……ま、救いは俺が三男で、ボールドウィン公爵になる可能性は限りなく低いということだ」
「近いうちにお屋敷に伺いますよ。では、失礼します」
ジョシュアが死体を乗せた馬車に乗って去って行くのを見送りながら、クリフォードは首を傾げた。
ドノヴァンも首を傾げて呟く。
「……偶然か?」
「偶然にしては、出来すぎだろう。次へ行くぞ」
踵を返したクリフォードは、野次馬をかき分けて馬車に飛び乗り、ドノヴァンが乗り込むなり猛然と馬車を走らせた。
「次とは? どこへ?」
「コールダー・メイソンを捕まえる。パウエル伯爵の死と関りがあるかどうかはわからないが、まったく無関係でもないだろう」
「あいつがどこに住んでいるか知っているのか?」
「たぶん、商人たちが多く住まいを構えているあたりじゃないのか? 詳しい場所は、おまえが知っているはずだ。ドノヴァン」
ドノヴァンはクリフォードの答えに天を仰ぎ、手綱を奪い取る。
「まったく、おまえの人使いの荒さはドラゴンにそっくりだよ……」
「ああ。当分、肉料理にはお目にかかりたくない」
地下牢に満ちる血の匂いからようやく解放されたクリフォードは、幌を上げた二人乗りの二輪馬車へドノヴァンと共に乗り込んだ。
地下牢に運びこまれた暗殺者の死体は見るも無残な有様で、引退した軍医が身体の隅々までほじくり返して探ったが、ネックレスはどこにもなかった。
「さてと……どこから始める?」
あくびをしながら尋ねるドノヴァンに、『ヴァニタス』と答える。
「コールダー・メイソンが関わっていることはわかっているが、仮面の女の正体はわからない。予想はつくが証拠がない」
ピーター・バーンズにあれこれ吹き込んだ女はロレインだったのではないかという疑いを抱いているが、単なる憶測だ。限りなく黒に近くとも、灰色であれば罪を問うわけにはいかない。
「俺なら、灰色は黒だと見なすぞ?」
「限りなく黒に近くとも、灰色は灰色だ」
理解出来ないと言うように肩を竦めたドノヴァンは、手綱を扱いて馬車を出した。
クリフォードは常々、座席がむき出しの二輪馬車はうぬぼれ屋の好む軽薄な乗り物だと思っていたが、使い古した雑巾のような気分で乗るには最適だった。
冷たい朝の空気が頭を冷やし、胸のむかつきを押さえてくれる。
いつも人であふれかえっている王都でも、日が昇ったばかりの時間から活動する者は少ない。普段は混雑する通りにも人影はなく、すれ違う馬車もいなかった。
ところが、賭博場や売春宿、酒場などがひしめき合う界隈へ差し掛かった途端、立ち往生する羽目になった。
早朝とは思えぬ人だかりが通りを塞ぎ、その先にある壁も扉も黒く塗りつぶされた『ヴァニタス』の前には、警察官らしき数人の男が立っている。
「何かあったのかもしれないな。知り合いがいれば、事情を聞けるだろう」
抜け目ない視線でカモを物色している様子の少年を見つけたクリフォードは、硬貨を放って馬車を任せると野次馬をかき分けて進むドノヴァンを追った。
群がる野次馬を押し返し、怒鳴りつけている警察官の中に知った顔を見つけたドノヴァンが、鋭く短い口笛を吹いて「ジョシュア」と呼びかけた。
「うちで働いていた使用人の息子なんだ……ジョシュア! こっちだ」
赤毛の若者は眉根を寄せて顔を上げ、忌々しげに野次馬を見回してドノヴァンを見つけるなり表情を一変させた。
「ドノヴァンさま! 無事に帰国したとは聞いていましたが、お元気そうですね?」
笑顔で駆け寄り、ドノヴァンが差し出した手を両手で握って振り回す。
「ああ、おかげさまで健康そのものだ。こんな朝っぱらから仕事だなんて、大変だな? 酔っ払いの喧嘩でもあったのか?」
「まさか! 喧嘩程度で呼び出されはしませんよ。死人が出たんです」
ジョシュアはうんざりしたように首を振り、肩越しに店から運び出される白い布に包まれた大小二つの物体を顎で示した。
「死人? 殺しか?」
「そうかもしれないし、お遊びが行き過ぎたのかもしれない。金持ちには、変わった趣味を持つ人間もいますから」
「……女がらみか?」
「ええ。真っ最中にグサリ。どっちが先に逝ったかはわかりません。短剣は床に落ちていたし、辺り一面血塗れで……早朝から拝むのには最高の景色でしたよ。当分、赤いドレスは見たくないですね」
よほど凄惨な光景だったのだろう。ジョシュアの顔は目に見えて青ざめた。
「それで、至福の中で死んだ憐れな男は?」
「パウエル伯爵です」
ジョシュアが声を潜めて告げた名に、クリフォードとドノヴァンは顔を見合わせた。
「相手は?」
「店に出入りしていた高級娼婦です。仮面を着けていたので上流階級の夫人かと思ったんですが、違いました。パウエル伯爵夫人にしてみれば、不幸中の幸いでしょうね。相手が有力者の夫人だったら、大スキャンダルになって、相手方の夫に財産を巻き上げられたかもしれない」
「そうだろうな。妻を寝取られた屈辱を金で晴らそうとする貴族は多い」
「それに、ケチくさい男も多い。娼婦を買って、やることやってから値切る男もいるようですからね。パウエル伯爵も、金の話でもめたんでしょう。あ、すみません、もう行かないと……」
同僚が呼ぶ声に、ジョシュアが振り返って「すぐ行く」と返事をする。
「邪魔して悪かったな。今度屋敷に遊びに来るといい。俺に仕事を頼まれていると言えば、入れるはずだ」
ドノヴァンもこれ以上訊き出せることはないと判断したらしい。
「まだ頼まれていませんが?」
「これから頼むかもしれない」
「ははっ! 前払いですか。公爵様に、顔だけでなく性格も似てきたようですね? ドノヴァンさま」
「喜んでいいのか、悲しんでいいのか……ま、救いは俺が三男で、ボールドウィン公爵になる可能性は限りなく低いということだ」
「近いうちにお屋敷に伺いますよ。では、失礼します」
ジョシュアが死体を乗せた馬車に乗って去って行くのを見送りながら、クリフォードは首を傾げた。
ドノヴァンも首を傾げて呟く。
「……偶然か?」
「偶然にしては、出来すぎだろう。次へ行くぞ」
踵を返したクリフォードは、野次馬をかき分けて馬車に飛び乗り、ドノヴァンが乗り込むなり猛然と馬車を走らせた。
「次とは? どこへ?」
「コールダー・メイソンを捕まえる。パウエル伯爵の死と関りがあるかどうかはわからないが、まったく無関係でもないだろう」
「あいつがどこに住んでいるか知っているのか?」
「たぶん、商人たちが多く住まいを構えているあたりじゃないのか? 詳しい場所は、おまえが知っているはずだ。ドノヴァン」
ドノヴァンはクリフォードの答えに天を仰ぎ、手綱を奪い取る。
「まったく、おまえの人使いの荒さはドラゴンにそっくりだよ……」
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