伯爵さまと羊飼い

唯純 楽

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第六章

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 そのまま、どちらも口を開くことなく、使用人が使っている裏口から外へ出て広い敷地の北東にある古びた礼拝堂へ向かった。そこに、地下牢の入り口があるらしい。

「地下牢は何十年も使われていない状態で、カビや色んな物が生息している。実に居心地がいい場所だ。拷問用の器具もそろっているしな。母上やおばあさまは封鎖してはどうかと勧めたが、父上は不測の事態がいつ起きるかわからないと言って、残すことになったんだ」

「ボールドウィン公爵は、備えを怠らない人だからな」

「ああ、父上は用意周到だよ。だが俺は、先祖がそこで何をしていたか知りたくないし、地下牢なんてものは悪事のため以外に役に立つことなどないと思っている」

 地下牢の説明をするドノヴァンの声には嫌悪が滲み出ていた。
 危険な任務の中で、彼自身が地下牢に繋がれたことがあるのかもしれない。

 ドノヴァンが自分を破滅から救ってくれたように、いつか彼が助けを必要としているときには、自分が力になれるようクリフォードは願った。

「古いものなら、そのうち自然に崩れてなくなるかもしれないな?」

「まあな。入り口が、突然崩れ落ちることもあるかもしれない。近いうちに……」

 クリフォードが言外に匂わせたことを感じ取ったのか、ドノヴァンは古びた木の扉に手をかけながら、にやりと笑った。

 軋む扉を開け、冷えた空気が満ちる礼拝堂へ足を踏み入れる。

 長椅子や石床には、忘れ去られた時の長さを示す埃が降り積もり、小さな窓から差し込む月光を柔らかく反射していた。

 埃の上にくっきり残る足跡を辿って行くと、内陣の中央に据えられた祭壇に辿り着く。

「こいつの下に地下牢へ続く階段があるんだ」

「閉じ込められたら、中から開けることはできないのか?」

「そうだ。抜け穴はない」
 
 きっと幾人もの人間の逃亡を阻んできたに違いない、石造りの祭壇をドノヴァンと力を合わせて押す。
 石がこすれ合う鈍い音が淀んだ空気を破り、四角い暗闇がぽっかりと口を開けた。

「……かぐわしい匂いだな」

「ああ。隅々まで見えない暗さをありがたく思ったほうがいい」

 湿った黴臭い匂いに、ドノヴァンが鼻に皺を寄せる。

 祭壇に置かれていた燭台に火を灯し、頼りない光で足元を照らしながら長い階段を下りきると、右手に真っ直ぐ伸びる通路があった。

 左右には鉄格子で遮られた四つの牢があり、四人の屈強な男が見張っている一番奥の牢から、言い訳を並べるピーター・バーンズの声が聞こえて来る。

「ちょっとまちがって撃っただけだ。本気じゃなかったんだ。なあ……」

 見張り番をしていた男たちは、ドノヴァンとクリフォードの姿を認めると脇へ退き、錆びついた鉄格子の扉を開いた。

「見張りをそそのかすとは、ずいぶん余裕だな? さっさと拷問を始めたほうがよさそうだ」

 ドノヴァンの言葉を聞いたピーターは、唾を飛ばして叫んだ。

「ご、拷問だってっ!? や、やめてくれっ! 何でもっ! 知っていることは何でも喋るっ!」

 粗末な木の椅子に縛り付けられ、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を歪めて命乞いする姿に、クリフォードは憐みなど欠片も感じなかった。
 むしろ殺意を覚える。
 この男は、ハリエットを撃ち殺そうとしたのだ。いますぐ蜂の巣にしてやりたい。

「さっそく、洗いざらい話してもらおうか。どうしてハリエットのネックレスを狙った?」

 時間を無駄にする気がないドノヴァンは、前置きもなく本題へ入った。

「ど、どこかで、あいつが持っているネックレスが高価なものだと聞いたんだ」

「よく思い出せるよう、左腕も使えなくしてやろうか?」

 ドノヴァンの脅しに、クリフォードがぜひともそうしてやってくれと言いそうになったとき、ピーターが必死の形相で訴えた。

「た、たぶん『ヴァニタス』で聞いたんだっ!」

 馴染みの店の名に、ドノヴァンとクリフォードは顔を見合わせた。

 五年ほど前まで、二人でよく出入りしていたいかがわしさの象徴のような店だ。
 賭け事、酒、密談に情事。後ろ暗いものを詰め込んだ店には、怪しげな人物から紳士淑女の仮面を脱ぎ捨てた貴族まで、ありとあらゆる人間が集う。
 店主とは顔なじみだし、しかるべき手段で問い詰めれば店で何が起きたかを白状させられるが、まずは当事者から訊き出すべきだろう。

 同じ見解らしいドノヴァンは、手にしていた銃を無造作にピーターへ向けた。

「こいつは、これ以上役に立つ情報を持っていないようだ。始末していいか? クリフ」

「し、始末……?」

 ピーターは目を見開き、ドノヴァンとクリフォードを交互に見遣り、額に新たな汗を滲ませて訴える。

「ま、待ってくれっ! 時間を……時間をくれれば何か思い出せるかもしれないっ!」

「時間はたっぷりやっただろう? もう十分だ」

 わざとらしく弾が装填されていることを確かめるドノヴァンの仕草に、ピーターの顔色が青を通り越して白へと変わる。

 クリフォードは、たいていの商人が邪な考えを改めずにはいられなくなる、冷ややかな眼差しをピーターへ向けた。 

「殺してしまえと言いたいところだが……これを聞けば何もかも思い出せるんじゃないか? おまえの借用書のほとんどが、私の手元にある」

「な、なんだってっ!?」

「どうあっても思い出せないのなら、監獄へ放り込むまでだ。日の当たらない湿った牢で、ネズミと一緒に干からびたパンを齧ってみじめな毎日を送れるだろう」

 クリフォードは、ピーター・バーンズが喋ろうが喋るまいが船に積み込むつもりだったが、わざわざ事前に教える必要はないだろう。借りたものを返さずに済む思うほうがどうかしている。

「か、監獄……」

「それが嫌なら、あの世へ送り届けてやってもいい」

 ドノヴァンの申し出に、ピーターの顔が真っ青になった。

「ま、まさか、本気じゃないよな?」

「残念ながら……限りなく本気だ」
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