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第三章
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「身に余る光栄に存じます。次に、こちらが元執事からの返事でございます」
クリフォードは、怒りのあまり震える手で受け取った。
深呼吸し、なんとか落ち着きを取り戻してから、香水も洒落た透かしもない実用一辺倒の手紙を開き、がっかりした。
「どうかなさいましたか? 旦那さま。何か気にかかることでも?」
「執事が言うには、イザドラの死後、書斎や私室などあらゆるところを片付けたが、それらしきものは見当たらなかったらしい」
「それは……ホワイト伯爵未亡人さまが、生前に処分したということでしょうか?」
「その可能性もあるが、私信とは気づかず、その他の書類と一緒に弁護士が持ち去ったのではないかと言っている。イザドラの書斎は、かなり乱雑な状態に保たれていたそうだ」
「なるほど……もう一度、元弁護士に問い合わせる必要があるということですね」
「ああ。いま手紙を書いてしまうから、明日の朝一番で届けてくれ」
クリフォードはペンを取り上げると、イザドラの私信すべてをこちらに渡すよう弁護士宛ての手紙をしたためた。
「すぐに用意できるなら、使いの者に手渡してくれてるよう書いておいた」
「かしこまりました。従僕に馬車で行かせましょう。大量にあるかもしれませんので。なお……残念ながら、リチャードソン牧師からの返事はまだでございます」
「当たり前だ。まだあちらに届いてもいないだろうに」
「お返事を待ちわびていらっしゃるのではないかと思ったものですから」
涼しい顔で嫌みを言うバーナードを睨むと厭味ったらしい微笑みが返って来る。
いまとなっては、ハリエットの身元を信用するのに、牧師の返事を待つ必要はなかった。
彼女が偽者の詐欺師かもしれないと疑う気持ちは、すっかり失せている。
何かを与えられれば恐縮し、お礼代わりにせっせと働こうとする詐欺師なんかいない。
今夜もドレスの礼にと、夕食後の皿洗いをしようとしたのだ。
クリフォードが、やんわり「ドレスを着て皿洗いはしないものだ」と諭すと大人しく引き下がったが、きっと明日の朝、早くから起き出して何か仕事を見つけるつもりだろう。
『でも』と言いかけたのを無理に呑み込んだせいか、しゃっくりをしていた。
「では、最後にこちらを」
バーナードは恭しい仕草で一礼し、懐から取り出した紙を机の上に置いた。
「手っ取り早く悪徳地主を追い出すのに役立つかと思われます」
紙面を埋める数十人に及ぶ賭博師や高利貸したちは、とりわけ質が悪い人物として知られている者ばかりだった。
「興味深いリストだな」
そこにコールダー・メイソンの名を見つけ、久しぶりに会ったロレインのことを思い出し、クリフォードは眉根を寄せた。
パウエル伯爵夫人ロレインは、昔から幾人もの男の愛人をしていたが、相手は爵位持ちに限られていたはずだ。
コールダー・メイソンは、金融業とは名ばかりの高利貸しで、爵位は有していない。ロレインの虚栄心を満たせる相手とは思えなかった。
二人が欲望や情熱ではないもので結びついているとすれば、それは何なのか気になる。
「どうかなさいましたか? 旦那さま」
考え込んでいたクリフォードは、手にした紙をひらひらと振った。
「いや。よくもこれだけ借りられたものだと思っただけだ。ピーター・バーンズは、叩けば借用書がいくらでも出てきそうだな」
「ええ。分厚い本になるかもしれません。王都の大学に在籍していた頃から賭博にのめり込み、いまやヘザートンを売り払っても返せないほどの借金を負っているようですので」
「バーンズ家からホワイト伯爵未亡人への借地代の支払いは、年二回。来月が今年の一回目だったな?」
「そのとおりでございます」
「ホワイト伯爵未亡人へ支払うべき金を使い込んで、慌てて金をかき集めようとしているのかもしれない。だが、土地を巻き上げただけでは金にならない。何か企んでいるのだろう。治安判事も一枚噛んでいる可能性は高い。ハリエットが訴えたような真似をヘザートンでしているのに、何の対処もしないのは、見て見ぬふりをしているからとも考えられる。もちろん、それなりのものを貰っているのだろう」
「まったく、嘆かわしいことでございます」
「ああ。だが、珍しいことではない。治安判事の件は大法官に任せる。ほかの虎の尾を踏む危険は冒したくないからな」
「ピーター・バーンズは、いかがなさるおつもりですか?」
「速やかにヘザートンから追い出す。ピーター・バーンズが破産の危機にあるという噂を流すと同時に、いくつかの賭場に奴の借用書を買い上げたい人間がいるという噂を流す」
「つまり、借用書を買い叩かれるおつもりで?」
「そうだ。まったく回収できないよりは、三分の一でも回収したいと考えるはずだ。こちらが買い上げた借用書の分は、ピーター・バーンズに働いて返してもらう。遠洋航海の船は、高い給金にもかかわらず、常に水夫が足りないからな。二、三年船に乗せておけば元は取れるだろう。あとは、適当な寄港地で置き去りにしてやればいい」
バーナードはわずかに眉を引き上げたものの、何も言わなかった。
残る問題は、ネックレス――ハリエットの両親だ。
「バーナード。口が堅く、ならず者のあしらい方を知っている人物に心当たりは?」
二十年近くも前の出来事について、ネックレスだけを頼りに調べるのは簡単なことではない。伯爵が動き回るには、不都合のある場所にも出入りしなくてはならないことも予想される。
誰かの手助けが必要だった。
こんな時には必ず頼りにしていた人物が脳裏に浮かんだが、キルケイクに戻っているかどうかもわからないし、五年近く疎遠になっていた。
最後に会ったとき、喧嘩別れしたせいだ。
本当は、とっくの昔に謝罪すべきだったのに、ずっと先送りにしていたのはクリフォードの怠慢だった。
「思い当たる人物が一人おります」
しばらく考え込んでいたバーナードが呟いた。
「引き受けてもらえるかどうかはわかりませんが、とにかく打診してみましょう。ちなみに、探したいとお考えになっているのは、ハリエットさまのご両親でしょうか?」
「ああ。ただし、単なる人探しでは済まない可能性がある。実は、ハリエットが犬の首にぶら下げているものなんだが……」
クリフォードがネックレスの鑑定結果を口にしかけた時、激しい吠え声が聞こえた。
現在、フィッツロイの屋敷にいる犬はレヴィ一匹だけだ。
そして、レヴィはハリエットと一緒に眠っている。
「…………」
「…………」
バーナードと顔を見合わせ、クリフォードは部屋を飛び出した。
クリフォードは、怒りのあまり震える手で受け取った。
深呼吸し、なんとか落ち着きを取り戻してから、香水も洒落た透かしもない実用一辺倒の手紙を開き、がっかりした。
「どうかなさいましたか? 旦那さま。何か気にかかることでも?」
「執事が言うには、イザドラの死後、書斎や私室などあらゆるところを片付けたが、それらしきものは見当たらなかったらしい」
「それは……ホワイト伯爵未亡人さまが、生前に処分したということでしょうか?」
「その可能性もあるが、私信とは気づかず、その他の書類と一緒に弁護士が持ち去ったのではないかと言っている。イザドラの書斎は、かなり乱雑な状態に保たれていたそうだ」
「なるほど……もう一度、元弁護士に問い合わせる必要があるということですね」
「ああ。いま手紙を書いてしまうから、明日の朝一番で届けてくれ」
クリフォードはペンを取り上げると、イザドラの私信すべてをこちらに渡すよう弁護士宛ての手紙をしたためた。
「すぐに用意できるなら、使いの者に手渡してくれてるよう書いておいた」
「かしこまりました。従僕に馬車で行かせましょう。大量にあるかもしれませんので。なお……残念ながら、リチャードソン牧師からの返事はまだでございます」
「当たり前だ。まだあちらに届いてもいないだろうに」
「お返事を待ちわびていらっしゃるのではないかと思ったものですから」
涼しい顔で嫌みを言うバーナードを睨むと厭味ったらしい微笑みが返って来る。
いまとなっては、ハリエットの身元を信用するのに、牧師の返事を待つ必要はなかった。
彼女が偽者の詐欺師かもしれないと疑う気持ちは、すっかり失せている。
何かを与えられれば恐縮し、お礼代わりにせっせと働こうとする詐欺師なんかいない。
今夜もドレスの礼にと、夕食後の皿洗いをしようとしたのだ。
クリフォードが、やんわり「ドレスを着て皿洗いはしないものだ」と諭すと大人しく引き下がったが、きっと明日の朝、早くから起き出して何か仕事を見つけるつもりだろう。
『でも』と言いかけたのを無理に呑み込んだせいか、しゃっくりをしていた。
「では、最後にこちらを」
バーナードは恭しい仕草で一礼し、懐から取り出した紙を机の上に置いた。
「手っ取り早く悪徳地主を追い出すのに役立つかと思われます」
紙面を埋める数十人に及ぶ賭博師や高利貸したちは、とりわけ質が悪い人物として知られている者ばかりだった。
「興味深いリストだな」
そこにコールダー・メイソンの名を見つけ、久しぶりに会ったロレインのことを思い出し、クリフォードは眉根を寄せた。
パウエル伯爵夫人ロレインは、昔から幾人もの男の愛人をしていたが、相手は爵位持ちに限られていたはずだ。
コールダー・メイソンは、金融業とは名ばかりの高利貸しで、爵位は有していない。ロレインの虚栄心を満たせる相手とは思えなかった。
二人が欲望や情熱ではないもので結びついているとすれば、それは何なのか気になる。
「どうかなさいましたか? 旦那さま」
考え込んでいたクリフォードは、手にした紙をひらひらと振った。
「いや。よくもこれだけ借りられたものだと思っただけだ。ピーター・バーンズは、叩けば借用書がいくらでも出てきそうだな」
「ええ。分厚い本になるかもしれません。王都の大学に在籍していた頃から賭博にのめり込み、いまやヘザートンを売り払っても返せないほどの借金を負っているようですので」
「バーンズ家からホワイト伯爵未亡人への借地代の支払いは、年二回。来月が今年の一回目だったな?」
「そのとおりでございます」
「ホワイト伯爵未亡人へ支払うべき金を使い込んで、慌てて金をかき集めようとしているのかもしれない。だが、土地を巻き上げただけでは金にならない。何か企んでいるのだろう。治安判事も一枚噛んでいる可能性は高い。ハリエットが訴えたような真似をヘザートンでしているのに、何の対処もしないのは、見て見ぬふりをしているからとも考えられる。もちろん、それなりのものを貰っているのだろう」
「まったく、嘆かわしいことでございます」
「ああ。だが、珍しいことではない。治安判事の件は大法官に任せる。ほかの虎の尾を踏む危険は冒したくないからな」
「ピーター・バーンズは、いかがなさるおつもりですか?」
「速やかにヘザートンから追い出す。ピーター・バーンズが破産の危機にあるという噂を流すと同時に、いくつかの賭場に奴の借用書を買い上げたい人間がいるという噂を流す」
「つまり、借用書を買い叩かれるおつもりで?」
「そうだ。まったく回収できないよりは、三分の一でも回収したいと考えるはずだ。こちらが買い上げた借用書の分は、ピーター・バーンズに働いて返してもらう。遠洋航海の船は、高い給金にもかかわらず、常に水夫が足りないからな。二、三年船に乗せておけば元は取れるだろう。あとは、適当な寄港地で置き去りにしてやればいい」
バーナードはわずかに眉を引き上げたものの、何も言わなかった。
残る問題は、ネックレス――ハリエットの両親だ。
「バーナード。口が堅く、ならず者のあしらい方を知っている人物に心当たりは?」
二十年近くも前の出来事について、ネックレスだけを頼りに調べるのは簡単なことではない。伯爵が動き回るには、不都合のある場所にも出入りしなくてはならないことも予想される。
誰かの手助けが必要だった。
こんな時には必ず頼りにしていた人物が脳裏に浮かんだが、キルケイクに戻っているかどうかもわからないし、五年近く疎遠になっていた。
最後に会ったとき、喧嘩別れしたせいだ。
本当は、とっくの昔に謝罪すべきだったのに、ずっと先送りにしていたのはクリフォードの怠慢だった。
「思い当たる人物が一人おります」
しばらく考え込んでいたバーナードが呟いた。
「引き受けてもらえるかどうかはわかりませんが、とにかく打診してみましょう。ちなみに、探したいとお考えになっているのは、ハリエットさまのご両親でしょうか?」
「ああ。ただし、単なる人探しでは済まない可能性がある。実は、ハリエットが犬の首にぶら下げているものなんだが……」
クリフォードがネックレスの鑑定結果を口にしかけた時、激しい吠え声が聞こえた。
現在、フィッツロイの屋敷にいる犬はレヴィ一匹だけだ。
そして、レヴィはハリエットと一緒に眠っている。
「…………」
「…………」
バーナードと顔を見合わせ、クリフォードは部屋を飛び出した。
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