24 / 24
新たな関係
しおりを挟む
湊の葬儀から間もなく、年明けに大きな異動があるとのウワサが広まった。
それは、隊長代理である荒川の代わりに、新たな隊長が改めて配属されるだろうという内容だった。
「そりゃ、荒川大佐のおかげで、見違えるくらいよく練成されたと思うよ。けど、やっぱり代理は代理だからなぁ。大佐じゃ、隊長なるには星足りないもんな。で、どうなのよ?」
向かいに座ってガツガツ昼飯を食べている脇田のフリに、夕は首を振る。
「俺に訊くなよ。人事のことなんか、わかるわけないだろ」
「そうだよなぁ。で、今度の演習のことは?」
「本決まりらしい」
今度の演習というのは、春季訓練を兼ねて、高村のところがやってくるついでに、模擬戦まがいのことをしよう、というのである。
これは、どうやら昨年末の国会で決まった夏からの国連軍本格始動への布石らしく、荒川は何度も宮内・石山中佐を呼んで、計画の練り直しをさせていた。
最初は、鼻持ちならないエリート意識を前面に出していた二人だが、やはり荒川の経験に基づいた指摘は、二人の机上の空論なんかよりは数倍、いや数百倍説得力も根拠もあり、近頃では積極的に意見を求めるようになっている。
これは、若い兵士の間でも同じで、結構、頻繁に、気軽に、隊長室にやってくる兵士が増えた。
女性兵士たちは、時々雑談しに来ては、夕を追い出す。
こっちは仕事してるんだと、何度怒り狂ったことか。
でも、これが、別の隊長に代わったら、どうだろうか。
「あーあ。この期に及んで、朝礼でオヤジの長い説教なんか聞きたくねー。荒川大佐の挨拶、いっつも短くて、それでもっていい脚見れるってんで、兵士の間じゃ、至福のひとときって言われてんだぜ」
「至福って……」
「おまえ、いっつも一緒にいるから、見慣れちまってんだよ」
そう言われれば、そうかも。
いつも視界に入るところにいて、何をするときにも一番に呼ばれて自分は犬か、と思ったりすることもあるけれど。
「それで、進展は?」
「は? 進展? なんの?」
「かーっ! おまえ、ほんとダメだな。あのカワイイ短大生も振っちまったんだろ?」
「振る以前の問題だよ。付き合ってもいねーよ」
「ひでぇオトコだ」
「あっちだって、本気じゃないだろ」
「そうだけどよー」
あまりにも簡単に手に入るものに、執着など感じない。
傲慢かもしれないが、望んでも望んでも、なかなか手に出来ない方が、いい。
「城崎准尉」
不意に、女性の声で呼ばれ、夕はあやうく味噌汁を噴出しかけた。
「え?」
「ちょっと、時間ありますか?」
振り返ると、同期の笹谷准尉がそこにいた。
「今?」
「食べ終わったらでいいです。外で待ってます」
夕の返事など聞きもせず、さっさと去っていく。
「おいおい…何しでかしたんだよ?」
脇田が小声で囁くのは、笹谷の異名を意識してのことだ。
鬼軍曹。
格闘・射撃・持久走で検定二級の体力に、頭も悪くない。
学歴ではなく、その実力で上級士官扱いとなった逸材でもある。
「気をつけてくれよぉ」
気後れはするものの、待っている相手をシカトするわけにもいかず、食器を下げると足早に食堂を出た。
笹谷は、夕が出てくると、歩きながら話したいと言った。
「率直に聞きますけど、城崎准尉。今、誰か付き合っている人、いますか?」
「え、いや、いないけど…」
「同期の石田、知ってますよね?」
「石田……ああ」
確か、昨年ちょうど荒川が赴任する少し前に、告白されたことを思い出す。
「あのコと、付き合ってくれませんか?」
「はぁっ!?」
夕は、あまりの驚きに、思わず立ち止まった。
「ちょっと、声が大きいですっ!」
「つか、自分、何言ってるかわかってんのかよ、お前」
「イロイロと、事情があるんです! そもそも、なんで告白断ったんですか」
「んなの、こっちの都合だろ。お前にカンケイないだろうが」
「人助けだと思って、お願いします! 城崎准尉なら、遊びでも、大したことにならないけど、他だと大事になるし」
その言われようは、なんだか酷い。
しかし、人助けとはなんだ。
「今、あのコ、思いつめるとちょっと危ないっていうか……」
「おいおい……そりゃ医者の出番だろ」
「そういうんじゃなくて。よくあるでしょう、ダメだってわかってても、やめられないってこと」
それを訊いて、夕はやや思い当たる節があった。
「……不倫、か?」
「誰、とはいえないけど…」
石田の告白を夕が断った理由は、実はそこにあった。
ウワサではあったが、ある幹部と付き合っていると聞いていたのだ。
もしかしたらウワサだけかもしれないのだが、同じ隊の人間とナントカ兄弟になるのは生理的にイヤだった。
だから、断ったのだ。
そもそもが、好きでもない、好みでもない女と付き合うほど、がっついてはいない。
「俺にアテ馬になれってのかよ」
「フリでもいいんです。他にも、目を向けられるようになれば、冷めると思うから……」
そう言う笹谷の表情に、夕は少し引っかかるものがあった。
「そういうお前はどうなんだよ。何で、石田がヤバイって思うんだ?」
笹谷の表情が、痛みを示す。
「同じだから。ちょっと前の私と。だから、ろくなことにならないってわかってるんです。でも、人の言うこと聞くくらいなら、そんなことにハマったりしないわけじゃないですか」
「相手の男を教えろよ。そっちに交渉した方が、早い」
「ダメです」
「幹部だからか?」
夕の質問に、笹谷は頷いた。
相手が幹部では、国連軍などという新米兵士の寄せ集めの上級士官の出る幕はない。
「荒川大佐には言ったのか?」
笹谷は、まさか、という顔で夕を見上げた。
「話してみたら? 多分、ナントカしてくれるぜ」
「そんな……だって……荒川大佐だって幹部よ?」
「今、この師団ではあの人が一番偉い。それに……」
夕は、少しためらった。その言葉を口にするのを。
何故かというと、少し気恥ずかしかったからだ。
「荒川大佐は、信頼できる。俺は、あの人が判断を誤ったのを見たことがない。普段は、結構天然だけど、肝心なとき、あの人は絶対部下を裏切らない」
笹谷は、唇をかんで少し考えていたが、わかった、と小さく呟いた。
「考えてみます」
「俺も、石田のこと、気をつけておくよ」
夕の言葉に、笹谷はもう一度ありがとう、と小さく言った。
だが、その考えは、少々甘かった。
事態は、とっくの昔に、切迫していたのだ。
それは、隊長代理である荒川の代わりに、新たな隊長が改めて配属されるだろうという内容だった。
「そりゃ、荒川大佐のおかげで、見違えるくらいよく練成されたと思うよ。けど、やっぱり代理は代理だからなぁ。大佐じゃ、隊長なるには星足りないもんな。で、どうなのよ?」
向かいに座ってガツガツ昼飯を食べている脇田のフリに、夕は首を振る。
「俺に訊くなよ。人事のことなんか、わかるわけないだろ」
「そうだよなぁ。で、今度の演習のことは?」
「本決まりらしい」
今度の演習というのは、春季訓練を兼ねて、高村のところがやってくるついでに、模擬戦まがいのことをしよう、というのである。
これは、どうやら昨年末の国会で決まった夏からの国連軍本格始動への布石らしく、荒川は何度も宮内・石山中佐を呼んで、計画の練り直しをさせていた。
最初は、鼻持ちならないエリート意識を前面に出していた二人だが、やはり荒川の経験に基づいた指摘は、二人の机上の空論なんかよりは数倍、いや数百倍説得力も根拠もあり、近頃では積極的に意見を求めるようになっている。
これは、若い兵士の間でも同じで、結構、頻繁に、気軽に、隊長室にやってくる兵士が増えた。
女性兵士たちは、時々雑談しに来ては、夕を追い出す。
こっちは仕事してるんだと、何度怒り狂ったことか。
でも、これが、別の隊長に代わったら、どうだろうか。
「あーあ。この期に及んで、朝礼でオヤジの長い説教なんか聞きたくねー。荒川大佐の挨拶、いっつも短くて、それでもっていい脚見れるってんで、兵士の間じゃ、至福のひとときって言われてんだぜ」
「至福って……」
「おまえ、いっつも一緒にいるから、見慣れちまってんだよ」
そう言われれば、そうかも。
いつも視界に入るところにいて、何をするときにも一番に呼ばれて自分は犬か、と思ったりすることもあるけれど。
「それで、進展は?」
「は? 進展? なんの?」
「かーっ! おまえ、ほんとダメだな。あのカワイイ短大生も振っちまったんだろ?」
「振る以前の問題だよ。付き合ってもいねーよ」
「ひでぇオトコだ」
「あっちだって、本気じゃないだろ」
「そうだけどよー」
あまりにも簡単に手に入るものに、執着など感じない。
傲慢かもしれないが、望んでも望んでも、なかなか手に出来ない方が、いい。
「城崎准尉」
不意に、女性の声で呼ばれ、夕はあやうく味噌汁を噴出しかけた。
「え?」
「ちょっと、時間ありますか?」
振り返ると、同期の笹谷准尉がそこにいた。
「今?」
「食べ終わったらでいいです。外で待ってます」
夕の返事など聞きもせず、さっさと去っていく。
「おいおい…何しでかしたんだよ?」
脇田が小声で囁くのは、笹谷の異名を意識してのことだ。
鬼軍曹。
格闘・射撃・持久走で検定二級の体力に、頭も悪くない。
学歴ではなく、その実力で上級士官扱いとなった逸材でもある。
「気をつけてくれよぉ」
気後れはするものの、待っている相手をシカトするわけにもいかず、食器を下げると足早に食堂を出た。
笹谷は、夕が出てくると、歩きながら話したいと言った。
「率直に聞きますけど、城崎准尉。今、誰か付き合っている人、いますか?」
「え、いや、いないけど…」
「同期の石田、知ってますよね?」
「石田……ああ」
確か、昨年ちょうど荒川が赴任する少し前に、告白されたことを思い出す。
「あのコと、付き合ってくれませんか?」
「はぁっ!?」
夕は、あまりの驚きに、思わず立ち止まった。
「ちょっと、声が大きいですっ!」
「つか、自分、何言ってるかわかってんのかよ、お前」
「イロイロと、事情があるんです! そもそも、なんで告白断ったんですか」
「んなの、こっちの都合だろ。お前にカンケイないだろうが」
「人助けだと思って、お願いします! 城崎准尉なら、遊びでも、大したことにならないけど、他だと大事になるし」
その言われようは、なんだか酷い。
しかし、人助けとはなんだ。
「今、あのコ、思いつめるとちょっと危ないっていうか……」
「おいおい……そりゃ医者の出番だろ」
「そういうんじゃなくて。よくあるでしょう、ダメだってわかってても、やめられないってこと」
それを訊いて、夕はやや思い当たる節があった。
「……不倫、か?」
「誰、とはいえないけど…」
石田の告白を夕が断った理由は、実はそこにあった。
ウワサではあったが、ある幹部と付き合っていると聞いていたのだ。
もしかしたらウワサだけかもしれないのだが、同じ隊の人間とナントカ兄弟になるのは生理的にイヤだった。
だから、断ったのだ。
そもそもが、好きでもない、好みでもない女と付き合うほど、がっついてはいない。
「俺にアテ馬になれってのかよ」
「フリでもいいんです。他にも、目を向けられるようになれば、冷めると思うから……」
そう言う笹谷の表情に、夕は少し引っかかるものがあった。
「そういうお前はどうなんだよ。何で、石田がヤバイって思うんだ?」
笹谷の表情が、痛みを示す。
「同じだから。ちょっと前の私と。だから、ろくなことにならないってわかってるんです。でも、人の言うこと聞くくらいなら、そんなことにハマったりしないわけじゃないですか」
「相手の男を教えろよ。そっちに交渉した方が、早い」
「ダメです」
「幹部だからか?」
夕の質問に、笹谷は頷いた。
相手が幹部では、国連軍などという新米兵士の寄せ集めの上級士官の出る幕はない。
「荒川大佐には言ったのか?」
笹谷は、まさか、という顔で夕を見上げた。
「話してみたら? 多分、ナントカしてくれるぜ」
「そんな……だって……荒川大佐だって幹部よ?」
「今、この師団ではあの人が一番偉い。それに……」
夕は、少しためらった。その言葉を口にするのを。
何故かというと、少し気恥ずかしかったからだ。
「荒川大佐は、信頼できる。俺は、あの人が判断を誤ったのを見たことがない。普段は、結構天然だけど、肝心なとき、あの人は絶対部下を裏切らない」
笹谷は、唇をかんで少し考えていたが、わかった、と小さく呟いた。
「考えてみます」
「俺も、石田のこと、気をつけておくよ」
夕の言葉に、笹谷はもう一度ありがとう、と小さく言った。
だが、その考えは、少々甘かった。
事態は、とっくの昔に、切迫していたのだ。
0
お気に入りに追加
24
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
遅咲きの恋の花は深い愛に溺れる
あさの紅茶
恋愛
学生のときにストーカーされたことがトラウマで恋愛に二の足を踏んでいる、橘和花(25)
仕事はできるが恋愛は下手なエリートチーム長、佐伯秀人(32)
職場で気分が悪くなった和花を助けてくれたのは、通りすがりの佐伯だった。
「あの、その、佐伯さんは覚えていらっしゃらないかもしれませんが、その節はお世話になりました」
「……とても驚きましたし心配しましたけど、元気な姿を見ることができてほっとしています」
和花と秀人、恋愛下手な二人の恋はここから始まった。
**********
このお話は他のサイトにも掲載しています
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
野蛮業
やなぎ怜
恋愛
死者の声を聴くことで糊口を凌ぐ木っ端霊能力者のガブリエルは、治安の悪い地域で格安瑕疵物件を借りている貧乏人。ひょんなことからギャングのボスの秘密を知らされることになってしまう。彼は初恋をこじらせており、その相手はガブリエルの学生時代の先輩だったのだ。以来、なにかと呼び出されては恋愛相談(という名の一方的な愚痴やらなんやら)に付き合わされることになる。ふたりのあいだには誓ってなにもないが、周囲はそうとは思わず……そしてそれはガブリエルの幼馴染で今は立派なギャングの幹部であるエルドレッドも例外ではなく――。
【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎
——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。
※連載当時のものです。
優しい微笑をください~上司の誤解をとく方法
栗原さとみ
恋愛
仕事のできる上司に、誤解され嫌われている私。どうやら会長の愛人でコネ入社だと思われているらしい…。その上浮気っぽいと思われているようで。上司はイケメンだし、仕事ぶりは素敵過ぎて、片想いを拗らせていくばかり。甘々オフィスラブ、王道のほっこり系恋愛話。
ずぶ濡れで帰ったら置き手紙がありました
宵闇 月
恋愛
雨に降られてずぶ濡れで帰ったら同棲していた彼氏からの置き手紙がありーー
私の何がダメだったの?
ずぶ濡れシリーズ第二弾です。
※ 最後まで書き終えてます。
俺が好きなのはあなただけ〜恋愛初心者は極上男子の腕の中〜
鈴屋埜猫
恋愛
30歳を目前に、結婚に焦りを覚え始めた香山奈月。そんな彼女が出会ったのは、黒髪にブルーの瞳のイケメン男性。恋になんか発展しないと思っていたのに、なんと彼から「あなたを口説いて構いませんか?」と言われてしまい?!
*第14回恋愛小説大賞にエントリー中です
*2021.02.28 完結致しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる